第3章 メスを持てない男 1
この間のただ働き以降、どうにもツキに見放されている。
水野江に関しての調査は行き詰まり気味だし、やる気も薄れてきた。
客は旨味のない奴ばっかりだし、その客も滅多に来なくて小銭も稼げない。
寒さが増すにつれてみんな帰宅を急ぐので、稼ぎにくくなるのは仕方のないところか。
今日も待ち構えているが、一向に客が付く気配はない。
店をたたもうかと思った矢先、一人の男が目の前に立った。
「…………」
「…………」
見上げてみると、その男は四十代半ば。
この間の成金趣味とは違った身なりの良さで、上客の予感を醸す。
しかし、黙ったまま突っ立ち、話し掛けてくる素振りも見せない。
まあ、自分から話し掛けるのが苦手な人もいる。一声掛けて様子を見てみるか。
「なにか、悩み事でもありますか?」
「…………」
男はさらに沈黙を続ける。
見下すような視線、空気がさらに凍てつく。
こういう商売をしていれば、変わった客には必ず出くわすものだ。
少し苛立ちながら、同じ質問を繰り返してみる。
「なにか悩み事でも?」
男は相変わらず見下ろしたまま。
しかし、口元に薄ら笑いを浮かべると、やっと口を開いた。
「そこから占ってみせろよ。占い師なら、それぐらい言い当てられるだろ?」
非科学的なものは認めないタイプの人間なのだろう。
酒が入っているようだが、泥酔はしてない。ストレスのはけ口に、困らせてやろうといったところか。よくある絡み方だ。
「言い当てられませんよ。占いじゃ」
「当然だよな。それで金を取ろうっていうんだから、阿漕な商売だな」
「そうじゃありませんよ。私がやるのは占いじゃないって話です」
「今度は屁理屈か? 占いじゃないって言うなら、一体なんだって言うんだ」
「私に未来を見通す力なんてありませんからね。その代わり――」
サングラスを外し、冷ややかな眼で男を見つめ返す。
口元には薄ら笑い。
そしてゆったりとした口調で、自信たっぷりに言葉を突き付ける。
「――あなたの過去を見つめ、進むべき道をご案内致しますよ」
男は正面の椅子に腰掛け、机に腕を載せると、受けて立つとばかりに身を乗り出す。
負けず劣らずの強気な態度。
男も自信たっぷりに言葉を付き返す。
「おもしれえ、やってもらおうじゃねえか。その代わり、俺は一言もしゃべらねえからな」
「ご自由に。ではまず、あなたの過去を見ますので、私の目を見つめてください」
酔っ払いに因縁をつけられた占い師の図。
周囲には人だかり……とはいかないまでも、数人が何事かと足を止めた。
しかし、男が静かに指示に従う姿を確認すると、騒動の収束を物足りなそうに、人々は再び帰途に就いていく。
経過した時間は三十秒ほど。
充分すぎる時間。
充分すぎる記憶の数々。
この男に回答を突き付けるために必要な情報は充分だ。
そんなことを知るはずもない男は、相変わらず薄笑いを浮かべている。
「はい、もう結構です」
「過去とやらは見えたかい? 俺の職業ぐらいはわかるのか?」
もういいと言っているのに、相変わらずこちらを睨み続ける男。
そして、挑発的な言葉と共に開く口。
わかるはずがないという自信が、表情と言葉に表れている。
「医者、外科医ですね……。いや、元外科医と言った方が正しいですかね」
男の目が泳ぐ。
世の占い師が鎌をかけるのによく使う、『人の役に立つ仕事』といった曖昧な答えではない。ズバリ言い当ててやったのだから、動揺も当然。
「ま、まぁ、少し特殊な職業だからな……。顔を知ってただけかもしれねえしな……」
口ごもり具合。そして、その言葉。
職業は正解だったらしい。
だが、男はまだ認めない。
まあ、いいだろう。認めるまで、とことん打ちのめすだけだ。
「あなたは腕前も良く、出世街道に乗り、外科部長までのし上がった。しかし、出世争いでは内科部長に敗れた」
「な、なんであんたが、そんなこと知ってんだよ」
「あなたのことは良く知ってますよ。あなたぐらいにはね。まだ続けますか?」
「…………」
完全に沈黙。
やめろの言葉もない。ということは、続けてもかまわないわけだ。
それならばと、容赦なく傷口を抉ってやる。認めないお前が悪い。
「あなたは、手術の失敗という医療ミスを犯しましたね――」
男は目を大きく見開く。
その表情は険しく、今にも殴り掛かってきそうだ。
「――院長がかばってくれたみたいですが、最終的にはそれが原因で病院を……」
「わかった、わかった。俺が悪かった……。そこまで言われちゃ、認めないわけにいかねえ」
男は今度こそ、過去を言い当てられたことを認めた。
そして、さっきの時点で言葉を止めなかったことを後悔するように、慌てて言葉を遮る。
完全勝利。
だが、記憶を覗き見られるのだから、言い当てて当然。もちろん、優越感も湧き起こりやしない。
しかし、男は完全に打ちのめされたらしい。
最初の勢いは完全にしぼみ、気まずそうに頭を掻く。
「言いがかりをつけて悪かったな。これは迷惑料だ、取っといてくれ」
男は力なく立ち上がる。
ポケットに手を突っ込み、無造作に取り出す一万円札。それを、右手で机の上に軽く叩きつけると、そのまま背を向ける。
しかし、すんなりと帰しはしない。引っ込めかけたその腕を掴み、不敵な笑みを浮かべながら、男を見上げる。
振り返った男はその目を凝視したまま動けなくなっていた、腕を掴まれたまま。
「――でもあなたは、手術の失敗に納得がいってないのでしょう?」