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森羅万象ランチ、嵐を添えて

 運命の日。窓の外は過酷な環境の中、幾度となく宝物殿に挑んだティノをして目を覆うほどの嵐だった。

 滝のようにという形容が相応しいすさまじい勢いで窓に叩きつけられる雨粒に窓に映るティノの表情もどこか暗い。


「天気予報は晴れだったはずなのに……」


 まるで神がその門出を呪っているようだ、と、ティノは思った。


 今日はますたぁの作ったレベル8の喫茶店、『森羅万象』が開店する記念すべき日だ。


 お客さんも大勢来るはずだった。何しろ、その喫茶店は一等地にあったし、見た目がオシャレだ。料理の外見も一流であり、レベル8の人脈から成る広報活動により広く存在が知れ渡っている。


 そして何より――最初に来る人はレベル8の腕前から繰り出される名状しがたいその味を知らない。


 と、そこでティノは大きく深呼吸をして覚悟を決めた。


 嵐なのは不幸中の幸いである。これほどの荒れ模様なら喫茶店を訪れる人も少ないだろう。


 それはつまり、『森羅万象』の寿命が伸びる事を意味している。


 だが、その分ティノがご馳走になってしまうことになるだろう。

 差し迫る悲劇の運命をこれまでの過酷な探索で培った強靭な精神力で受け入れる。


 今日は――今日こそは、ますたぁの料理を全て食べるのだ。


 これまで、開店準備中に何度もそのメニューをご馳走になったティノだが、完食できた事は一度もなかった。

 その味は記憶にすら残っていない。記憶に残っていないから、まずいとも言えない。


 ティノの舌は強力だ。未知なる世界を旅し、時にその辺の草をむしって食べる事もあるティノの舌の味の許容範囲はかなり広い。

 事実、ますたぁの手料理を初めて口にする日までは、まさか自分が毒などではなく味で気絶するような事があるとは思っていなかった。

 一体何を食材にすればあんな謎料理が出来上がるのか、トレジャーハンター失格な話だが……知りたくない。


 だが、行かないわけにはいかなかった。

 嵐の中わざわざますたぁの料理を食べに行くなんて拷問以外の何者でもないが、それがますたぁに大恩あるハンターとしてのあるべき姿なのだ。



 ティノはもう何度目かになる覚悟を決めると、暗い空の下、大嵐の中、駆け出した。



 ずぶ濡れでやってきたらますたぁも手を抜いてくれないだろうか?





§





 ひどい雨のせいか、いつも賑わっている大通りにはほとんど人通りがなかった。



 トレジャーハンターは頑丈だが、同時にいつも命がかかっているだけあって無理はしない。

 雨天時は全てお休みにして街に引き篭もるのが基本だ。ましてや傘が役に立たなくなるレベルの豪雨である。ずぶ濡れで通りを駆ける者などティノくらいしかいない。


 通りの店もほとんどが閉まっている。分厚い雲のせいか、世界はまるで深夜のように暗い。黒雲の隙間に断続的に瞬く雷光は世界の終わりを想起させる。



 そんな中、まるで唯一の希望のように灯りのついている店が一つ。



 喫茶店『森羅万象』。

 嵐などものともしないどころか嵐を自在に操る事すら可能な最強のレベル8の運営するお店。 


 灯りが見えた瞬間、ティノは涙を流した。



 やっぱり嵐でも開けるんですね、ますたぁ。どうせお客さんなんて来ないですよ、やめましょう。



 扉の外から店内を窺う。予想通り、店内には人がいなかった。


 これは喫茶店として破綻しているから客がいないからではなく、まさか、こんな大雨の日に予定通り喫茶店を開くとは誰も思っていないからだろう。


 ティノが扉を開ける前に、扉が開いた。ふらつくティノの手が強く引かれる。


 ぽたぽたと水滴がピカピカの床を汚す。だが、そんな事も構わず、柄物のシャツを着たますたぁが言った。


「ティノ!? そんな傘もささずずぶ濡れで……早く入って、風邪引くよ!」


「ご、ごめんなさい、ますたぁ……一刻も、一刻も早く来ないとって、思って――」


「嬉しいけど、タイミングくらい選ばないと――ほら、すぐ温かいものを作るから――着替えて」


 ずぶ濡れのティノに乾いたバスタオルが被せられる。

 頭をがしがし拭かれる喜びも忘れ、ティノは目を白黒させた。




 温かい……もの? ますたぁ……気持ちは嬉しいですが、それは嫌がらせです。




§





 店内は暖かかった。設備だけならば一流だ。冷暖房を即座に切り替えられる店はそうそうない。

 休憩室にはシャワーまで完備されていた。お言葉に甘えてシャワーを浴び着替えを終え、店内に案内される。


「いやぁ、嵐が来た時はお客さん来ないかもと、心配だったんだけどね……ティノが来てくれてよかったよ」


「ますたぁ、私はお客さんではありません」


「これがうちの新メニュー……森羅万象ランチだッ!」


「!?」


 ますたぁが持ってきたのはいかにも洒落た銀のプレートだった。


 分厚いハンバーグにポテトを始めとした付け合わせ。

 焼き立てのパンに、色鮮やかなサラダ。そしてスープ。


 吐かないように何も食べてこなかったティノのお腹が小さくなる。


 見た目はちょっと豪華なランチプレートに見える。とても美味しそうだ。

 ティノはフォークを取ると、ごくりと息を呑み込み、存在感を放っているハンバーグをつついた。


「日替わりで変えるつもりなんだ。今日はハンバーグ!」


「なる、ほど……内容を変える事で、前回はダメだったけど今回は大丈夫かもしれないと思わせる作戦なんですね……ますたぁ……」


 さすが神算鬼謀と怖れられたますたぁだ。もっとも、ティノにはその程度の策で評判を挽回できるとは思えないが……。


 美味しそうだ。確かに、美味しそうだ。だが、これまでティノが食べてきたものだって皆、見た目は完璧だったのだ。


 傾国の調理器具。天包丁シルエットはますたぁの名状しがたい料理に完璧な見た目を与える。

 ティノは意を決して確認した。


「ますたぁ…………ところで……このランチは、何の食材を使ったのですか?」


「んー……? …………わかんない」


 何故! どうして、わからないんですか! ますたぁが冷蔵庫から食材を取り出しまな板の上で切ったんじゃないんですか!?


 フライパンを使ったかどうか、鍋を使ったかどうかはわからないですが、少なくともこうして完璧な料理が出てきた以上、包丁は使っているはずでしょう! 何でわかんないんですか! ますたぁ!!!!


 ティノは悲鳴のように上げかけた抗議をぎりぎりで飲み込んだ。


 震える手でナイフを使い、ハンバーグを切り分ける。

 溢れ出る肉汁の正体は一体何なのか? ティノはしっかりと覚悟を決めると、恐る恐るそれを口に運んだ。



「…………」



 気がついたら、ティノはぽろぽろと涙を流していた。ますたぁが目を見開く。



「どうしたの? ティノ!」


「…………おいじい、でず……」



 信じられない事に、そのハンバーグはちゃんと肉の味がした。


 全力で走った時のように心臓が凄い勢いで鳴っている。

 舌が震える。脳が味の処理をしてくれない。だがそれでも、そのハンバーグが美味しいのだと、ティノは確信していた。


 ますたぁが喫茶店を志してからのティノの食生活は酷いものだった。

 ますたぁの料理は言わずもがな、ティノは普段の食事のランクを大きく落としていた。ますたぁの料理を少しでも多く食べるために、舌を慣れさせるために、あえて美味しくない料理を作って食べていたのだ。だが、どれだけ適当に料理しても、ティノの腕前ではとてもますたぁには遠く及ばなかった。


 ぽろぽろと溢れる涙を、ティノは止められなかった。

 これが、これこそが料理だ。これと比べたら、道端の草よりも美味しくないますたぁの料理は何だったのだろうか?


 想像と現実のギャップ。感動に声が出ない。咀嚼し飲み込むまでの一瞬がまるで数分にも感じられる。


 これは――流行る。

 今ティノが声をあげられない程感動してしまったのはこれまで苺を使わない苺ショートだとかナメルゴンだとかまな板のカレーだとかろくでもないものを食べさせられていたからだろう。


 だが、それを抜きにしても――。


「そ、そんなに喜んで貰ってよかったよ」


「うぅ…‥おいじい、おいじいでず、まずだぁ…‥」


 涙を流しながら何がなんだかわからないうちに森羅万象ランチを食べ終える。


 まさしくこれは森羅万象だ。たった一枚のプレートにこの世の全てが詰まっている。

 レタスはレタスの味がして、パンはパンの味がした。見た目と味があっている事がどれほどの喜びになるのか、ティノは生まれて初めて知った。


 ……今までの料理は一体なんだったんですか、ますたぁ?


「ごちそう……さまでした……」


「そんなに? 泣くほど美味しかった?」


「は、はい。これまでのますたぁの料理が草だとしたら――」


 …………。


 草だとするなど、草に失礼だ。かといって石とかにしたら今度は石に失礼である。

 どう答えたものか――そこまで考えたところで、ふとティノは今聞こえた声がますたぁのものではない事に気づいた。


 顔を上げる。息を呑んだ。


 いつの間に来ていたのだろうか。ますたぁの隣に立っていたのは――シトリーお姉様だった。



 肩の所で切りそろえられたピンクブロンドの髪に、吸い込まれるような桃色の瞳。

 少しだけ垂れた目尻はどこか穏やかな印象を抱かせるが、その目の奥には危うげに燃える炎が見え隠れしている。


 錬金術師。シトリー・スマート。

 ティノの師匠であるリィズ・スマートの妹にして、ますたぁのパーティメンバーの一人。そしてこの喫茶店の資金源でもある。


 ただし、その格好はローブではない。

 豊かな双丘が折り目のついた白いシャツとエプロンを押し上げている。靭やかな指先が合わせられ、にこにことその目がティノを見ていた。

 その服装からシトリーお姉様がこれまでどこにいて何をやっていたのかは一目瞭然だった。


 これまでティノが森羅万象に来た時、ますたぁ以外の姿は一度も見なかった。

 思わず固まるティノに、ますたぁがニコニコ言う。


「今日の料理は副料理長(スーシェフ)のシトリーにやってもらったんだ。どうしてもやりたいって言うからさ」


「ごめんなさい。開店記念なのはわかりますが――最初から飛ばしすぎるのもどうかと思ったので」


 にこにこ微笑む副料理長(スーシェフ)

 だが、その目の奥の光はまるで獲物を狙う獣のような剣呑なものだ。


「え……え? ます、たぁ? 料理、してない? え?」


 なんで、しぇふのほうが、おいしくないの?


 てぃの……もうわかんない。



「で? これまでのますたぁの料理が草だとしたら、何……?」


「…………」


 シトリーお姉様が尋ねてくる。完全に確信犯だった。


 多忙を極める錬金術師であるシトリーがやってきた理由など一つしかないだろう。開店からの悪評を防ぐためだ。そのために、自分が厨房に立ったのだ。

 そもそもポーションを調合する錬金術師の仕事は料理にかなり近い。美味しいのも納得であった。



 ティノはフォークを置くと、シトリーお姉様をきっと睨みつけた。



「シトリーお姉様…………焼け石に水ですッ!!」


 シトリーが薄く笑う。だが、その眼は笑っていない。


「大丈夫、トレジャーハンター専用の喫茶店にするから」


 何が大丈夫なのだろうか? 確かに、一般人に食べさせるにはますたぁの料理はきつすぎる。

 だが、トレジャーハンター専用の喫茶店にするというのは根本的な解決になっていない。


 ティノは手持ち無沙汰げにナイフを握ると、シトリーお姉様をきっと睨みつけた。


「シトリーお姉様…………トレジャーハンターでも死にますッ!!」


「…………ティーちゃん…………稼ぐには色々な方法があるのよ」


「あのプラチナペッパーが効かないんですよ!?」


 悲鳴のような声をあげるティノ。だが、シトリーお姉様の表情には強い覚悟があった。


 ますたぁと一緒に死ぬつもりだ。そんな顔するならさっさと止めてください。


 自然な足運びだった。シトリーお姉様がさっと後ろに回りティノの退路を断つ。

 そして、耳元で囁いた。



「ティーちゃん……可愛いふりふりの服で愛想を振りまいて給仕するのと、裸みたいな服で給仕するの、どっちがいい?」


「!? な、何言ってるんですか!?」


「大丈夫、味なんて多少悪くてもティーちゃんみたいな可愛い女の子がいれば、なんとかなるから。クライさんの力になりたいでしょ?」


 それは、喫茶店じゃないのでは!?


 シトリーの手がティノの肩を掴む。その口調には躊躇いがなかった。

 用意周到なシトリーお姉様のことだ、間違いなく、服も二種類用意しているのだろう。

 それにお客さんにならなければますたぁの料理を食べずに済むはずだ。悪い事だけではない。


 だが、ティノはハンターだ。ハンターなのだ。ティノはきっとシトリーお姉様を睨みつけた。


「シトリーお姉様ッ!! 私がいても、どうにもなりませんッ!! そういうレベルじゃ、ないッ!」


「ッ!?」


「諦めてください。この店で売れるのは――ドリンクバーだけです」


 トレジャーハンターは上下関係に厳しい。リィズ・スマートの弟子であるティノはシトリーにとっても弟子みたいなものだ。

 だが、たとえ叱られるのがわかっていても言わねばならない事がある。


 それを――人は忠言と呼ぶ。


 シトリーは心を込めに込めたティノの言葉に小さく息を呑み、静かに言った。


「言うわね……ティーちゃん。でも、いいの。赤字でもいい――ドリンクバーは料理を完食した人だけの特典にすればッ!」


 どうやらシトリーお姉様は意地でも喫茶店に客を呼びたいようだ。きっとますたぁに褒められたいのだろう。

 そんな喫茶店ありません、シトリーお姉様。



 その時、ふと厨房の扉が開いた。シトリーとティノが同時にそちらを見る。


 いつの間に出ていったのだろうか、現れたのはますたぁだった。

 にこにこと笑みを浮かべ、その手のお盆には美味しそうなケーキの乗った皿が二個乗っている。


 シトリーの瞳孔が一瞬開き、笑顔のままだらだらと汗を流す。


 ティノは運命を悟った。




 シトリーお姉様……もしや、貴女にも食べられないんですか……あれ。




「二人とも嵐なのによく来てくれたね。これは僕からのお礼だ、召し上がれ」


「ク、クライさん、好意は大変嬉しいんですが――私は甘い物が苦手で――」


 シトリーお姉様は往生際が悪かった。ますたぁは憎たらしい程の笑みだった。


 目の前におかれた銀の皿に乗っているのは――ルビーのように艶のある苺が載ったショートケーキ。

 一流の見た目、一流の見た目、そして一流の見た目をした、そんなケーキだ。



 ますたぁは自慢げに言った。




「大丈夫、このケーキは甘くないから」



 何が入ってるんですか、ますたぁ。




§





 今日の教訓。

 シトリーお姉様も気絶する時は「きゅう」と鳴く。

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