苺のショートケーキ
「喫茶店……『森羅万象』? え!? ますたぁ、喫茶店始めたんですか!?」
レベル4認定トレジャーハンター。十六歳。女。身長162センチ、体重45キロ。スリーサイズは秘密。ティノ・シェイドは、その看板を見て目を見開いた。
それは、白い壁に赤い屋根の可愛らしい建物だった。小さな建物だが大都市である帝都ゼブルディアの一等地にあるのだからきっと大金が掛けられている事だろう。
木製に見える扉は触れれば金属の硬い感触が返ってくる。扉を開けるとちりんちりんという可愛らしいベルの音がした。
店内には小さなテーブルが五つ。メニューはない。
カウンターにはティノが見慣れた黒髪の『ますたぁ』がにこにこ立っていた。エプロンではなく派手な柄物のシャツを着ているのが如何にもやる気がない。
トレジャーハンター。それは現代における花形の職業だ。
世界それ自身が生み出す遺跡――宝物殿に潜り、生息する恐ろしい怪物達や危険なトラップを掻い潜り、現代技術では再現できない奇妙な能力を持つ宝物を持ち帰る。
命を落とす者も少なくない紛れもなくこの世で一番危険な職だが、成功すれば富、名誉、力、全てが手に入る事もあり、夢見る者があとを絶たない。
トレジャーハンターの聖地とも呼ばれる【帝都ゼブルディア】では日々多くのトレジャーハンターが生まれ、そして散っていく。そんな中、彗星の如く現れた天才のトレジャーハンターがいた。
クライ・アンドリヒ。
トレジャーハンターにおける実力の指標である『レベル』。若くして10まで存在する内の8にまで至った天才トレジャーハンター。
帝都でも間違いなく五指に入る紛れもなく英雄であり、ティノが所属する集団――クランのマスターでもある男。
通称『ますたぁ』。
その力は空を裂き大地を割る。指一本動かさず犯罪組織を壊滅させるなど様々な逸話を持ち、《千変万化》の二つ名を与えられた紛れもなく最強のハンターの一人。
本来ならば天上人である。王侯貴族からも依頼が持ち込まれると評判の男と、まだ中堅の域を出ていないティノの間に面識があるのは、ティノの師匠がクライ・アンドリヒの幼馴染だったためだった。時々、冒険に連れて行ってもらう仲である。
だが、そんな事は今はどうでもいい。
《千変万化》の二つ名の由来はクライ・アンドリヒがあらゆる物事に精通している点にある。
だが、それでもティノはこれまでますたぁが料理している姿を見たことがなかった。恐る恐る誰もいない店内を歩くと、失礼を承知でますたぁに尋ねる。
「……ますたぁ……料理、できたんですか?」
「実は昔から喫茶店をやろうと思っていたんだ。むしろハンターよりもこっちが本命なんだよ」
「!?」
「店を作るのに時間がかかってしまってね。ティノが一番乗りだ。座って座って」
「は、はい…………」
促され、席の一つに腰を下ろす。
背筋をピンと伸ばし膝の上に手を置くティノに、ますたぁは爽やかな笑みを浮かべた。
「さぁ、お客さん。何食べたい?」
「えっと……メニューとかは……」
「メニューはまだないけど、食材は揃ってる。自慢じゃないけど、なんでも作れるよ」
ますたぁが自慢げに包丁を掲げてみせた。
思わずため息が出た。それはティノがいまだかつて見たことがないくらい美しい包丁だった。
金色の刃はティノの顔を反射するほどに磨きぬかれ、吸い込まれてしまいそうな輝きを放っていた。
いや――もはやそれは包丁の域にない。一流のハンターだってここまでの刃物を持っている者はいないだろう。
まさに、英雄が持つに相応しい包丁だ。一見料理をする格好に見えないますたぁが一流のシェフにすら見えてくる。
「なんでも、ですか……」
「そうだ、ケーキ! ケーキを作ってあげよう! 喫茶店だからね、好きでしょ?」
「は、はい……大好きです。ケーキ…………え?」
でもそれ、包丁使わないんじゃ……。
そんなつっこみを入れる前に、ますたぁがスキップでカウンターの奥に引っ込む。
トレジャーハンターは過酷な職だ。魔物の蔓延る地で野営をすることもあれば、その辺に生えている野草で料理を作る事もある。ティノも料理はそこそこ得意な方だが、一流のハンターともなれば万事に於いてそつなくこなすものだ。
そんな一流を越えた超一流のトレジャーハンターが作るケーキとは一体いかなる味なのか。
緊張しながら待っていると、ティノの耳にふと奇妙な音が聞こえた。
とんとんとんとん。
「え……??????」
とととととととととと。
「????」
どこか心地のいい音。だが、明らかに包丁を使っている音だ。
一体、ケーキを作る上でどこに包丁を使っているのだろうか? チョコレートでも刻んでいるのだろうか? いや、そもそも、これから焼くのだろうか……?
目を頻りに瞬かせるティノの前に、ますたぁが出てくる。
その手に乗せられたお盆の上には立派な苺の乗ったショートケーキが――。
「え???? え????」
まだ厨房に入って五分しか経っていない。
目を丸くするティノの前に、ますたぁが見惚れるような笑顔でケーキの乗った銀の皿を置いた。
「さぁ、できたよ。召し上がれ」
見れば見るほど見事なショートケーキだ。普通の喫茶店で出てきてもおかしくない代物である。
一流のますたぁ。一流の食器。一流のショートケーキ。
ティノは恐る恐る銀のフォークで苺を突っついた。
「…………あの。ますたぁ、今厨房で包丁の音――」
「ああ、ケーキ作ってたからね」
「???? 一から作ったんですか?」
「もちろん。できたてだよ」
どこか自信満々に『ますたぁ』が言う。ティノはもう一度皿を確認した。
一体どうやって……。
生クリームの苺のショートケーキは五分で作れるものだっただろうか? そもそも包丁を使う工程はあっただろうか?
ティノだってお菓子くらい作る。だが、五分でショートケーキを作れと言われたら……とても困るだろう。
ティノは甘いものが好きだ。苺ショートケーキも大好物だ。敬愛する『ますたぁ』が作ったともなれば、是非もない。
だが、『美味しそう』の前に疑問がきてしまう。いつまで経っても手をつけないティノに、ますたぁは不思議そうな表情をしていたが、ぽんと手を打った。
「ああ、紅茶がなかったね。気が利かなくてごめん」
「え?」
「喫茶店だもんね。ちょっと待ってて」
ますたぁが再び厨房に消える。
椅子に座りじっとケーキを睨みつけるティノの耳に、またあの音が聞こえてくる。
とんとんとんとん…………とととととととと――――。
「!? !? !?」
ない。絶対に有り得ない。ケーキに包丁を使うことはあるかもしれないが、紅茶に包丁を使うなんて――。
頬を引きつらせるティノの前に、ますたぁが戻ってくる。その手のお盆には湯気の立ったティーカップが乗っていた。
ティノの目の前にお茶が置かれる。美しい銀のティーカップ。その中に注がれた液体も茶器と同じように美しい。
正真正銘の……紅茶だ。
「ま、ますたぁ? 紅茶に、包丁!? 使うんですか!?」
「? うんうん、そうだね」
ますたぁの表情には一切悪びれた様子はない。だが、ティノは知っている。
天上人。最強のハンターである『ますたぁ』の常識はまだレベル4の、ちょっと有望程度のハンターであるティノにとっての常識ではない。
「…………その……ちなみに、材料は、なんですか?」
「んー……? わかんない」
「そうですか。わかん――え?」
聞き捨てならない単語に、思わずケーキを凝視する。白いなめらかな生クリームに輝くような苺が一つ。
紅茶については目をつぶろう。苺のショートケーキに包丁が使われた事もまあ良しとする。
だが、苺のショートケーキなのだから苺は絶対に使われて然るべきだ。子どもだって知っている。
苺のショートケーキには! 苺が! 乗っているのだ!
ティノは恐る恐るますたぁに確認した。
「…………苺は使ってますか?」
ますたぁは満面の笑顔で答えた。
「使ってない。凄いでしょ!」
「!? は、はい……す、すごいですね。………………すさまじい……」
ではこの美しいショートケーキの上に燦然と輝く赤い宝石のような大粒の苺は一体何なのだろうか……。
疑問が脳裏を埋め尽くすが、敬愛するますたぁはまるでティノがケーキを食べる姿を楽しみにしているかのような視線を向けてきている。
ますたぁが作った一流クランのメンバー。ますたぁの口利きでつけてもらった超一流の師匠。
そしてこれまでも散々ますたぁには助けて貰っている。その笑顔を裏切る勇気はない。
ティノは震える手でフォークを握り、ゆっくりと苺に突き刺し、慎重に持ち上げる。
覚悟を決めると、口に運んだ。
――見るからに甘そうな苺からは、一切甘い香りがしなかった。
「…………きゅう」
§
喫茶店『森羅万象』。
これは、料理を一切できない『ますたぁ』が、味見もせずに料理を出す、そんな喫茶店の物語。