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通信妖精の受難

秋も深まりつつある、とある日。

私は、数時間前に受領し難い通信を飛ばした、エーダリア様のいる北の離宮を訪れていた。

まだ夜明け前からエーダリア様の執務室に赴き、漸く報告に足りる説明を得たのがつい先程。


実質、半日近く拘束されていたことになる。

第一王子に仕えているとは言え、私にとって旧知の王子と言えば、それは昔からエーダリア様であった。




誓約で縛られた妖精は、主人を裏切ることは出来ない。



私は元々この国の妖精ではなく、遥か南方にある島国に暮らした妖精だ。

四十五年前、外遊で島を訪れた大国の王妃の為に、その島の王に狩られて今日に至る。

見たこともない、雪の降る国の王族に跪き、運命とはかくも数奇なものだと嘆いた。


そんな私に、単独で動くことを許される役職を与えたのが、王妃の実子である第一王子だった。

私は、彼の付き人として常に寄り添い、そして弟を案じる兄の仮面を被ったその方便で、エーダリア様の家庭教師となった。

暗に、継承権を争わないよう、誘導しろと言うわけだった。


この国の雪の色と同じ、銀色の髪を持つ第二王子は、今は離宮と呼ばれる北の王宮を治めた王族の血を引く者。

この国の中でも、魔力に秀でた血を引いていた。


そこから先はあまり多くは語るまい。

私は、私の生徒を気に入ったし、生徒も私によく懐いた。

そしてそれは、私が、彼を自由な白の塔へ逃すまで、途切れずに続いた。



「妖精さんですか?!」


決して声を張るでもなく、ひっそりと驚いている声が耳に届き、私は振り返る。

独り言だったのだろう。

私が振り返ると、声の主は恥じ入るように眉を下げた。


この離宮にも妖精は多い筈だ。

魔力の大きなエーダリア様と、契約の魔物が二人もいるのだから、妖精の登用は必須であった。


風の噂では、騎士の魔物の為に、特に料理に長けた妖精が一人引き抜かれたらしい。


そうであるから、妖精など珍しくもない筈なのだ。


「………ごめんなさい。急に声を上げてしまって、驚きましたよね。ご不快にさせてしまいました?」


こちらを見ているのは、淡い青と灰の色を持つ長い髪の少女だ。

澄んだ瞳は灰と薄紫。

なにやら、先程まで目にしていた報告書を思い起こさせる容姿である。


「妖精など、この離宮では珍しくないのではありませんか?」


「確かに妖精の方はいらっしゃいますが、私の育った国の感覚で、いかにも妖精という容姿の方を見たのは初めてです」


「成る程、そうでしたか」


確かに、妖精には職人としての気質が強いものと、自然の中でその要素を司る、妖精の貴族に分かれる。

かつての私は妖精の一氏族の王にあたり、魔術を多用する者だった。




それにしても、この少女のどこが獣なのだろう。


物静かで品位があり、物腰も洗練されている。

一つ印象を裏切るというのなら、こちらを見上げる眼差しがあまりにも輝いているので、千切れんばかりに振る尻尾が背後に見えそうだ。


「なんて綺麗なんでしょう。あなたとお知り合いの方は、あなたと会う度に幸せな気持ちになりますね!」



“ヒルドは、なんて綺麗なんだろう!”


ずっと昔。

そう瞳を輝かせてこちらを見上げた、銀色の髪の小さな王子を思い出させる。


「それは光栄な言葉ですね」


「孔雀色の髪の毛に、青と緑の羽が宝石みたいです。きっと、あなたはとても強いんでしょう」


この言葉には驚いた。

大抵の場合、私を見た人間は、この容姿から私は儚い生き物だろうと考える。

実際には、森を治め、獣や竜と闘ってきた私は強い。

見目から選んだ付き人として謀り、第一王子が私を傍に置く理由がそれだ。


「儚いとはよく言われますが、強いと言われたのは初めてです」


「あら、不思議ですね。綺麗さが先に心を打ちのめしてしまうんでしょうか」



その時、少女が現れた方の茂みが揺れた。

すぐ側の整備された道を通ればいいものを、なぜか茂った薔薇の生垣をすり抜けて、何者かが現れる。



雪のような色が揺れた。


(………白の魔物!)



言葉を失うには充分な程、それは異形の生き物であった。



長い髪は純白の色を映し、その中には様々な色彩が花々のように咲き誇る。

もし、人間の経典に描かれるような天上の国があるのなら、その花園はこんな色を見せるかもしれない。



「………ディノ、お座りはどうしたの?」



呆然としてそちらに視線を戻した。

薔薇の生垣から現れた魔物を見た途端、先の少女は、実に鋭い叱咤の言葉を向けたのだ。

微笑んではいるが、その目は笑っていない。


「だって、ネアは目を離すとすぐに浮気をするからね」


魔物はそう言って笑う。


この少女は、魔物というものの気質を知らないのだろうか。

彼らの執着は凄まじく、この国でも歌乞いに色事を囁いた大臣が、魔物に殺されたことがある。

彼がそう言うのなら、今すぐに謝罪をするべきなのだ。


「酵母の魔物さんごめんなさいと、一万回唱えるまではお仕置き中ですよ!」

「もう終わった」

「私とあなたに同じ速さの時間が流れている限り、そんなことはあり得ません」

「それより、さっきみたいに話しかけて」



まったく状況が理解出来ないが、

どうやらこの少女は、白の魔物を躾けているようだ。


歌乞いであるとは言え、白の魔物は特等の支配階層である。

不興を買えば、今この瞬間にでも殺されてもおかしくない。

それどころか、そうなって然るべきだった。


けれども魔物は、拗ねた素振りをしながらも嬉しそうに笑う。


「ネアのお仕置きは大好きだけど、あんな名前を何度も繰り返したくないな。体当たりしたり、髪を引っ張ったりしてよ」


「それは、ディノにとってのご褒美でしょう」


「それで、そこの妖精はなに?」


「お仕事中の方を、私が引き留めてお喋りしてただけです。この方に何かしてご覧なさい!お仕置きを十倍に増やしますよ!!」


「ネアは心配症だね」


「酵母の魔物さんを葬り去った、極悪非道な悪い魔物は誰ですか!」


「ネアが浮気するからだよね。この妖精もお気に入りみたいだし」


「こらっ!」


呆気に取られてそのやり取りを見ていると、少女は最終的に、白の魔物の腕を華奢な手で叩いた。

あまりのことに、咄嗟に彼女をここから逃がしてやることも忘れて立ち尽くしてしまう。


「うそ、可愛い」

「痛くても許しませんよ!男性が尖っていても許されるのは、思春期の少年だけです。血の気の多い男になってはいけません!」

「ネア、もっと叩いて?」

「ああっ、もう!変態のお仕置き方法を誰か教えて下さい!!取り扱い説明書はどこですか?!」

「叩いてくるときのネアって可愛いよね。今のだって、頭を叩こうとして届かなかったでしょう?」

「黙り給え!」


暫くそのやり取りを見ていたが、ふと、少し離れた場所で、グラストもこちらを見ていることに気付いた。


「これはいつものことですか?」

「ああ。俺も最初は震え上がったが、もう慣れた」


そう言いながらも、グラストは途方に暮れたように二人のやり取りを眺めている。



私は、正直なところこの騎士が苦手だ。


鈍い金髪に茶色の瞳。子供の親であったという履歴を感じさせる人間の父親らしい顔と、無骨な騎士としての顔。

交渉や調整に長けておらず、一本気な獣のような男。

けれども彼の周りには人が集まり、夜毎、部下達から酒場に誘われていた。


確かに、その腕一つで騎士団長にまで登り詰めたのは彼自身の技量だろう。

けれどもその気質は、エーダリア様を支えるには些か深みが足りない。

エーダリア様の為に澱みを泳ぐには、この騎士はお綺麗過ぎた。


「わかりました。これからは、私も頻繁にこちらを訪れます。これだけの特異点があるなら、あなただけでは手に負えないでしょう」


「そうか!ヒルドがいてくれると、助かるよ。俺は、なし崩しで歌乞いになったが、魔術はさっぱりだからなぁ」


目を細めて嬉しそうに笑う同僚に、毒気を抜かれて羽を揺らした。


「あなたの魔物はどうしたんです?この状態で、階位の影響を受けないとは思えませんが」

「ああ、ゼノーシュな。初対面の時は騎士みたいに跪いていたが、ネア殿がディノ殿を引っ叩いて叱ってからは普通になった」


「あの少女は、……その、よく白の魔物を叩くんですか?」


「いんや、滅多にやらないぜ。叩くと喜ぶので逆効果らしい」


「喜ぶ……のですね」

「よくうちのゼノーシュのところに、愚痴を言いに来て慰められているからな」

「主人のいる魔物が、他の魔物の歌乞いと交流しているんですか?!」

「ん〜、俺よりも仲良くしてるくらいだな。悔しいが、鳥の雛みたいにあの子に懐いてる」

「あなたの魔物がですか?」



グラストの魔物は、排他的な性質で有名だ。

食事を対価とし、滅多に主人以外の人間とは喋らない。

他の魔物とも、会話らしい会話をしている姿は見たことがない。


「……定期的にこちらに立ち寄ります。三日以内に、私用の部屋を手配していただけますか?」

「本当に助かるよ。エーダリア様が婚約を破棄してしまった以上、どうやってこれからのエーダリア様に助言すればいいのか、俺にはわからん」


「どうやっても何も、いい大人ですし、次第に落ち着くでしょう」


「お前は凄いな。俺は、そんな風に冷静に見守れない。あのエーダリア様が、まさか魔物に恋をするとはなぁ……」



視線を戻した先にいるのは、白の魔物。

特等の色と花々の色を持つ、特別の奇跡。


(これは、まさかあり得るのか……?)


エーダリア様は否定していたが、彼は魔術に魅せられる筆頭の魔術師だ。

あれだけの特別な魔物に出会い、その概念が変えられてしまっても不思議はない。


(あの少女が、恋だと言い出したのだとか)


何しろ、あの少女は真実を見抜く目を持っていた。

この身の性質すら、見抜いたではないか。

そうであれば、本人すら気付かない真実を見出したのかもしれない。



運命とは数奇なものだ。


若干の頭痛を感じつつ、私は久し振りにそんな感慨を抱いた。


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