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薔薇菓子と雪菓子


ウィームには、薔薇菓子という高価なお菓子がある。

薔薇の糖蜜を、薔薇の妖精が結晶化させたもので、飴細工のような小さな花びらの形をしている。

口に入れると薔薇の香りが広がり、酸味のあるジャムのような食感になる。

一時的な幸福感を与えるという魔術つきで、恋人達に人気なのだそうだ。


また、雪菓子という同じく高価なお菓子がある。

雪深い国の満月の夜にしか収穫されないもので、雪を被って凍った月の滴が、宝石に変化する一歩手前のものであるこちらは、黄水晶の欠片のように見せるが、口に入れると月光の酩酊を残す。

抜け目なく試食したネアの感想では、爽やかな貴腐葡萄酒に浸した、砂糖菓子のようなものであった。


どちらも非常にロマンティックな菓子なので、冬の祝祭に向けたこの季節になると、リノアールでは重厚な木箱に入れた薔薇菓子と雪菓子のセットを売るようになるらしい。


保冷のショーケースに入ったその木箱は、品のいい墨色に塗られ、金の文字で店名が記されている。

ネアは、そのショーケースの片隅にひっそりと配置された値札を確認し、さっと指をさした。


「五個です」

「わかった」


今回は慰謝料の旅であるので、お会計はディノ持ちだ。

ゼノとヒルドにもひと箱ずつあげるつもりでいる。

戦利品は、帰り際まで店で預かってもらうことにして、贈答品は綺麗なリボンをかけて貰うことにした。



本日のディノも、犬度は大変に高いのだが、髪の毛をリードにするのではなく、手を繋ぐという新しい技を覚えさせたので、ネアは晴れやかな気持ちだった。


「後はどのお店を見るんだい?」

「後は一つだけですよ」


お菓子はおまけにあたるので、残りはフィンベリアがあれば完結する。


「他には?クリームの他の香りのものもあるし、いい毛織のコートもあるよ」


だが、ディノこと魔物の王様な筈の忠犬は、それだけでは不満足のようだ。

ここでご主人様を少しでも喜ばせ、少しでも信頼の回復を図りたいのだろう。


「コートは新品が届いたばかりですよ?とても素敵なコートでしたので、あのコートを大事に着たいです」

「コートなんて、毎日変えてもいいのに」

「……庶民の敵め!」



ディノが狩ってきたラムネル毛皮は、仕立て屋の魔物を号泣させつつ、紫紺のコートに仕上がった。

その色こその希少性を真っ向から殺してかかり、まさかの染色を強いたのだそうだ。

長い毛足を短くカットし、襟と袖だけ本来の毛足を生かした、シンプルで上品なデザインのコートは、こちらもラムネルの毛皮の希少性を知らずに新しいデザインを喜べたネアを、一目で虜にした。


手で毛並みを掻き分けると、元の鮮やかな青い毛が僅かに窺えるのだが、その本来の毛先の金色が生かされたのは襟元で、紫紺の染料が金色を透かすことで紫紺の毛並みが内側からの煌めきを映し、角度によっては、きらきらと光り冬の夜空のようにも見えるのだ。


残った毛皮で原色のものと、白灰色を上に乗せ淡い水色にしたマフラーが出来たので、これはディノと共用することにした。

どちらか一つでいいと言うつもりだったが、渡されたものが素敵過ぎたので、ただこくりと頷くことしか出来なかったのだ。



「このように店頭に並んでいる服は、あまり好きじゃないかい?」

「元吊るし専門に、酷い暴言を吐きましたね」



残念ながら現在、ネアの服に既製品はない。

元婚約者であるエーダリアが上司として支給した支給服と、与えたい病に冒されたディノの揃えたものばかりが衣装部屋に詰め込まれているのだが、ネアの可動域の何かがまずいらしく、都度の仕立てが必要であった。


こんなに手厚いクローゼットを得たことがないネアは、未だに着替えの時に放心してしまう。

万が一食べ過ぎてサイズが変わったら、どうお詫びをすればいいのか怖いくらいだ。


(とは言え、そろそろ吊るし専門という称号は、返上しなければなるまい!)


恐縮してしまうが、まだ無駄を窘める程の量ではないあたりが吝かではない。

こちらの世界に来てからなかなかに出世したなと思いながら売り場を歩いていると、吹き抜けのホールに見事な飾り木があった。


(……………わ、)


以前からあった深緑の針葉樹に、葡萄酒色のリボンと金色の装飾の古典的なものではなく、見たこともない装飾をかけられた飾り木が、巨大な硝子ケースに入れられて飾ってあるのだ。


恐らく、高価な装飾などがあるのでとなされた、警備上の措置だろうか。

そう考えてじっと見つめていると、明らかに他のオーナメントとは違う輝きのものがあった。


「ディノ、………あの硝子の檻の中の、かじゃりぎの飾りは何ですか?」

「ネア、興奮し過ぎて言えてないよ。……可愛いけど」

「あの、淡い白金色にきらきらしていて、時々虹色にしゃりんと光る、木の上のあやつです!」


ネアが見付けたのは、飾り木の先端にある星の形をした装飾だ。

とろりとした煌めきと、小さく輝き落ちる輝きの双方があり、その幻想的な美しさに、ネアは固まったまま美しい飾り木を見上げる。


「おや、ここに説明書きがあるようだね。………凍った雪原に映った、月とオーロラの結晶らしいよ」

「まぁ。ものすごく贅沢な合わせ技なのですね」


情景は想像出来るが、結晶化するまでの工程が想像出来ない。

けれども、ただ美しいということは、言うまでもなかった。


「あれを買ってあげようか?」


ネアが、あまりにも飾り木を夢中で見ていたからだろう。

ここでディノが、さらりと恐ろしい提案をしてくるではないか。

一瞬頷きそうになってしまってから、ネアは、慌ててそんな自分を窘めた。


「あのような場所にあるからこそ、美しいのでしょう。個人で独占して楽しい飾りではありませんし、きっと、こうして見ているのが楽しいんですよ」

「じゃあ、また見に来ようか」

「はい。また、お買い物やお出掛けの際に寄りましょうね!ディノの色に少し似ていて、綺麗ですねぇ」

「……ネアが狡い」



なぜかその後、魔物が一時的に挙動不審になったので、ネアは目的の買い物を急いだ。

ネアを怖がらせる為だけにアルテアを焚きつけた悪い魔物には、しっかりとお詫びの品を買って貰わねばいけないのだ。



「この、以前に見た夏の夜の雨のフィンベリアを………っ?!そ、そんな、………新作が出ています!!」


店頭で驚愕の眼差しになったネアに、ディノが思案深げにちらりと視線の行方を辿る。


どうやら、祝祭間近なので、品揃えが豊富になっているようだ。

特に雪景色のものが多く、買いたいものを決めてきた筈のネアは、目移りの苦悩に苛まれることとなってしまった。



「君は、雪景色が好きだろう?雪白のものを多く持っているような気がするけれど………」

「冬も雪景色も好きですよ。小物が白に偏るのは、ディノの色に近いからだと思います」


道具入れや筆記用具など、仕事用の品物は真珠色に統一されている。

グラストが水色なのだから、塔からの支給時の振り分けだろう。


「幾らでも買ってあげるよ」


(何か誤解されたようだけれど、あの色を決めたのはエーダリア様ですよ……!!)


続ける筈だった言葉を飲み込み、ネアは厳かに首を振る。


「特別なものを少しずつ集めるからこそ、それは宝物になるんですよ」

「ネアからのご褒美は、幾らあっても嬉しいけれどね」

「ご褒美断食中の身で、良く言いましたね」


そう言うと、禁断症状が辛いのか悲しそうな顔になった。

可哀想だが、躾けは躾けだ。



「もう、四日も足踏んでくれない」

「……今までの自分が、ディノに甘過ぎたことを後悔する一言ですね」


毎日のようにご褒美をあげていれば、それは暴走もするかもしれない。

これからは厳しいご主人様を目指すべきだ。


しかし後日、ネアは罪悪感を抱えたまま、呆然とディノを椅子にしていた。


手には、飾り木で見たのと同じ結晶石を飾りに使った薬入れがある。

魔物の質を生かした歌乞い用の道具だが、今までは質素な鉄製のものしかなかったのだ。

あまりにも高価そうだが、突き返すことも出来ず、ネアは薬入れを握り締める。



エーダリアに見付かって、王冠の要石にもする宝石をなぜ薬入れにしたんだと嘆かれたが、何故も何もディノは薬の魔物なので、これならばいいだろうと考えてしまったのだろう。

想定外の事態として、シガレットケース大の薬入れが、ヴェルクレア国王の王冠より高価になってしまったことは、ここだけの秘密にするしかない。



なお、薔薇菓子と雪菓子のセットは、渡している最中に遭遇してしまったので、エーダリア達にもあげる羽目になってしまった。


一人一つとはとても無念である。



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