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デラックスお子様薬膳

 今日も森羅万象の前の大通りは盛況だ。

 行き来する馬車に巡回する騎士たち。街の人たちが談笑しているのを眺めながら、ティノは扉の前で大きく深呼吸をした。


 店に来るのは久しぶりだった。ますたぁのアソートを食べた時以来だ。


 ますたぁのマナ・マテリアルチョコレート(自分で言っていても意味がわからない)を食してから一週間、ティノは絶不調だった。

 常に熱っぽく全身に筋肉痛にも似た痛みが奔り――どうやら固形化したマナ・マテリアルは経口摂取するのは些かばかり危険な代物だったらしい。


 だが、そこから脱した今のティノは絶好調だ。

 身体は軽く、筋力や感覚なども以前より少し向上したように思える。マナ・マテリアルが人の能力を高める事はハンターの間では常識だったが、経口摂取するとより強く作用するようだ。身体の不調もその副作用だったのだろう。


 画期的発見である。まあもっとも、マナ・マテリアルの固形化なんてますたぁにしかできないだろうし、そもそもマナ・マテリアルを使った実験は帝国では最も重い罪――十罪の一つに数えられるのだが……。


 ともかく、しばらくティノは店を休んでいた。

 全てはティノの未熟が理由である。風邪を引いたと言い訳していたが、恐らくますたぁは休んだ理由を察している事だろう。


 迷惑をかけてしまった。そもそも、ますたぁのお店には余り客が来ないので果たしてホール用のメンバーが必要なのか怪しいのだが、それとこれとは話が別だ。

 急に休んでますたぁには会いづらいのだが、ずっとこうしてもいられない。


 数度呼吸をすると、覚悟を決め、ティノは店の中に入った。

 まだクローズの札のかかった扉を開けると、涼やかな鈴の音が響く。冷えた風が火照った身体を包み――不機嫌そうな声がした。


「まだ営業時間外です、クローズの札が見えなかったんですか? …………ティー?」


 ホールに腕を組み、むすっとした表情で立っていたのは、ティノも着ていた制服を着た女性だった。

 怜悧な瞳にどこか冷ややかな整った容貌。いつもと違い、艶のある長い黒髪を後ろの高いところ、左右で結い、ツインテールを作っている。


 予想外の姿に、ティノは思わず素っ頓狂な声をあげた。


「!? ??? ルシア……お姉さま!?」


「倒れたと聞きましたが……大丈夫でしたか? まったく、リーダーは――」


 思わず身体を硬直させるティノに、ルシアお姉さまが心配そうな声をかけてくる。


 ルシアお姉さまはますたぁのパーティメンバーの一人だ。

 強力な魔導師でもあり、そしてますたぁの妹でもある。パーティの中では常識人の一人でもあり、いつも冷静沈着で不機嫌そうな表情をしているので冷たい印象もあるが、とても優しい人である事を知っていた。


 いつもティノが見る時はローブ姿なので、フリルのついた制服を着ているのは新鮮だ。

 ルシアお姉さまはティノより身長が高いので、恐らく違うサイズの制服が用意してあったのだろう。


「ど、どうして、こんな所に!?」


「ティーが倒れて…………リーダーが、ホールが足りないと」


「その髪型は――」


「食品を、扱っているのだから、清潔感重視で、髪を結ったほうがいい、とッ、リーダーがッ」


 ますたぁ……ツインテールにしても、清潔感とか、意味ないのでは!?


 魔導師にとって髪は重要な触媒だ。だから、特に女性の魔導師には髪を長くする者も多い。

 腰まで伸ばしたルシアお姉さまの髪は結ってどうにかするには長すぎである。


 押し殺したような声を出し身を震わせるルシアお姉さまに慌てて謝罪する。


「ごめんなさい、ルシアお姉さま。私が、休んだばかりに、ご迷惑を――」


「いえ、ティーのせいじゃありません。全ては――リーダーが悪いのです。そもそも、迷惑も何も――あの厄介な包丁に毎日毎日、魔力をチャージさせられていたのは、私ですから」


「!?」


 ルシアお姉さまが腕を組み、断言する。驚愕の真実に、ティノは目を見開いた。


 まさか、宝具のチャージまで人任せなんですか、ますたぁ!?

 食材の搬入や店の経営をシトリーお姉さまに投げているのは知っていたが、まさかここまでとは――。




 ……というか、つまり、もしかしてそれは、ティノがひどい目に遭っていたのは…………ルシアお姉さまのせいでは?




 そこまで脳裏を過ったところで、ティノは考えるのをやめた。


 ルシアお姉さまも、いつも着ないようなフリフリの制服まで着て……皆、ますたぁに甘すぎる。


 ルシアお姉さまが休憩室の扉を開ける。


「リーダー、ほら、ティーが来ましたよ! ああ、寝てる! こら、人を働かせて、自分だけ寝るんじゃない! に、い、さ、ん!? もう!」


 ますたぁの寝ぼけた悲鳴が聞こえる。ますたぁにそこまで強く出られるのはパーティの中ではルシアお姉さまだけだ。


 無駄だと思いつつも、ティノは考えずにはいられなかった。




 ルシアお姉さま、そこまでできるなら――喫茶店を開くのをまず止めるべきではないでしょうか?




§



 ますたぁが頭を搔きながら、申し訳なさげな笑みを浮かべる。


「いやぁ、ごめんごめん……新メニュー考えてたら眠くなっちゃって……」


「い、いえ……休んでしまって、ごめんなさい」


 とりあえず頭を下げるティノ。ルシアお姉さまがじろりとますたぁを睨んだ。


「ティー、謝る必要はありません。そもそも、給金を払ってないそうじゃないですか! リーダー?」


「あぁ、その辺は、全部シトリーに任せてるから……」


 それは……無理もないだろう。何しろ、一番の赤字を食らっているのはシトリーお姉さまだ。

 シトリーお姉さまはケチではないが、赤字が大嫌いである。ティノの人件費を削減しようと考えるのも無理はない。

 むしろますたぁの役に立てているのだから、ティノの方がお金を払うべきと思っている節まである。


 というか、ルシアお姉さまは包丁のチャージでお金を貰っているのだろうか? 貰ってませんよね?


 じっとルシアお姉さまを見つめているとそれに気付いたのか、ますたぁがどこか自慢げに言った。


「人手が足りなかったから入って貰ったんだ。髪は僕が結ってあげた。これでも昔はルシアの髪は僕が結ってあげてたんだよ」


「!? それは……もう十年以上の前の話でしょう!? 何度も何度もやり直して――もうッ!」


 腕を組み、ルシアお姉さまがそっぽを向く。

 ルシアお姉さま…………仲いいですね。


「それに、人手も何も、客入ってないでしょ! 私は忙しいんですよ? リーダーも、わかってますよね!?」


 帝国の学術院に協力し、ハンター業務の傍ら、魔術の研究に勤しんでいるルシアお姉さまは多忙だ。

 それなのにいきなり呼び出され、閑古鳥の鳴く喫茶店のホールなんてやらされた暁には――ティノはルシアお姉さまの心の広さに感服するばかりだった。


 ますたぁはますたぁ本人も言うまでもなく凄いが、周りの仲間が強すぎる。



 そもそも、私は一週間前から休んだんですが、ルシアお姉さまはいつから手伝ってるんですか? もしかして……初日からでは?



 腕を組みジト目で投げつけられたルシアお姉さまの言葉を、ますたぁは完全にスルーした。


「ということで、ティノも体調不良で倒れたから、今日は健康にいい薬膳メニューを考えてみた。喫茶店では普通、薬膳なんて出さないけど、ここは僕の店だ。僕が全て決める」


 何が、ということで、なのだろうか?


 ティノの事を考えてくれるのは嬉しいが、ティノは一般的な体調不良で倒れたわけではないし、そもそもここの店はシトリーお姉さまが作った店である。ぽんとプレゼントされたのかもしれないが、自分の店と言い切るのはどうなのだろうか?


 色々つっこみたかったが、ますたぁの忠実な後輩であるティノは全て我慢し、恐る恐る聞いた。


「……で、でも……薬膳って、基本的に、そんなに、美味しくないですよね?」


「ああ、大丈夫。プラチナペッパー振るから」


「!?」


 思わず絶句した。

 かければ何でも天上の美味へと変わると言われる魔法の調味料、プラチナペッパー。

 だが、今のティノはその調味料がそこまで万能ではないという事を知っている。


 同じ不安を抱いたのか、ルシアお姉さまが尋ねた。


「薬膳って…………何作るんですか?」


「それはもちろん……お子様ランチだ。好きでしょ?」


「!? 何年前の話を、してるんですか!?」


「心配いらないよ。旗もちゃんと立てて上げるから。二本も立ててあげる!」


 にこにこしたますたぁの言葉に、ルシアお姉さまが顔を真っ赤にしてぷるぷる震えている。

 どうやら、色々柵があるようだ。


 薄々感じてはいたが、もしやますたぁは……トレジャーハンター以外の面でも無敵なのでは?


 どうやらルシアお姉さまもますたぁの厨房行きは止められないらしい。


 程なくして、厨房に行ったますたぁがプレートを二つ持ってくる。


 銀の皿の上に載っていたのは豪華なお子様ランチだった。

 大きなオムライスにハンバーグ、たこの形に切ったウインナーに、フライドポテト。彩り鮮やかなサラダに、デザートのゼリーもついている。

 お子様だったらさぞ目を輝かせていたであろうラインナップだ。


 そして、ティノのプレートのオムライスには旗が一本、ルシアお姉さまのオムライスには旗が二本立っていた。


 恐る恐る隣を見ると、ルシアお姉さまが顔を真っ赤にしている。

 眼の端に涙が浮かんでいて、すごく恥ずかしそうに身を縮めている。


 ティノは空気を変えるべく、憎たらしい程、にこにこしているますたぁに聞いた。


「ま、ますたぁ……このお子様ランチは、何を材料にしたんですか!?」


「え……? 薬膳だから、そりゃポーションだよ」


 薬膳というのはそういう意味ではないと思うが、もうつっこむまい。


「……他には何を?」


 ティノの質問に対して、ますたぁはハードボイルドな笑みで言った。


「不純物なんて入れない。面倒臭いし、このプレートは完全な薬膳だ」


「そ、そうですか…………」


 ということは、これを食べられなかったら、不純なのはますたぁの包丁という事ですね……。


 ティノはごくりと唾を飲み込むと、フォークを手にとった。

 既に店にきた時点で覚悟はできている。今のティノはアソートを食べる前のティノよりも強いのだ!



 お子様ランチ程度に屈するはずがない!



 ないと思う。なかったら、いいのだが。



「ティノ、もしいらないんだったら、旗はルシアにあげてよ。ルシアは昔から旗が大好きなんだ、いつもせがんでた」


「ッ…………」


「黙っててください、ますたぁ」


 ルシアお姉さまに追い打ちをかけないでください。貴方は、鬼ですか! 反論すらできていないじゃないですか!


 っていうか、今日の賄い早くないですか? まだ開店もしていませんよ?

 私達が2キューしてしまったら、今日のホールがいなくなるのでは?




 と、そこで、ふと入り口の扉が音を立てて開いた。

 慌てて時計を確認すると、既に開店時間が過ぎている。少し早めにやってきたのだが、どうやら遊びすぎてしまったらしい。


 だが、ラッキーだ。お客さんが入ったのならば賄いを食べている場合ではない。



 後ろを向きながら立ち上がる。




 入ってきたのは――金髪碧眼で白いドレス姿。ティノよりもずっと年下の女の子だった。

 後ろには黒服の老執事を伴っている。


 見覚えのある姿。だが、こんな所に来るわけがないその姿に、ティノは思わず硬直した。


 ボタンなどにあしらわれた三本の剣の紋章。ゼブルディア帝国の一貴族にして、帝国の剣。グラディス伯爵家の紋章だ。


 少女は、紛うことなきそのご令嬢。正真正銘の帝国貴族。エクレール・グラディスである。


 かつて生意気な口を利き、《千変万化》に突っかかってきた少女は、ますたぁを見てびくりと身を震わせると、恐る恐る尋ねた。



「ここが……《千変万化》の喫茶店、か。開店時間は過ぎているが……その……もう入っても、大丈夫だったか?」


「ああ、もちろんだよ。ごめんごめん、札を変えるのを忘れていた、今新作の試食中で――」


 ますたぁの口調は貴族に対する敬意の欠片もない、酷く気安いものだった。

 余りにも自由すぎて唖然とする。


 というか、ますたぁ、相手はハンターじゃないんですが、いいんですか?


 《森羅万象》の内装は完璧だ。だが、貴族であるエクレールには特に感嘆するようなものでもなかったらしい。


 ぐるりと内装を確認すると、最後に何気なくティノの前のプレートを見て、カッと目を見開いた。



「それは………………何だ? も、もしや、そのメニューは――」



 内装を見た時よりも明らかに強い反応だった。

 食い入るようにオムライスの旗を見つめるその目つきは年相応だ。


 どうやら貴族でもお子様には変わりないらしい。

 ますたぁがにこにこしながら言う。



「ああ、これは新作の薬膳だよ。なかなか見事なものだろ? 反応がよかったらメニューに追加しようと思ってね」


 明らかに薬膳じゃないですよね?


 だが、その言葉を聞いて、エクレールは疑問を挟むわけでもなく、興奮したように後ろの老執事を窺った。


「むむ…………薬膳、か! モントール、薬膳だ! これは、見事な薬膳だな!」


「左様でございますね、お嬢様」


 モントールと呼ばれた老執事が苦笑いで答える。

 一体どの辺が薬膳に見えるのだろうか? ぽかんとするティノに、エクレールが熱の入った声で言う。



「どこからどう見ても薬膳以外の何物でもない。ハンバーグやオムライスを喜んで食べるなど、帝国貴族に相応しくない軟弱な振る舞いだが――薬膳ならば問題あるまい」


「左様でございますね、お嬢様」


「ということだ、オーナー。私にもこれと同じ物を頼む」


 喜んでいるところ申し訳ないが、エクレール様……これは本当に薬膳ですよ?


 というか、相手は正真正銘の貴族だ。しかも、グラディスはハンター嫌いで有名な貴族である。

 ゼブルディアで最も大きな権力を持つ者は貴族だ。そのご令嬢相手にきゅーさせたら如何に高レベルハンターでもただではすまされない。


 どうするつもりだろうか?


 いや、相手はかつてますたぁの邪魔をしてきた少女である。そもそもハンターですらないのだから、断る理由には事欠かない。



 固唾を呑んで見守るティノと、険しい表情のルシアお姉さまの前で、ますたぁは言った。





「ういー。薬膳一個ね。今日は特別に旗を二つ立てちゃおう!」


「! こ、心遣い、痛み入る」



 もしかしなくてもますたぁ……全て計算通りですね?


 スキップをして厨房に向かうますたぁ。

 エクレールはそわそわしながらカウンター――ティノの隣に腰を下ろした。





§






「い、いただきます! …………きゅう」


「!? お嬢様!? お嬢様ーーーー!!!  貴様、もしや毒を!?」








 今日のキルスコア:1(ティノ)+ 1(エクレール) + 1?(ティノが先に食べたのでルシアお姉さまが気絶したところは見ていないため)


 今日の教訓:

 ますたぁは貴族相手でも容赦しない





 ゼブルディア帝国衛生院に通報されました。

次話、エピローグ?


「ますたぁの店、潰れる」


お楽しみに!






原作五巻、8/31に発売、コミカライズ三巻、8/26発売です!

そちらもよろしくおねがいします!

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