目玉焼きレベル8
「え? あのハンターズブレイドから取材が来るんですか!?」
衝撃的ニュースに、ティノは思わずますたぁの前である事を忘れ、素っ頓狂な声をあげた。
『森羅万象』。帝都一等地に立てられたそのお店は今日も平和だ。だが、その平穏も間もなく破られる。
店内は既に営業していてもおかしくないくらい整っていた。カウンターの中で、柄物シャツを着たますたぁがティノの言葉にいつもの笑顔で答える。
「いやぁ、どうしても取材したいって言うから断りきれなくてさ……どこから漏れたんだろう? シトリー経由かな? 本当は隠れ家的な店にするつもりだったのに、全くシトリーには困ったものだ。まぁ僕の包丁さばきを見せてやるか」
「す、すごいですね……すごすぎる」
思わず顔が引きつった。何が凄いって、異次元レシピを平然とメディアの前に披露しようというますたぁの心臓が凄まじい。
ますたぁはレベル8認定を受けた神にも等しい超凄腕のハンターだ。
そして、ますたぁは相手が貴族だろうがメディアだろうが大商人だろうが一切容赦したりはしない。
いや……さすがのますたぁも一般人にティノに出した料理を出したりはしないだろうか? 何しろ、一般市民に試練を与える意味などない。ますたぁはティノの師匠とは違うお優しい人なのだ。
一縷の望みを掛けて顔色を窺うティノにますたぁは悪気のない笑顔で言った。
「何をごちそうしようかな……当日に新鮮なナメルゴンが入るといいんだけど……」
一体どこに売ってるんですか……ナメルゴン。
ハンターズブレイドはトレジャーハンター関係の情報をまとめた情報誌である。
トレジャーハンターの聖地であるゼブルディアには似たような情報誌は幾つもあるが、ハンターズブレイドはその最大手だ。トレジャーハンターは情報収集に余念がないため、トレジャーハンターのほとんどがその情報誌を購読しているし、ハンターではない一般市民の中でも愛読者は沢山いる。
一等地に店を建てる時点で隠れる気なんて毛頭なさそうだが、ハンターズブレイドの紙面に載れば知名度は爆発的に上がるだろう。
そして――きっと人が来なくなる。来なくなってしまう。
「ますたぁ……その、考え直したほうが……」
ますたぁの料理の味は人類には早すぎます。
確かに紙面に載らなくても客はいずれいなくなるだろうが、何も自らトドメを刺さなくてもいいのではないだろうか?
そんなティノの思考を知ってか知らずか、ますたぁはとても楽しげだ。
ますたぁはレベル8だ。それなりに顔も利くが、ハンターズブレイドにも情報誌としての誇りがある。ましてや、ますたぁの料理の味は『人それぞれ好みはあるよね』なんて言葉で納得できる域にない。
ハンターズブレイドが記事を書けば間違いなく大勢の人間が店を訪れる。味なんてすぐに知れ渡る。となれば、ハンターズブレイドがますたぁの擁護をする可能性はかなり低いだろう。
きっとひどい事を書かれる。
この世のものとは思えない味だ、とか、その辺で草食ってたほうがマシだ、とか、レベル8の料理は完食難易度もレベル8だったとか、ますたぁが傷つくような事を平気で書くに違いない。
なんとしてでも止めなくてはならなかった。ティノはますたぁに色々酷い目に遭わされてきたが、まだまだ恩の方が大きいのだ。
「ますたぁ……ハンターズブレイドはきっと、ますたぁがカラスが白いといっても、カラスが白いとは書きません」
「何言ってるの? ティノ、カラスが白いわけないだろ」
迂遠な表現で忠告するティノに、ますたぁは全く気づいている様子はなかった。
さすがクランメンバーからさんざん試練を課すのをやめてくれと言われても全く気にしていないだけの事はある。メンタルがオリハルコンだ。
どうやったらますたぁの事を止められるだろうか?
散々悩んだ挙げ句ティノが出した答えは――。
「ますたぁ、その……私に、包丁の使い方を、教えてくれませんか? ますたぁが出るまでもありません。私を『森羅万象』のコックにしてください」
自分がますたぁに代わって料理をする、だった。
ティノの料理の腕前は平均よりちょっと上くらいだ。一流レストランで出すほどのものではないが、少なくともその辺に生えている草よりは美味しく食べられる自信がある。
まさかいつかますたぁに手料理をごちそうする時のために練習していたのがこんなところで役に立とうとは――
ますたぁは目を丸くすると、腕を組み困ったように眉をハの字にした。
「…………え? うーん、気持ちはありがたいけど…………遊びじゃないんだよ?」
「!?」
ますたぁ、食材やお客さんで遊んでいるのは貴方です。
その言葉をぎりぎりで飲み込むと、ティノはますたぁの手を引っ張って厨房に引きずり込んだ。
§
「ティノにはできないと思うけどね」
金色の包丁。傾国の調理器具、天包丁シルエットが静かに輝く。
手の中にある包丁は重すぎず軽すぎず、初めて握るはずのティノの手の平に吸い付くかのようだった。
強い万能感と自信が沸いてくる。
包丁は調理器具の一つに過ぎない。にも拘らず、今のティノには何でも作れそうな気がした。
ますたぁが腕を組み、見惚れるような真剣な眼差しでティノに言う。
「シルエットを使うのに必要なのは確固たる勝利のイメージなんだ。自分の料理を絶対的に信じる者にこそ、この包丁は応えてくれる」
「いいかい? 料理は化学だ。慣れない内はレシピ通りに作った方がいい」
言葉はとても立派でまったくもってその通りなのだが、プラチナペッパーも敵わない料理を作る人が言っていい言葉ではない。
食材も調味料もそして器具もあらゆる物が揃えられている。残る必要なものは――腕前だけだ。
ますたぁはわかっていない。食事による試練がどれほど辛いものなのかを。
ティノの腕前に、『森羅万象』の進退がかかっている。
「じゃあ後は宜しく。僕は店内にいるから」
「え!? 見てて、くれないのですか!?」
思わず声をあげるティノに、ますたぁは呆れたように言った。
「ティノ、シルエットの起動条件の一つは――誰にも調理風景を見られない事、だ。己の料理に絶対の自信があるのならば、近くに誰かがいる必要はない」
なるほど……ますたぁの料理に誰も口出しできないわけだ。
妙に納得するティノに、ますたぁは厳かな口調で続けた。
「もう一度言うけど、絶対の自信を包丁に乗せればその宝具は必ずやティノの思いに応えてくれる。でもね、ティノ…………シルエットは実は――使えない料理人の方が多いんだよ。不思議だね」
ますたぁ……プロの料理人でもないのに自分の腕にそこまで自信を持つますたぁの方がずっと不思議です。
厨房の扉が音を立てて閉まる。最新鋭の厨房にティノは一人ぼっちだった。
包丁を握り、大きく深呼吸をする。大丈夫、いつもティノは猫の額ほどの小さなキッチンで料理を作っているのだ。大きな最新鋭のキッチンを使ってそれ以上の料理ができないわけがない。
大型の冷蔵庫を開け、中身を確認する。
冷蔵庫は肉用だったらしい。中には所狭しと色々なお肉が入っていた。思わず眉を顰める。
これは……何の肉なのだろうか?
冷蔵庫に詰め込まれていた食材は今までティノが見たことがないカラフルな色味をしていた。
魔物の中には緑色の血を流す者などもいるが、中に入っていた肉はそのどれもが、明らかに一般のレストランで使われるようなものではない。
「………………」
特に名前など書いていなかったが、恐らく幻獣の肉だろう。《嘆きの亡霊》ならば高ランクの幻獣だって容易く仕留められる。
食材はシトリーお姉様が気を使っているはずなので、きっと食べれば美味しいはずだ。
だが、ティノはとても、目も覚めるような青いお肉を使う気にはなれなかった。
まだだ……まだティノの心は折れていない。肉が駄目なら魚がある。
ティノは覚悟を決めると、続いて魚用の冷蔵庫をあけた。
§ § §
緊張しながら銀の皿を運ぶ。ますたぁはカウンターに座って待っていた。
「ま、ますたぁ…………お待たせしました。特製目玉焼きです!」
皿に乗せられたのはただの目玉焼きだ。上に胡椒が振りかけられていて、焦げもなく綺麗な見た目だが、ただの目玉焼きである。
結局、ティノに使えそうな食材は何もなかった。というか、途中から半ば自暴自棄だった。
そもそも、喫茶店でそう凝った料理など必要ないのだ。必須なのは包丁を使わないコーヒーくらいである。
ハンターズブレイドも喫茶店にそこまで大仰な料理を求めてきたりはしないだろう。ますたぁがレストランではなく喫茶店を開いたのは英断だった。
ますたぁは皿を見ると、拳を握り固唾を呑んで見守るティノの前で、目を見開く。
「ふむ、目玉焼きか………………いいね。僕、目玉焼き好きだよ」
「ますたぁ! 確かに目玉焼きは単純な料理です。ですがそもそも喫茶店という形態を考えても、お客さんは余り重いものを求めてはこないと思います。目玉焼きは素材の味もいかせますし単純だからこそ料理人の腕前が重要な奥深い料理です。原価も安いですし、トーストと合わせて出せばますたぁのお店の看板メニューに相応し………………え?」
何か文句が返ってくるかと思っていたが、ますたぁの返答はあっさりしていた。
??? ますたぁ……先程までのウンチクは一体何だったんですか……。
目玉焼きに包丁はいらない。レシピもいらない。ただフライパンの上に卵を割って焼くだけだ。ティノ自身、少しばかり申し訳無さを感じていたのに、ますたぁはにこにことフォークで目玉焼きを差すと、一口で食べる。
もぐもぐと口を数度口を動かし飲み込むと、ますたぁは大きく頷いた。
「うん、美味しい美味しい。さすがティノ、料理もうまいね。いいお嫁さんになるよ」
「そ、そんな……大した、料理じゃないです……ますたぁのお口にあうようなものでは――」
謎のべた褒めに思わず顔を真っ赤にして身体を縮める。何か言われたら反論しようと思っていたのに、褒められるのは予想外だった。
結局シルエットも起動できなかった。
もちろん、目玉焼きなど宝具の包丁を使うような料理ではないが、それとは無関係に――それはきっとティノが包丁を使うに値しない事を意味している。
余りの恥ずかしさに震えるティノに、ますたぁは優しげな声で言う。
「ティノ、色々言ったけどね――僕は料理をする上で一番大切なものは、相手に美味しい物を食べてもらおうという、そういう想いだと思うんだ。複雑なレシピの料理を作っただとか、いい調理器具を使ったのだとか、本質はそういうところにはない。この目玉焼きにはティノの想いが篭もっているよ。そういう意味で、ティノは『森羅万象』のコックとして合格だ」
「ますたぁ…………」
思わず言葉に詰まる。胸がいっぱいになる。
買いかぶりだった。ティノが料理中に考えていた事は、如何にますたぁを説得するかだけだった。
ますたぁが美味しく食べられるようにだとか、そんな事は欠片も考えていなかった。特製目玉焼きなどと言ったが、ティノが作ったのは塩コショウを振っただけのただの目玉焼きだ。もしもそれが美味しかったのならばそれはますたぁの用意した食材や調理器具が良いものだっただけで、ティノの腕前や想いなんて関係ない。
今更、理解する。ティノは――コック失格だ。
ますたぁの言葉を借りて言うのならば、料理の味とかではない一番大事なものを忘れていた。
これではシルエットが応えてくれないのも当然である。ティノはますたぁに負けていた。腕前とかの前に、心構えで負けていた。
謝罪したかった。だが、できなかった。ますたぁの透明な眼差しはティノの心中を全て見通していた。
ならば、すべきは謝ることではない。爪が食い込むほどに拳を握りしめ、ティノは宣言した。
「ます、たぁ……私、精進します。シルエットを、使えるようになるまで」
次は――絶対に、美味しいものを作る。
今作った目玉焼きなんて比べ物にならないほどの美味しいものを作り、今度こそますたぁを喜ばせるのだ。
この『森羅万象』の進退はティノの腕前にかかっている。
ティノの覚悟を感じ取ったのか、ますたぁが柔らかく微笑んだ。
「うんうん、そうだね。ティノの目玉焼きはレベル4だ。ティノの探求者レベルと一緒だ」
「?? は、はい。レベル4ですッ!」
「じゃあご馳走になりっぱなしだと申し訳ないし、次は僕がシルエットを使った本物の目玉焼きを見せてあげるよ」
「!?」
え? え?
思いもよらぬ反撃に、目を見開く。『森羅万象』のオーナーシェフは腕を組むと、自信満々に笑って言った。
「料理は愛情だ。ティノ、僕はね、料理を作って貰って文句を言うのは駄目だと思うんだよ。もちろんお金を貰っている以上は責任が発生するけどさ」
ますたぁがスキップをして厨房に消える。ティノは引きつった顔でそれを見送った。
§
とととんとんとんとん。
きゅう。
§
今日の教訓。
愛情のスパイスに味はない。
次話、いよいよ喫茶店開店!
デュエルスタンバイ!