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17. 魔物の怪我は治らないようです(本編)



ディノが怪我をした。



真珠色にありとあらゆる色彩の光を乗せた虹色の魔物は、ネアの大事な魔物だ。

今は擬態していても、どんな姿でもそれは変わらない。


その、一部だけに焦点を当てても美しい左手首に、ざっくりと深い傷が走っているではないか。

見る間に血が溢れ、地面に落ちることはなく淡く光って消える。


「………痛い」


ぽつりと呟かれた言葉に、ネアは気が動転しそうになる。

傷付けられたら怪我をするのが当たり前のことなのに、どうしてだか、そんな事はディノとは無縁の事象だとすら思っていたのだ。


「ディノ、こういう場合、人間は患部を圧迫して血を止めます。そうしますか?」

「……うん」


ネアはケープの下にかけていた鞄から、真っ白なハンカチを取り出し、ディノの傷口に当てる。

きつく圧迫し終える頃には、ネアの指先にも血がついていた。


「暫定的な処置なので、すぐに手当てしましょう。ハンカチは、手当て用のガーゼとは違いますし、このままにしておくと、傷口に癒着してしまいますから」

「まだ、痛い……」


悲しげな魔物があまりにも不憫で、ネアは手当ての為に座らせていた魔物の頬に、幼い子供にするように口付けを落とす。

撫でてやりたくても、手が汚れていたのだ。


「手を心臓より高い位置に持ち上げて、いい子にしていて下さいね。魔物の手当てには詳しくないので、すぐにエーダリア様達と連絡を取ります」


ディノが怪我をするという前提がなかった為に、魔物の手当てについては学んでいなかった。

役に立ちそうなのは、ネア用に支給されている道具袋だが、胃痛や腹痛などの人間用の薬を汎用するわけにもいかない。


「……ディノ、自分で傷薬を作れますか?」

「魔物の為に傷薬を作ったことはないな。それに今は、擬態してるから」

「擬態していると、怪我の状態にも関わるのですか?」

「魔物の質を封じていたから、怪我をしたんだと思う。肉体的には人間と変わらない状態にしているからね」

「……すぐに擬態を解きましょう」

「ここは墓地だから、あまりやらない方がいいのではないかな」


そう言われたネアは、腹立たしい思いで周囲の墓地を見回した。

黒煙の魔物の姿もないようなので、もうこんなところとはおさらばだ。


飲料水の手持ちもなく湿らせる事が出来ないので、鞄の中の別のハンカチで血の付いた指先を強く拭った。

血というものの特性上、一度乾いてしまうと拭き取り難くなるので、手を添えるディノの服を、汚したくなかったのだ。



「歩けますか?傷に響いて少し痛いと思いますが、まずはここを出ましょうね。集合場所であった、ガレンの借り上げているお屋敷に向かいましょう」

「………うん」


目元が薄っすらと赤いのは、怪我をしてしまったことが屈辱なのだろうか。

怪我そのものに不慣れな様子が哀れで、ネアは何でもしてあげたくなってしまう。

ディノはしょんぼりとしたまま歩き、行きとは反対に、ネアがその体に手を当ててエスコートする。



入り口の警備担当者に、黒煙の魔物が暴れたと告げ口をしておき、繁華街を抜けると、寄り添って歩く様が親密に見えるのか、目撃者達は行きとは違う表情をしていた。



「ディノの肌はこんなに綺麗なのですから、傷が残らないといいですね」

「人間は傷が残るのかい?」

「そうですね。このくらいの怪我をすると、普通は残ります。でも、この世界には不思議な薬が沢山ありますから、きっと残らないのでしょう」


自分の手首を心配そうに見つめ、ディノは巻かれたハンカチを不思議そうになぞる。

袖口に滲んだ血の跡が消えているのは、何やら特別な力が働いているのかもしれない。


「人間が言う、傷物というのはこういうことなのかい?」

「もう少し含みを持たせることもありますが、このような傷もそれに当たりますね。でも、私がディノを、絶対に傷物になんかさせません」

「……傷物になったら、ネアが貰ってくれる?」


そんな問いかけに、ネアは思わず、まじまじとディノを見上げてしまった。

綺麗な目には不安そうな光が揺れていて、その頼りなさに胸が締め付けられる。


「勿論、私が生涯面倒を見ます。でも、そんな風に心配しなくても大丈夫ですよ」

「……ネアが傍に居てくれればいい」


頭を下げて差し出してきた魔物を、ネアはそっと撫でてやった。


「別行動になったばかりで心苦しいのですが、エーダリア様に通信を送りました。皆様のお仕事に、障りがないところで、こちらに合流して貰いましょう」


墓地を出てすぐに擬態を解かせようとしたが、この国境域の街では重篤な魔術異変に敏感である。

痛みはそこまで深刻ではないと言うので、エーダリアが確保している屋敷に向かうことにして、閑静な貴族の屋敷が立ち並ぶ区画に向かった。


怪我人をあまり歩かせたくないので、ネアは市販の転移門を乗合場で購入し、屋敷に一番近い道を繋いでもらう。


乗合場には転移を得意とする魔術師がいて、その場で料金を払うと、すぐに術式を展開してくれた。

馬車などよりかなり高価な移動手段であるので、並び待ちをせずにほっとする。



転移先は、目的の屋敷のほぼ向かいだった。

塔で保有している不動産だそうで、いざという時の移動のしやすさも、この屋敷を選んだ理由であるかもしれない。


「ここから先は個人の領域になりますので、もう擬態を解いて大丈夫ですよ?」


優美な鉄の門を抜け、檸檬の木とミモザの木の間を抜ける。

予め渡されていた魔術仕掛けの鍵を使い、屋敷に入ってからやっと肩の力が抜けた。



「……有難う、ネア」


ぶわりと髪が風をはらみ、次の瞬間にはもう元の髪色に戻っている。

それを見て少しだけ安心したネアは、玄関ホールを抜けて、一番近い来客用の部屋に落ち着くことにした。


中庭に面しており、採光窓が大きくて明るい部屋は、葡萄酒色で統一された貴族的な装飾の部屋には、誰かが忘れていったのか魔術書が残されている。



「疲れていませんか?」

「大丈夫だよ。ただ、このような怪我をしたのは初めてかな」

「擦り傷とかもなかったんですか?」

「うん」


悄然としたまま、座り込んでいるディノの髪を撫でた。

傷の痛みも勿論だろうが、慣れないことが続き驚いたことも、疲労の理由として大きいのかもしれない。



「薬を作れそうですか?」

「もう少し、このままでいる」

「でも、痛いでしょう?」

「大丈夫」

「人間用の鎮痛剤を飲んでみますか?でも、副作用がないとも限らないし…。治療院をあたってみましょうか?」

「しなくても平気だよ」

「何かして欲しいことはありますか?」

「……ネア、髪の毛引っ張って」

「そうすると、痛さが二倍ですよね。隣に座るので、寄りかかっていて下さい」

「うん」



窓の向こうで、オリーブの木が揺れている。

もしかしたら違う名前の木なのかもしれないけれど、よく似た配色だ。

紫色の小さな花を沢山つけた、紫陽花に似た花、淡い水色の繁みになっているカモミールのような花。


肩口にディノの体温を感じながら、そんな景色を見ている。



(エーダリア様達が、早く戻って来てくれるといいのだけれど……………)


そんな事を考えていると、ディノがこちらを見る。



「……君は、可哀想なものが好きなのかい?」

「なにゆえ?!私は、そんな残虐ではありませんよ!」

「すごく優しいから、……………かな」

「傷付いているひとには、優しくしようと思います。でも、私は博愛主義ではないので、知り合いだけに適用となりますが…」


また頭をぐりぐり押し付けてきたので、丁寧に撫でてやる。

頬に手を添えれば、ぴったりと擦り寄られた。

その不憫さが愛おしくなってしまい、ネアは少しだけ動揺した。


その時だ。

バタバタと足音が聞こえ、待っていた声がこちらに届く。


「ネア、魔物が怪我をしたそうだな?!」


魔術の道を使ったのだろう、誰かが屋敷に入ってくる音はしなかったのに、忽然と部屋に現れたエーダリアが、ケープを翻して部屋の扉を開ける。


ディノが怪我をしたと聞き余程驚いたのか、銀糸の髪が少し乱れていた。

ほっとして立ち上がったネアに、鳶色の瞳が少し緩む。


「エーダリア様!こんなにすぐに呼び戻してしまい、申し訳ありませんでした。ですが、ディノの傷を診てあげてくれませんか?私は魔物の怪我に無知なんです」

「自己修復も出来いのだな。ああ。すぐに診てみよう……………」

「……ネアは、大丈夫?」


続けて扉を潜ったゼノーシュが、心配そうにネアを見上げる。

少年の姿で擬態を重ねており、大変可愛らしい。


「黒煙の魔物さんが誤解の末に暴走したのです。私のことは、ディノが守ってくれたんです」

「ネアは人間だから、怪我しなくて良かった」

「でも、ディノに怪我をさせてしまいました……………」

「ゼノーシュ、あなたもエーダリア様を手伝ってあげてくれ」


最後に姿を現したグラストは、何か大きな荷物を降ろしながら、自分の魔物に指令を出している。

なぜか、ゼノーシュはおもむろにグラストを凝視した。


「……ゼノーシュ、お前も、エーダリア様の手伝いを」

「わかった!」


こちらは、どうやら言語矯正期間であるようだ。



「グラストさん、お仕事中に急ぎ呼び戻してしまって、大変申し訳ありませんでした」

「いえ、ネア殿は状況の説明を丁寧に書いて下さっていたので、当初の目標は済ませてきました」


当然のようにそう答えたグラストに、ネアはぽかんと口を開いてしまう。


「あれっぽっちのお時間でですか?」

「今回は、違法商会からの該当書物の回収です。エーダリア様とゼノーシュは魔術を使いますので、時間はほとんどかからないんですよ。俺はただの盾兵要員です」

「……やはり、凄い方々だったんですね」



ふと、ネアは隣の空気がいやに寒々しいことに気付いた。



「…………エーダリア様、ディノの傷はどうですか?」


視線を戻して伺えば、視線を伏せているエーダリアの表情は暗い。

その隣に立つゼノーシュも、心なしか浮かない表情だった。


「………すぐは治せない」

「で、でも、魔術の叡智では、もっと広範囲の深い傷も治せるのですよね?!」

「ああ。……だが今回は、少し時間がかかりそうだ」

「そんな!……何か、特別な傷なのですか?」

「いや、……そ、そうだな。そうかもしれん」

「……………ゼノ?」


妙に歯切れが悪いので、もう少し頼りになりそうなゼノーシュに質問先を切り替えると、申し訳なさそうに項垂れていた。


「ごめんなさい。……出来ないみたい」

「謝らないで下さい。ゼノにも出来ないなら、これはきっと厄介なものなんですね」

「待て、診たのは私だぞ?」

「エーダリア様も有難うございました。ディノ、痛みはどうですか?」


診察が終わって、再び隣に座ったネアの肩口に寄りかかり直した魔物は、力なく小さく微笑む。


「そこまでじゃないよ。普通の人間と同じように治るから安心して。……少し時間がかかるかもしれないし、傷跡が残るかもだけど」

「傷跡が残ってしまいそうなのですね……………」


あまりにも可哀想で、両手で彼の頭を抱きしめてやりつつ、救いを求めるように部屋を見回せば、エーダリアもゼノーシュも、顔を背けてしまった。


(……駄目だ。治せないと言っているのに、こんな風に縋ってしまってはいけないわ)


出来ないと答えているのだ。

その返答に他の要素がないのだから、きっと特殊な攻撃だったに違いない。



(黒煙の魔物)


ネアは、ぎりりと指先を握り込み、その魔物を思った。

煙姿しか見てはいないが、今度会ったらどうにかして治療方法を聞き出せないだろうか。

物語の知見だが、大抵の場合、特殊な攻撃の治癒方法は、加害者当人が握っていることが多いのだ。



「ディノ、落ち込まないで下さいね。きっと、……少しでも負担の少なくなるような方法を探してみせます」



部屋の向こうでは、エーダリアとゼノーシュから何かを聞いたグラストが、頭を抱えている。

そんなに深刻なのだろうかと、ネアは蒼白になった。



(でも、深刻そうな素振りをディノ本人には見せないようにしてあげないと)



艶やかな髪を撫でつつ、唇を噛み締める。



(何も出来ないご主人様でごめんね……)



もし、ネア自身に特別な力があれば。

せめてあの時に守られているだけではない身体能力があれば、ディノはこんな怪我をしないで済んだかもしれないのに。


けれどもそうはならず、それどころか、与えられた仕事すら中途半端な有様で、エーダリア達にまで迷惑をかけてしまっている。



(……………でも、落ち込むのは今ではないわ。少しでいい、出来ることを探してみよう)



ひとまずは、ディノを不安がらせないように気遣いながらも、全力で甘やかそうと、ネアは心に誓った。





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