前へ次へ
4/24

第1章 疑わない女 3

 もらった名刺の不動産屋は、駅前のロータリーからやや外れたところにあった。

 毒々しく思えるほどの過剰な色使いが目立つ看板は、少しでも目立たせようという苦肉の策か。そして、窓ガラスにびっしりと貼られた、『おすすめ』と称する物件の数々。

 どうせ、店にとっての『おすすめ』なんだろ……と、毒づきながらドアを開ける。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」

「部屋探しを。この方にお願いしたいんですが」


 そう言って、さっきもらったばかりの名刺を見せる。

 応対の女は店の奥に目を移すと彼女の姿を確認し、再び向き直る。


「川上はただいま接客中ですので、こちらのお申込み用紙にご記入になりながらお待ちください」


 あまり部屋にこだわりはない。

 一つの街に長く居続けることもないから、雨風が凌げて好きなときに寝られる場所があれば、それでいい。

 むしろ必要なのは彼女に近づき、夕べの男の情報を引き出すこと。

 なので、申込用紙とやらも必要最低限の部分だけ記入。後は待つだけ。 



「お待たせしました。約束通り来てくださったんですね。ありがとうございます」


 居眠りしかけたところに声がかかる。

 目を開けると、思ったより近くに唯子の顔。一瞬、ドキリとさせられた。

 そして、接客用のテーブルに案内され、サービスのコーヒーが差し出される。


「お名前は……、鳴海沢(なるみざわ) 和真(かずま)様っておっしゃるんですね。そういえば、さっき自己紹介してませんでした。私は、川上唯子と申します」

「知ってるって」


 その言葉を聞くなり、唯子は突然眉をひそめ、周囲に聞かれないような小声で、とんでもない質問を投げつける。


「……あの、ひょっとして鳴海沢さんて、何でもお見通しな方なんですか?」


 高校生との一件を怪しんでいるのかもしれない。

 そして、その言葉は正解とは言えないまでも、そんなに外れてもいない。

 だが、今回の彼女の疑いは見当違いだ。


「名刺、置いていったでしょ」

「あ、ああ、そうでしたね。私、てっきり……」


 てっきり、なんだというのか。

 天然。早とちり。おっちょこちょい。

 名刺がなかったとしても、ネームプレートからでもわかる。


「それじゃ、本題に入りましょうか。お部屋のご希望欄に、何も書かれていないようですが……」

「そんなに広い部屋は必要ないし、家賃も特には……。強いて言えば、良く眠れる部屋がいいかな」


 店員泣かせの回答かもしれない。

 だが別に、いじめて楽しんでいるわけではない。正直な希望だ。

 それでも唯子は、せっせとファイルをめくりながら物件を見繕う。そして、パラパラと彼女が飛ばしかけた物件に興味を惹かれる。


「ちょっと待って。これなんだけど」

「ここは……あんまり、おすすめできないですよ」


 唯子は目を伏せながら、再びページをめくろうとする。

 だが、それを制止。やや強引にファイルを取り上げる。


「まあまあ、もうちょっと良く見せてよ」

「そこは……きっと、安眠とは程遠いかと……」


 添付されていた室内の写真を見て確信する。

 これは使えそうだ。


「それは、ここが事故物件だから?」

「どうしてそれを……」


 彼女に動揺の色が濃くなる。

 しかし、まだそれは彼女の早とちり。


「ここに『告知事項あり』って書いてあるからね。それに、家賃もやけに安いし」

「あ、ああ……そうですね。ですからきっと、お客様もあまり良い思いはされないのではないでしょうか……」

「それは、君に限っての話では?」


 唯子は険しい表情で顔を上げる。

 明らかに、何かを怪しんでいる目つきだ。

 面と向かって睨まれたところで、サングラスをかけている今は記憶を見せつけられる心配はない。


「鳴海沢さん、やっぱりあなたは…………」

「ん? どうかした?」

「い、いえ。何でもないです……」


 手応えあり。

 充分に彼女の心は揺さぶれただろう。

 普段ならこんな回りくどいことはしないが、今回は小銭稼ぎとは違う。

 夕べの男の情報を得るためには、じっくりと、慎重に、確実に、だ。

 


 唯子の運転する営業用の車に十五分ほど揺られただろうか。

 ここは畑も点在していて、のどかと言っていいぐらいの、住宅街とはお世辞にも呼べないところだ。古びた外壁、錆びた階段……、目的地のコーポ・サンセットはそこにあった。

 日本語にすれば日没荘……おあつらえ向きの名前。


「玄関だけ開けてくれれば勝手に見るんで、外で待っててもらっていいですよ」

「いえ、そうはいきません。仕事ですから」


 険しい表情で、覚悟を決めるように玄関のドアを開ける唯子。

 ドアを開けるだけなのにその意気込み、無理をしているのは明白だ。

 やはり真面目なのだろう。


 入ってすぐに三畳ほどの台所。そして引き戸に隔てられた居間へと続く。

 唯子に目を向けると、玄関を上がった所で俯いたまま。

 だから、外にいていいと言ったのに……。


 彼女には構わず、居間へと足を踏み入れる。

 そして、視線は自ずと梁に開けられた穴へ。

 そこへ、唯子から声が掛かる。


「鳴海沢さん……やっぱりあなたはご存知ですよね。ここで何があったのか。そして私のことも……」

「知らないと言えば嘘になるけど……、君が思ってるほどは知らないよ。きっと」

「あ、あなたは一体、何なんですか?」


 当初の予定では、この内見は親睦を深めるきっかけ作りに過ぎなかったが、順調すぎる展開だ。せっかくなので、本題を切り出すとしようか。


「ちょっとこの街で、あこぎな社長さんがのさばっているようなんで、調べてるだけだよ」

「それって、水野江工業の社長さんのことですか?」


 さっそく、手掛かりを入手。

 順調、順調。頭の中へと叩き込む。

 後で、夕べの男と同一人物かどうか確認するとしよう。


「もし、父の自殺との関連を調べているのなら、直接の関係はないと思いますよ」

「どうして言い切れる?」

「父が工場を経営していた頃は、確かに水野江工業さんと取り引きもしていたみたいです。でも、自殺をしたのは経営不振で倒産してから三年も後の話ですし」


 夕べターゲットにした、鬼畜な成金趣味の男。

 その記憶に中にいた人物が唯子の父親。

 そして彼は自殺している。

 間違いなく美味しいネタになると思ったのだが、空振りだろうか。


 目の合った相手の記憶が、映像として見える。

 そんな能力に目覚めて、もう六年。

 どうせなら、音声や感情もわかればいいのにと思う場面も少なくない。そうすれば、こんなにちまちまと調査する必要もないのに……。


「こんなことを聞くのは申し訳ないんだけど……、君のお父さんの自殺の理由はなんだったの?」

「私にもわからないんです。遺書にもそういったことは書いてなかったんで……。でもきっと、私を抱えて生きていくのが辛くなったんですよ。自殺なんて迷惑なことをしたのも、きっと当てつけです。でなきゃ、黙って自殺なんてするはずありません…………」


 そこまで告げると、唯子は俯きながら肩を震わせ始めた。

 どうやら、触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。

 放って帰るわけにもいかないし、どうしたものか。


「書かなかったってことは、書けない理由だったんだろ」

「最後まで理由を隠し通すなんて、それこそ愛されていなかった証拠じゃないですか……」

「伝えない方がいいことだってある。隠し通すことが、君に対する愛情だったのかもしれないじゃないか。でも、その気持ちを踏みにじる結果になっても構わないっていうなら――」


 なおも、背を向けて涙を拭う唯子。

 泣かせてしまった詫びにもならないが、せめてもの気休め。




「――真実がわかったときには、教えてやるよ」


前へ次へ目次