第1章 疑わない女 3
もらった名刺の不動産屋は、駅前のロータリーからやや外れたところにあった。
毒々しく思えるほどの過剰な色使いが目立つ看板は、少しでも目立たせようという苦肉の策か。そして、窓ガラスにびっしりと貼られた、『おすすめ』と称する物件の数々。
どうせ、店にとっての『おすすめ』なんだろ……と、毒づきながらドアを開ける。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
「部屋探しを。この方にお願いしたいんですが」
そう言って、さっきもらったばかりの名刺を見せる。
応対の女は店の奥に目を移すと彼女の姿を確認し、再び向き直る。
「川上はただいま接客中ですので、こちらのお申込み用紙にご記入になりながらお待ちください」
あまり部屋にこだわりはない。
一つの街に長く居続けることもないから、雨風が凌げて好きなときに寝られる場所があれば、それでいい。
むしろ必要なのは彼女に近づき、夕べの男の情報を引き出すこと。
なので、申込用紙とやらも必要最低限の部分だけ記入。後は待つだけ。
「お待たせしました。約束通り来てくださったんですね。ありがとうございます」
居眠りしかけたところに声がかかる。
目を開けると、思ったより近くに唯子の顔。一瞬、ドキリとさせられた。
そして、接客用のテーブルに案内され、サービスのコーヒーが差し出される。
「お名前は……、鳴海沢 和真様っておっしゃるんですね。そういえば、さっき自己紹介してませんでした。私は、川上唯子と申します」
「知ってるって」
その言葉を聞くなり、唯子は突然眉をひそめ、周囲に聞かれないような小声で、とんでもない質問を投げつける。
「……あの、ひょっとして鳴海沢さんて、何でもお見通しな方なんですか?」
高校生との一件を怪しんでいるのかもしれない。
そして、その言葉は正解とは言えないまでも、そんなに外れてもいない。
だが、今回の彼女の疑いは見当違いだ。
「名刺、置いていったでしょ」
「あ、ああ、そうでしたね。私、てっきり……」
てっきり、なんだというのか。
天然。早とちり。おっちょこちょい。
名刺がなかったとしても、ネームプレートからでもわかる。
「それじゃ、本題に入りましょうか。お部屋のご希望欄に、何も書かれていないようですが……」
「そんなに広い部屋は必要ないし、家賃も特には……。強いて言えば、良く眠れる部屋がいいかな」
店員泣かせの回答かもしれない。
だが別に、いじめて楽しんでいるわけではない。正直な希望だ。
それでも唯子は、せっせとファイルをめくりながら物件を見繕う。そして、パラパラと彼女が飛ばしかけた物件に興味を惹かれる。
「ちょっと待って。これなんだけど」
「ここは……あんまり、おすすめできないですよ」
唯子は目を伏せながら、再びページをめくろうとする。
だが、それを制止。やや強引にファイルを取り上げる。
「まあまあ、もうちょっと良く見せてよ」
「そこは……きっと、安眠とは程遠いかと……」
添付されていた室内の写真を見て確信する。
これは使えそうだ。
「それは、ここが事故物件だから?」
「どうしてそれを……」
彼女に動揺の色が濃くなる。
しかし、まだそれは彼女の早とちり。
「ここに『告知事項あり』って書いてあるからね。それに、家賃もやけに安いし」
「あ、ああ……そうですね。ですからきっと、お客様もあまり良い思いはされないのではないでしょうか……」
「それは、君に限っての話では?」
唯子は険しい表情で顔を上げる。
明らかに、何かを怪しんでいる目つきだ。
面と向かって睨まれたところで、サングラスをかけている今は記憶を見せつけられる心配はない。
「鳴海沢さん、やっぱりあなたは…………」
「ん? どうかした?」
「い、いえ。何でもないです……」
手応えあり。
充分に彼女の心は揺さぶれただろう。
普段ならこんな回りくどいことはしないが、今回は小銭稼ぎとは違う。
夕べの男の情報を得るためには、じっくりと、慎重に、確実に、だ。
唯子の運転する営業用の車に十五分ほど揺られただろうか。
ここは畑も点在していて、のどかと言っていいぐらいの、住宅街とはお世辞にも呼べないところだ。古びた外壁、錆びた階段……、目的地のコーポ・サンセットはそこにあった。
日本語にすれば日没荘……おあつらえ向きの名前。
「玄関だけ開けてくれれば勝手に見るんで、外で待っててもらっていいですよ」
「いえ、そうはいきません。仕事ですから」
険しい表情で、覚悟を決めるように玄関のドアを開ける唯子。
ドアを開けるだけなのにその意気込み、無理をしているのは明白だ。
やはり真面目なのだろう。
入ってすぐに三畳ほどの台所。そして引き戸に隔てられた居間へと続く。
唯子に目を向けると、玄関を上がった所で俯いたまま。
だから、外にいていいと言ったのに……。
彼女には構わず、居間へと足を踏み入れる。
そして、視線は自ずと梁に開けられた穴へ。
そこへ、唯子から声が掛かる。
「鳴海沢さん……やっぱりあなたはご存知ですよね。ここで何があったのか。そして私のことも……」
「知らないと言えば嘘になるけど……、君が思ってるほどは知らないよ。きっと」
「あ、あなたは一体、何なんですか?」
当初の予定では、この内見は親睦を深めるきっかけ作りに過ぎなかったが、順調すぎる展開だ。せっかくなので、本題を切り出すとしようか。
「ちょっとこの街で、あこぎな社長さんがのさばっているようなんで、調べてるだけだよ」
「それって、水野江工業の社長さんのことですか?」
さっそく、手掛かりを入手。
順調、順調。頭の中へと叩き込む。
後で、夕べの男と同一人物かどうか確認するとしよう。
「もし、父の自殺との関連を調べているのなら、直接の関係はないと思いますよ」
「どうして言い切れる?」
「父が工場を経営していた頃は、確かに水野江工業さんと取り引きもしていたみたいです。でも、自殺をしたのは経営不振で倒産してから三年も後の話ですし」
夕べターゲットにした、鬼畜な成金趣味の男。
その記憶に中にいた人物が唯子の父親。
そして彼は自殺している。
間違いなく美味しいネタになると思ったのだが、空振りだろうか。
目の合った相手の記憶が、映像として見える。
そんな能力に目覚めて、もう六年。
どうせなら、音声や感情もわかればいいのにと思う場面も少なくない。そうすれば、こんなにちまちまと調査する必要もないのに……。
「こんなことを聞くのは申し訳ないんだけど……、君のお父さんの自殺の理由はなんだったの?」
「私にもわからないんです。遺書にもそういったことは書いてなかったんで……。でもきっと、私を抱えて生きていくのが辛くなったんですよ。自殺なんて迷惑なことをしたのも、きっと当てつけです。でなきゃ、黙って自殺なんてするはずありません…………」
そこまで告げると、唯子は俯きながら肩を震わせ始めた。
どうやら、触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。
放って帰るわけにもいかないし、どうしたものか。
「書かなかったってことは、書けない理由だったんだろ」
「最後まで理由を隠し通すなんて、それこそ愛されていなかった証拠じゃないですか……」
「伝えない方がいいことだってある。隠し通すことが、君に対する愛情だったのかもしれないじゃないか。でも、その気持ちを踏みにじる結果になっても構わないっていうなら――」
なおも、背を向けて涙を拭う唯子。
泣かせてしまった詫びにもならないが、せめてもの気休め。
「――真実がわかったときには、教えてやるよ」