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第八話 社会性とは何か

 当社から本を出す人の中には、「ほんとは俺ってすごい才能があるのに、世間が不当に認めない」とか思ってる人がけっこういる。「俺」って書いたけど、こういうタイプは男性が多い。女性はプライドが超高くても、表向きは謙虚にすべき……みたいな文化が根底にあるのかな。男女差別をする気はないけど、傾向はやっぱりあるんだよね。もちろん全員じゃなくて「傾向」の話だけど。

 今回来た小説は、そのたぐいだった。就職に失敗した主人公が、就職浪人中にえらく都合のいい人と出会って結果的に就職できるんだけど、それを「努力を続けたことで成功をつかんだ」と書き綴っていた。……。


『集団面接ではそれぞれが出身大学と名前を言ってからになるのだが僕の時の他の人は早稲田、早稲田、慶応、明治で、法政の僕以下の大学は日大の人だけだった。圧倒的に不利としか言いようがない。間違って明治の人に勝てたとしても早慶が三人もいるのだ。』

『案の定僕は落ちた。出身大学で採用を決めるなんておかしい。社会に出てからの能力と言うのはまた違うのに。納得いかなかった。』


 会社が出身大学で採用したとは限らないだろうが。この時点で「主人公の勝手な推測だけに依拠して物語が進んでいる」という、小説としての破綻を迎えている。


『次に受けた会社では受付嬢が綺麗な人で、こういうところにきちんとお金をかけている企業は見込みがあると期待した。』


 えっ、それ、どういう意味。意味がわかんない。金を出したら美人が使えるの? 美人を使うことを「きちんと金をかける」って言うの? 美人を受付に据える、イコール「いい企業」なの? 女性を何だと思っているか、よくわかるわ~。


『僕は英検三級を持っていることと、漢検三級を持っていることをアピールした。学生という立場であるにもかかわらずこのような資格を独学で取得したという、努力を見てほしかった。』


 英検? TOEICとかTOEFLとかじゃなくて? あと、漢検について言うと、私はなんにも勉強しないで二級取ったけどなあ。私は確かに国語の成績はすごく良かったから、楽に取ったからってこれ自体を「簡単な試験」と言うつもりはないけど(準一級は及びもつかない難しさだったし!)、二級までは私みたいな感じで取れちゃう人ってそれなりにいるわけで、企業も漢検三級を全力でアピールされるのは微妙だろうなあ。

 あと、「学生という立場であるにもかかわらず」って、英検と漢検は、実に学生らしいチョイスだと思うけどなあ。「独学」ってのも、学校の勉強の延長のレベルで取るようなジャンルの試験だしなあ。でも、そんなことを言ったらまずいだろうなあ。やっぱり直さずにこのままいくしかないよなあ。


『面接の雑談の中でわかったのは、面接官が立教大学の人だった。僕はこの企業も落ちることを確信したのだ。法政の学閥の会社はなかなかないのだ。大学受験でもっとがんばらなかったことを心底後悔した。

 そこからはできるだけ立教大学への賛辞を述べるようにしたが、面接官の微妙な表情はすでに僕を落とすことを決めていたに違いないと信ずるに足るものだった。法政が何を言っても無駄なのだ。勝負ははじめから決していた。』


 多分、自分自身の経験そのままなんだろうな、この作品。後ろの「妙にみんなが自分を助けてくれて上手くいった」以外の部分は。その「微妙な表情」、面接官がキミの何に向けていたかを理解することは一生涯ないんだろうね……。就職目当てで出身大学をおだてられても、面接官は苦笑するしかないよ。


『一人、定食屋で晩ごはんを食べて帰った。定食屋はすいていて店のおっちゃんが話しかけてきた。大学がダメでなかなかうまくいかないことを話すとおっちゃんは「俺も大学を出てるけどこんな仕事だよ」となぐさめてくれた。聞いたこともないような大学名で、多分レベルが低いんだろう。でも僕はそういう大学ではないので定食屋ごとき職というわけにはいかないのである。』


 まだ社会に何ら貢献してないカンチガイ学生のあんたより、おっちゃんと言われる年齢までしっかり商業をして社会生活を営んでいるこの定食屋の店主のほうが、よっぽどいっぱしの人なのに、「定食屋ごとき職」と来ましたよ。

 学歴以外、なんにも見てないじゃん。そんなうすっぺらい価値観で就職を考えていることは、人事担当者にすぐ見透かされるよ。大学名じゃなくて、人間性の未熟さと視野の狭さで就職試験に落ちてるだけじゃん。

 この小説、読者が主人公に共感できないと思うんだけど、お手上げだよねえ。だって、東大や京大や早慶のレベルじゃない大学出身の編集者ふぜいが、「学歴に凝り固まったあんたの人間性が垣間見えて不愉快。まるで共感できない」とか言ったら失敬だもんねえ。


『なんと、その面接では話が非常に盛り上がった。面接官は僕と同じJリーグのファンで、今はもうチームの母体が変わってしまったがかつての読売ヴェルディの大ファンだったそうだという。僕もカズが大好きで、子供の頃はみんなでカズダンスを真似たものだ。あの頃のJリーグには夢があったが今は、という話でとてもウマが合い、試験管は「カズファンを落とすわけにはいかないからきっと次の面接に呼ぶよ」と言ってくれた。

 そして言ってくれたとおり、二次面接の通知が来た。』


 こういう個人的な趣味が合ったとか合わないとかで合否を決める面接官(途中「試験官」になり、しかも「試験管」に誤変換してるけど)も、どうなんだ。いや、そこは、「その話を通して、企業人としての人間性を見た」という解釈でいいことにしよう。でも、主人公にとって「サッカーの話が合う面接官に巡り会えたのがうまくいった理由」というこの書き方で、いいんだろうか。そしてこの物語は、それを「前向き」とか「努力」とか称して進んでいって、読者の共感を得られるのだろうか。


『だがこの企業の次の面接は三対三の集団面接で、前回の面接官は一番下っ端のようだった。まずいぞと思った。一番の味方が当てにならないなんて……。

 僕の他の二名はどの大学出身かわからなかった。話し方から一人は僕より下ではないかとうすうす感じたが、一人は上だったかもしれない。』


 もうさ、学歴とかどうでもよくない? 何がそんなに気になるの? 私も社会人生活長いけど、正直、出身大学と仕事のできる・できないはほんとに関係ないよ。それは人事の人もとっくにわかってるし、就職活動をする側がそこを気にしてもいいことは何もないよ。


『残念にもこの企業も内定をくれなかった。二次面接にまでも呼んでくれたあの面接官から来た落ちた連絡メールの最後に「追伸」という形にて私信が添えられていた。

「東京外語大と中央法学部の人を落として君を二次に呼んだのに残念です」と書かれていた。この人は、学歴を見ずに、本当に僕自身を見てくれたんだと思うと目が熱くなった。でもやはり、企業の中ではそうした人間性を見る人も上の人の意向には従わなければならないのだろう。企業とはそういうものだ。僕もわからないつもりはない。』


 そういうものってどういうものやねん。サッカー話で意気投合したからと面接に合格させて、もっと学歴が上の人を落としてあげたんだぜというおかしな自慢を寄越すこの面接官のほうが、よっぽどおかしな奴だと思うのだが。てかそんな要らん私信つけるなよ。


 とにかく延々とこの調子で、社会的な感覚がずれていて過度に学歴主義な主人公が、自分勝手で納得できない理屈を並べて企業や社会に不満を申し述べる話が続く。

 そして後半、主人公はこのサッカー好き面接官とサッカー場で再会して、彼が獅子奮迅の活躍で主人公を大企業の二次面接に送り込んでくれる。面接官の後輩が大企業の人事をやっていて、「先輩の言うことを聞け」とかやってくれたという展開。「優秀な人材だから」とかならともかく、「うちの会社には落ちたけど、彼、サッカー好きだから面接二次から呼んでやって」っていう展開は、変じゃないか?

 まあそこは小説らしいご都合主義として見過ごそう。

 だが、そこからは、二次面接の面接官が二人とも「僕は法政大学に落ちたんだ、君はすごいね」と〝能力を買ってくれて〟部長面接に進み、部長が〝野球ファンだったがために〟サッカーファンの主人公を落とそうとしたものの(何の面接なんだ?)、二次面接の面接官たちが「彼は素晴らしい人材だ」と部長に強く訴え(何を根拠に?)、特別に社長が会ってくれることになるのである。すごいな日本社会。

 社長面接の数日前に、道でおばあさんの荷物を持ってあげた主人公は、おばあさんの家に招かれるが、そこが大きなお屋敷で(きたきた!)、家族から温かいもてなしを受ける。そう……社長面接で相対した社長さんは、このお屋敷で一緒に食事をした、おばあさんの息子だったというわけだ!

 だが、社長は「個人的な恩で採用を決めるわけには」と悩む。唯一真っ当な登場人物だな、この社長さん。てゆうか、「道で母親の荷物を持ってくれた」というのは、何千人もの社員を抱える優良大企業に採用してあげるほどの「恩」ではないと思うのだが……。

 おばあさんは「今どき、荷物を持ってくれる人なんてまずない。彼は今の世の中にとって貴重かつ希少な人材だ」と息子を諭し、主人公の採用を促す。いや荷物持つ人ってそんなにも希少じゃないと思うんだけどな。私も女だけど荷物持って駅の階段上がってあげたこと何度かあるし。断られたこともあるし。人が持ってあげてるのも何度か見たし。何より、母がどうこうとかいう個人的なことで採用を左右するなよ社長さん。

 そして二次面接の面接官二人も「他社からも高く評価された人材で」と主人公をバックアップ。え、その「他社」を落ちたのに? さらに野球ファンの部長さんも「他の東大や早慶の人に交じって彼は一人、がんばってここまで来た。努力を認めてあげたい」とか言い出す。また学歴主義登場。しかも、主人公、意味不明のコネのごり押しであって、努力とかがんばるとかじゃないし。

 こうして社長にじきじきに内定をもらった主人公は、入社のときも「彼は社長のお墨付きなんだって」と一目置かれたりちやほやされたりして、仕事もバリバリこなして人望を集め、早稲田大学卒の同期を差し置いて(笑)一番に昇進したのでした……というお話。


『人は学歴じゃない。学歴を乗り越えて努力することそのことこそが成功を呼び寄せる鍵なのだ。明日も頑張ろう。僕は夕暮れの町を軽やかに駅に向かい歩くのだった。』


 もう充分にギャグだと思うのだが、あとがきもかなりの〝オチ〟だった。

 僕は小学校の時国語の授業で先生にほめられ、中学では先生に神童とまで言われ、名門高校に進学したが、大学受験では某H大学にしか受からなかった。それは受験の際に体調を崩していたからで、本当はもっといい大学に行けるはずだった。たまたま偶然運悪くいい大学に行けなかったがために、僕の転落人生が始まった。大学のレベルが低かったがために内定も取れず、合コンでも女の子に相手にされない。人生にこんなにも学歴が影響するなんて思いもしなかった。人が学歴でしか人を見ないことにもがっかりした。

 この小説は、そんな社会へのアンチテーゼをこめて書いたもので、学歴のために虐げられた多くの人が共感してくれることを信じている。まだ最初の作品だから未熟だが、かつて小学校の先生が「将来、小説家になれる」と言ってくれた以上、僕には才能があると信じている。学歴の低い僕でも努力すれば芥川賞や直木賞を取れることを証明するために、今後も作品を発表していくので、一ファンのあなたも応援してほしい。未熟な社会を僕たちの力で変えていこう。

 ……だそうだ。だいたい不特定多数の読者に向かって「一ファン」扱いって失礼だと思うんだけどな。女子にモテない理由も学歴じゃないよな。てゆうか、この著者言うところの某H大学は天下の「六大学」の一つなので、それをここまで卑下したら、世の中の多くの人に心底失礼だと思うんだけど。「この大学より学歴が低ければみんなダメでモテない」とか、世の中を決めつけるなよ。

 もういいや。文法の変なところを直して用字用語の統一をして、このまま出版してあげよう。彼の未来に幸(「社会的に変だよ、ボク」ということを理解する奇跡が訪れること)あれと漠然と祈って……。

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