狩りの女王と南瓜の魔物
「何だか騒がしいね」
隣を歩いているゼノーシュが、不審そうに眉を顰めたので、ネアは、がやがやする一つ隣の通りの喧騒に聞き耳を立ててみた。
「あまりいい騒ぎではなさそうです。ゼノ、離れないようにして下さいね」
「ネア、それ僕の台詞だと思う」
蜂蜜色の髪の少年に擬態しているゼノーシュは、困った顔で眉を八の字にする。
大変可愛らしいので、ネアは彼を守る決意を固くした。
「今日はちょっと出掛けてくるから、いい子にしておいで」
そんな言葉を残して、ディノは、朝から姿を消している。
彼がふわりと姿を消すのは、竜の卵とその他の品物事件以来初めてだ。
君と離れるのは寂しいけれど、というような甘い言葉を残しはせず、さらりと出掛けて行ってしまうのが、如何にも魔物らしい。
今度は何の為の外出なのだろうと、部屋に残ってぐるぐると考え事をしていたネアを近付く豊穣祭で賑わう街にゼノーシュが連れ出してくれた、帰り道のことだった。
なお、現在は二人とも満腹だと補足しておく。
沢山買い食いしたのだ。
(わぁぁって聞こえたし、何だか捕物のよう)
祝祭を尊ぶ土地柄か、ウィームの街には祝祭が近くなると、人が多くなる。
人々の声の上げ方などから、スリなど軽犯罪だろうかと目星をつけ、ネアは、身なりのいい美少年に見えるゼノーシュを案じていた。
「何だろう、……獣?……あ、魔物だね」
「まぁ。獣にも見える魔物さんがいるのですか?」
騒ぎの中心はまだ見えないのだが、目を細めてから情報を拾い上げたゼノーシュに、ネアはこくりと頷いた。
ゼノーシュは見聞の魔物だ。
古い知識の収集となると別らしいのだが、生きた情報の集約には長けているという。
そして、そんな彼の発した言葉は、ネアに大きな衝撃を与えた。
(獣型の魔物………)
この世界では一度もお目にかかったことはないが、とうとう獣耳な魔物に出会う日が来たのかもしれないと考えたのだ。
思わず心を弾ませそうになり、ちょっぴりワクワクしてしまった人間は、慌てて気持ちを引き締めた。
「ネア、顔が嬉しそう」
「うっ!……その魔物さんは、可愛らしい感じのお方ですか?」
「………可愛い、……かも?」
(なぜに悔しそうに答えたのだろうか、非常に可愛い………!!)
「とは言え、ゼノに勝る可愛さは存在しないでしょうね」
「………ほんとう?」
ネアの可愛さに於ける充電の七割はゼノーシュなのでそう言うと、少年姿の魔物は、頬を染めて嬉しそうにするではないか。
因みに、残りの三割は、時々可愛いを発動するディノだ。
(………ほんと、どこに行ったのかしら)
うっかりまたディノの事を考えてしまい、街に出る前にネアを迷路に追い込んだ疑問が、ふわりと舞い戻ってくる。
ゼノーシュが何も言わないところをみると、ディノはまだこちらに戻ってきていないようだ。
何となくだが、ディノが戻ってきたらこのお出かけは解散になるような気がしたのだ。
(と言うことは、まだ帰ってきていないのだわ………)
とは言え、ずっと傍にいるので失念しがちだが、ディノにだってやはりプライベートはある。
友人達や、もしかしたらそれよりももっと親密な者もいるかもしれないのだから、出かける度に、どこかで怪我をしてないだろうかと勝手にはらはらするのはやめよう。
例え孤独が際立っても、孤独と孤立では事情が違う。
ディノは魅力的な存在であるのは間違いないし、アルテアがそうであるように、あの魔物にだって知らない抽斗が沢山あるに違いない。
だが、そう考えてしまうと、今度は自分の足元が心許なくなり、一抹の不安と焦燥感に苛まれる。
かと言って、ディノの欲求に応じた踏み技や叩き技などを極めるかと思えば、それもまた違う不安に襲われる。
「そう言えばゼノ、……っ!!!!」
気になっていたことを教えて貰おうとして、そちらを向いたネアは凍りついた。
何か黒いものがゼノーシュの頭の上に落ちてきて、接触の直前に綺麗なフォームで見事打ち落とされたのだ。
物凄い勢いで吹き飛ばされていった何かと、片手でそれを打ち払ったゼノーシュを交互に見てしまう。
「……生きてて、ぐんにゃりしてた」
「まず、生き物ですね。猫さんだとしたら、ご無事でしょうか……」
飛んで行った方向を怖々と覗けば、物売りの籠に突っ込んだのか、乾燥させた果物の袋にまみれて、見たことのない毛皮がもがいている。
近くの歩行者達も、突然吹き飛んできたその生き物をまじまじと見ていた。
(………猫さん………だろうか…)
「生きていると思うよ」
「…………あ、復活しましたね」
ようやく籠から顔を引き抜いて、しゅたっと地面に降り立った獣は、こちらを見て、長い尻尾をぶわりと膨らませる。
顔は鼻面が長く狐のようだが、色合いは狸だろうか。
斑点柄の胴体と、虎模様の長い尻尾が特徴的だ。
(麝香猫に似てるなぁ)
そして大変、敵意に溢れていらっしゃるようである。
「髪喰いだね」
「ゼノ、何ですかその邪悪な名前のものは」
「髪を食べる魔物だよ。魔術を使う人間の髪を、好んでよく食べるんだ。墓地にもよくいる」
そう聞けば、小柄な成猫のような可愛さは霧散し、あまりにも生々しい食糧事情にネアは呆然とした。
やはり、この世界の魔物はわからない。
髪の毛なんて、ざりざりして、決して美味しくはなかろうに。
「そして、まさかとは思いますが、ゼノの髪の毛を狙ってらっしゃるのでしょうか?」
「そうみたい……?」
人間に擬態しているとは言え、高位の魔物である。
正体を見抜けないのだなとも思うが、魔術を使う人間の髪を欲しがる魔物であれば、今のゼノーシュの髪に宿る魔術の残り香は、さぞかし魅力的なのだろう。
「おいっ、あんたら気を付けろ!向こうで教区の司祭様が、頭頂部の髪を根こそぎ毟られたんだ!!」
親切な誰かが、そう教えてくれる。
街の騎士達に向けて、特殊捕獲装置を持ってこいと続けていたので、どうやらあの魔物専用の捕獲器があるらしい。
「ゼノの髪の毛は、私が死守します!」
「ネア、僕は強いからね」
(あ、ちょっと拗ねてしまった!)
可愛いものを守る心はもはや理屈ではないのだが、ネアは、ツンツンし始めたゼノーシュの可愛らしい姿に思わずよろけた。
非常時なのでやめて欲しいが、とても可愛い。
「あっ!ゼノ!!」
ばしん。
「また来ましたよ!」
べしん。
「……しつこいですね」
くしゃり。
基礎運動能力が違うのか、髪喰いは飛びかかるたびにはたき落とされる。
めげないたちなのか、案外丈夫なのか、懲りずに飛びかかってくる様は、大人の足元でキャンキャン跳ね回る仔犬のようだ。
どうやらネアが守ってあげる必要はなさそうだが、この、とても不毛な戦いはずっと続くらしい。
はらはらとした表情の一般市民は、固唾を飲んでその様子を見守っている。
しかしネアは、繰り返される攻撃を見ている内に、徐々にじりじりとしてきた。
ゼノーシュは、あまり運動を好まない魔物だ。
それは、動くと、折角補給した食べ物がすぐにいなくなってしまうかららしく、そんなゼノーシュの、つい先程見たばかりの、満腹で幸せだと呟いていた、稚い微笑みを思い出す。
「けもの、しつこいです!!」
「みぎゃっ?!」
とうとう業を煮やしたネアは、地面に落ちた魔物の首根っこをむんずと掴み上げてしまった。
子供を運ぶ母ライオンの特集映像を見て、このような獣は、首後ろのお肉を掴むと体の力が抜けてしまうと学んだのだ。
「………ネア、すごい」
案の定、髪喰いはどうして動けないのだろうと呆然としたまま、手足をだらんとさせている。
無造作にその魔物を掴んだままのネアは、異様な迫力があった。
「うちの可愛いゼノに何をするのですか?!このまま、あちらにあるシチュー鍋に入れてしまいますよ!」
なお、獣の躾は、決して侮られないように、本気の覚悟を見せなければいけない。
順位付けでは相手の上に立つのがルールだと、ディノ対策で読んでみたペットの教本に書いてあった。
そもそも今日は、ディノお出かけ事件のもやもやを抱えているので、この身勝手な人間はとても沸点が低い。
冷ややかにそう告げ、実際にシチュー屋台に向かえば、周囲の人垣がざあっと青ざめた。
片手にぶら下げたままの魔物は、小刻みに激しく震えている。
「髪の毛が餌なら、抜け毛を貰いなさい!人間の髪の毛は、一日に百本は抜けるんです。諸事情から、もっと激しく抜ける方だっているでしょう」
民衆の中の何人かが、人知れず顔を覆った。
「髪を切る人もいる筈です。毛根は繊細なものなので、毟ってはいけません!」
雑に揺らされた獣が悲鳴を上げたが、ネアは容赦しなかった。
見知らぬ獣と、愛くるしいクッキーモンスターとでは、どう考えてもゼノーシュの方が大切ではないか。
「収穫だって、根っこから刈り尽くせば荒地になってしまいます。どうして、自然と上手く付き合えないのですか?!」
お説教を続けながら前進すると、シチュー屋台が近付いてきてしまい、屋台の主人は、どうしていいのかわからずにおどおどしている。
「ネア!」
「………む、ゼノどうしました?」
「その魔物、もう失神してるよ?」
手元を見れば、髪食いの魔物とやらは、すっかり意識を失ってぐんにゃりしている。
「まぁ。…………では、どうしましょうか?意識がないならお説教も出来ないので、もはや用無しです」
「シチューにする?」
「シチューは躾用の文言です。こんな毛だらけのものを鍋に入れたら、ご主人が迷惑でしょう?」
「じゃあ、その辺に捨てる?」
「確か、捕獲器があるのでは?街の騎士さんにお願いして、そこに入れて貰いましょうか」
髪喰いは、街の騎士達の手を経由して、専門業者に回収された。
森が多いウィームでは、詰所にいるこの街の騎士達ではなく、このような獣型の魔物の為の、専門回収業務があるのだそうだ。
処分されてしまうか、魔術の拘束首輪を着けて解放されるかは、その獣の状況に応じて決まるらしい。
王宮に帰ってからゼノーシュがネアの武勇伝を熱く語ったせいで、エーダリア達は静かに項垂れていた。
魔物にはそれなりの固有結界があるので、本来はあのように鷲掴みには出来ないものらしい。
そう言えば、ディノの指輪がある方の手だったと気付いたネアは、今度からこちらで敵を掴もうと考える。
後に聞き及んだ話によれば、あの髪喰いはすっかり大人しくなってしまい、その姿が何だか不憫になったシチュー屋台の主人に引き取られたらしい。
上等な首輪を貰い、同情した街人から毎日抜け毛を貰っているので、少し太ったようだと教えて貰った。
シチュー屋台の看板は、シチュー鍋と髪喰いの絵柄になり、街の有名店になった。
「ただいま、ご主人様!」
なお、その日の晩餐の前になってから、ようやくディノは帰ってきた。
片手に、とても奇妙なものを掴んでいる。
「………ディノ、それは何ですか?」
「南瓜の魔物だよ?ネアが懐かしいって話していたの、これだよね?」
「カボチャのまもの………」
ディノの手にあったのは、南瓜頭に虚ろな空洞の眼窩を持ち、牙だらけの口と、毛むくじゃらの手足を持つ生き物であった。
骨ばった手足が三本ずつあるので、あまり可愛いくはないどころか、とても近付きたくない。
「私は、そんな話をしましたか?」
すぐさま捨ててきなさいと言いたいけれど、教育上、こういう場合は一度褒めてやる必要があるのだろう。
ネアはまず、なぜ持ってきたのかの原因を探ることにした。
再発防止策である。
「ネアの元の世界では、収穫祭の季節になると、南瓜頭の魔物が出るのだよね?」
「ああ!……そうですね。と言うより、南瓜に顔の絵柄をくり抜いて魔物風に製作し、南瓜ランタンを作ります。本物の南瓜の魔物は見たことがありません」
「なんだ、そうなんだね。…………では、これは欲しいかい?」
「可哀想なので、野生に返してあげましょう」
「わかった。外に捨ててこようか」
「ディノ、」
「うん?」
振り返った魔物は、少しだけ髪の毛がもつれていた。
リボンの結び目が曲がっていて、その歪さが可愛らしい。
「今日は、私に見せる為に、その魔物さんを捕獲しにいってくれてたのですか?」
「うん。でも、私が掴もうとするとすぐ死んでしまうから、中々持って帰ってこれなかったんだ。遅くなってごめんね」
「いいえ。頑張って探してくれて、有難うございます。………もうすぐ食事なので、帰ってきたら手を洗ってあげますね」
「すぐに捨ててくるよ、ご主人様!」
「あっ!庭はやめて下さい!人の目が触れないような森のとても奥の方に放してあげるのです!!」
走り出した魔物の背中に、ネアは声を張り上げた。
ネアが、西方にあるとある国で、南瓜の魔物が全滅したと知るのは随分後だ。
本物の南瓜に混じって悪さをしていたので、大変喜ばしいニュースとなっていた。