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第1章 疑わない女 1

「――ああ、身体中が痛い……」


 晴れ渡った青空に向かってひと伸び。

 サングラス越しにも太陽の眩しさが目に刺さる。

 身体を戻すと、正面に見えるのは夕べ降り立ったばかりの凪ヶ原駅。

 ビルが乱立するほどの都会ではなく、かといって風光明媚な観光地を売り文句にするような土地柄でもない。

 なので駅周辺にもホテルはなく、一夜を明かす場所として選択したのは駅前のネットカフェ。その狭い部屋の一室で、身体を折りたたむように仮眠を取った結果が、この身体中の軋みだ。


 腰を落ち着けるからには、まず部屋探しか……。

 いや、でもその前に腹ごしらえか……。


「おい! 待てや!」

「逃げんな! コラ!」

 

 怒鳴り声に思わず振り返ると、目の前に迫る髪の長い女。

 すでに避けられる距離ではない。


「きゃっ!」


 女は後ろを向きながらこちらへ突っ込んできたが、抱き止めて難を逃れた。しかし、その拍子にサングラスがはじけ飛ぶ。

 そして驚いて振り返った女と、つい、見つめ合う体勢に。『この女もか……』そんな言葉が頭をかすめたが、今はそれどころではなかった。


「なあ、邪魔しないでくんねえ? 俺らその女に用があんだけど」

「うぜえから早く消えろよ」


 この女を追いかけてきたらしい怒鳴り声の主が、不機嫌そうな顔でこちらを睨みつける。制服を着崩し、パーマをかけた、いかにも悪そうな感じの高校生ぐらいの男の二人組だ。

 こんな奴らに関わると面倒そうだが、今にも泣き出しそうに青ざめる女の顔が目に入ってしまった。歳は二十歳ぐらいで、目はパッチリと大きく、よく言えば穏やかそうな、悪く言えばどんくさい感じの可愛い女。

 弾き飛ばされたサングラスを拾い上げ、二人の男の目を順番に睨み返す。


「この人は嫌がってるみたいだけど?」

「あん? 正義のヒーロー気取りかよ。かっこつけるのも大概にしろよ」


 素直に応じないのが気に障ったのだろうか、二人とも表情に険しさが増す。

 二人組は首を捻ったり、握り拳を反対の手で押さえつけて、関節を鳴らしたりしている。きっと、喧嘩には自信があるのだろう。

 ならばこちらは、こちらなりの武器で応戦といこうか。

 たった今読み取った記憶を、男たちに突きつける。

 

「万引きを見つかったお前らが悪いんだろ。それを、逆切れして追い掛け回すってのはどうなんだ?」


 図星を突いた発言に二人組は動揺した。

 『なんでこいつが知っている』、明らかに二人組はそんな顔をしながら、お互いに顔を見合わせている。

 そんな彼らに構わず、言葉を続ける。


「おまわりさんのとこ行こうか」

「万引きは現行犯じゃないと捕まえられねぇんだよ」

「そんなことも知らねぇのかよ」


 二人組は開き直った。

 自白とも取れる発言だが、二人とも気付いてはいないだろう。それに、別にこちらも二人を捕まえて更正させたいわけじゃない。

 会話をしながら、さらに深く男たちの記憶を探っていく。

 その中に、使えそうなネタを発見した。


「誰が万引きの話をしてるんだ?」

「じゃ、じゃぁ何の話をしようってんだよ」

「ハ、ハッタリとか調子こいてんじゃねーぞ」


 二人組は動揺が大きくなる。

 こんな二人なら適当なことを言っても、身に覚えはいくらでもあるだろう。この程度でこれほどの反応を示すなんて、根っからのワルではなさそうだ。


「お前このあいだ、拾った財布から抜き取ったクレジットカードでゲーム買ったよな――」


 やや弱気に見える右の男の首に手を回し、威圧感を与える。

 そして、キッパリとした口調で言い放つ。


「――それは、れっきとした犯罪だ」


 二人組は顔を引きつらせ、目まで泳ぎだした。

 その表情はすでに罪を認めたようなものだが、まだ認めたくないらしい。


「な、何の話だよ。意味わかんねーし」

「し、証拠は、証拠はねーだろ。……適当言ってんじゃねえよ」


 男は気まずさからか、視線を外した。

 明らかに最初の強気だった態度はなりを潜め、開き直り方も強引になっている。こうなってしまえば、場の雰囲気は完全にこちらのペースだ。


「あるさ。その財布は俺が落とした物だからな。おいお前、財布出してみろよ」


 右の男の首に腕を回したまま、今度は左の男に指を突きつけ言い放つ。


「な、なんでだよ。嫌なこった」


 左の男は突っぱねたが、右の男がみるみる青ざめていく。

 その表情の変化を見て何か感じ取ったのか、左の男の表情もつられるように強張っていく。


「お前の財布、こいつからもらったよな。それが拾ったっていう俺の財布だ。これ以上の証拠があるのかよ」


 とうとう証拠まで揃った。

 完全に形勢が逆転し、追い詰められるかたちとなった二人は、顔を見合わせ沈黙している。


「さあ、交番行くぞ。言いたいことがあるならそこで言え」


 首に回した腕に力を込め、恫喝する。

 すると、もはや言い逃れる術はないと悟ったのか、二人組は手のひらを返したように謝り出した。


「すいません! 勘弁してください!」

「さーせんした!」


 真っ青な顔でこの場から逃げ出そうとする男。

 だが首に回した腕に力をこめて、それを阻止。

 詫びの一言で済ませようなど虫が良すぎる。


「おい! 財布出せって言ったろ。財布を返すっていうなら許してやるよ」


 渋々と財布を取り出す左の男。

 返却のために中身を取り出そうとしている。


「おいおい、そのまま出せよ。拾った時だって空じゃなかっただろ? おい、お前もだぞ。嫌だって言うなら警察呼んで、白黒つけようぜ」


 最終宣告。

 警察という言葉を改めて出されて、完全に二人は折れる。

 右の男は仕方なさそうに、左の男は納得のいかない様子で、それぞれ財布を差し出した。


「行っていいぞ。今日のところはこれで許してやる」


 財布をまんまと二つせしめ、懐にそのまましまう。

 肩を落としながら去っていく二人組。

 そして心の中で呟く。


『――まいどあり』


 二人組の男を無事撃退。

 収穫は財布が二つ。

 悪くない結果にほくそ笑みながら、サングラスをかけ直す。

 そして立ち去ろうとしたとき、背後から申し訳なさげな女の声がした。


「あの……、本当にありがとうございました。思いっきりぶつかってしまった上に助けていただいて……」

「いや、お礼されるようなことはしてないから」


 ああ、そういえばきっかけはこの女だったっけ。

 形式上助けたことにはなるだろうが、感謝されるような行いをしたとは言い難い。

 そんなことよりも腹が減った。

 適当にお茶を濁して、早々にこの場を去ろうとすると、彼女に呼び止められた。


「ちょっと待ってください」

「まだ何か?」

「何かお礼をさせてください。そうでもしないと気が済まないので……」

「ふーん。それじゃ、身体で払ってもらえる?」


 彼女は顔を真っ赤に染め上げる。恥ずかしいのか、それとも怒っているのか。

 もちろん、本気で彼女をどうにかしたいわけではない。

 だが、ここまで言えば追ってはこないだろう。

 女に背を向け、この場を去る。




「――あの! 身体は無理ですけど、お食事などいかがですか?」


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