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グラスト



少し前まで、俺には最愛の娘がいた。



栗色の巻き毛で、新緑の瞳は大きく、陽に当たらない白い肌は妖精のよう。

けれども父親としては、どれだけ不恰好でもいいから、太陽の下で元気に飛び回っていて欲しかったのだ。


妻は、娘の出産の際に亡くなった。

所謂政略結婚であり、だがお互いに不慣れな好意を育て合い、良い夫婦になりつつあったと思う。


だからこそ俺は、娘を溺愛した。


母親の領分である子守唄を歌い、

レースやフリルのドレスを買い漁り、縫いぐるみも絵本も掻き集めた。

使用人達に白い目で見られながら、この手で料理もした。

なんでも与えてやりたかったのだ。


この世界に存在するどんな怖いものからも、この手で守ってやりたかった。




娘は、八歳で神の元に召された。


産まれたときから肺が弱く、走ることも歌うこともないまま、小さく小さくなって、温度を喪った。


教会の鐘の音の真下で、娘が大好きだった木の下に墓を作って貰った。

墓地としての敷地外云々と少々揉めたが、主である元王子が教会側を説得してくれたようだ。


娘を亡くしてから十日。

明日から、俺はエーダリア様の護衛官として復職する。



この喪失感に蓋をして、息子のようでもあるあの方の隣で、平静を保たねばなるまい。


王子様と踊ってみたかったと笑った娘の願いは、叶うことがないまま。



「ねぇ、あの白いケーキ、僕にも作ってよ」



頬を伝う涙を隠す為に顔を覆ったその時、誰もいる筈のない場所から声が聞こえた。


ぎょっとして顔を上げれば、水色の髪をした麗しい青年が、娘の墓の後ろ側に座り込んでいる。


魔物だ、と一目見て理解した。

俺の心の空虚が、とうとう魔物まで呼んでしまったのかと。


「あなた歌乞いでしょ?僕にもケーキ作って」


「歌乞い?………いや、俺は騎士ですよ?歌など…」


否定しかけて思い出した。

先程まで、これで最後だと、娘のために懐かしい子守唄を歌ってやっていたのだ。

愕然とすれば、これは歌に請われて現れた魔物だとわかり、背筋が冷えた。


「僕の頭も撫でる?」


けれど、この魔物の要求はわからない。


(だが、魔物との契約が成されたとなれば、国益となるのは確かだろう)


染み付いた思考でそう結論を出し、即座にこの契約を背負う覚悟を決める。

娘のことで、主には随分と迷惑をかけた。契約の魔物を手土産に戻れば、少しはあの方の助けになるだろうか。


そう考えて、こんな時にすら、ただの父親でいられない己の愚かさを思う。


「いえ、あなたの頭を撫でるなど。白いケーキとは何でしょうか?及ぶ範囲の限り、対価として叶えさせていただきましょう」


「………じゃあ、白いケーキはいいや。僕は美食家なの。美味しいもの、たくさん用意してよ」



そのときの魔物の、どこか悲しげな微笑みが胸に残った。





「グラストさん!グラストさんの家のケーキのレシピを、全部私に教えて下さい。特に、子供が食べるような、クリーム系の見た目が白い素朴なやつです」



エーダリア様の婚約者、新たな国の歌乞いになった少女にそう請われたのは、ある日のことだった。


あまりにも具体的な要求に、眉をひそめる。


「………ケーキ?」


ふと、そんな言葉をどこかで聞いたことがある気がした。


「無遠慮な質問だったらごめんなさい。でも、お子さんがいらっしゃったなら、そういうレシピをご存知かと思って」


「いえ。……とは言っても、我が家で娘に与えていたのは、ただのスポンジケーキでしたから、参考にはならないかと」


「スポンジケーキ?」


「昔、俺が作ろうとして失敗したケーキを、娘が好んでいたもので。ただのスポンジケーキに、生クリームを乗せただけのものです。後はそうですね、屋敷の料理人に聞いてみないとですが、子供用となるとそれくらいしか……」


この娘の言動は、兎に角規格外だ。

あの異様な魔物が無茶な要求でもしたのだろうかと不安になる。

子供用のケーキ?



「じゃあ、作ってみようかな。ゼノの憧れのケーキなんです」


「………ゼノーシュの?」



ゼノーシュと出会った日のことが思い出された。

僕も白いケーキが食べたい、そう、彼は言ったのだ。


夏の真っ青な空の下、あの魔物は俺よりも身長の高い体を折り曲げて、なぜか頭を差し出していた。



今では時折、この少女が背伸びしてその頭を撫で回している異様な光景を見る。

そうすると、ゼノーシュはひどく嬉しそうに、微かに頬を染めて笑うのだ。


まるで、小さな子供みたいに。




「…………ネア殿、ゼノーシュはどこにいました?」



そう問いかけると、彼女はぴしりと指先で中庭の方を示した。


「あそこでお昼寝してますよ。何だか今日は寂しんぼうな日なので、構ってあげて下さい」



中庭と聞いて驚いた。

今日は朝から雪が降っているではないか。

魔物とは言え、体調を崩しでもしたらどうするのだ。

ゼノーシュは見聞の魔物。

解析能力には長けていても、寒さには弱い。



「子守唄でも歌ってあげるといいでしょう」



はっとした俺に、

歌乞いの少女は不思議な微笑みを向けた。




幼い娘を亡くした騎士と、

そんな騎士の父性に惹かれた魔物の話。

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