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天包丁シルエット

 今日も森羅万象には閑古鳥が鳴いていた。

 ぴかぴかに磨いた窓ガラスの向こう。大通りはいつもと変わらず盛況だが、誰一人店に入ろうとする者はいない。


 短時間でよくもまあここまでお客さんが来なくなったものだ。


 カウンターの中で、退屈そうに金色の包丁を磨いていたますたぁが、ふと思いついたように言う。


「よし…………機械を入れよう。もう手で料理する時代じゃないよ」


「!? ますたぁ、貴方って人は…………」


「思ったんだけど……僕は料理する側じゃなくて、食べる側をやりたかったんだな」


 尊敬するますたぁの言葉に、ティノは思わず頬を引きつらせた。


 貴方って人は。本当に、貴方って人は! ここまでやって、その結論ですか!?


 森羅万象は多大なるコストと数多の屍の上に成り立っている。

 確かに、最初にますたぁが喫茶店を始めると聞いた時には、超高レベル認定ハンターのますたぁが一体何故? と思っていたが、既にそう簡単に後に退ける状態ではなくなっていた。


 シトリーお姉さまは大金を使ったし、時には自ら料理するなど労力を費やした。

 素材を集めてきたのはティノの師匠でもあるお姉さまだし、宝具のチャージをやっていたのはルシアお姉さまだ。


 そしてティノだって――ふりふりの制服を着て慣れないホールの仕事をやった上に、毎日きゅーした。

 それらの苦労をたった一言で済まされるのは、如何に忠誠心溢れるティノでも辛いものがある。


 それならどうしろというわけでもないが――。


 ますたぁがシルエットを遠い目で見ながら、ハードボイルドに言う。


「僕はどうやら――料理を極めてしまったようだ」


「ますたぁ、全国の料理をする人に謝ってください」



 思わず口から溢れ出てしまった不相応な要求に、ますたぁは目を瞬かせた。




「極めてしまってごめんなさい」



 そうじゃない! そうじゃありません、ますたぁ!


 何人もの、何十人もの客をノックアウトし、同じパーティの仲間まで尽く一撃で屠ったくせに、どうしてこのますたぁはこんなに自信満々なのだろうか?


 そりゃ、シルエットから繰り出される料理は美しい。この世のものとは思えないくらい美しいし、実際にこの世のものではない可能性だってある。


 歴戦のグルメレポーターすら感想を述べられず、ハンターをきゅーし、精霊人をきゅーし、貴族をきゅーした。

 そんなものを果たして料理と呼べるのだろうか?


 てか、味見しましょう、ますたぁ。


「実は……材料を入れると、自動でフライドポテトが出てくる宝具があるんだ。この間、宝具店で見つけたんだけど――」


「そ……そうですか」



 どうやらますたぁはまた新たな玩具を見つけてしまったらしい。ティノは震える声をあげる事しかできなかった。

 宝具がいつかどこかに存在していたアイテムの再現だというのは既知の話だが、シルエットも含め、道具を生み出した人をとっちめてやりたい気分だ。


 そこで、ますたぁが大きな欠伸をする。


 森羅万象は人数制限ありの喫茶店である。普段から客はほとんど入らないが、今日はまだ一人も入っていない。

 重厚な木の扉もオシャレな椅子とテーブルも、ドリンクバーの機械も、カウンターも、分厚い窓ガラスもピカピカに磨かれていた。


「しかし今日はお客さんが来ないな……ティノ、コーヒーでも飲む?」


「……頂きます。あ、私が入れます!」


 ますたぁがコーヒーを入れると包丁を使ってしまうので、最近コーヒーを入れるのはもっぱらティノの仕事だ。

 コーヒーを入れるのも慣れてしまった。


 森羅万象で使われている物は何もかもが一級品である。コーヒー豆だって貴族が嗜むような特別な品だ。

 あいにく、大体の場合コーヒーは食後に出てくるので、この店でコーヒーを飲めた人はごく僅かなのだが――。


 豆をミルにセットし、ゆっくりとレバーを回す。心地の良い感触が手に伝わってきたところで、扉が勢いよく開いた。


 中に入ってきたのは、統一された鎧兜で武装した兵士達だった。

 ますたぁが目を見開き、まるで全てを見透かしたようなのんびりした声をあげる。


「いらっしゃーい」


「ここが――森羅万象か」


 豆を挽く手を止め、ティノはますたぁの前に出た。


 兵達の目つきは明らかにますたぁを敵視、警戒したものだった。


 超高レベルハンターには敵が多い。こんな真っ昼間から店を襲ってくる者がいるとは思えないが、(それが必要かどうかは別として)ますたぁを守るのはティノの仕事だ。

 先頭に立った偉そうな壮年の男は、丈の短いティノのスカートを見ても眉一つ動かさず、すぐにますたぁに鋭い目を向け、宣告するように言った。




「《千変万化》、この店で出された料理はゼブルディアの衛生法に抵触……更に厳密に言えば、毒物混入の疑いがかかっている」


「ますたぁ、私達の負けです」



 ゼブルディア帝国は列強の一つである。トレジャーハンターの活躍により富と力が集められたその都市は衛生面でも発展しており、それらに関連する項目は帝国衛生院が取り仕切っていた。

 よく見てみると、兵士達は皆、胸元に衛生院の証である緑のバッチがつけられていた。


 悪者は私達です、ますたぁ……。


 思い返せば、こんな目立つ大通りで堂々と劇物を出して、通報されないわけがなかったのだ。さすがの神算鬼謀もそこまで頭は回らなかったらしい。



 ……回らなかったんですよね、ますたぁ?



 ごもっともな兵士の言葉に、ますたぁが不服そうに眉を歪めて言った。


「はぁ? 毒物混入? 何をそんな馬鹿な事を――喫茶店はコーヒーを出すところであって、毒物を出すところじゃないんだよ?」


「…………厨房を、調べさせてもらう」


「どうぞ」


 なんでそんなに自信満々なんですか、ますたぁ。


 厨房の中に駆け込む兵士達を、ティノは黙って見送った。


 毒物があるかって? あるに決まっている。この店の食材には幻獣や魔物も多く、その中の何体かは毒を有しているはずだ。


 そもそも。ティノが食べさせられたコンスイタケだってセーフかどうかかなり怪しい。多分アウト。


 それ以前にベニデーモンタケは完全にアウト。


 すぐに兵の一人が血相を変えて厨房から飛び出してきた。


「た、隊長、見てください。ヤドリドクデメキンが、こんなに――」


「なんだと!?」


 どうやら他にも毒物があったようですね、ますたぁ……。


 厨房から運び出されてくる食材に、どんどん隊長の顔が青ざめていく。

 食材の数は大きな木箱三つ分にも及んだ。だが、ティノの鋭い聴覚は厨房から未だ聞こえる小さな息を呑む音をしっかりと捉えていた。


「毒物劇物の、バーゲンセールだ。おまけに、隠されてすらいない。どう、言い訳するつもりだ!?」


 隊長と呼ばれた兵士がますたぁを睨む。ますたぁは肩を竦めた。





「君たち、さては素人だな。毒性の強い食材にも美味なものは沢山ある。うちの副料理長は錬金術師だ、毒物を管理する資格は持ってる、そもそも死人とか出てないだろ?」



 ますたぁ、貴方本当に無敵ですね。

 どうしてだろうか、ハント中よりも生き生きしているような気すらする。その堂々とした態度に、隊長が唸った。



「む、むぅ…………」


「隊長、相手はレベル8です」


 傍らの小柄な女兵士が隊長に囁く。


 トレジャーハンターにとって毒物の扱いは基本技能である。

 過酷な環境や魔物と戦っていく上で毒への耐性は必須であり、故にトレジャーハンターはレベルに比例して様々な危険物を扱う権利を与えられる。


 レベル8ともなればそれは、万象に対するスペシャリストである事を意味するのだ!



 そして、ますたぁが鼻を鳴らした。




「大体、劇物なんてとんでもない。この包丁が見えないの?」


「ッ!? な――そ、それは!」


 またそれですか、ますたぁ。


 何度も見た光景にげんなりするティノを他所、取り出された包丁――金色の包丁の輝きに、兵達が唖然とする。


 伝説の料理人が使っていた包丁、シルエット。その威光はどうやら料理に関わる人々にあまねく知れ渡っているらしい。


 そして、ますたぁは凍りついている兵達に、ハードボイルドに笑ってみせた。



「毒物を混入するような誇り無き料理人にシルエットは微笑まない。なんなら、食べていくといい。この傾国の包丁が生み出す究極の料理を」






§




 とんとんとととんとんとんとん。

 リズミカルな包丁の音を経て、出てきたのは――。



 兵達が目を見開き、銀の皿に載ったものを見る。


「ホールケーキッ……どこで、包丁を!?」


「苺のホールケーキだ。そう言えば最初にティノに作ってあげたのもケーキだったね」


「そ、そうですね……」


 皿に載せられていたのは苺がふんだんに飾り付けられたケーキだった。


 ルビーのような輝きをした大粒の苺。なめらかな白い生クリーム。完璧なますたぁに、完璧なケーキ。

 最初にティノが出された物との差異は、ホールか切り分けられているかだけだ。


 だが、今のティノは目の前のケーキに苺も生クリームも使われていない事を、このケーキがただの『形だけ(シルエット)』である事を知っている。


 試しに匂いを確認してみるが、やはり甘い匂いなどしない。


 まるで芸術品のようなケーキに息を呑む隊長。ますたぁがにこにこと言った。



「さぁ、召し上がれ」


「ま、待て……この店の料理には、毒物混入の疑いがかかっている。まずオーナー自らが食するのが筋だろう!」





 おやおや?






 長年の経験から何かを感じ取ったのか、隊長が一歩後退り、ますたぁに言う。

 いつもとは異なる展開に、思わずティノは目を見開いた。


 ますたぁが困ったように眉をハの字にする。


 さすがは帝国衛生院。これはもしかしたら……もしかするのでは?


 これまで頑なに味見をしなかったますたぁが味見をする。

 そうすれば、ますたぁは自分がどんな物体を生み出しているのか理解するだろう。反省するはずだ。


 もしかしたらこれまでそんな劇物と向かい合い、尚忠誠心を見せてきたティノにご褒美をくれるかも知れない。



 そんな考えを浮かべたところで、ますたぁがティノを見る。



 心臓がきゅっと掴まれたような心地がした。



 ですよね……私が味見ですよね。わかってました、ますたぁ。


 だが、ティノは率直に言って――このケーキを食べてきゅーと言わない自信がない。


 震える手をフォークに伸ばす。






 そこで、ますたぁはため息をついた。








「仕方ないな……僕は自分で食べるためではなく、人を幸せにするために料理してるんだけど――」



 え? え??? え??


 唖然とするティノの前で、ますたぁはフォークを取り、ケーキの一部分を崩し、躊躇いなく口に運んだ。



 ??? え? なんで??


 激しく混乱するティノの前で咀嚼すると、ごくんと飲み込み、あまつさえ唇の周りについたクリームを舐め取ってみせる。


 ますたぁが自信満々に胸を張り、言う。



「はい、食べたよ? どうぞ、召し上がれ」


 なんで? なんできゅーって、言わないの? てぃの、わかんない……。


 これまであらゆる者の意識を一口で消し飛ばした魔の料理。

 それをいとも容易く食して見せたますたぁが、にこにこしながら隊長に新しいフォークを渡す。


 呆然と銀のフォークとケーキを見る隊長の顔からは完全に血の気が失せていた。

 他の兵達はごくりと唾を飲み込み、名状しがたい空気を纏うケーキを凝視している。


 違和感の正体は匂いや温度だろう。

 そのケーキは完全無欠にケーキの形をしているが、ちょっと鋭い人ならば簡単に気づくくらいケーキっぽくない。




「あ、ティノもどうぞ。ケーキ、好きだろ? ほら、あーんして」




 ますたぁがフォークに苺を突き刺し、ティノの方に向けて差し出してくる。



 断れるわけがなかった。ますたぁは、ティノにとって大恩人なのだ。




 ティノは逃げようのない()に諦観して、せめて意識を失う前に「きゅー」と言うのだった。




「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」

「きゅー」








 今日のキルスコア:2(ティノ)+ 13(帝国衛生院)


 今日の教訓:

 ますたぁは悪魔。





§ § §






 かつて、あらゆるモノを食材にし、究極の皿を生み出す料理人がいた。

 完璧な料理人の生み出す完璧な料理は食した人々を昇天させ、国をも傾けたと言う。


 そしていつしかその料理人の使用した包丁はその腕前の象徴となり、伝説となった。


 天包丁シルエット。

 それは真の料理人に完璧な皿を与える宝具。


 必要なのは絶対の自信。


 一つ。誰にも料理の風景を見られてはならない。真の料理人とは孤高な者故。

 一つ。味見など必要ない。完璧な料理に味見など不要。それは不安の表れである。



 一つ。そしてもちろん、完璧な料理人が自ら食べられない物を作るわけがないのだ。





§ § §







 そして、森羅万象は帝国衛生院の命令により、閉鎖された。

 たとえますたぁが食べられたとしても、衛生院の全員を気絶させたのだから順当な結果である。


 まだ中の設備は残っているが、喫茶店森羅万象の看板が外された店を見ていると、ティノは何故か胸が苦しくなった。


 散々な目にあった。色々な料理を食べさせられ何度気絶したのかすら覚えていない。

 だが、決して悪い思い出ばかりではなかった。

 ふりふりの制服は少し恥ずかしかったが可愛らしかったし、ますたぁのために働くのは後輩として至上の喜びである。


 胸元でぎゅっと拳を握り、傍らのますたぁに言う。



「閉店しちゃいましたね……」


「仕方がない。シルエットの持ち主だって国を潰したと言われてるんだ」


「え゛…………」



 それ初耳です、ますたぁ。


 閉店した店を見上げるますたぁの表情はすっきりしたものだった。

 全てをやりきった、そんな表情。

 それを見ていると、センチメンタルな気分になっていたのが馬鹿らしくなってくる。


 あれほど費用や時間を費やしたはずなのに全く凹んでいないのはきっと、全て準備し苦労したのがシトリーお姉さまだったからとかいう理由ではないはずだ。


 …………違いますよね、ますたぁ?




「…………つまり、ますたぁは神」



 思わず自己暗示のように呟くティノに、ますたぁが拳を握った。



「次はフライドポテトの店を作るぞ! 時代は大量生産だよ、大量生産!」


「や、やめましょう、ますたぁ……」


「そうと決まったら、シトリーとエヴァに相談だ」



 ますたぁが意気揚々と店を離れていく。

 ティノはどうやったら説得できるか必死に考えながら、その後を追うのだった。









 後日、ますたぁの毒料理を食べてつけた耐性で、ハント中に陥った絶体絶命を脱したハンターが話題になったり、食べればマナ・マテリアルを吸収できるチョコレートの噂が帝都中に広がり問題になったりするのだが、それはまた別の話である。

という事で、これにてグルメスピンオフ、完結となります。


如何でしたでしょうか?


ちょっとした思いつきから始まりました作品でしたが、

書いていてとても楽しかったので、楽しんで読んで頂けたらとても嬉しいです!



当作品はコメディっぽさとスピンオフっぽさを出すこと、そして出来るだけ短い文章でテンポよく笑っていただけるものにする事をテーマに書いてみました。


(多分、元作を読んでいない方はいないと思いますが)お客さんやら何やらは『嘆きの亡霊は引退したい』で登場するキャラクターになります。

そちらは勘違い物になっております、未読の方は是非そちらもご覧ください!

(シルエットは本編には出てきません)


まだまだ出したいお客さんなどもおりますが、

書きたいネタは大体書けたのでこんなところで……もしも更に追加ネタが思いついたらたまーに更新するかもしれません。その際はまたお付き合い頂けたら幸いです!




それでは、最後に、ここまで三ヶ月余り、お付き合い頂き本当にありがとうございました!

本編もよろしくおねがいします!






モチベーションにつながりますので、

楽しんで頂けた方、続きが気になる方、ルーク達来てなくね、など思った方などおられましたら、

評価、ブックマーク、感想、宜しくお願いします。


/槻影


更新告知:@ktsuki_novel(Twitter)


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