ドラゴンステーキ、ゼブルディア皇城風
運命の日だ、と、ティノは緊張したようにふりふりの制服を握りしめた。
ぴかぴかに整頓された店内に客はいなかった。
それもそのはず、今日は――特別なお客さんがくるので一般のお客さんを入れていないのだ。
ますたぁはカウンターで、大きく欠伸をしながらシルエットを磨いていた。
そのあまりに緊張のない様子に、思わずティノが確認する。
「ますたぁ、本当に……その……大丈夫なんですか?」
「ん? ああ、緊張してもしょうがないだろ? それに僕は、いつも通り料理をするだけだよ」
いつも通り――それは……もしかして、大丈夫ではないのでは?
今日は待ちに待った(?)ハンターズブレイドの取材が来る日だった。
ハンターズブレイドはハンター向け情報誌だ。一般人の中にも、そしてもちろんトレジャーハンターの中にも愛読者が大勢いる。
そして、命懸けの仕事であるハンター向けの情報誌なだけあって、ハンターズブレイドは情報の精度に命をかけていた。
「ますたぁ……もしも、仮にお店が潰れても、気に病まないでください……たとえお店を潰しても、ますたぁが最高のハンターであることに変わりありません」
「ん? ああ、まあ確かに舌に合わない可能性はあるかもなあ……」
逆に……舌に合う可能性はありませんよ?
ハンターズブレイドのグルメ部門の担当者はこれまで古今東西、あらゆる料理を食べ、特に味にうるさいと聞く。
彼らはプロだ、相手が誰であろうと手心を加えたりはしない。
実際に引退したハンターの経営するサバイバル料理のレストランが酷評を受けて潰れた事もある。
ティノも話を聞いたが、サバイバル料理としては悪くなかったらしい。ただレストランで出すようなジャンルではなかっただけで――。
ますたぁは果たしてその味にうるさい記者をどうやって納得させるのだろうか?
ますたぁがカラスは白いと言ったらカラスは白! なティノでも、やばいと思うような料理なのだ。
ババベルゴン料理を食べたヘンリクはあれ以来好き嫌いを言うことなく食事を取るようになったらしい。
だが、ティノの知る限り感謝の言葉はなかった。ヘンリクだけでなく高レベルパーティである《黒金十字》をノックアウトしたのだから当然であった。
「ますたぁ、ちなみに今日のメニューはなんですか?」
恐る恐る尋ねる。もはや何が出てきても驚きはしないが、相手は如何な美食家でも、あくまで一般人だ。
ますたぁ、どうか……どうか、手加減してあげてください。
はらはらしているティノに、ますたぁはにこにこと言った。
「ああ、いいグリーンドラゴンが手に入ったんだ。だから、今日はドラゴンステーキでいこうと思う」
「ドラゴンステーキ!?」
どこから仕入れたのですか、とは聞かない。どうせ最強のパーティメンバーが仕留めてきているに決まっている。
予想外のメニューにティノは思わず目を見開いた。
ドラゴンステーキ。それは、一部の超高レベルハンターにのみ許された美食だ。
一般人が一度は食べてみたいメニューでは間違いなくトップだろう。いや、貴族ですらそう簡単には食べられない。
ドラゴンは希少だし、その血肉は薬として極めて有用だ。その肉を食材にするなど、正気ではない。
もちろん、ドラゴンと一口に言っても種類は膨大だ。ティノは温泉が大好きな温泉ドラゴンという冗談のような種を死闘の末、倒したことがあるが、ドラゴンの種類はティノが倒せるようなものからそれこそ超一流ハンターが準備に時間を掛けて挑むものまで千差万別、肉の質も様々だろう。
「グリーンドラゴンは一般的なドラゴンだ。肉は純粋に良質で癖がなく、滋養強壮に効果がある。僕も食べた事があるけど、品種改良した高級な牛さんと同じくらい美味しい」
それは……高級な牛さんを食べればいいのでは?
疑心暗鬼になっているティノに、ますたぁがシルエットを掲げ、自信満々に言った。
「ナメルゴンを出せないのは残念だけど、ドラゴンステーキもなかなかのものだ」
「ますたぁ…………ドラゴンに謝ってください」
「プラチナペッパーと新鮮なドラゴンのステーキ。この二つの組み合わせに勝てるものなんていないよ。貴族でも味わった事ないはずだ」
そりゃ……高級な牛さんと同じくらいの味ならば、貴族は牛さんを出すだろう。何しろドラゴンは狩るのが本当に大変だ。ハンターの中にもドラゴンを狩れる者なんて限られている。
その中の一人は間違いなくこの眼の前にいるますたぁだが、しかしそれにしたって、《
そして、ますたぁは影のない笑顔で言った。
「ティノも食べたことないでしょ? 先に味見させてあげるよ。従業員特権だ!」
「ッ…………うぅ…………は、はい。味見、させてください……」
断れない。断れるわけがない。ティノは後輩ハンターである。後輩ハンターは大恩ある先輩ハンターには絶対服従なのだ。
ますたぁは包丁――シルエットを構えると、ハードボイルドな笑みを浮かべる。
その自信満々の笑みは――まるで、プロの料理人だ。格好は柄物シャツだが。
「そうだろう、そうだろうとも。僕が本当のステーキを見せてあげるよ。ドラゴンステーキはじっくり焼くのが重要なんだ」
「ますたぁ……」
包丁でステーキは焼けませんよ……。
死んだ目のティノを置いて、ますたぁはスキップしながら厨房に入っていった。
§ § §
またこの手の仕事か、と、ハンターズブレイドに所属するグルメ専門記者、ガストルはため息をついた。
帝都ゼブルディアには各地からあらゆる物が集まる。
娯楽品、武器防具、宝具にそして――食材。ガストルはグルメ記者として帝都に集まるあらゆる物を食してきた。
貴族が通うような高級レストランから、東洋で修業した料理人が始めた料亭、元トレジャーハンターが作るゲテモノ料理まで、今では食べたことがないものが思い浮かばないくらいだ。
幸運にも重傷を負うことなく引退にまで至ったハンターは金を持っている。これまで培った技術やコネを元にレストランを始める者は少なくない。
だが、ガストルに言わせればあまりにも甘えた考えだ。
どれだけのマナ・マテリアルを吸収していても所詮戦士は戦士、それと同じ年月を料理に捧げたプロの料理人には敵わない。
これまで雑誌の取材で引退したハンターが始めたレストランには何度も行ったが、そのどれもが――言語道断だった。
確かに、食べられないものではない。食べられなくはないが、お世辞にも美味とは言えない。レストランで出すようなものではない。
そもそもトレジャーハンターの舌は大雑把なのだ。彼らはその辺に生えている草を鍋で煮込んで美味しく食べられる種族である。
真偽は定かではないが過酷な地で生存のためにあらゆる物を食べてきたからなどと言われている。
ガストルからすれば信じられない話だ。
食こそ、ガストルの人生。栄光のためとはいえ、そのために人生をどぶに捨てるなど、ガストルの価値観から大きく外れている。
今回取材する喫茶店はゼブルディアでも高名なレベル8ハンター、《千変万化》が作ったものだと言う。
だが、相手が誰であろうとガストルの舌は公平だ。
いくらトレジャーハンターとして優秀でも、料理人としては別の話――ハンターズブレイドはあまり表立ってハンターと敵対したくはないようだが、ガストルにもプライドがある。
既に喫茶店が開店してから数日たつが、味についての噂は全く流れていなかった。
味がそれなりによければ噂が流れてもおかしくはないので、つまりそういう事だろう。
確かにハンターズブレイドで評判になれば客も増えるだろう。だが、それは順序が逆なのだ。
客が増えるだけの味があるからこそ、誌面での評価も高くなる。雑誌が下す評価は公明正大だ。
味以外の理由で評価が向上するなど、ありえない。
噂の喫茶店――『森羅万象』の前までやってくる。
名前からして仰々しいが、喫茶店の見た目は至って普通だった。至って普通の洒落たレストランだ。強いて言うのならば立地が帝都の一等地だという事だけが特別だろうか。
帝都の地価は高い。一等地ともなれば、相当評判にならなくては収益がコストを上回る事はない。
ハンターは金遣いが荒い傾向にあるが、最年少でレベル8にまで至った男がそんな簡単な事がわからないわけがない。
ガストルは顎に触れ、目を鋭く細めた。
「なるほどな……どうやら、相当腕前に自信があるようだ」
少なくとも、ちょっと趣味でやろうといった感じではない。
意を決して、中に踏み入る。扉を開けると、涼しげな鈴の音が鳴った。
事前に話を通しておいたおかげで、客はいない。店内を見回し、ガストルは目を見開いた。
店内は広く空調が効いていた。洒落たカウンターに、テーブルに椅子。天上からは豪華すぎないシャンデリアが下がり、ドリンクバーが並んでいる。
一見普通の喫茶店に見えるが、これまで様々な店を訪れてきたガストルの目には調度の一つ一つが洗練されたものである事がわかった。
テーブルの一つから椅子の一つに至るまで、何もかもがオーダーメイドの高級品。カウンターの奥の棚に並んだ酒類もまた、一つ一つが目が飛び出るような値段で取引されている代物である。
高級レストランでもここまで取り揃えている所はそうそうないだろう。せいぜいが目の肥えた貴族専用の店くらいだろうか。
一般人では気付けないであろう箇所まで手が込んでいるのは店主のこだわりの証だ。まだ味を見ていないガストルも、さすがに内装だけならば高得点をつけざるを得ない。
「い、いらっしゃいませ」
「……事前に連絡していた、ハンターズブレイドの、ガストルです、本日は宜しくお願いします」
減点だ。声を掛けてきたひらひらの制服を着た少女に、ガストルは口に出さず内心で呟く。
スカートにフリルのついた制服は可愛らしい。生地や縫製を見るに制服も高級品のようだし、少女自身も顔こそ強張っているが、美少女だ。
だが、この喫茶店には合っていない。
ここまで取り揃えたのならば、余計なものはいらない。
短めのスカートから伸びた靭やかな脚。首から肩まで白い肌が眩しい。
だが、可愛らしいウエイトレスは客寄せにはなるが、味で勝負するのならば控えるべきだ。
顔がこわばっているのは、今日の評価がこの店の進展に関わるから、か。
案内されて席につく。そこで、厨房の奥から男が出てきた。
その姿に、ガストルは眉をしかめるでも感嘆するでもなく、ただ呆然とした。
「いらっしゃい。今日はいいドラゴンが入っている」
「むぅ……」
「僕は《千変万化》、この店の店主兼――シェフだ」
柄物のシャツにやる気のない顔立ち。ただし、その表情にはこれまでガストルが相対してきた料理人にはなかった強い自信が見えた。
ありえない。シェフならばシェフ足り得る格好がある。白いエプロンを着るべきだし、衛生的に考えて帽子をかぶるべきだ。
だが、そんな事はとても指摘できなかった。
初めてガストルの頬に冷や汗が流れ落ちる。
シェフは一見シェフには見えなかった。長く料理に携わってきた者にはそれなりの立ち振舞というものがある。
そういう意味で、目の前の男がシェフとしてこれまでの人生を歩んでこなかったのは間違いない。
だが、ガストルが注目していたのは、その右手に握られた金色の包丁だった。
吸い込まれるような輝きを持つ金色の包丁。
料理人で知らぬ者はいないであろう、伝説の料理道具。ぞくりと冷たい何かが背筋を駆け上る。
「シルエット、だと!?」
「ふーん、これを知っているのか」
思わず敬語も忘れるガストルに、店主が包丁を持ち上げる。
「あ、ああ。いえ、本物を見るのは――初めてですが」
天包丁シルエット。見るのは初めてだが、尋常ではない輝きは一目で、ガストルにそれが本物だという事を確信させた。
金色の包丁はかつて国を傾けた料理人の使っていた伝説の包丁だ。
大貴族のお抱えシェフでも持たないそれを、こんな喫茶店の店主が持っているとは――。
いや、違う。
持っている事は問題ではない。問題なのは――シルエットを使えているという事だ。
「この包丁を知っているとは……どうやら、僕も今日は本気を出せそうだ」
《千変万化》が不敵に笑い、傍らのウエイトレスの少女が表情に畏れを浮かべる。
シルエットは選ばれた料理人にしか使えない道具だ。これまで、数々の天才と呼ばれた料理人が手に取り、扱えなかったいわくつきの道具だ。
その包丁を使えるのは包丁一本で国を傾けたかの伝説の料理人に匹敵する腕前の持ち主だけである。
必要なのは自身の料理に対する絶対の自信。
様々な料理を食べてきたガストルをして、その包丁で生み出された料理を食べたことはない。
店主が静かに予言する。
「今日は――グリーンドラゴンとプラチナペッパーを用意している。ガストルさんは今日、これまでの人生で見たことのない料理との邂逅を果たすだろう」
「ッ……」
言い返せない。これまであらゆる料理を食べてきたという自負が揺らぐのが感じる。
ありえない。たとえ伝説の包丁を使ったとしても、これまでガストルが見たことのない料理など存在しないはずなのに――その不敵な笑みが反論を出させない。
これまでガストルは評価する側だった。その舌と容赦ない酷評でハンター達に怖れられてきた。
だが、今、逆にガストルは料理が出てさえもいないのに、気圧されている。そして、その事を理解しつつも、何もできない。
「時間はかけないよ。天包丁シルエットは――時をも超越する」
シェフが軽やかな足取りで店の奥に消える。ガストルは荒く息を吐いた。
まだ料理を一口も食べていないのに、酷い疲労感を感じた。手が汗でびっしょり塗れていた。
ウエイトレスの少女が継いでくれた水を一気飲みする。水もまた帝都でもなかなかお目にかかれない名水のようだったが、評価するような余裕はない。
これからガストルは伝説と相対するのだ。
息を殺し店の奥――厨房に意識を集中させるガストルの耳に、小さな音が聞こえた。
――――とん。
厨房の扉が開く。
「完成だ……」
「ッ…………まさか、とんとんとんも、いらないんですかッ!?」
まさしく一瞬としか言いようがない調理時間。ウエイトレスが小さな声をあげ、愕然と目を見開く。
店主が持ってきたのは大皿だった。大きな銀のクローシュが被せられているため、中は見えない。
一瞬で料理をするなど、ありえない。本来の料理とは繊細な手順の連続だ。
だが、店主の表情は至って真面目だった。よほど自信があるのだろうか。
大きな皿がガストルの目の前に置かれる。
店主は先程、グリーンドラゴンとプラチナペッパーといった。どちらも言わずと知れた超高級食材である。
両方を適当に組み合わせただけで極上の品が出来上がる事は約束されたようなものだが、果たしてこのシルエットの担い手は何を作ったのか――。
息を呑むガストルの前で、覆いが取り払われる。
「今日のメニューは――ドラゴンステーキ、ゼブルディア皇城風、だ」
「な――」
そして、ガストルの頭の中が真っ白になった。
大皿の上に乗っていたのは――ゼブルディア皇城だった。
大国ゼブルディア帝国の権威を示す、荘厳な城だ。
五本存在する尖塔から有史以来破られたことのない堅牢な門、それを守る騎士まで完全に再現している。
その料理は――小さな城だった。
城のような料理ではなく、城だった。
風とかではなく、完全に城だった。城以外の何物でもない。
驚愕のあまり呼吸すら忘れるガストルに、店主が汗一つ流さず、泰然と言う。
「シルエットの生み出す皿は世界を現す」
「ッ…………はぁ、はぁ……あぁ……」
今まで見たことのない料理。間違いなかった。
皿の上に城が乗っている。あらゆるレシピを識り、見ただけで使われた食材を言い当てるガストルをして、どうやって包丁でこのような城を生み出したのか想像すらつかない。
グリーンドラゴンはどの部分に使ったのだろうか? この石畳のあたりだろうか?
これが――伝説。
もしも朝のガストルに、今日の味見は城が出るなどといっても鼻で笑っていただろう。この料理はそれくらい常識から乖離している。
それでもプライドだけで備え付けられたフォークとナイフを持つ。
このようなちっぽけなナイフでこの堅牢な門を破れるのだろうか?
この騎士達が襲いかかってこないだろうか?
自然と口から出た声は助けを求めるような響きを持っていた。
「ど、どうやって、食べたら良い?」
「好きなようにどうぞ。シルエットの前に、作法なんて――意味をなさない」
「ッ…………」
震える手でナイフを城門の上に当てる。
力を入れると、ナイフは堅牢な城門をあっさりと切り裂いた。
やはり……食べ物なのだろう。これは、精巧なレプリカなどではなく料理なのだろう。
だが、料理じゃない方がまだ救いがあった。これがただの冗談だったら、どれだけよかったか――。
店主の自信ありげな目。ウエイトレスがぎゅっと手を握り、固唾を呑んでガストルを見ている。
匂いは――ない。
そして、ガストルはゆっくりと切り分けた城門を口に含んだ。
「…………きゅう」
§ § §
今日のキルスコア:2
※ガストルとティノ(味見)。
今日の教訓。
どれほど舌が肥えていてもゼブルディア皇城は食べられない。