シチュー屋の看板娘
「……白持ちをもう一人ですか。今回の件は、上には報告せずにおきましょう。これが露見すれば、間違いなくネア様は神格化されます」
「いやでございます」
「ですから、今後はくれぐれも慎重に……」
「ネア、これ何?」
ウィームの街外れに新しく出来た料理店に来ていた。
看板メニューだけではなく、香辛料の効いたカレーのようなものもあるので、ネアが喜び勇んでやって来たのだが。
さらさらの髪の毛が可愛い、黒髪に茶色の目をしたあどけない少女が、ネアの足元に這い蹲っている。
人間でいえば四歳くらいだろうか、美少女の気配もあるが、頬がぷくぷくで可愛らしさ全開だ。
「ネアさまのいうことはなんでもききます!」
「解せぬ………」
「………浮気?」
「ディノ、私はこのお嬢さんとは会ったこともありませんよ。そもそも、親御さんと一緒にいるべき年齢の子供を、転職先として勧誘したりもしません」
「ネアがこの前、シチュー鍋に入れようとしてた子だよ」
シチューを頬張りながら告発したゼノーシュに、ヒルドは驚愕の表情になった。
「シチュー鍋に、………この子を?」
「あの時の魔物さんでしたか!ゼノ、シチュー鍋は躾の一環です。脅しただけで、実際に入れたりはしません」
「ネア、また新しいことしてるね……」
「ディノ、シチュー鍋に憧れてはいけません。茹でられたいなら、今度お風呂の温度を上げて差し上げます」
「ネアも一緒?」
「三日間椅子なし」
「ひどい!」
ネアは、足元に蹲った幼女を脇の下に手を差し込んで持ち上げた。
ものすごく震えていて、涙目がとても可愛い。
「あなたはもう、このシチュー屋さんの魔物です。私に仕える必要はないので、今の飼い主さんを大事にして下さい。それと、そんなに可愛らしいお洋服で、土足の床に座ってはいけません」
「ネアさま、おこる?」
「もう悪さはしてませんか?」
「かみのけ、むしらない。かみのけ、おきゃくさんがいっぱいくれる」
「では、あなたはいいこです。今の飼い主さんは好きですか?」
「おとうさん、と、おかあさん、すき!」
舌足らずな声で宣言され、ネアは頬を染めて頷いた。
ヒルドも微笑ましげにこちらを見ているが、ディノとゼノーシュはなぜか険しい顔をしている。
「飼い主ではなく、ご両親になって貰ったのですね。では、充分に親孝行して下さい」
「あい!」
「この子、鞄に詰めて持って帰りたいですね…………」
「確かに、愛らしい魔物の子ですね。これほど素直に人に懐くことは、滅多にないのですが」
「ネア、僕はもう可愛くない?!」
「突然どうしました、ゼノ。ゼノは、いつだってとびきり可愛いですよ」
「ネア、そんな魔物を膝に乗せるなんてずるい!」
「質量の差を考えて下さい。ディノを私の膝に乗せたら、私の足の血が止まります」
「……小さくなれば………」
「却下します。いい大人の幼児化は、実際にやられると違和感しかありません。あどけなき者は、心が稚いからこそ愛らしいのです」
その時、控えめなノックが個室に響いた。
立ち上がったヒルドが扉を開くと、恰幅のいい男性が申し訳なさそうに立っている。
ネアの膝の上を見て、ああやっぱりと頭を下げた。
「すみません、個室のお客様のところには、入らないよう言ってあったんですが」
「いえ、構いませんよ。愛くるしいお子さんを堪能しました」
「そう言っていただけると幸いです。お客様は、あの髪喰い事件の時のお嬢さんですよね?」
「はい。こんなにいい子に育ったんですね。今は、親御さんになられたとか。是非、教育のあり方を教えて欲しいくらいです」
「ネア、なんで私の方を見るの?」
ちょうど食事も終わったところだったので、話を聞いてみれば、
この髪喰いは事件の後、獣型の害獣魔物専門の機関に引き取られたらしい。
しかしながら、激しく震えている姿に同情した職員がその話を周囲にした結果、この店主のところにも情報が下りてきたのだそうだ。
どうやら、ネアがシチュー鍋に向かった瞬間、悲痛な目の髪喰いと目が合ってしまったらしい店主は、これはもう運命だと思って引き取ったのだそうだ。
「魔術師から髪喰い用の首輪を貰いまして、鍋を乗せた台に繋いで飼ってたんですがね、」
ぺたりと座り込んだお尻がずれていくぐらいに日々震えているので、通りすがりの人々が抜け毛や、切った髪の毛を与えるようになった。
食べている時だけは震えが止まり、尻尾がぶんぶんと振られるからという理由だった。
「煮込むと脅されたシチュー鍋に鎖で繋がれれば、それは毎日震えますよね……」
ヒルドが不憫そうに呟く。
その内に食べ過ぎで真ん丸に太ってしまい、店主は運動をさせるべきか悩んだという。
しかし、その翌日、ぼんという音と共に、髪喰いは可愛らしい幼女の姿になった。
魔力を過分に貯め込んだ結果、人型になれる個体にまで進化したのだ。
これには、髪喰いの飼育に反対していた奥方も喜んだ。
この夫婦は、一昨年のハーグの水害で子供を失くし、この街に移り住んできた移民である。
幼女姿の髪喰いに子供服と子供部屋を与え、塔に届け出を出して養子の手続きをした。
「魔物も、養子に出来るんですね」
「ネア様はご存知なかったんですね。出来ますよ。婚姻も、養子も、財産などの譲渡が絡みますから、魔物と縁組をする人間は案外多いのだそうです。塔には、それ専門の部署がありますが、日々忙しいそうで」
手続きには魔術的拘束が不可欠なので、証書と契約の簡易版でも安くはない費用がかかる。
縁組にあたり、魔物が人間に害を為さないよう魔術拘束をするのだが、その人件費がかかるのだそうだ。
人間側と同じだけ魔物側の意志も尊重するので、婚姻等で料金を払ったが、当日魔物に逃げられたという例も少なくない。
魔物の権利を守る為の誓約には、同部署に在席する歌乞いの魔物があたり、きちんと双方の利益を損なわないようにするよく出来た仕組みだ。
「費用は嵩みましたが、結果は良い効果を生みました。カミラが獣姿の頃より、カミラ目当てのお客で賑わっておりましたが、今ではもう、それはそれは人気で。巷では、この子に髪を食べさせると子宝に恵まれるという迷信まで広がる有様です。有難く商売繁盛させていただいておりまして、カミラも空腹になることもありません」
一時はふさぎ込んでいた奥方は、今や髪喰い保護活動に参加する程に逞しくなり、
カミラを連れて買い物にも出かけるようになった。
出先でもカミラは空腹になる間もなく、すれ違う人々から抜け毛を貰ってご満悦である。
幸せそうに髪を食む姿に、外に出るだけで宣伝活動になるのだとか。
「この子が来てから、飲食販売にありがちな幽鬼の出没もなくなりましたし、いい事ずくしです!」
「飲食販売には、幽鬼がつきものなんですか?」
「ああ、お嬢様の様なお立場の方は耳慣れないかもしれませんが、食い意地のはった亡霊というのは、意外におりましてな。人の出入りの多い飲食店には、護符を貼っておかないとすぐに紛れ込むのです」
「確かに人型になる程の魔物であれば、雑多な幽鬼や虫型の魔物等も近づけないでしょう」
「ええ、この子は本当にいい子ですよ」
父親に引き取られ、その丸太のような腕に抱っこされたカミラは、褒められたのが嬉しいのか得意げに微笑んでいる。
時折、毛根の生存の気配もない、父親の頭部を残念そうに見ている。
白いコック帽の下は更地だったようだ。
帰り際、ネアはカミラが自分の髪の毛に興味を示さなかったことに気付いた。
やはり四では見向きもされないのかと悲しくなった。
後に確認したところ、地面に巣を作る以上のことは出来ない蟻の魔物であっても、魔術可動域は八の数字を叩きだすらしい。