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第5章 忠告を聞かない男 3

 【水野江工業 新工場落成式】

 唯子と二人で潜入中。やはりスーツは窮屈だ。

 今日は守衛のガードもゆるく、フリーライターの名刺でなんとか潜り込めた。

 それにしても、式典というのはどうしてこうも形式ばっているのか。入学式や卒業式と何も変わらない。


「本日はお忙しい中、新工場の落成式にお越しいただき誠にありがとうございます。当工場の生産ラインの中心となります工作機械は、我が社の技術の粋を結集した画期的なものでございまして――」


 今は、水野江社長の挨拶の真っ最中。

 壇上横に掲げられている式次第を見ると、その形式ばった演目の羅列にめまいがしてくる。

 祝辞、関係者挨拶、祝電披露……。

 式典が進む。

 そして会場内の人々に飲み物が配られ、乾杯の準備中。


「そろそろ、行ってくるよ」

「気をつけてくださいね。鳴海沢さん」


 最後の花火を打ち上げるなら、やはりクライマックス。

 一番目立つところでぶち上げる。

 待っていたのが、この乾杯のタイミング。

 席を離れ、司会者のもとへこっそりと駆け寄り、マイクを奪う。

 不意を突かれて、キョトンとする司会者。


「――さて、次は乾杯といきたいところですが、残念なお知らせがあります」


 ざわめく会場。

 突然のハプニングに、壇上の役員たちも紙コップを持ったまま、呆気にとられている。

 すぐさま、取り出した書類を頭上に掲げ、要点を叫ぶ。


「当方が所有している特許の侵害の疑いがあるため、当工場の工作機械の使用差し止めを要求致します!」


 さらに、ざわめく会場。

 社外の招待客の目もある中では、もみ消しは不可能。

 つまみ出せば済む話ではない。

 一時中断となる式典。

 緊急事態の対応に追われる従業員。

 気の毒だが、これも会社のトップによる不始末。恨むなら社長を。

 騒然とする中、従業員に案内されるままに、唯子と二人で会場を後にした。




 招かれたのは社長室。貴賓のような丁重な扱い。

 閉められたドアの向こう側がざわついている。

 招待席にいた記者たちが、ネタを求めてついてきたからだ。

 そして室内では、難しい顔をした水野江社長を中央にして、左隣に副社長、右隣に専務が腰掛ける。

 重苦しい雰囲気の中、担当者が真っ青な顔をしながら、差し出した資料を穴が開くほどに読みふける。

 彼が手にしているのは、唯子の父親が残した七桁の特許番号が示した資料。

 奪われた工作機械の主軸を成す技術だ。


「で、どうなんだ。本当にこの男の言う通りなのか?」

「す、すみません。なにぶん突然なことなので、精査にはお時間をいただきたく……。しかしながら、無視するわけにいかないのは確かかと……」


 はっきりしない発言。

 それでもこの男の言葉は効果があったようで、目の前の重役たちは一様に渋い顔。

 そして水野江の顔色をうかがいながら、隣の副社長が恐る恐る口を開く。


「もし仮に、当社の工作機械が特許を侵害していたとして、どのような条件でしたら使用許諾をいただけますか?」

「一時金として一億。そしてあの機械で製造した売り上げの、三パーセントを支払ってもらいましょうか」


 密談が始まる。

 ソファーに座り切れずに後ろに立つ者たちも顔を寄せ合い、協議に参加する。

 なかなか話はまとまらない。

 でも、この条件なら飲むはずだ。いや、飲まないはずがない。

 払わなければ無駄になる、莫大な設備投資費。

 腕組みをしてじっと待つ。


「……あの、やっぱり……。一億なんて大金、やめましょうよ。こんなこと……」

「なに言ってんだ。こいつらが、近隣の町工場から搾り取ってきた金に比べたら、かわいいもんだぞ。一億なんて」

「いや、でも……。私は、父の無念さえ晴らせればそれでいいので……」


 一体、どれだけの無欲ぶりだ。

 ここへきて、唯子の同行が裏目に出た。

 特許の権利者は唯子だから仕方なく連れてきたが、怖気づいたのか?

 昨日、充分すぎるほど言い聞かせたというのに……。


「具体的には何をすればよろしいでしょうか?」


 色めき立ったのは役員たち。

 険しい表情を緩め、作り笑顔で真摯な素振りを見せる。

 条件が大幅に緩和されそうなのだから当然だろう。しかも、何の努力もなしに。


「そこの水野江社長さんが、私の父から機械をだまし取るようなことをしたんですよね。だったらそれを、父にちゃんと謝ってください。それだけが私の要望です」

「ちょっと待て。請求する金は、君のお父さんの努力の報酬なんだって昨日も言ったろ。受け取ることも供養だって説明したじゃないか。その上で、謝罪もさせる。それでいいだろ」


 なんでこの期に及んで、味方の説得を始めなければならないのか。

 これじゃ、完全に仲間割れみたいだ。相手方がつけ込んでこないはずがない。


「謝罪でしたら、誠心誠意させていただきます。ですよね、社長」

「あ、ああ、もちろんだ。だまし取ったつもりはないが、誤解させるような行為については深く反省する。もちろん、こうして頭も下げさせてもらう。本当に申し訳ない。すまなかった……。そして、開発した川上さんには今後も敬意を持って、大事に大事に使わせていただくつもりだ」


 机に両手をつき、深く頭を下げる水野江。

 反省の色など微塵も感じられない。


「わかりました。これできっと父も浮かばれます。機械もご自由にお使いください。きっと使ってもらった方が、父も喜ぶと思いますので――」


 いやいやいや、あの程度の謝罪で許してしまうなんて、どれだけのお人好しだ。

 未だに深く頭を下げ続けている水野江。

 もちろんその表情は見えない。

 だが、間違いなく舌を出して、ほくそ笑んでいるに違いない。


「――鳴海沢さんも、ありがとうございました」


 ダメだ。

 お話にならない。

 勝手に話が終わっていく。

 仲介役という立場の自分では、権利の放棄を阻む力はない。


「ちょっと待て。こんなの謝罪に入るかよ。川上さん、あんたもあんただ。反省もしてないやつを許すなんて、お人好しがすぎるぜ!」


 このまま終了なんて納得がいくか。

 せめて、このタヌキじじいには、煮え湯を飲ませてやらないと気が済まない。

 叱責の言葉に小さくなった唯子を尻目に、席を立つ。

 そして、ズカズカとドアまで歩み、勢いよく開く。

 そこには、聞き耳を立てていた記者たち。

 制止する従業員を無視して彼らを招き入れ、水野江に向かって宣告する。


「ほら、謝罪お願いしますよ。自分の息のかかった金融会社から融資を受けていた川上幸弘さんを陥れて、工場を潰したのは私ですってね。周辺の工場があんたに頭が上がらないのを良いことに、川上さんの工場への仕事を全部引き上げるように指示したんだろ?」

「待て……。でたらめだ、そんな話」

「さっきは謝ってたじゃないか。謝罪するって言ったのは嘘だったのか? 誰も聞いていない所でしかできない謝罪なんて、謝罪とは言わないぜ」


 記者たちが一斉にメモを取り始める。

 囲まれる水野江。

 役員たちも、対応しきれずにうろたえるばかり。


「ああ、そうだ。場所を変えましょう。謝罪はこっちでお願いしますよ」


 水野江の腕を掴み、社長の机へと向かう。

 何ごとかと、ぞろぞろと追従する人たち。

 贅沢な革張りの椅子をどけて、床を晒す。

 一見、何の変哲もない床。

 しかしこの床に仕掛けがあることは、最初に会った時に見た記憶で知っている。


「ここでお願いしましょうか。あれー? なんかこの床、変じゃないですか?」


 取り囲むように見守っている記者や役員。

 その表情は、どこか怪訝な面持ち。誰の目にも普通の床にしか見えないだろう。

 そして水野江も、若干顔を引きつらせながらも、平静を装う。

 だが、机のペン立てに刺さっていた、特殊なドライバーのような工具を手に取った時、水野江の態度は急変。慌てた様子で掴みかかってきた。


「お、おい、貴様。なんでそれを……。ちょ、ちょっと待て」

「ちょっと、邪魔しないでくださいよ。誰か、押さえていてもらえませんか?」


 水野江の、尋常ではない慌てぶり。

 通常ならば擁護に回るべき役員たちも、これから起きる何かへの興味の方が上回ったらしい。水野江をなだめながら、引き離す。

 そして自由になった右手で、その工具を床のほんの小さな穴に差し込むと、わずかばかり浮き上がる。そこへ指を掛けて床板を外すと、お目当てのものはそこにあった。


「おやおや、こんなところに金庫がある。役員のみなさん、ご存知でしたかー?」


 ざわつく室内。

 首を振る者、興味津々に覗き込む者、そして撮影を始める記者たち。

 中には、存在を知っている者もいるのかもしれない。

 だがこの衆人環視の中、申し出るやつなどいない。

 水野江は完全に孤立した。


「役員さんたちも知らない、この金庫には何が入ってるんですかね? 水野江さん。開けてもらえませんか?」

「こんな金庫なんて知らない。わしは使ってないぞ。開け方だって知らないし、中身だって知らない」


 苦し紛れの言い訳。

 こんな場所にある金庫を、他の誰が使うというのか。

 だがきっと水野江は、この場で開けられなければごまかせると判断したのだろう。諦めてみんなが帰った後、証拠隠滅でもする魂胆か。

 サングラスを外し、水野江を睨みつける。

 水野江は怯えながらも気丈に振る舞い、睨み返す。


「そうですか……。仕方ない」


 金庫はボタン式。

 ハンカチを取り出し、指紋が付かないように入力ボタンに指を伸ばす。

 一桁目を入力して振り返ると、顔色を青ざめさせている水野江。

 ニヤリと笑ってみせると、信じられない様子で見つめ返す。金庫を目の前にして、水野江の頭の中は開けられないことだけを、切に願っているに違いない。

 だが、願えば願うほど鮮明に見えてくる暗証番号。頭の中はそれ一色。

 水野江の記憶通りに一桁。

 さらに、また一桁。

 そして、九桁目の入力を完了する。


 ――ピー。


 解錠を知らせる電子音。

 その音を聞いて、ひざを折り、へたり込む水野江。

 開かれた金庫の中には札束に有価証券、そしてきっと表には出せない書類。

 記者たちが、こぞって写真に収める。


「役員のみなさん。まさかとは思いますが……、これは会社ぐるみですか?」


 一様に首を振る役員たち。

 共犯がいないとは思えないが、そんなことはどうでもいい。

 きっと水野江は、全ての罪を押し付けられることになるだろう。

 いい気味だ。少しはスカッとした。

 予定では一億の半金の、五千万円を手にするはずだった。

 これぐらいの八つ当たりでもしなけりゃ、気が治まらない。


「じゃあ、後はお任せします。警察を呼ぶなり、国税庁に通報するなり好きにしてください」


 無残な結末を迎えた儲け話に対して、肩を落とし大きくため息をつく。

 そして唯子を一瞥。彼女のお人好しを甘く見た俺のミスか。

 用のなくなったこんな場所にいても仕方がない。退散するとしよう。

 記者に取り囲まれるが、語るコメントなどない。

 無言で掻き分けながら、もう一つの人溜まりの中心にいる水野江の所へ。

 ネクタイを掴み、顔を引き寄せ、小さい声で呟く。




「――だから言ったろ。大人しく隠居生活でもしてろって」


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