3. 薬の魔物に任命しました(本編)
その後、あまり脱走時間が長くてもいけないのでと、与えられた部屋に戻り早急な臨時対策会議の場が設けられた。
この保護施設ともなる辺境の宮殿で、ネアが与えられた部屋は、禁足地とされる魔術的隔離地の森に面した東棟の広大なスペースだ。
ひと棟をぽんと与えられて豪勢なことだと喜ぶには、諸々の嬉しくない背景がある。
まず、国の歌乞いを保護するのに差し向けられた程度の人員では、この東棟までの警備は手が届かないらしい。
必然的に、元王子兼最高位の魔術師のエーダリアに優先して人手が回されており、託宣の巫女がその次。
この一団を守護する騎士だという護衛官と、その契約の魔物にまた少し。
その結果、ネアの泊まる離宮の警護に回された人数は、侘しくも五人となる。
魔法の宿るような美しい夜の森の景観の良さを喜ぶ以前に、森に面した壁一面が窓になっている物騒な間取り上、森からの脅威があれば直接被害が及ぶのがこの東の離宮だと一目瞭然ではないか。
有事の際などは、本棟からは距離もある為に、救助もままならないに違いない。
禁足地の森は、この国の為政者でも力の及ばない、原始的な魔術の地なのだそうだ。
人ならざるものの敷地に、保護されるべき歌乞いが容易く抜け出せるのだから、彼等からの扱いは推して知るべしという雑なものだった。
(託宣で魔術が完成している分、捨てられないし害せないけど、早く交代して欲しいんだろうなぁ………)
婚約者からの明確かつ運任せな殺意を感じながら、在任期間二日目に入ろうとしている深夜。
この美しい世界の景色をもう少し堪能出来るくらいまでは在任期間を延ばしたいと恨めし気にじっと森を見つめていると、契約したばかりの魔物が頭の上で苦笑するのがわかった。
「森が怖いのかい?」
「無用心ではないでしょうか。何しろ、この森には不思議な生き物が沢山住んでいるのでしょう?」
「安心していいよ。私がいるから、この敷地内では自由にしておいで」
この離宮に連れて帰るなり、彼はひとつ溜息をつくと、あちこちの守りが足りないねと呟き、ネアの守護を申し出てくれた。
それは、離宮だけの守りではなく、ネア本人の守護を継続的にという意味らしい。
そしてなぜか、
現在、ネアの椅子になっている。
「あの、……そろそろこの長椅子と私の間に、あなたを挟む意味がわかりません」
「でもこれは、私の願い事だからね」
さも当然と流されてしまい、ネアは困惑と動揺に肩を落とす。
これがまだ、抱っこしてあげようというような、溺愛めいた言動であれば救いがあったのだ。
けれど彼は、部屋に戻って、あれだけの時間森に抜け出していてもやはり探されてもいないようだと、雑な扱いにしょんぼり眉を下げたネアを見ても空気を読まずに、さて椅子になってあげようかと唐突に提案してきた。
殆ど見ず知らずの相手とは言え、厭われるということは、さすがに気持ちを落ち込ませる。
魔物の変態的な願い事を叶えられる程、いい精神状態ではないのだから、どうかもう少し遠慮して欲しい。
「こういう嗜好をお持ちであれば、私じゃなくて、もっと向いてる方がいらっしゃるのでは?」
ネアの髪色は青みがかった深い灰色で、瞳は、菫色の入る鳩羽の多色性の灰色だ。
華やかというよりは端正な造作で、この手のご趣味の方に受ける容姿でもないだろうにと、早くも疑問でならない。
「酷いことを言う。私は、君がいいんだよ」
酷いと言いながら、妙に嬉しそうなのはどうだろう。
もはや何が願い事で、何が対価と成果なのかわからないので、ネアは粛々と流されてゆくしかない。
その上でこの相棒と、今後穏便に生きて行く為の対策を練らなければいけないのか。
「じゃあ、協力して下さい。あなたが概念系統の魔物だということは、隠さないといけないんです」
「この国の、便利な捨て駒にされないようにかい?」
それなりに必死なネアの言葉に、魔物は冷たい声で笑ってネアの髪を撫でた。
高位の魔物なのだから、この離宮を見れば、ネアの扱いなど一目瞭然だろう。
「せっかく伸び伸びと過ごせる新天地に来たのですから、高位の魔物を捕まえたと無責任に持ち上げられて利用されるのは嫌なのです。私に、政治的なあれこれを掻い潜る才能はないですし、戦乱などで戦ったりする胆力も度胸もありません」
「では、私が他の資質の魔物だと偽ればいいだろう。扱える魔術の幅は広いから、何とでもなる筈だ」
「こちらで、一番当たり障りがなくて、積極的に排除されないけれど、望まれもしない魔物は何ですか?」
「そうなると、………薬の魔物かもしれないね。人間の歌乞いを得る最下層の魔物だけれど、人間の生活には必要な魔物だ。このような組織の場合は、連れ歩く必要はなく、それでいて所有することで益のある役割ではないかな」
現在の組織を限定され、ネアは首を傾げる。
魔術師であれば、ここから転移をかければ王都への移動は容易いと聞いている。
託宣を受けて捜索していたというネアを保護した以上、彼等は、明日にでも王都、或いは拠点となる都市へ戻るつもりだと思っていたのだが違うのだろうか。
「拠点の都市へ移動すれば、薬の魔物は珍しくはないのでは?」
体を捻って見上げると、彼は片方の眉を持ち上げて小さく微笑んだ。
「ああ、君はなぜ自分が探されたのかを知らないのだね。今、この世界の歌乞いは、一時的な抗争状態にあるんだよ。とある成果物の争奪戦をしていて、国の歌乞い達はその最前線なのだそうだ」
「…………何ですって?」
命に関わる問題についての、圧倒的説明不足。
儚い一般人と自負するネアが、初めて現婚約者殿に殺意を抱いた瞬間だった。