第5章 忠告を聞かない男 2
「私は幸せになれそうですか?」
久しぶりに出した露店。
目の前にちょこんと座ったのは唯子だった。
突然すぎて、さすがに驚く。
「最近よく当たる占い師がいるって噂を聞いて、どんな人かなって様子を見に来たら、鳴海沢さんだったんですね」
誰が流した噂なのやら。
普通の占い師なら大歓迎の評判だろう。
だが、あまり目立ちたくない俺からすれば、この街との別れの時期の知らせだ。
「占って欲しいのか?」
「いえ、どんな人かなって思っただけですから。そうだ! 私が鳴海沢さんを占ってあげましょう」
「いやいや、遠慮しとくよ」
「うーん……。うーん……」
彼女は唸りながら、眉間にしわを寄せる。
演技のつもりだろう。素人芝居は人のことを言えないが、さすがにわざとらしい。
まさか、俺のように特別な力を持ってたりするのではと、よぎる若干の不安。
だが開かれた口から出てきたのは、取り越し苦労を示す占いの結果だった。
「――鳴海沢さんは明日、私に食事につき合わされますね。間違いなく」
真剣な表情で、あまりにも馬鹿馬鹿しいことを言い出すので、思わず吹き出す。
そしてそのしぐさも、なんとなく気に入った。
「ああ、いいよ。何時ごろにする?」
「え……。ええ? ほんとにいいんですか?」
「ダメだったの? 誘ったのはそっちだろ?」
「いえいえ、もちろんダメじゃないです。メグの件ではお世話になったし、お誘いした食事もそのままになってたんで……。でもきっと、お断りされるんじゃないかと思って――」
彼女の見立ては正しい。普通だったら間違いなく相手にしていない。
だが、今回はちょうど彼女に用事がある。
そのうち声をかけようと思っていたところだったので、手間が省けた。
「――じゃあ、今度の私の休みの水曜日に。詳しくは電話しますね」
そう告げて、彼女は駅の方へと駆け出していった。
二人ともに平らげた、イタリア料理のフルコース。
最後のデザートに手を付け始めたところで、二人の声が重なる。
「聞きたいことがあるんだけど――」
「ちょっと、気になる記事を見つけたんですが――」
そして、お互いの気遣いの言葉が再び重なる。
「鳴海沢さんの方からどうぞ――」
「お先にどうぞ――」
ありがちな展開。
こんなきっかけで何かが始まるような純情さは持ち合わせていないが、妙に気恥ずかしい。
こちらが聞きたいことなんて、唯子の父親のフルネームだけ。
彼女の『気になる記事』の方が興味深いので、話を譲る。
「じゃあ、先に私の話を――」
唯子が手元のバッグを開きながら、話を再開させる。
取り出したのは、小難しそうな専門誌。
小さく丸められていたせいで、ロールケーキのように型がついてる。
「――えーっと……。どこだったかな……。あった、これこれ。この記事なんですけど」
差し出されたのは、【水野江工業 大型設備投資で業界首位の座を狙う】の見出しが躍る特集記事。業界紙らしく、専門知識のない俺には上辺の内容しか読み取りようがない。
「この話なら知ってるよ。新聞で見た」
「そうでしたかー。鳴海沢さんのお役に立てればと思って、色々調べてみてたんですけどね」
「俺の役って?」
「そりゃあ、助手ですからね。探偵助手」
「だから、助手は取らない主義だってば」
助手の話は冗談みたいだが、役に立とうとしたのは本当のようだ。
剣持といい唯子といい、一体何に恩義を感じているのやら。二人とも利用させてもらった結果、たまたま恩恵を得ただけだというのに……。お人好しか。
ちょっとガッカリした様子の唯子は、残念そうに写真を眺めながら一人呟く。
「でもこの機械、昔うちにあったやつにそっくりだなー……。それにこの新工場が建てられてる所って、昔うちの工場があった場所なんですよ。因果なものですね」
もう一度雑誌を借り受け、記事と写真を見直す。
確かにこの機械には見覚えがある。
唯子の父親の得意気な表情と共にあったのは小沢の記憶。
なるほど、水野江はただの悪人ではないらしい。
新工場の生産ラインの中心となっているのが、量産されたこの工作機械。
借金の形に機械を奪い取って、それを使って『業界首位を狙う』か……。
大した悪党だ。
「川上さん。実は、お父さんの工場は狙って潰されたんだよ。手口は――」
水野江を追い込んでやろうにも、迫れるネタが相変わらず見つからない。
小沢から聞いた話も証拠にはならないし、証言としても弱い。
そして目の前の唯子も大した情報は持っていない。
それでも何かきっかけでも思い出してくれればと、サングラスを外し、知っている話を全て伝えてみる。
「……そんなことが……。工場が潰れてからの父は、ずっと惨めな人生でした。コツコツと大きくした工場も土地も全部取り上げられて、無念だったと思います。
なんか、父はずっと謝ってばっかりの人生だったな……。工場が倒産した時も『商売の才能がなくてごめん』、母が弟を連れて家を出ていった時も『苦労ばっかりかけてごめん』て……」
空振りか。特に気になる記憶も見えてはこない。
それどころか、思い出話が始まってしまった。これは失敗だ。
だがまあ、その程度のリスクは覚悟の上。
もうしばらく付き合うとするか。
「私が高校に合格した時も『こんなものしか、あげられなくてごめん』って。何しろ、もらったのは手紙だけでしたからね……。ああ、そういえば変な手紙だったんですよね――」
唯子は再びバッグを手繰り寄せる。
そして、ファスナーに括りつけてあるお守りを開き、中から小さな紙切れを取り出した。
小さく折りたたまれて、やや黄ばんだ手紙。
唯子は丁寧に広げて手渡す。
「――その数字なに? って父に聞いても、『おまえにやる』って言うだけで、教えてくれなかったんですよ。何だったんだろ」
渡された手紙に書かれていたのは七桁の数字。
確かに何だかわからない。
そして『こんなものしか、あげられなくてごめん』か……。
意味不明だが、とりあえず携帯電話で写真に撮り、手紙は返却。
「ちょっと詳しく調べてみるよ」
「ありがとうございます。ずっと気になってたから、スッキリすると嬉しいな」
「じゃあ、そろそろ出ようか。あ、そうそう、お父さんの名前を教えてもらっていいかな?」
「川上幸弘です」
うっかり、肝心なことを聞き忘れるところだった。
まあ、それぐらいのことは電話で尋ねるだけで済むのだが。
支払いは譲らない唯子に任せ、一足先に店から出る。
そしてさっそく電話。
「――あ、剣持さん。調べてもらいたい人物の名前がわかりました……」