第4章 風雲急を告げる男 2
今日もどんよりと曇り空。
だがこんな辛気臭い天気の方が、これからやる仕事には都合がいい。
天気が人の気持ちに与える影響は大きい。雲一つない青空では、やはり雰囲気にそぐわない。
「……迷ったか?」
思わず独り言が漏れる。
以前にも来たこの辺りは、ごちゃごちゃした路地が多い。点在する町工場は相変わらず、どこも景気は良さそうに見えない。たった一つ、さっき通り過ぎてきた、広大な敷地の水野江工業を除いて。
何とかスマホの地図を頼りに辿り着くと、小沢が心配そうに表で出迎えている。
「わざわざ、ご足労すみません。この辺りはわかりにくかったでしょう」
「この街へ来てから、日も浅いので……。少し遅れてしまいましたね」
今日は日曜日。しかし工場の中から響く、機械のけたたましい音。
経営不振と言っていたから、休日返上なのかもしれない。
「いらっしゃったぞ。お茶、お出ししてくれ」
工場の中には、小沢と同じぐらいの年齢の女が一人だけ。
小沢の声に機械操作の手を止めると、怪訝な顔で軽く会釈し、敷地の隅の一室へと消えていく。
あれは小沢の妻だろうか。そして表情を見るに、俺の素性も話してあるのだろう。
ならば、胡散臭い人物の訪問を歓迎するはずもない。招かれざる客という奴だ。
工場の中を軽く見渡す。
通常の建物の二階分ぐらいありそうな高い天井。そして建て付けの悪い、大きな入り口の扉。ありがちな町工場のイメージそのままだ。
そして乱雑に並ぶ、大小の工作機械の数々。
まずは、小沢に案内されれるままに、さっき女が入った一室へと向かう。
「どうぞ、お掛けください」
この事務所は、吹き抜けの天井と言えば格好良く聞こえるが、単に工場の一角を囲っただけの空間だ。
そんな応接室風に区切られた一室の、座り心地の良くないソファーに腰掛ける。
「おい、お茶はまだか?」
小沢は、すぐ背後で準備を急ぐ女に催促をするが無言。
返事代わりに、淹れたてのコーヒーが傷だらけのテーブルに、音を立てて差し出される。
「ちょっと、大事な話をするから外してくれ。あと、大きい音もたてないように」
小沢の指示に女は、不機嫌な表情を呆れ顔に変えると無言の退室。
招かれざる客を迎え入れ、お茶の催促をしたかと思ったら、今度は出て行けと言う。矢継ぎ早にこれでは、さすがに同情心も芽生える。
「奥さんですか?」
「ええ、無愛想ですいません」
小沢は応対が不満だったようだが、客観的に見れば妻の方が正しい。
そんな風だから付け込まれるのだと言ってやりたいが、それじゃ飯の食い上げだ。言葉を飲み込んで、自分の仕事へと取り掛かる。
「さて、川上さんの恨みを祓う前に、詳しい話をお伺いしてもよろしいですか? 誤解などあっては、ちゃんと祓えませんからね」
「なるほど、わかりました」
根掘り葉掘り聞いては、不信感を募らせることになる。
だが、こうやって予防線を張っておけば、多少立ち入った話に踏み込んでも大丈夫だろう。
サングラスを外し、小沢の返答に神経を研ぎ澄ませて、質問を始める。
「川上さんとは、いつ頃からお知り合いに?」
「そうですねえ、あの人が近所で工場をやっていた頃ですから……。十五年ぐらい前になるんですかねえ」
「長い付き合いだったんですね」
「お互いの子供の歳が近かったんで、よく一緒に遊ばせてました。なので、自然と交流もできましてね。そのまま、仕事上でもお付き合いという感じです」
警戒心の欠片もない。
これだけ無警戒に色々と語ってくれれば、こちらもやりやすい。
唯子から聞いた情報と合わせて、さらに踏み込む。
「川上さんの工場が倒産に至った経緯をご存じなら、教えていただけませんか?」
「……ですよね。やっぱり、そのことで恨んでるんですよね……」
「まだ、わかりません。ですが恨みを鎮めるには、反省が伝わらないと上手くいかないんですよ――」
『倒産』という、小沢が語っていない言葉の提示。またしても、彼は信用を深めざるを得ない。
小沢は頷きながら、真剣に耳を傾ける。
そのすがるような、泣き出しそうな表情には哀れみすら感じる。
「――あなたは『謝れ』って言ってから謝られるのと、先だって謝られるのでは、どちらが反省していると感じますか?」
「もちろん、こっちから責める前に謝ってもらえば、仕方ないなって気になります」
「同じことなんですよ。ですからどんな些細なことでも、お祓いに入る前に教えておいてください。隠し事はなしですよ?」
「は、はい。わかってます。何でもお話ししますので、よろしくお願いします」
完全に落ちた。信頼度はもはや最上級だろう。
この人心を掌握した瞬間というのは、最高の気分だ。
さっそく小沢が、宣言通りに語り始める。
「川上さんは、水野江さんの息のかかった金融会社から、融資を受けていたんですよ。かなりまとまった金額をね。最終的に、それが払い切れずに倒産に至ったわけです」
「そんなに経営が苦しかったんですか? 川上さんは」
「いえ、なんでも新型の工作機械を自ら作っていたようで、それに金をつぎ込んでいたらしいです。『画期的な新技術だ』って目を輝かせて話してくれた姿は、今でも忘れられませんね」
「完成したんですか? その機械は」
「え、ええ……。完成は……しました」
口ごもる小沢。
どうやらこの辺りから、自分の後ろめたい部分が登場するようだ。
そして見えてくる映像は、真新しい機械を前に、得意気な表情の唯子の父親。
目の前の小沢の表情とは、あまりにも対照的だ。
「何でも話してくださるっておっしゃいましたよね」
「は、はい。機械は完成したんですが……。その頃からちょうど、川上さんへの仕事が……ぱったりと……」
さらに口を重くする小沢。なんとも、わかりやすい男だ。
加担していたことは、火を見るよりも明らか。
詳細を吐かせるために、軽くため息をついて見せる。
そして静かに、ゆっくりと、低いトーンで言葉を繰り返す。
「何でも話してくださるって、おっしゃいましたよね」
「は、はい、すみません! 水野江さんに言われて、やったことなんです! 川上さんには仕事を回すな、と。
この辺一帯の工場は、どこも水野江さんから降りてきた注文で食わせてもらってるようなもんなんで、だれも頭が上がらないんです……。だからみんな一斉に、取り引きを止めることに……」
必死に頭を下げる小沢。
それは、口ごもったことに対する謝罪なのか。それとも、唯子の父親に対する謝罪なのか。
「あなたにも事情があったとはいえ、取引を止めたのが川上さんの工場の倒産に影響したのは間違いないですね」
「間違いない……、と思います」
「しかし……、なんで水野江さんはそんなことを言い出したんですかね?」
「……完成した、工作機械を狙っていたっていう噂です。倒産した時に、水野江さんが持っていきましたしね」
唯子の父親の工場の資産が、次々と整理されていく情景が浮かぶ。
小沢も立ち会っていたらしく、機械を譲り受けたようだ。
しかし、いくら『画期的な新技術』とはいえ、そのために工場を潰して奪い取るとは相当な外道だ。まあ自分自身、充分すぎる外道だが。
聞き出せそうなことは、こんなところか。
「取引を停止したことが恨みの主因と思われますが、他に後ろめたいことはないですか? 今のうちに話してくれれば、川上さんにお伝えしますよ」
「飲みに行く約束も、とうとう果たせないままでした。それも、謝っておいてもらえますか?」
「わかりました」
そんな些細な話しか出てこないようなら、もう思い当たることはないのだろう。
さすがにこれ以上記憶を見続けていては、身体がもたない。睡魔がそろそろ忍び寄ってくる頃だ。
サングラスをかけ直し、下準備を切り上げる。
「それでは川上さんに恨みを鎮めてもらうわけですが、ちょっと作業場を見せてもらっていいですか?」
「は、はい。どうぞ」
いよいよかと、小沢は緊張した面持ちで立ち上がる。
彼に先導させ、後に続く。
最後の筋書きも出来上がった。
心の中で気合を入れ直す。
(さあ、一芝居始めるとするか……)