プロローグ ~占わない男
駅前から続く商店街の片隅。
シャッターの下りた店の前に置いた、折り畳み式の小さなテーブル。
黒い布で覆い、その上に灯す怪しげなキャンドル。
粗末な椅子に静かに腰掛け、やや俯き気味に通りを見据え続ける。
夜の闇に溶け込む黒系統の服装に身を包み、ひっそりとたたずむ。
(さて、この街最初の客はどんな奴かな……)
目の前には仕掛けた罠のような、客用の椅子。
そこへフラフラと引き寄せられるように、五十代ぐらいの男が、酒臭い息を吐きながら腰を下ろした。
「わしの会社の海外進出が成功するか、占ってくれんかね」
身に着けている物がことごとく、高価な物だとはっきりわかる。しかも、それを見せつけるように。おしゃれとは真逆の、俗に言う成金趣味。
景気のいい言葉に羽振りの良さそうな振る舞い。
この街に来て最初の客は、上客の予感だ。
「私は占いませんよ」
「おいおい、占い師が占わないってどういう了見だ。わしをバカにしているのか?」
仕事帰りの会社員たちが帰宅を急ぐ商店街に、男の荒げた声が響きわたった。
その声に人々は注目するが、大したことじゃないとわかると、みんな俯いて再び帰途に着く。
占いにしか見えない露天で『占わない』と言われれば、男が憤るのも無理はないだろう。
「私が行うのは占いじゃありません。私に未来を見通す力なんてありませんからね。その代わり、あなたの過去を見つめ、進むべき道をご案内致します」
「御託はいい。それで、上手くいくのかね? いかんのかね?」
「ではまず、あなたの過去を見ますので、私の目を見つめてください」
自分の持つ特殊な力を発揮する、絶好のタイミング。
サングラスを外し、テーブルへと置く。
通りの賑わいとは裏腹に、この場だけが沈黙。
さらに沈黙……。
まだ沈黙……。
この男の記憶が次々と、浮かんでは頭の中に流れ込んでくる。
差し押さえられていく工場の機械を前に、必死に懇願してくる人たち。その目には絶望と哀しみが浮かぶ。しかし、すがるその手を容赦なく振り払う。
中には追い詰められた者もいたらしく、参列したお通夜では怒りと憎しみの目が向けられる。掴みかかる遺族。割って入る付き人。懐から取り出した香典を、恵んでやるかのように放り投げる。
そして、隠された金庫の中には金、金、金。
社長室には美術品が飾られ、食事も贅沢三昧。
夜には、女遊びも盛んな金満生活。
弱者から搾取し、私腹を肥やす典型。
なるほど、これがこの男の生き様か。見事なまでの鬼畜ぶりだ。
三十秒ほどの時が流れ、男が苛立ち始めたところに短い言葉で答えを述べる。
「やめられた方が良いでしょう」
「そうか。まあ、海外進出はリスクが高すぎるかもしれんな……」
「いえ、そういう意味ではありませんよ」
「ん? どういう意味だね」
「社長の座も譲られて、仕事をお辞めになられた方が良いということです」
男は鬼の形相で立ち上がる、腰掛けていた椅子が倒れるほどの勢いで。
そして、間髪入れずに怒りの言葉をぶちまける。
「わしのことを知っての言葉か。貴様はわしに恨みでもあるのか」
「あいにく、この街へは今日来たばかりで、あなたのことなんて存じ上げませんが?」
「『社長を辞めろ』、そう言ったのは貴様だろう。この若造が! 知らずに言える言葉ではなかろう?」
若造か。童顔に見られるらしく、よく言われる言葉だ。
一応成人はしているのだが、二十一歳ではこの男からすれば若造には違いないか。
ずっと見下ろされていたが、こちらもおもむろに立ち上がって体勢を逆転させると、男を見下ろす。そして顔を近づけ、威圧的にゆっくりと理由の説明に入る。
「だから、言ったでしょう? あなたの過去を見ますよ、と。あなたはこれまでに、随分とあくどいことをやってきたようだ」
「な、何を根拠に、そんなふざけたことを……」
「随分と搾り取ってきたんでしょう? それも、一回や二回じゃなさそうですしね。とことんまで追い詰められてしまった人もいたようだ。きっと、恨んでるでしょうね」
「こ、今度は脅迫か。何が今日来たばかりだ、適当なことを言いおって」
「長らく法の目をかいくぐって、充分すぎる貯えもできたでしょう。ですからこれ以上欲張らずに、後は大人しく隠居生活でもした方が身のためってことですよ」
「不愉快だ。訴えてやる」
男は捨て台詞を吐き、背を向ける。
もはや負け犬の遠吠え。
だが、黙って立ち去らせはしない。
「ちょっと、お代がまだですよ」
「ふざけるな! 言い掛かりをつけられて迷惑してるっていうのに、金など払えるか」
「へえ、もっと色々と話しちゃってもいいんですかね。社長室の床下に眠ってるやばい物について、とか……。マスコミが……、いや国税庁あたりが食いついてきそうだなあ」
男は去りかけた足を止め、キッと振り返る。
握り締めた拳は、殴りかかりそうなほど怒りに打ち震えている。怒髪天を衝くというやつか。
だが、もちろん殴り掛かかってはこない。大会社の社長ともあろう者が、こんな人目に付く場所で暴力を振るえば、それだけでせっかくの地位を汚しかねないだろう。
「くそっ、調子に乗るなよ!」
男はさらに負け惜しみ。
負け犬がさらに吠える。
そして懐から、一見してわかるブランド物の分厚い札入れを取り出し、中から札を一枚抜き取ると、わざと丸めて投げつける。
「これは代金だからな。誤解するんじゃないぞ!」
ひと際大きな声で言い訳を吠えると、男は足早にこの場を立ち去る。
やれやれと苦笑いしながら拾い上げる、紙くずのように丸められた札。
額にぶつけられたのはちょっと癇に障ったが、顔をしわくちゃにした福沢諭吉とのご対面に思わず口笛。
この街との相性は文句なし。
なにしろ、初っ端から格好の獲物とご対面。
確実な弱みを掴めば、まとまった金ともご対面できそうだ。
もう声も届かないほどに遠ざかった男の背中に、感謝の言葉を投げる。
「――まいどあり。次回お会いする時をお楽しみに……」