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特別メニュー、深き森の恵み

「え!? 今日は厨房入らないんですか?」


「んー、なんかこの間ので疲れちゃってね……シトリーが代わりに入ってくれるってさ」


「な、なるほど…………」


 ますたぁの言葉にティノは笑みを浮かべたが、引きつったものにしかならなかった。


 確かに、あの78連鎖は壮観だった。お姉さまが引っ張ってきたお客さんが料理を一口食べどんどん昏倒していく様はさながら現世の地獄であった。

 最後に賄いでお姉さまを昏睡させたところまで含めて、さすがである。



 ますたぁ、目覚めた時、お姉さま、自分の情けなさに泣いてましたよ……。


 どうやら盗賊職に必須の状態異常耐性を貫通されたのがよほど悔しかったらしい。それ以降ティノの修業にコンスイタケの踊り食いが入ったのは余談である。


 だが、残念ながら、ただコンスイタケを食べるよりますたぁのコンスイタケパフェを食べた時の方が効果が高いようだ。


 一体どういう調理をしているのだろうか――いまだティノもお姉さまもコンスイタケパフェをクリアできていない。

 そもそも、普通の料理もクリアできていないのだが……。


 最近は死屍累々だった店内は、別の意味でざわついていた。


「!? う……うめえ!? こ、これは――まさかこんな料理がこの世界にあるなんて――」


「やばい料理が出るって聞いてきたが、やばいってそっちの意味かよ! 怯えて損したぜ」


 怖いもの見たさでやってきたハンター達が涙を流しながら副料理長の作った料理を貪るように食べていた。


 森羅万象は高級食材をふんだんに揃えた異色の喫茶店である。

 出てくるメニューは値段とコストが全く見合っておらず、シトリーお姉さまが作れば涙が出るほど美味しい料理が出来るのは自明の理だった。

 事実、ティノも今日の賄いがとても楽しみである。ますたぁが賄いは自分が作るとか言わなければいいのだが――。


「店長、この森羅万象プレート。このステーキって何の肉だ?」


 感極まったように投げられたお客さんの問いに、カウンターの中のますたぁはしばらく沈黙した後、ハードボイルドな笑みを浮かべた。


「それは…………企業秘密だよ」


 ますたぁ、知らないって素直に言いましょう……。


 最近ティノは改めて思い知ったのだが、ますたぁの感性は常人では測れないようだ。


 まぁそうだよなと納得したように頷くお客さんにますたぁがにこにこと言う。


「あぁ、よかったらまた来てよ。ほら、店内が空いててさ……このままじゃ経営が成り立たない」


 ティノは思わず目を見開き、ますたぁを凝視した。


 ますたぁ……貴方、売上の管理すらしていないでしょ!?

 大体この店は食材はパーティメンバーが、費用はシトリーお姉さまが請け負う完全な道楽だ。一日限定十組とか言い出した時点でこの店が採算度外視なのは自明の理であった。


「そういえば、いやに空いてるな……妙な噂も流れてるし――わかった。また友人を誘ってくる。だから、負けてくれよ」


「ふっ。ただでさえぎりぎりなんだ――これ以上安くしたら潰れちゃうよ」


「ん? この店だったら、もっと高値でもいくらでも客が入るだろ? この辺の店では一番安いぞ」


 訝しげな表情を作る幸運なお客さん。きっとますたぁの料理を一口食べれば口を噤み二度とこの店を訪れる事はないだろう。

 ますたぁはその言葉に目をつぶり腕を組むと、目をかっと開いて言った。


「僕は――僕の料理で皆に幸せになって貰うためにこの店を開いたんだ。利益は二の次、三の次。世の中お金も大事だけど、お金だけじゃないよ」



 シトリーお姉さまにパンチされればいいのに……。


 さすがにますたぁに忠実なティノでも一言物申したい気分だ。

 ますたぁ、私は無給で無休で………………おまけに毎日むきゅーと倒れているんですよ?




 ………………。




 床を睨み自己嫌悪に陥っていると、その時、扉が勢いよく開いた。


 ますたぁの言葉に気圧されていたお客さんが一斉にそちらを見て呆然とする。


 入ってきたのは、この世のものとは思えない美しい女人だった。

 すらりとした長身に、神が細心の注意を払いパーツを置いたとしか思えない端正な目鼻立ち。

 長い髪を背に垂らし、恐らく帝都広しと言えどここまで美しい者はいないだろう。ただ歩いているだけで周囲の空気が清浄なものに変わるかのようだ。


 そしてだが、何よりの特徴はその髪の隙間から飛び出した尖った耳だろう。


 精霊人(ノウブル)。深き森に棲む美しき種族。尊き血を意味する単語で呼ばれ、あらゆる者が集まる帝都でも数えるほどしかいない。

 世界各地を回るハンターでもその姿を見ることは滅多にないだろう。


 入ってきた二人の精霊人(ノウブル)を見て、ティノは思った。


 ああ、今日は貴女達が犠牲者のはずだったんですね……。


 先頭に立ったややきつい目つきをした精霊人――ますたぁのクランに所属する精霊人のパーティ、《星の聖雷》のメンバー、クリュス・アルゲンが甲高い声をあげた。



「ほら、私達が来てやったぞ、です! まったく、店を始めたならさっさと招待しろ、です! どうせヨワニンゲンの作る料理なんて私達の口に合うわけないがな、です!」


「悪いけど、この店は一日、十組限定なんだよ」


 ますたぁがカウンターの中で眉を顰めて言う。


 まだ十組もきてませんよね? ますたぁ。


 精霊人は排他的種族である。おまけに、生まれつき人間を大きく凌駕する力を持っているため、人間を見下すような発言をする者も多い。

 いつもならばクランマスターであるますたぁに失礼な口を利くクリュス達に憤るところだが、不思議な事に今回はそんな気分になれなかった。


「はぁ!? ふざけんな、です! この私が、私達が来てやったんだから、相応の対応があるだろ、です!」


「仕方ないなあ……贔屓してやるか。ティノ、二名様ご案内」


 やる気のないますたぁの声。慌てて近づくティノに、クリュスが腕を組みぶつくさ言う。


「まったく、手ずから案内するべきだろ、です! この私達が、わざわざこんなニンゲンが沢山いる都心に足を運んでやったんだぞ、です」


「よい、クリュス。此度の目的は食事――レベル8の《千変万化》の力を見せてもらおうではないか」


 パーティのリーダー。同じく精霊人であるラピス・フルゴルが鷹揚に頷いた。


「ふん……ニンゲンの料理など口に合うわけがないが、うまかったらパーティメンバーにも紹介してやる、です!」


 相変わらずいい人なのか悪い人なのかよくわからない人たちだ。

 ラピス達を日当たりのいい席に案内する。先にいたお客さんの視線も一切意に介さず歩く様からは確かな貴人の風格が見えた。


 ティノの姿を足先から頭の先まで確認し、クリュスが再び批難の声をあげる。


「おい、こら! ヨワニンゲン! ティノになんて格好させてるんだ、です! ティノはヨワニンゲンのおもちゃじゃないんだぞ、です!」


「え……?」


「え……?」


 ますたぁが目を丸くする。その反応にクリュスが目を見開く。


 え……? ってなんですか、ますたぁ……。

 ちなみに、制服を決めたのはますたぁではなくシトリーお姉さまである。そして、これは力を込めて言わせてもらうが――断じてティノはおもちゃじゃない。



 毒気を抜かれたクリュスはそのまま案内された席にどっしり腰を下ろすと、大声でオーダーした。



「ほら、私はわざわざ朝食を抜いてきたんだぞ、です! 一番のおすすめをもってこい、です!」




§




 運ばれてきた森羅万象ランチ。優雅な動作で肉を切り分け、口に入れたラピスが、目を丸くする。


「ふむ……これは……なかなか」


 精霊人と人間の味覚は少し違うと聞く。故に、精霊人は酷い味の魔力回復薬を平然と飲み干せる、と。

 だが、どうやら森羅万象ランチプレートはそんな精霊人にとっても十分以上の味だったらしい。


「ふ……ふん。ヨワニンゲンにしては、まあまあだな、です」


 同じように森羅万象ランチを食したクリュスが悔しそうな声で評価を下す。

 予想を大幅に超えていたのだろう。もしかしたらますたぁの料理をこき下ろすつもりだったのかもしれない。


 だが、本来ならば悔しそうな声どころか評価を下す余地すらなかったのだ。

 そのままもくもくと食事を取る。


 ますたぁの店は何もかもが一流だ。


 サーブされる水も、料理の材料も、副料理長の腕も。

 コーヒー豆もこだわっているし、ドリンクバーだってある。如何なプライドの高い精霊人でも非の打ち所がないものにクレームはつけられまい。


 ぺろりとプレートを一枚食べ終えると、クリュスがますたぁに言う。


「き、きさまが、こんなにまあまあな料理を作れるとは、思わなかったぞ、です! だが、でも……ああ、そうだ。精霊人に、肉料理を出すのは、いまいちだ、です! 私は、肉の気分じゃなかった、です!」


「あれ? 美味しくなかった?」


「………………むう……」


 どうやら嘘はつけないようだ。

 唇を結び悔しそうに黙り込むクリュスに、ますたぁが肩を竦めて言った。


「まあ、今日の料理は料理長の僕じゃなくて副料理長(スー・シェフ)が担当したんだ。許してよ。今日は僕担当の日じゃなくてね」


 ますたぁ……。


 その言葉に、クリュスが立ち上がり、目を見開いた。

 鬼の首を取ったように叫ぶ。


「は、はぁぁぁぁぁぁ!? 私は、わざわざヨワニンゲンの料理を食べにきたんだぞ、です! ふざけるな、です! 手を抜くんじゃない、です! 正当な評価ができないだろ、です!」


「そんな事言われても……美味しかったんならいいじゃん」


 ますたぁが気が抜けるような声で言う。そんな口調では火に油を注ぐばかりだ。


 ますたぁ、クリュスはますたぁのおもちゃじゃないんですよ?


 クリュスがばんと強くテーブルを叩き、甲高い声で叫ぶ。


「デザートだ、デザートをもってこい、です! ちゃんと、ヨワニンゲンが全力を尽くせ、それが礼儀だろ、です! ラピスも食べるよな、です!」


 ラピスは口元をナプキンで拭きながら、涼しげな眼差しで言った。


「いや、私はいらん。クリュス、一人で食べろ」


「一人前だ、です! ちゃんと腕によりをかけろ、です! 料理長ならば、客の要望くらい一目見て見抜けるはずだろ、です! ちゃんと私が食べたいものをもってこい、です!」


 完全な無茶振りだった。本来ならばティノが文句を言うところだが、もはや憐れみしか抱けない。

 飛んで火に入る夏の虫である。


 ますたぁがこれ見よがしと金色の包丁を見せびらかして言う。


「悪いけど、僕の包丁は安くないんだ。また明日来なよ」


「はぁ!? ふざけんな、です! 私は客だぞ、です! 私は、ヨワニンゲンの、料理を、食べにきたんだぞ、です! わざわざ、仲間に、笑われながら、来てやったんだぞ、です!」


 顔を真っ赤にして駄々をこねるクリュスに、ますたぁは小さくため息をついた。 


「……やれやれ、そこまで言われちゃ仕方ないな。特別だよ?」


「そうそう。それでいいんだ、です!」


 クリュスが満足げに頷く。待ち受けるその過酷な運命も知らずに。

 ティノは思わず後ろを向き、涙を拭う。ますたぁは新たなおもちゃにスキップをして厨房に入っていった。








「待たせたね。これが今日のメニュー――名付けて、深き森の恵みだ」


 恭しげな動作でますたぁが銀の覆いを外す。金色の光が店内に広がり、ラピスとクリュスが目を見開いた。



「!! これは――」


 ますたぁが持ってきた皿の上に載っていたもの。



 それは――光り輝く黄金の林檎だった。



 いや、正確に言うのならば、林檎のような『何か』である。ティノの知る限り、厨房の冷蔵庫に黄金の林檎はない。


 ますたぁ……また包丁で変なものを作りましたね。材料はなんですか?


 怪しげなその輝きに、クリュスが目を限界まで見開き、打ち震える。


「な、ヨワニンゲン、これを、どこで――」


「冷めないうちに召し上がれ」



 ますたぁ……材料はなんですか!?




「ラピス、分けるか、です」


「……………………いや。これはクリュス、貴様のオーダーだ。貴様が食するべきだ」


 さすがパーティリーダー、危機管理能力が出来ている。

 ラピスの言葉に、クリュスはごくりと唾を飲み込んだ。


 先程の強気な表情とは異なる、慈悲を乞うような目でますたぁを見る。


「ヨワニンゲン、これは……どうやって食べればいい?」


「好きに食べていいけど、手に持って齧るのがオススメだよ。はしたないかな?」


「いや…………わかった、です」



 クリュスは素直に頷くと、慎重な手付きで林檎に触れ、持ち上げる。

 戦慄が走ったのか、その美しい双眸が大きく見開かれる。可憐な唇から出た声は、小さく震えていた。




「ッ…………重い……まるで――金の重さ、です!」






 ますたぁ……本当に、何を材料に創造したんですか!!?





 そして、クリュスは覚悟を決めたように、禁断の果実に歯を当てた。






§






 今日のキルスコア:1


 今日の教訓:

 口は災いの元。



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