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悲劇の一日





その日、リーエンベルクでは、とても悲しい事件が起こった。




発端は、グラストが部下から貰ってきた一冊の本だ。



それは、製本されているにしては薄く、小さな冊子のようなもので、無料配布冊子があまり見られないこの世界では珍しい、とある商店の広告冊子である。


異国から新規進出した帽子店が、商品の紹介と挨拶文を載せ、拡散のための付加価値をつけるように、最近王都で有名な巫女姫の占いを合わせて載せた物だ。


そして、いつの世、どこの世界でも、占いは人々の心を惹きつけるのである。



「すみません。部下達は、俺の為によかれと思って持ち込んだようでして」



ネアが滅多に遭遇することのない人員に、このリーエンベルクに詰めるグラスト以外の騎士達がいる。

魔術に長ける彼等は、見目麗しく実直な男性達でもあり、ネアが笑顔で挨拶してしまうとディノが荒ぶるので、現在は接触禁止令を出されている。



お陰で、騎士達の方もネアに近付かない。

ディノの許容は、元婚約者と元父親と、グラスト大好きゼノーシュ、パンの影に消えつつある料理人と給仕の、まさかの、それで限界のようなのだ。


ヒルドについては、やや危険な兆候が見られるので、ネアが先手を打った。



“ヒルドさんは、第一王子様のものなので、その心は第一王子様のものなのだそうです”



所有権という意味では間違っていないが、いささか不名誉な疑いを植え付けてしまったのは承知している。

だが、そうでもしなければディノに接近禁止命令を出されてしまうからなのだが、エーダリアとは違い普通の感性のひとだと確信しているので、ネアは申し訳なさでいっぱいだった。



「魔物は占いを信じるんですね……」

「ええ。俺も驚きました」




今、二人の目の前には、屍になった仲間達が転がっている。



部屋の隅っこで丸くなっているのがゼノーシュ、窓際でカーテンにくるまっているのがディノだ。

因みに、別室に引き籠ってしまったエーダリアには、ヒルドが付き添っている。



これが誕生月占いであれば、まだ被害は軽減されただろう。


それが、まさかの、瞳の色占いともなれば、瞳の色というものは、そうそう変えられるものではない。

即ち、これは一生結果の変わらない占いなのだ。



「グラストさんは何て書かれていたんですか?」

「あなたを想う人はすぐ側にいます。気付けば幸せになる。そんな文章でしたね」



まさかそれは、ゼノーシュのことではなかろうか。



「ネア殿は、何と書かれていたんですか?」

「灰色の場合、厄介な相手に好かれます。身の回りに注意して、油断しないよう。と書かれていました」

「それは、………」

「ええ。今更驚きませんからね」



おまけになんと、この占いは困ったことに恋愛占いであった。


独り身になってしまった上司の為に、グラストの部下が持ち込んだのは微笑ましい。

この被害さえなければ、そう思えただろうか。



「当たるのでしょうか……………」

「よく当たるようで、王都ではこの巫女姫の占い一つで、屋敷の購入や縁談なども左右されるとか」

「……まぁ。無責任ですね」

「ええ。俺もそう思います。流行りのようなものなのでしょうが………」



聞けばこの巫女姫は、西の離宮と呼ばれる異国の神殿に仕えた巫女姫だったそうだ。

しかしいたずらにこのような予言を流布するので、事態を重く見た神殿側は彼女を追放したのだが、今やこうして人気占い師になり暮らしているのだから、かなり逞しい人なのだろう。



「エーダリア様の占いは?」

「誤解は解けず、ますます厳しい状況になると。……ディノ殿と何かありましたかね?」

「あの二人は中々進展していないので、何が要因かわかりません」



これ迄は、いざとなればネアが一肌脱ぐつもりだったが、これだけ回避され続けると、心の狭い人間は素直に応援出来なくなってきてしまう。

おまけに最近のネアは、大事な魔物を、エーダリアに預けていいか迷い始めているくらいなのだ。



「……ゼノーシュには何て書いてあったんですか?」



エーダリアが読むなり逃げた後、魔物達と占いを見たのはネアだ。


「食事制限をしないと、好きな人に嫌われるそうです」

「ああ、ゼノーシュにとっては辛いでしょうね。……ん、という事は、ゼノーシュには思い人がいるのか?!」

「グラストさん、どうかこちらを見ないで下さいね。私ではありません」



そして、ディノの占いが厄介だった。



(もっと努力しないと、あなたの想い人は誰かに取られてしまいます。………か)



結果、魔物達は屍となった。



慰めようにも、屍には言葉は通じないし、まずはどうにか、息を吹き返して欲しい。




「ディノ、……占いは占いです。余興のために楽しんで、下らない内容であれば無視しましょうね」

「………」



ネアは頑張って励ましてみたが、まさかの無反応ではないか。


世界をどうこう出来る魔物が、占い一つにそこまで傷付いているとなると、何だかちょっぴり可愛く思えてくるくらいだ。



「ディノ、占いは紺色の瞳の方全てに反映されます。もしかしたら、ディノのことではないかもしれませんよ」

「…………ネアは、すぐ浮気する」



喋ったが、かなり不貞腐れている。

これは下手をすると、近隣の魔物達を事前抹消しかねない暗い声なので、ネアは慄いた。



「今や、ディノの巣までもが私の寝室にあるのに、それでも安心出来ませんか?」

「この前だって、ネアはアルテアを狩って来たし」

「あら。終わったことを持ち出す男性は、モテませんよ」

「…………」



しまった、今は最もいけない言葉をかけてしまったとネアが気付いた時にはもう、ディノはすっかり丸まってしまっていた。




「ゼノーシュ、俺はたくさん食べるゼノーシュが好ましいと思いますよ」



隣では、グラストも説得を続けている。

ちらりと、ゼノーシュがこちらを見ているので、初動の効果としては抜群のようだ。



「グラストは、僕のこと好き?」

「俺の感情など関わりなく、ゼノーシュは優れた魔物です」



ばすっと音を立てて、ゼノーシュが壁にへばり付いて部屋の最も隅っこに固まった。



「グラストさん、あと一歩で取り落とすなんて!」

「いや、だがしかし……」

「グラストさんの心を解放しない限り、ゼノは取り戻せませんよ!」

「……心を、解放?」

「好きですか?嫌いですか?!」

「そもそも、そのような感情で判断しては…」

「はい、失格です!」

「ネアは、グラストに夢中だね………」



ネアはついついグラストを励ましてしまい、拗ねていた魔物は、余計に心を閉ざしてしまったようだ。

慌てた人間は、ここはもう外野には犠牲になって貰おうと、率直な気持ちを表明することにした。


「安心して下さい、ディノ。グラストさんは、こちらでの私にとってはかなり年上の男性です。異性として見るには、無理のある年の差のお方ですので、決して競合ではありません!」

「……ネア殿………」




なぜだろう。

今度はグラストが胸を押さえてしまい、ネアは、部屋を見回して負傷者の多さに戦慄した。




(待って、どうしてグラストさんも壁の方を向いたの?!)



無傷の戦士は、もはやネアしか残っていないのだろうか。

巫女姫の予言の破壊力、恐るべしである。



(ディノ、私は今日の移動販売の、揚げ無花果が食べたいのに!)



完全に私欲の事情を心の中で叫び、ネアはなんとか時間までにディノを復活させんと、奮起する。



「ディノ!私は、この後ディノとお出掛けしたいんです!」

「……揚げ無花果に負けた…」



こちらの魂胆に気付かれてしまい、まさかの初回撃破である。

だが、ネアは諦めなかった。



(くっ、………負けるものですか!)


揚げ無花果に、甘めのクリームチーズを添えた庶民のおやつは、先週発見したネアの心の友である。

好きなものは三食食べても構わない主義としては、ここで負けるわけにはいかない。



「ディノ、街に出るなら、髪の毛引っ張ってあげますよ?」

「外に出ると浮気するからいい」



その時、ネアは焦りのあまり周囲をよく見ていなかったのだろう。



(これはもう、体当たりするしかない!)


気恥ずかしいので勢いをつけようと、ネアはぱたぱたと助走をつける。

走らない程度ではあるが、歩く程の遅さでもない。



「……ん?」



そして、何やらとても滑るものを踏んだのだ。


まさにそのタイミングで開けたままの窓から風が入り、ネアが踏みしめたものをぶわりと膨らませる。



「……わ、……ふきゃっ?!」



悲劇の瞬間、ネアは、自分が踏んだものがディノが引き剥がしかけたカーテンの裾であることと、そのカーテンはまだ窓枠に固定されており、そこに本日の強めの風が入り膨らんだことを理解した。


結果、ネアの足の下から、カーテンの裾が勢いよく引き抜かれたのだ。



大きな元王宮の窓とカーテンという大規模さが災いし、建物の造りに対してはやや小柄なネアの体は、いとも簡単にひっくり返される。



「ディノっ!!逃げて下さいっっ!!!」

「え?」




物凄い音がした。



あまりの轟音に、隅っこのゼノーシュも、壁寄りのグラストも振り返る。


ネアの爪先が絡まったせいで、レールから千切れ落ちたカーテンが広がっている。

巻き込まれた壁絵が落ち、窓際にあったネアの読みかけ教本シリーズも転がっていた。



「凄い。………激しいね、ネア」



珍しく呆然とした顔で、体の上に降ってきたネアを抱きとめて、ディノが呟く。

さすが魔物と言うべきか、あの咄嗟の状況であっても、ネアの体に一切の衝撃がないように受け止めてくれたようだ。


しかしながら、髪の毛を振り乱して着地し、片足はカーテンに絡まったままのネアは、惨憺たる有様で息も絶え絶えであった。



「こんなに捨て身の攻撃されたの初めて」

「………頬を染めていないで、助けて下さいね」



淑女らしからぬ格好のまま動けなくなっているので、ネアは、獣のように気が立っていた。

唸るほどの低い声に、ディノはまた嬉しそうな瞳の煌めきを強くする。



「ネアが、見たことないくらい怒ってる……」

「ディノ、早く私を救出して下さい!!!」

「すぐ助けるよ、ご主人様!」



その日以降、ディノがその時に千切れたカーテンのレール金具を持ち歩く事案が発生した。


ご主人様が自分に攻撃を加える際に壊したものと説明し、嬉しそうにネアの反応を窺う。

魔術でカーテンを直して欲しいので、取り上げようと襲撃をかける度に大喜びしてしまうので、ネアは自分の占いを軽んじていたことに恥じ入った。



魔術が日常たる世界なのだ。

占いもこれだけ強力なものになるとは。



かくも恐ろしい世界である。










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