野外オペラの夕べ
「やめた方がいい。お前はああいうの好きだろう」
「その理由で止められるのは、残虐な仕打ちだと思いませんか?」
ネア達が野外オペラに行くと言うと、なぜかエーダリアに止められた。
前回のオペラ帰りに気に入った小節を口ずさみ、蜂の魔物の大量殺戮を行なった前科を、決して繰り返すつもりはないのにだ。
(だいたい、あの蜂の魔物さんは、害虫指定で被害が出ていたくらいなのに!)
社会に貢献した戦士に対して、何という仕打ちだろうか。
「でも、会場には揚げた棒ドーナッツが売ってるんだよ」
悲しげにゼノーシュが呟き、グラストの表情が一転する。
「エーダリア様、ここは一つ息抜きも必要では?」
「グラストは最近、契約の魔物に甘くなったな……」
「そうでしょうか?」
無意識らしい。
「まぁ、野外オペラはウィームの名物ですからね。ホットワインと揚げ菓子を持って、寒い中で観劇するのもいい経験になるかもしれません」
芸術に傾倒が深い妖精の援護も得て、ネアは得意げに眉を上げた。
既に本日分の仕事は終えているので、これは承認待ちの儀式ではない。外出報告だ。
「昨日は初雪だったのだが、雪に慣れていないお前が、野外劇場で大丈夫だろうか」
「まぁ。それとこれは別なのですよ。冬場にスケートを楽しむのも、少しも気にならないではありませんか」
「ネア、これは放っておいて、そろそろ行こうか」
ディノはエーダリアの言動以前の問題として、彼の存在に重きを置かない。
ふと、これは大国の元第二王子と魔物の王様の構図なのだと思えば、なかなかに絵になる二人でもある。
「昨日の雪は積もりませんでしたし、今日は雪も降っていませんから、良い日を選ばれたと思いますよ」
「今日は少し気温が上がったので霧が出てないか?」
「ええ。ですので、禁足地の森の見回りは、あなたではなく他の騎士達を充てた方がいいのでは?」
ヒルドとグラストは天気の話を始めてしまい、霧のウィームも好きなネアは、霧が出ているのであれば是非にその景色も拝見したいので、そろそろ外に出たいと考えた。
深い霧に濡れながら街を歩くのは、最近のお気に入りなのだ。
ラムネルのコートで歩けば、どんな寒さも苦にはならないのだが、尤も、ウィームの冬はこれからだとも言える。
「さて、そろそろ飲み物や食べ物を買う余裕がなくなるので、出ますね」
「行ってきます」
グラストに、小さく手を振るゼノーシュが可愛い。
エーダリア本人も魔術に長けているとは言え、魔物二人が王宮を空けても平気なように、ヒルドがここに泊まってゆく日を選んでの出発だ。
「わぁ、祝祭が近いから飾り木だらけですね」
外に出れば、街の至る所に飾り木が立てられ、様々なオーナメントや灯りを煌めかせている。
そんな祝祭の明かりは、結晶石の種類によって様々な明度で揺れる。
魔術の炎を灯した飾り木は、その家に魔術に長けた者がいるという証なのだとか。
(でも、こんな素敵な景色でも、魔術抵抗のない人間には、悲しいものなんだろうな)
市井で生活出来ない程に抵抗値が低いものは、郊外の隔離施設で暮らしているのだが、彼等は、街外れの丘や森から、この明るい祝祭の街を見下ろしているのだろう。
そんな事を考えてしまい、ネアは少しだけしんみりした。
「ネア、人が多いからはぐれないようにね」
伸ばされたディノの腕が肩に回され、我に返ると、ディノが心配そうにこちらを見ていた。
野外オペラの会場に向かう道は、祝祭に沸く週末の街を賑わせているので、確かに迷子にはなりたくない。
歩道には様々な市が立っているので、立ち止まり屋台のあれこれに目移りのする人並みと、摺り抜けてゆく人々が交わり砕ける。
こちらとあちらの馬車道の中央分離帯には、森から切り出した祝祭用の木を売る店が連なっていて、よく見れば、店々は立地で上手く分類されているようだ。
「祝祭の夜はね、こんな人波にたくさんの魔物が紛れているんだよ」
「ディノも、紛れたことがあるんですか?」
「ウィームの祝祭も何度かは。現在の王都、旧南の王都のヴェルリアには、夏至前の仮面の祝祭があるんだ」
「ヴェルリアは、海業と商人の都なんですよね。各旧王都ごとに特徴があって面白いですね」
一つの店の前に立ち止まって、ゼノーシュがホットワインを買っているのだが、周囲の人々の反応を見ると、有名な店のようだ。
「スパイスと味付けが違うんだ」
老舗の店では、良いワインを使っているが、その分味わいは濃厚で玄人向けになる。
庶民向けの店の方が、果物が入っていたり、蜂蜜が入っていたりして飲みやすいことも多いのだそうだ。
「ネアはこれね」
屋外オペラに持っていくので、ネア達は水筒を持参していた。
幾つかの店に寄り、苺と砂糖のものと、柑橘と蜂蜜のもの、たくさんのスパイスと香草の高価なものの三種を購入し、水筒に入れて貰う。
量り売りなので事前に水筒の重さを測って貰い、こぽこぽとその中に注がれるホットワインを見ているのは何だか楽しかった。
「苺だけじゃなくて、杏も入っているのですね、いい香りです!」
「あとね、食べ物はこれだよ」
食料調達班は、ゼノーシュに任せて良かったようだ。
巧みに買い集め、手を汚すことなく持ち歩く器用さに、魔物の能力を如何なく発揮している。
「串焼きのハムと、これは鶏肉とチーズと蜂蜜?……こちらは何ですか?」
「茸をオイルと大蒜で蒸し焼きにしたやつ。少し辛いスパイスと塩で和えてあるから、グラストが大好き」
「まぁ。ゼノーシュは、美味しそうな食べ物ばかり選んでくれるのですね!」
因みに、ドーナッツは、観劇の幕間に売り子から買うそうだ。
少し割高だが、これが真冬の野外オペラの風物詩でもあり、とても人気なのだとか。
「ほら、着いたよ」
野外オペラの会場は、エーダリアの代理妖精の住まいでもある、ダリルダレンの書架の前の広場にある。
近くには小さな教会もあり、王立博物館の外観とその奥には、歌劇場も小さく見える。
その全てを舞台装置にして、毎夜オペラが歌われるのだから、素敵なのは当然とも言えよう。
「今夜の演目は、薔薇の騎士と氷の魔物ですって」
チケット口を抜けてわくわくとそう言ったネアに、ディノは小さく笑う。
「ネアが歌わないくらいの音楽かな?」
「……それはどういう意味でしょう!」
購入しておいた席は、中段の真ん中で、本の形をしたモニュメントの前だ。
モニュメントの台座に寄りかかれるので、人気の席の一つであるらしい。
ベンチに毛皮の敷物を敷いて、会場の各所では明るい魔術の火が燃える。
寄り添ってホットワインを飲み、持ち込んだ食べ物を摘みながら見る、雑多なオペラは、不思議なくらいに心を明るくしてくれる。
「ネア、君は今どこにいたの?」
幕間の暗闇の中で、何もかもを見透かした目をして、ディノが問いかける。
「私の心は、あの博物館を聖堂に見立てた、薔薇の騎士と氷の魔物の結婚式の場面です」
まだ暗い舞台から想像して、その荘厳な音楽に沈み、ハムの香りでこちらに戻されたところ。
「幸せかい?」
その問いかけに小さく息を呑んだ。
こんな風に、誰かと舞台を見るのは子供の頃以来だ。
「はい、とても」
そう微笑めば、ネアの魔物も満足げに微笑む。
隣のゼノーシュは、鶏肉を幸せそうに頬張っていて、まるで家族で過ごす夜のよう。
「ディノは、幸せですか?」
「……これは、幸せなのだろうか。暖かくて、とてもいい気分だよ」
そう呟いてからどこか不思議そうに目を瞬いたディノを見て、ネアはご機嫌でホットワインを飲んだ。
少しずつ、少しずつでいいのだ。こうして、幸せなことを見付けて重ねてゆこう。
「それはきっと、幸せだと言っていいものだと思いますよ」
「うん。ネアが沢山動いていて、可愛い」
「………舞台の位置に対し、見えているものがおかしいのはなぜなのだ」
「……これは、幸せでいいのだね」
ネアは魔物の回答に一つ不正解を見付けてしまったが、ほろりと剥き出しの色で微笑んだ魔物が、これからもこんな風に笑えばいいと、心から思う。
そんなことを考えながら齧ったあつあつの棒ドーナツは、口の中でじゅわっと砂糖が蕩ける堪らない美味しさであった。