第九話 辻褄の彼方へ
世の中、作家になりたい人が多すぎる。作家「なら」なれる、とでも思っているのだろうか。当社に寄せられる原稿のレベルは年々下がっているように思えてならない。
とくにイライラするのが「ベット」「バック」。正しくは「ベッド」「バッグ」だが、発声すると確かに「ド」「グ」が濁点ナシに近い響きになる。だが、学校で「外来語・カタカナ語」として濁点つきで習っているはずだ。発音どおり「ぼくわがっこうえいきました」とは書かないのと同じ。もちろん「英語をカタカナにしたら、表記割れが生じた」という類の、カタカナ表記のあいまいな言葉はあるが、「外来語」として明治の昔から日本語に定着している「ベッド」「バッグ」は濁点が付くと決まっている。でも広告や看板にまで「バック」とか書いてあって、作った人はプロのはずなのによく恥ずかしくないなと思う。
入力ミスとか、時々間違える人もいるとか、そういうレベルなら仕方ない。でもあまりに多数の「作家志望」の人が、この程度の外来語もまともに書いてこない。最近は「延々と」を「永遠と」だと思っている人も多い。確かに発声すると「えいえんと」っぽい気がする。そういう「なんか、そう聞こえるから」という誤りだらけの日本語がてんこもりなのが最近の原稿。そういう人が大挙して作家を目指しているなんて、嘆かわしい時代だ。
だが、それ以前の大いなるものが欠落している人が時々いる。私の、ある敗北の歴史をここに記そうと思う……。
著者は二十代後半の女性。職業はフリーター。昔はフリーターと言えば「楽な仕事を転々とする根なし草」という感じだったが、現代は「正社員の枠から漏れ、アルバイトの雇用形態でがんばる人」と言えるだろう。二十代で貯金もないだろうに当社から出すのだから、良い本にしてあげたい。私はそんな著者に同情しつつ、原稿を読みはじめた。
物語がいきなり『私は森の中をさまよってた。』と始まるのは単にインパクト狙いだから唐突でかまわない。だが「寝ていたはずが、いきなり森をさまよっている。どうやらこれは夢ではないらしい」と悟った主人公は、
『ここは異次元なのだ、とそっこう理解した。』
と、恐るべき察しの良さを見せる。「寝ていたはずが森にいた」というだけの情報から、そこを「異次元」とまで理解する唐突さは……。まあいい、先を読もう。
『なんか家とかないかなと思ったら速攻発見して住みつくことにした。』
異次元なのに普通に家があるんか。てゆうか「そっこう」好きだな。
『すむからにはそうじだよね。裏の井戸でホースから水を汲んでぞうきんがける。』
突然異次元の森に都合よく家があるのは作品の都合として見過ごすが、「そこに住もう」という判断の速さ、すごいな。そして異次元なのに井戸があり、しかも主人公、「裏の井戸で」って、元々井戸があるのを知っていた勢いだね。そしてなぜ井戸なのに「ホース」?
その後何度か「井戸」は出てくるのだが、著者はどうも、「井戸」をそもそも「深く掘られた穴で、そこから水が手元に自動的に出てくるもの」と思っているらしい。
『井戸から水が出なくて困った。ホースが詰まっているではないようだ。こうなったら自分で井戸から水を汲むしかない』『こんなアナログな井戸じゃ困る』
井戸はそもそも、自分で水を汲むアナログなものだ。知らないなら「井戸」を出すな。
家をそうじするくだりでも「ぞうきん」「モップ」がどこからか出てきたが、掃除が終わると、なんと家の中から「缶詰」が見つかる。異次元なのに「さんまの蒲焼の缶詰」が。そこで主人公は米を探しはじめる。もちろん、見事見つける。だが『古い棚の底に壷があり米が入っていた。』(「棚の底」ってなんだ、などのツッコミは今後割愛する)の後に続く文は『時間はかかったが、一生懸命竹で火を吹いたらちゃんと炊けた。お釜を開けるとお米が立ってる。』。釜はどこから見つけたのか……それも、もういいや。でも火の元は。かまど的な、釜を使うための何かしらの構造物は。お米が立ってるとかはどうでもいいから、そういう辻褄の合う設定を書き込んでくれ……。
驚いたことに、このあと海に入って素手で魚をたくさん獲った主人公は(器用だな!)、水にぬれた服を乾かすために火を起こそうと七転八倒する。いやその前に、ごはんを炊くところで火を起こしたはずだよね? かまどに(これまたなぜか)元々火があったのなら、それ使えばいいし。
そして服を干した主人公は眠りにつく。火を起こすのには苦労したのに、服をかけるのにちょうどいい竿は、偶然にも『屋根にかかっていた』。「竿が屋根にかかっていた」って、どういう状態だろう?
『あー布団に入るって幸せ。あったかーい。寝ようっと。』
異次元でぽっと見つけた家に、よくまあ『あったかくて心地よい布団』があるものだ。
翌日の場面で、物語は急展開する。
『真菜緒はびっくりした。湖に、水死体が上がったのである。』
え、湖ってどこ。前日は「海」に入って魚を獲ってたよね。いやいやその前に、「真菜緒」って誰。初めて出てきたんだけど。また「一人称主観」から勝手に「三人称客観」に変わっているな。ほんとに、ファンタジーを書く人って、この「視点」をみんなしてわかってない……。視点もナンだけど、読者に「主人公は真菜緒という名だ」と紹介してくれよ。
『怖いからとりあえずハンカチを顔にかけた。首に絞殺の後があり、殺人事件だと思った。そのとき、無人島かと思われたこの島に人影が!』
「人影が!」って、次回予告や番組宣伝じゃないんだから。それと「あと」の字違う。
『真菜緒は人影を呼び出して死体を見せた。』
人影を呼び出すって、壷か何かから、ゆらゆらっと呼び出したのか?
『「水死体を見つけたんです。ここにほら……絞殺ですよ」私は言った。』
水死体の死因は溺死。絞殺されたら絞殺体。絞殺された水死体はない。
『死体は片付けられていき一方私は事情を聞かれた。だが、異次元から謎の力があってここの森の家に、連れてこられたと信じてもらえなくて言えない。とにかく一人で近くに住んでいる話をして来てくれることになり一緒に家に帰った。』
人影はどういう人物だったんだよ。あと、何人いるんだよ。死体はどこに誰がどうやって片付けたんだ。それに、普通に日本で起こるような出来事ばかり起こってるし、ここがどう異次元なんだ。しかも「謎の力があった」と、(文は変だけど)異次元に来る際の秘密がさらっと判明。なぜわかった。
『「そう……。君は、〝選ばれし者〟なのかもしれないね」
「ええっ!」
「だったら、守るよ。これからよろしく」』
状況がよくわからない。多分、この著者の脳内では、人影が何人だったかはともかく、そのうちの一人が若い男で、ここではそいつと真菜緒が話しているんだろう。セリフではこれが男とも女とも判断できないが、著者の脳内で男として展開しているのが感じられる。だが突如〝選ばれし者〟とか勝手に言われてもなあ。それに、「人影」はこの人だけじゃなく、死体片付けた人が別にいそうだったよね。この人だけなの、どうなの?
『「君はドラゴンの血を引いているんだよ。この世界の救世主だ」
「そんな、私は何のとりえも……」
「今ここにいることが、勇者の証だよ」』
なんで? この真菜緒が異世界の人だってこと、まだ言ってないから人影の人は知らないはずじゃん。それよりも、ただの空き家住まいの迷子の女子を「ドラゴンの血を引く選ばれし者」といきなり見抜くこの人こそ、すごい超能力を持つ救世主なんじゃない?
『「この世界は警察が取り切っている。まずは勇者として警察に話をしにいこう」』
「取り切る」は多分「取り仕切る」だよね。でも「世界を警察が取り仕切る」って何?
『「さあ、こっちだ。ここを曲がって、ほら、警察が見えてきた」』
警察署、近っ! セリフじゃなく道を行く様子を地の文で書いてくれよ。
『「警察だ」
「あの、偉い人に話があるんですが」
「わかった、そこのおまえだけ通ることを許す」
「えっなんで?」
「おまえは用はないはずだ」
「うわっ!」
「なんで、私達一緒に……」
「おまえだけ来い」』
セリフだけで、伝わったと思うなよ……。最初の「おまえ」と次の「おまえ」はどっちがどっちなんだ。多分真菜緒が連れていかれたんだろうけど。真菜緒とセットになっているこの「人影」がつまるところ誰なのかも、いまだに説明出てきてないし。
そこからまたセリフだけで話が進んで、なぜか真菜緒は警察の会議室で偉い人たちに取り調べを受ける。でも、警察署の入り口でこの「人影」くんが「この人はドラゴンの血を引く救世主なんです」とか言ったんならともかく、「なんか普通っぽい女子が、誰かと一緒にやってきただけ」の状態で、なんでこんな大変な騒ぎになるのかなあ。
警察と真菜緒の問答も意味不明だが、きりがないので割愛する。真菜緒が一人で住んでいると言うと「会議場が騒然と」したり「大声を上げる者もいた」りするんだけど、なんでだろう。……などなど、謎だらけの問答の嵐。いいから先へ進もう。
『「おまえが異世界から来たという証拠は?」
私は答えられない。何もない。だって寝ていたらここに来ただけだ。
「待て!!」
バーンと開く会議室のドア。よかった、来てくれたんだ!
「その人が見つけた死体に秘密があるんだ」
「な、なんだと?」
「嘘だ、そんなはずあるか!」』
誰が「来てくれた」のか、書いてくれよ……。まあ「人影」の人なわけだけど。ここで初めてこの人が「待て」と男言葉っぽくしゃべったので、ここからはこれを「彼」と呼ぼう。で、なぜ彼は、警察の入り口を入れなかったのに、会議室には入ってこられたんだ? 多分、著者的には「ここでドアがバーンと開いて入ってくるとかっこいい」ということでこういう場面にしたんだろうな。大して考えもしないで……。
先に言っておくが、こうした「変だよね」「辻褄合わないよね」という箇所は、最後まで何も解決されなかった。「実はこういうことだった」とか「この世界はこういう設定で、だからこうなるのもやむを得ない」といったことはなく、意味不明なままにされた。
『「死体は多分、この人がこの世界に来たのに巻き込まれて死んだのでしょう」』
絞殺の痕があったし、水死体とも言われてたやん。
『「死体を確認してください。森に埋めてあります」』
死体をどこに片付けとんじゃ! 死体遺棄事件になってるよ!
『「わぁー線路を歩くんだ。みんなで線路を歩いて死体を掘り出しに行く話があったよね」
「君、天然だね。映画の話なんてしてる場合じゃないよ、死体怖くないの」』
なんで異次元の男の子が「線路を歩いて死体を」と聞いてすぐに『スタンド・バイ・ミー』のことだとわかるんだ(なお、余計なことだが、あの作品では死体は「埋まって」はいない)。それにこの「異次元」、鉄道も敷かれているのね。異世界感まるでないんだけど。
唯一この作品の救いは、セリフだらけなので文法のミスが比較的少ないこと。文が下手な人も、セリフならそこそこ書ける。地の文を書かせてみるとすぐに馬脚を現すけど。
『森は寒くて震えると上着をかけてくれた。キツネにつつまれた気持ちになった。』
ほらきた。「つつまれた」じゃなくて、「つままれた」だ! そして、「狐につままれたような」は当然、「あったかい」という意味ではない!
『背負ってきたパワーショベルやチェンソーで警官がみんな土を掘る。』
チェーンソーは地面を掘らないよ。あと、パワーショベルって重機だよ……背負って持って来るのは無理だよ。ここに来るのに細い岩の隙間とかも通ってたし。もう、ファンタジー世界だから、「この世界では、これでOK」としよう。ファンタジーって便利。
『いよいよ白骨死体が発見された、そこに地球にのみしか存在しない植物がついていたので、私が地球の者だとっていうことが証明された。地球とわかり、皆おどろのいていた。』
死体、二日で白骨化してる! あと「地球にしかない植物」が周囲の人によくわかったね。てゆうか、なぜあの彼は、この人の死因を知っていたの。「真菜緒を異次元に呼んだのは彼だった」とかの設定にしないと辻褄合わないよ。それになぜみんなが「地球」を知っているの? ただ、それなら『スタンド・バイ・ミー』くらい知ってていいことになるかもしれないけど。それに、埋まってた死体に地球の植物の一部が付着していたからって、それが真菜緒と直接関係があるという証明はできないよね。もはや、どこを直したらマトモになるか、まるっきりわからない。
この後、突然「伝説の仲間」が警察の中から名乗り出てきて、荒れ果てた城(著者は「洗え果てた城」と書いていたが)に向かって旅立つ。途中、雑魚っぽい変なモンスターが唐突に現れて(これまで「モンスター」なんて、いなかったのに!)、五人いた仲間の一人が死ぬ。仲間が死んで泣く場面が書きたかっただけらしく、さんざん泣いた後、わりとケロッと馬鹿話をしながら旅を再開。モンスターが出るのはここだけ。適当すぎる……。
編集者は超能力者でなければならない。クライマックスで、真菜緒が突然「コロン!」と叫ぶ場面があった。私は即座に、この「コロン」が、あの「人影」であった「彼」の名前だと承知した。とうとうこの一か所にしか、彼の名前は出なかった。後から増えた「伝説の仲間」はちゃんと最初から名前が書かれてたのに。
ラストで真菜緒は、どこからともなく謎の杖を探し出してきた。杖が輝いて殻を脱ぎ捨てると聖なる杖が現れ、真菜緒はそれを使ってこの「異次元」を救った。
でも、一番の問題は、物語において、この「異次元」がどんな危機を迎えていたのかが、まるっきり書かれていないことだった。真菜緒の奴、杖で「何をした」からこの異次元が救われたんだろう。これをやらなかったら、この異次元はどうなっちゃったという話なんだろう。「ドラゴンの血を引く救世主」という話も最初だけしか出てこなかったし、真菜緒は「たまたま、杖を見つけた人」というだけで、「彼女だけが聖なる杖を使える」ということでもなさそうだし……。じゃあそもそも、真菜緒は、なんでこの世界に来たんだろう。
この作品は、私もとうとう白旗を揚げ、ストーリーはこのまま直さずに完成させることにした。だって、何から何まで、ありとあらゆることが意味不明なんだもん……。