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12. 勘違いで拾った魔物の説明をします(本編)



「パーシュの小道ですよ」




ネアにそう教えてくれたのはヒルドだ。

最近、エーダリアにはよほど嫌われたのか避けられているので、ネアの疑問符でいっぱいの脳内の整理を、勇敢にも手伝ってくれたのは、たおやかそうな孔雀石色の妖精だった。


「パーシュの小道とは何でしょう?」

「そうですか。エーダリア様は、国境域までも警報を出されておいて、ネア様にはお伝えしてないと」

「ま、待てっ!ネアにはその魔物がいるし、王宮から出なければ問題ないと思ったのだ」


にっこりと笑って振り返ったヒルドの表情に、エーダリアが珍しく慌てている。

少年時代に家庭教師でもあったというこの儚げな妖精は、どうやらネアの上司の弱点でもあるらしい。

物憂げで繊細な美貌とは相反して、鬼教官の一面を見せることもあるのだろうかと、ネアは不思議でならない。


「パーシュの小道とは、魔術汚染によって、魔物の領域が混ざり合ってしまった道のことです。…………どうやら今回あなたが迷い込んだ道は、そちらの魔物の方の領域に繋がってしまっていたようですね」


そう説明したヒルドに、全員の視線が、ネアの隣にいる赤紫の瞳の男に注がれる。

椅子ごと持ち込まれてしまった腹いせなのだろうか、一向に立ち上がる様子すらない。

どこか投げやりな態度で煙草を吸っているので、ネアは見捨てられたような気持になる。


「……………白い」


ぼそっと呟いたのはグラストだろうか。

珍しくゼノーシュが警戒して、自分の背後に追いやってしまっているので、背の高い騎士は半分ほど隠れてしまっている。


護衛官としてはまずい立ち位置だが、女性のような細腕で竜の首も落とすというヒルドがいるので、安心してエーダリアを任せているのだろう。



「ネア、これはどうしたんだい?」

「申し遅れました。この方は、以前同居していた私の家族のような方なのです」

「待て、黙……」



話し始めた瞬間、男はぎょっとした顔になり、慌ててネアを止めようとしていたが、伸ばした手はディノに遮られ、届くことはなかった。



「…………家族?」

「同居してたの?でも、ネアは違う世界に住んでいたんだよね?」

「エーダリア様、ゼノーシュの言葉を聞く限り、私の知らない事実がまだあるようですが」

「……………ヒルド、後で説明する」



ざわざわとする周囲を置いて、ディノが椅子事持ち込まれてしまった男に近寄る。

体を屈めることもしないで、椅子に座った男を見下ろせば、男は、先程のネアの紹介から、天を仰いで何やら呟いているようだ。


「ディノ、私が懐かしさのあまり持って帰ってきてしまっただけなのです。苛めないで下さいね」


さっと間に入って精一杯の威嚇をしたネアだったが、抵抗するも虚しく、ディノに抱き上げられて回収されてしまう。

片腕で抱き上げられると、体がふらつかないようにディノの肩に手をかける必要があるので、ネアは大変に不本意だった。


「君はこちらにおいで」

「まぁ。身内の前でこんな子ども扱いなど、何という辱めでしょう!」

「それで、これが君の家族なのかい?」

「………そう言えば、槿さんは、本体なくしてどうやって元気に生きてるのですか?」

「悪いが、俺はその、ムクゲとやらではない」


あからさまにげんなりした表情で頭を抱えた姿は、人外者なのだろうが、いやに人間的だ。

周囲は巻き込まれ型の被害者として不憫そうな眼差しになったが、ネアは首を傾げる。


「…………記憶喪失なのですか?」

「残念ながら、俺の記憶は、まだ充分に健全だぞ」

「ネア、どうしてこの魔物を拾ってきたんだろう?」

「ディノ、人間の首を、急に方向転換させてはいけません。場合によっては、私の首はなくなってしまいます。……………そして、魔物さんだったのですね?」

「そんなことしないよ。ほらほら、そっちは向かなくていいから」


椅子の男性の方を見ていた顔を、物理的に向きなおされて、ディノの質問に答える。

椅子の方を見ようとすれば機嫌を損ねる様子なので、これだけの他人に囲まれながらおかしな姿勢での釈明に入らざるを得ない。


「私の家には、大きな古い槿の木があったんです」

「槿………?楓ではなくて?」

「あら、その話もしていたでしょうか?………楓もありますよ。……そして、その槿は、亡くなった父がとても大切にしていました」

「うん」


グラストなどは分りやすく、なんで木の話をしたのだろうと言わんばかりの顔をしている。

だが、エーダリア以下、魔術に長けた者達は、話の行く先がわかったのだろう、

椅子に座る魔物とネアを、交互に確認していた。



(あの、夏の夜…………)



陽が落ちるのと同時に激しさを増した雨の中、家に帰ってぼんやりしていた。

夜明け前の電話から奔走していて、事故で亡くなったという両親の死は現実感がないまま。

人が死ぬということは、これだけの手続きに追われるのだと、疲れ果てて家に帰った。

ネアが、一人ぼっちになった日のこと。


「父が亡くなった日の夜、私の夢の中に、綺麗な人の姿をした槿の木だという方が、最後の挨拶に来てくれました。私の父が亡くなったので、もうすぐ自分もいなくなるだろうと言うのです。…………私の育った世界では、人間でないものの概念は信仰としてありますが、そういうものに出会う人は稀なのです。だから私は、それをただの夢だと思っていました」


ふわりと、視界が揺れた。

艶麗な魔物の顔が目の前にあって、ネアは、ディノが自分と額を突き合わせていることを知る。

いつもなら人様の前でと叱るところだが、これは慰めなので有難く受け取った。


「随分と前のことですよ。…………でもね、その槿の木は、翌日には本当に枯れてしまいました。だから私はその時になって初めて、……………家族で暮らした屋敷の庭にも、もう一人の家族がいてくれて、けれども最後の挨拶だけを残していなくなってしまったのだろうかと考えたのです」


人格のようなものを意識しないときでも、その槿の木は、確かに大事な家族の持ち物だった。

なので、失われて初めて、そこに意志があったのだろうかと考えた時から、槿の木の誰かは、ネアにとっての大きな後悔でもあったのだ。



「その木の精に、彼が似ているのだね?」

「違う、…………方なのでしょうか?色合いも声も姿も、雰囲気もそっくりです」


ネアの長い説明を最後まで聞き終えて、椅子の男はふーっと煙草の煙を吐き出す。

どこか年齢不詳でもある他の魔物達と違い、その魔物は成熟した大人の男性の色香があった。


この世界の魔物達より随分とくだけた印象のある三つ揃いのスーツに、編上げの革靴。

トップハットは、毛足の短いオリーブ色の毛皮製のようだ。


(まるで、わざと服装を人間的にしているみたい)


意図的に、容姿の年齢を印象として固定させているのだろうか、とネアは考える。

それでもまだ冷静には見られない。

どうしても、自分に由縁のあったものと同じに見えてしまう。



「自分の成り立ちは承知してる。悪いが、俺は木だったことは一度もないぞ。なぁ?」


なぜか、男はディノに同意を求めるた。

その理由に気付き、ネアは目を瞬く。


「………もしや、お知り合いなのですか?」

「どうだろうね。知ってはいるけれど、その程度だよ」

「シルハーン、お前、ちょっと見ない内に嫌な奴になったな………」


ディノは飄々と切り捨ててしまったが、会話の内容から察するに知り合いのようだ。

その知り合いを、ネアが急に家族だと主張したのであれば、きっとディノは困惑しただろう。

外野が更に遠巻きになっているのは、ネアの振る舞いがあまりにも強引だったからかもしれない。


「アルテア。君は、こんなところで何をしてるんだい?あまり近くにいると、うっかり壊してしまうかもしれないよ」


抱き上げられているので、ディノの顔はとても近いのだが、そうして、唇の端を片方だけ持ち上げて淡く鋭く微笑んだその姿は、ひどく排他的であった。

ネアは、自分の魔物にそんな顔をさせる相手は、一体どんな関係性なのだろうかと訝しむ。



(……………アルテア)


それが、椅子の男の名前のようだ。


「やれやれ」


指を離すと、煙草の吸殻は花火みたいに弾けて消え、アルテアという名前の魔物は、億劫そうに立ち上がる。


この中でも一際に背が高く、ディノと同じくらいだろうか。

手には甲丈の短い手袋をしており、その手で一緒に持ち込まれた椅子を掴むのは、椅子もやはり、持って帰るからなのだろう。



「…………もしかして、恩寵を得たのか」

「そうであれば、恩寵を得た魔物は嫉妬深くなるね。しっかりと、自己管理をするといい」

「恩寵を必要としないお前が恩寵持ちとは、裕福なことだな」

「それを富ませるのは、見た目通りのものとは限らないよ。……さて、叩き出されるのと、自分で退出するのと、どちらがいい?」

「ったく。付き合いが悪くなったな」


アルテアは悲しそうな顔をしてみせたが、そこから伝わる感情は、どこか人を不安にさせた。

ディノやゼノーシュのように隔絶され、人間から遠い者と言うよりは、あえて人間に近い雰囲気を纏うからこそ、彼には悪意の気配が漂う。


「久し振りに古い知り合いに会えて僥倖だが、もう間違えるなよ?物騒だからな」


ディノを見た後、その魔物は、首だけ捻ってネアの方に視線を合せる。

ぱっと表情を変えて悪戯っぽく笑った顔は、妙に人懐っこくも見えたが、けれども、ネアですらもう、それが安全なものには思えなかった。


「ご迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした。人違いをしてしまって御免なさい」


ディノに抱えられたまま頭を下げると、前髪で翳った視界の中で、アルテアの足元が煙になって立ち消える様を目撃する。

慌てて顔を上げた時にはもう、赤紫色の瞳の魔物と、その椅子の姿はどこにもなかった。



「さてと、ネア。…………今回のことは、かなり危なかったのだという自覚はあるかい?」

「迷子になったのは事故ですが、あの魔物さんを連れ込んだのは申し訳なく思っています」

「と言うよりも、不用意に誰かに近づかないでね」

「…………私の社会活動を殺しにかかるつもりですね」


「ネア、本当に気を付けた方がいいよ」

「ゼノ………?」


心配そうな声に視線を巡らせて、ネアは呆然とした。


「ヒルドさん?……エーダリア様?!」


そこには、青い顔をしたヒルドと、その背面に守られるようにして膝を突いたエーダリアの姿がある。

ゼノーシュが前に立って障壁となっていたせいか、グラストは顔色が悪いものの普通に立っていた。


「……………どうして、こんな?」

「途中で彼が気分を変えたようですね。………まさか、ここまでの精神圧とは」


エーダリアの手を掴んで立ち上がらせながら、ヒルドが教えてくれる。

ネアは、慌てて皆に謝ると、真っ青なエーダリアの顔を覗き込んだ。


「………大丈夫ですか?エーダリア様」

「………………ああ、問題ない」


そうは言うものの、人間である彼にはかなりの負荷がかかったようだ。



「ディノ、あの魔物さんは、……………高位なんですか?」

「ある程度はね」

「僕と同じ爵位だから、ディノよりは低いよ。でも、僕よりは明らかに強いと思う」

「そうな…」

「ゼノーシュ?!…………さっきの魔物は、白持ちだったようですが」

「あ、…………しまった」


ここで、ゼノーシュの発言を拾うくらいには、なまじ頭が回ってしまったらしい。

グラストが驚愕の声を上げ、ゼノーシュが慌てたように視線を彷徨わせる。

アルテアがあからさまに白を持っていた以上、前言撤回するには無理があった。



「僕ね、……ええと、」

「ゼノは、いっぱい食べるので育ってしまったんです!」


見た目以上にグラスト大好きのお父さんっ子であるゼノの狼狽えぶりに、ネアは慌ててフォローに入った。

グラストに倦厭されたくないという理由で、ゼノーシュは現在の姿を取っているのだ。

契約する前からグラストを観察していてそう判断したと聞いているので、今のゼノーシュはとても不安だろう。


「…………育った?」

「強い子に育ちました。そうですよね、ゼノ?」

「うん。僕育ったんだと思う。………嫌いになる?」


ぎりぎり身長的に上目使いに成功し、契約した魔物にしょんぼりと見上げられたグラストが無言で首を振る。



(ゼノ、最近の私で実験して、可愛いは正義を覚えましたね!)



偶然ではあるが、こちらの議論をうやむやにしてくれたゼノーシュに、ネアは、こっそり心からの感謝を贈った。













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