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とりあえずババベルゴン

 喫茶店『森羅万象』、開店から二日目。

 外では昨日の嵐程ではないが、しとしとと雨が降っている。薄暗い店内には緊迫した空気が漂っていた。


 洒落たカウンターの奥。いつも通り柄物のシャツを着たますたぁが、腕を組みしみじみと言う。


「本当に美味しいものを食べるとね、何も言えなくなるものなんだ。僕も経験がある」


「そ、そうですね……」


 でもますたぁ……ますたぁのお客さんが何も言えないのは、そんな理由ではないと思います。


 森羅万象は盛況だ。雨にも拘らず、店内に設置された席にはレベル8が開店した喫茶店という情報を聞きつけ一早くやってきた物好きハンター達で埋まっている。


 そして、全員が『とんとんとん』の餌食になっていた。



「きゅう」

「きゅう」

「きゅう」

「きゅう」

「きゅー……」



 五連鎖だ。どうやらますたぁの料理はレベルや性別、年齢や嗜好など関係ないらしい。

 ますたぁの出した食べ物を一口食べた者はもれなく小さく悲鳴を上げ、凍りついてしまう。


 どうしてパスタやコーヒーやケーキで人の意識を刈り取れるのだろうか?


 阿鼻叫喚すら起こらない静かな店内で、可愛らしいふりふりの制服を着たティノは死んだ目で店内を見ていた。


 未だティノはますたぁの料理が完食されたところを目にしていない。





§ § §





「気を失ったお客さんを捨て…………置いておくスペースが必要ですね」


 店が終わり、顔を出して結果を見たシトリーお姉さまが眉を顰めて言う。


 喫茶店ってそういうものだったっけ……?


 脳裏に過ぎったそんな疑問を、ティノは首を横に振って追い払った。

 ティノは後輩ハンターである。そして、トレジャーハンターは上下関係に厳しい。後輩ハンターは先輩ハンターに従うものだ。その相手が大恩あるますたぁともなれば疑問を挟む余地すらない。


 カウンターの裏で椅子に腰を下ろしたますたぁがのんきに苦笑いしていた。


「なんか人がいっぱい来て疲れたよ」


「三分でじっくりことこと煮込んだビーフシチューを作るくせに、何言ってるんですか、あなたは!」


 ファストフードでもこんなに早く料理出ませんよ!?


 思わずシトリーお姉さまの前でますたぁにつっこみをいれてしまったが、さすがの天才錬金術師でもシェフますたぁの擁護はできないのか、シトリーお姉さまはティノを窘めなかった。


 しかも! 鍋を! 使っている! 様子が! ないのだ!


 洗い物はいつもお皿だけである。

 客がいくら来てもどんなメニューが来ても一瞬で捌いてみせるますたぁはまさしく天才料理人だ。食材だけでなくお客さんまで裁いてしまうところが、色々と尋常ではない。


 そして自分の料理を食べた客の反応を見てもにこにこしている辺り、ティノとは潜ってきた修羅場が違うのがわかる。


 あのお客さんが何か悪いことをしたって言うんですか、ますたぁ……。


「お客さんが多すぎて困るってのも贅沢な話だな」


 大丈夫ですますたぁ。すぐに人が来なくなりますから。


 ハンターは危険に敏い。今は開店当初だから人も多いが、森羅万象がやばい店だという事はすぐに知れ渡るはずだ。


「評判はサクラを雇ってでもなんとかします……でも……うーん……」


 これまでどんな時でも泰然としていたシトリーお姉さまが困りきっていた。

 トレジャーハンターの情報リテラシーはかなりのものだ。ハンターはいつも大なり小なり虚偽情報と戦っている。サクラ程度で誤魔化せるのは素人だけだ。


 ますたぁ、無理です。いくら私がフリルのついた格好で笑顔を振り撒いてもこんな店にお客さんは来ません。


 ティノだって、もしもますたぁがいなければ……こんな所に来ていない。


 ますたぁはしばらく唸っていたが、小さくぽんと手を打った。


「……朝から起きたくないし、お客さんの数を絞るか」


「!?」


「余り沢山注文がきても、プラチナペッパーが切れちゃうからな……」


 とてもやる気のない言葉だ。料理人失格では?


 そんな言葉がティノの脳裏に浮かぶが、首を横に振って振り払う。


 全てブラフだ。レベル8で文武両道、頭脳明晰で誰にでも優しい『ますたぁ』がそんな適当な事を本当に考えているわけがないではないか。

 言葉の裏にある意図はわからないが、いつものように、何かこう重要な理由があるに違いない。


 ティノではさっぱりわからないが!


「行列のできる隠れ家的名店なんてやっぱりないよね……よし、客は十組限定だ。余った食材は勿体ないし、どこか別のレストランに売ろう」


 ますたぁ、お客さん十組で利益は出せないのでは? 土地代とかもありますし……。


 もはや完全に商売をする気がなさそうなますたぁに、シトリーお姉さまは花開くような笑みを浮かべた。


「それは……素晴らしい考えです、クライさん! 食材の売却については私にお任せください!」


 どうやらシトリーお姉さまは少しでも赤字を補填できるのが嬉しいようだ。


 そもそも喫茶店なんて作らなきゃいいのに……シトリーお姉さま、そういうところですよ?


「客を減らせば延命にもなります。一石二鳥ですね!」


「命を延ばす料理…………格好良くていいね」


 話が……噛み合っていない。そしてますたぁ、貴方の料理を食べない事が延命ですよ……。

 幸いなのは完食できないのでお腹を壊さずに済んでいる事だろうか。


 きっとますたぁのメニューは肉体ではなく精神の修行なのだろう。

 トレジャーハンターはどちらかというと肉体よりも精神面での修練が足りていないと言われているから、軟弱なハンターたちに鉄槌を下すつもりなのだ。


 しかし帝都でも屈指のハンターであるシトリーお姉さまが気絶するレベルの精神修行って…………無理です、ますたぁ。


「そうと決まれば……工作しましょう。物珍しさを出した方がお客さんを呼べます!」


 シトリーお姉さまはもう完全にますたぁを甘やかすつもりだった。偉い費用がかかっているはずなのに、何か弱みでも握られているかのような尽くしようだ。

 儲けるつもりならば副料理長のシトリーお姉さまが包丁を握ったほうが絶対にいい、


 と、そこでふとティノは気になり、現実逃避をしているシトリーお姉さまに尋ねた。


「そういえば、シトリーお姉様はシルエットを使えるのですか?」


「え……? いや……」


 シトリーお姉さまの作った森羅万象ランチはティノがこれまで食した料理の中でもトップクラスに美味しかった。

 何事もそつなくこなす人だ、きっと努力しているのだろう。プラチナペッパーを使っているのかも知れないが、並の店では味わえない天上の美味だ。


「私の料理なんてまだまだですし……クライさん程の腕前がないと」


 確かに、ますたぁの料理の腕前は凄まじい。あれは悪意がなければ絶対にできあがらない料理だ。

 だが、美味しさという意味ではシトリーお姉さまに軍配が上がる。というか、ますたぁの料理はマイナスだから、何倍してもシトリーお姉さまの料理には敵わない。


 …………どうしてシトリーお姉さまでも使えないシルエットがますたぁに使えるのだろうか?





「そうだ、まかないを作るよ。お腹すいただろ? シトリーも食べてって」




 止める間もなくますたぁが厨房に消える。


 なるほど……まかない。まかない、か。それは予想外だった。

 どうやらバイトをしようがしまいがティノはますたぁに料理をご馳走される運命だったらしい。


 わかってる。わかってました、ますたぁ。この運命、このティノ・シェイド、既に受け入れています。



「ごめんなさい、私はこれから食材の売却先を見つけなきゃいけないから――」



 シトリーお姉さまがにこにこと頭をさげ、店内から出ていこうとする。ティノは素早くその腕を掴んだ。



「逃しませんよ、シトリーお姉さま。大丈夫です、ますたぁの料理は五分もかかりません。食材を出す必要すらないかもしれない。………………まな板で、カレーを作りますから」



 達観した気分で眼差しを向けるティノに、シトリーお姉さまの笑みが引きつっていた。

 そもそも、シトリーお姉さまは被害者ではなく元凶である。逃してなるものか。




 シトリーお姉さまは今から――ティノと一緒にきゅうと鳴くのだ。






§ § §





 喫茶店の開店時間。

 ちりんとベルが鳴り、今日の犠牲者がやってくる。


 謝罪を込め、精一杯の愛想を振りまき、声をあげる。


「いらっしゃいませ!」


「おう。来てやったぞ、クライ!」


 入って来たのは、見知った一団だった。思わず目を見開く。

 先頭に立って気安い声をあげたのは鍛え上げられた肉体をした長身の男。ゼブルディアでも名の知られた射手(アーチャー)、レベル6のハンターでもある、《嵐撃》のスヴェン・アンガー。

 後ろからはそのスヴェン率いるパーティである《黒金十字》のメンバー達がぞろぞろと続く。


 《黒金十字》はティノが所属しているクラン、《始まりの足跡》の構成パーティの一つだ。面識もあるし、顔を合わせれば会話を交わす程度の仲だ。


 今日はオフなのだろう、《黒金十字》のメンバー達はそのパーティ名の由来ともなる黒金色の装備をつけていなかった。

 常在戦場の心得を持つ歴戦のハンターでもまさか喫茶店で死が待つとは思っていないのだろう。そもそも、鎧などつけていても無駄だということもある。


 スヴェンは店内を見回すと朗らかに笑う。


「お、なかなか洒落た喫茶店じゃねえか。こんな一等地に店を作るなんて、何考えてるのか知らないが、さすが手込んでんな」


「ティノ、何その制服? 可愛い!」


 《黒金十字》の魔導師であるマリエッタがティノの服装に歓声をあげる。

 トレジャーハンターたるもの、服装は見た目より性能重視だ。フリルのついた可愛らしい服を着る機会などそうはない。どうやら客寄せの役割は果たせているのか、そのパーティメンバーも感心したような見惚れたような目でティノを見ている。


 スヴェンの声を聞きつけ、厨房の方からますたぁが出てきた。


「ああ、スヴェン、来てくれたのか。ありがとう! ラッキーだったね、今日はいいババベルゴンが入ってるんだ」


「ババ……? あ、ああ。しかしクライ、お前料理出来たんだな。喫茶店開くって聞いた時には、驚いたぞ」


「ふ。これでもなかなかの腕だと自負しているよ」


 ますたぁがさり気ない動作で包丁を見せた。

 シルエットの放つ吸い込まれるような輝きに《黒金十字》のメンバーが息を呑む。その輝く包丁は天上の味を保証してくれるように見える。


 持っている包丁と料理長の実力は――無関係だというのに。


「期待できそうだな」


「なんかリクエストとかある?」


 ますたぁが見惚れるような笑みで尋ねる。罠だ。普段なら騙されるところだが、今のティノにはわかる。

 完全にますたぁはスヴェン達を殺そうとしていた。ティノも最初はそうやって地獄に落とされたのだ。


「ああ、いや……そうだなぁ……」


 ますたぁの言葉に、スヴェンはしばらく眉を顰め考え込んでいたが、意を決したように答えた。


「実はうちのヘンリクが偏食気味でな……今は良くてもいずれ絶対に困るから治そうとしてたんだ。なんかいい料理とかねえか?」


「ふーむ、偏食か……ちなみに何が嫌いなの? まぁ何が嫌いでもババベルゴン使うけど」


 ますたぁ、貴方の料理は……好き嫌いとか関係ありません。




§




 今日のキルスコア:6(+2)

 ※《黒金十字》とシトリーお姉さまとティノ。


 今日の教訓。

 ババベルゴンと比べればあらゆる食材は美味。

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