第七話 青すぎる芝生
わが蕾花社は、今期もすれっすれの状態ながらなんとか倒産せずに生き残ったようだ。上司が社員総会から戻ってきてそんなことを言っていた。派遣社員の私も胸を撫で下ろす。
一応、愚痴愚痴言ったりしているが、この仕事がつまらないわけではない。プロの作家さんを相手にしていた時には出会えなかった「小さな宝物」が、この世界にはたくさん転がっている。玉石混交、大いに結構。がっかりするような駄目石や、磨かせてもらえない原石なども多々あるが、当社に来た時よりたいがいは少し輝く石や玉にして世に出せているとは思う。だから、食い扶持であり、それなりにやりがいのあるこの会社がなくなるのは困る。
ところで、第一話で「霊感屋敷」なんてのを担当していた頃、もう一人いた編集担当の派遣社員はとっくに辞めてしまった。私はまだ三年目だが、相棒たるべきもう一人はすでに三人が辞め、先日四人目がやってきた。
「編集」とひと言で言われるが、編集の仕事って、実は出版社ごとにえらく内容が違う。ヨソの会社に移った時点で「その会社のやり方」を覚えるまでに一苦労する。私なんか、うかつに大手の出版社にいたもんだから、編集の仕事は「下請け管理」だった。実質的に「編集」をするのは下請けで、各下請けをうまく動かすのが私の任務。でも蕾花社では、下請けがやっていた「現場の編集仕事」をやるのが私の仕事になった。ま、本来はそっちが「編集の仕事」なんだけど。でも、そのどっちも編集という仕事なわけだ。
弱小出版社である蕾花社には、従業員の真っ当な教育システムがない。全部OJT、「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」つまり「やって現場で覚えろ」という形で教える。と、いうことは、新しい派遣社員が来るたびに面倒を見るのは私である。おいおい、派遣社員に本業の「編集」以外の仕事をやらせるのはマズいんだぞ。先日も派遣会社が「お茶汲みやコピー、電話番などをやらされていたら行政指導の対象なので要注意」と釘を刺していった。「すぐヤメてく他のハケンに仕事を教えるのに、けっこう時間取られてます」なんて言ったらマズいんだろうなあ。黙ってたけど。
本来新しい派遣に指導をする役回りである上司は、年中「会議」に出ている。ダメな会社は無駄な会議が多いというが、まさにそれだ。上司も私に「編集」以外をやらせるのはダメだということは理論上(笑)わかっているようだが、席にいないのだから当然新入りは私に訊くしかない。結果、「ウチの会社ではこうやるのがルールだよ」ということをなんでもかんでも伝えるのは私の役目となる。
さて、蕾花社のライバル……いや、ウチなど及びもつかない、この業態最大手のBG社が、またヒット作を出した。なんでも、一年ほど前に倒産した自費出版系出版社「紅海舎」が出していた作品で、少し話題になっていたものをいくつか再版したのだそうだ。それが大ヒットとは、いやはや、うらやましい話だ。
紅海舎の倒産に伴って、そこから出ていた出版物は全部絶版になったのだが、どうも「そろそろやばい」と思った経営陣が手元に利益を残してとんずらした計画倒産だったようで、当時は「出版詐欺」と大騒動になった。ウチもそのあおりを食って今期の契約は激減した。おそらく、BG社もそれは同じだったろうと思う。
しかしそこが大手であり、業界の第一人者……。BG社は、紅海舎の本が絶版になってガッカリしている人たちに向けて大々的に広告を打った。「格安料金で、BG社の出版物として再版します」……。「自費出版の社会的な地位を守りたい、業界第一人者として黙っていられない」という形で広く社会に「救済」をPRしたこの作戦は当たり、紅海舎以外の倒産した弱小自費出版社の出版物も再版してほしいと依頼が殺到したという。
その中に、紅海舎の販売力が弱かったためにヒットしなかった名作が何作も含まれていたらしく、「敗者復活作品」からプチヒット作がいくつか出た。そこに目をつけたBG社は、〝紅海舎刊の割には〟売れた作品を探し出し、著者に「BG社が予算を出すから再版を」と声をかけていったらしい。そのへんの個人情報をどうやって手に入れたかは定かでないが、ウチの社内の人のウワサでは、紅海舎の管財人が負債の整理の一環として一枚噛んでいたという話。
結果、そうやって拾った作品は「あの、社会問題となった紅海舎の倒産を乗り越え……」なんていう煽り文句までついて話題性を得たうえ、ピックアップされるくらいだから内容もそれなりに良かったりして、大ヒット。上下巻の小説で、上下巻合わせればもうすぐ五十万部に到達するとかいう、この業界で言ったら「化け物級」の販売数を誇るものまで出した。
大手はうらやましい……。紅海舎他の絶版救済出版は月に三十点にものぼったとかいう話だが、編集部が三人しかいない蕾花社では、どんなに手を抜いて無茶をしたって物理的に無理だ。
じゃあ、BG社がどうやってそれをさばいたかって? だって、あの会社、編集部員だけで四十人前後いるらしいからね。一人一冊上乗せしたら、あっさりさばけちゃうわけ。ちょっと仕事がキツい状況の人だけ外してみんなでがんばれば、月三十なんて余裕だっただろう……。
こうして力のあるところはいろんなことができる一方で、力のないとこは日銭を稼ぐのがいっぱいいっぱい。ため息が出る。蕾花社では、「ヒット作」を出すなんて考えられないなあ。隣の芝生は青いと言うけれど、実際青い、青すぎる。うらやましい……。
そんなとき、たまたまBG社の近くに住む著者のもとへ行く機会ができた。先方は足が悪くて車椅子なので、蕾花社まで来てもらうわけにいかず(バリアフリーとかありえない社屋なので……)、私がお宅にお邪魔することになった。午後一番の訪問となったので、ついでにと、BG社のすぐそばのファミレスで昼食をとることにした。気分は偵察。絶対、ここでランチする社員がいるに違いない。
見事、隣の四人席にBG社の人が座った。社員証を首からかけっぱなしの人がいたので、すぐにわかった。三人はネクタイ姿、一人はバリバリ私服。私は涼しい顔をしてグラタンをつつきながら、聞き耳を立てた。
「どう、社内推薦とか、出してる?」
「一応出したいけど、そこまでのはないなあ……」
何の話だろう。社内推薦?
「何、社内推薦って」
おっ、一人だけ私服の人、ナイス質問。
「内容がいいとか、売れそうなネタだとか、そういう作品をあらかじめ販売部に審査してもらうシステムが最近できたんだよ。内容がいいのにカバーデザインが残念とか、目立たなくて埋もれちゃったとか、そういうもったいないことがないように、ちゃんといい作品は予算つけてどんどん売っていこう、みたいなさ」
げげ、何、その前向きなシステム。もっと話して。
「ウチの仕事って、結局著者がスポンサーだから、著者がヘンテコなデザインを希望したらそういうの作らないといけないじゃん、デザインしててわかるっしょ?」
「ああ、ときどき、ありえないの作らされるよね」
お、この私服の人はデザイナーか。
「そういうのを阻止するために、販売部が事前にお墨付きを出したやつは、こっちから『BG社からも金を出して増刷してやるから、ワガママ言うなよ』ってブレーキをかけるわけ。けっこう、『こういうふうに作れば売れたのに……』っていう不満が販売部から上がってくるけど、編集部としてもどうしようもないことが多いでしょ。そこをね、真っ当なヒット作に仕上げようっていう話」
何、「真っ当なヒット作」って。我々「自費出版系」に、そんな真っ当な話ってありえるの? 著者のワケわかんない素人作文を、著者の趣味丸出しの微妙なカバーデザインでくるんで、書店に数冊並べるのがギリギリのウチの会社では、考えられない……。
だがそのとき、私の脳裏には、「結局売れないんだろうなあ、惜しいなあ……」と思いながら世に出した数々の担当作たちがよぎっていた。BG社なら、この推薦システムとやらにのせて販売部がお墨付きをくれれば、増刷してヒット作に育ててもらえたかもしれないのか。あの、紅海舎では売れなかった作品をヒットさせたように……。
「俺ね、一冊今、審議中。男の料理の本なんだけど、実はなにげに家でそのレシピ参考にしてメシ作ってるんだよね。モヤシとか三袋くらいドバッとゆでて冷蔵庫に入れて、それをちょいちょい引っ張り出して使って楽に作れるの。超手抜きで楽なんだけど、食って帰るとかコンビニ弁当とかよりずっと経済的だし、マトモなもん食ってる感じ。オススメ」
「まじ、それ本できたらちょうだい」
「原稿はほんとにひどかったんだよ、ノートにバラバラに書いてあって、しかも分量が『きのうのもやしの残り全部』とかなの。でも、ほら、料理の出版社から来たおばさんいるじゃん、三階の編集部に。見てもらったら、こういうのまとめるのが得意な料理系のライターさんがいるからって教えてもらって、全部整理しなおしてもらって……」
ライターさん!? って何、下請け使えるの?
「あ、ライターとか使えるんだ」
おお、デザイナーさんナイスだ。私の心の声が聞こえてるみたいだ。
「基本的には自分でやるんだけど、時間食うだけの単純作業とか、専門外の担当になっちゃったからやり方がわかんなくて無駄な時間がかかるとか、そういう場合にはライターに頼めるようになってるから。俺らが時間かけてやるより、単純作業なら安いライターがやればいいし、こういう料理ものとかは専門のライターのほうが全然仕事早いし」
いや、それは確かにそうだけど……、ウチだと、年に一度も頼まないかもしれないライターさんを取引先としてキープすることになるから、しんどいなあ。フリーのライターや編集で、「料理」とかの特殊なニーズに応えられる人を探さないといけないわけだし。
「よくまあ都合よく料理系の人がいたね」
「ウチ、なんだかんだ言って、料理ものは月に一、二冊出てるからね」
「でも折り紙とか編み物とか、けっこうマニアックな担当できるライターさんいるよね。ほら、けっこう編集がすぐ辞める会社だけど、そういう人脈だけはしっかり吸い上げるから。ライターとか、監修できる弁護士とか医者とか、使えそうな人を上司に紹介させてるじゃん。編集が辞めても周囲の人材は手放さない、みたいな」
なるほど! BG社も人がすぐ辞めるっていうのはちょっと意外だけど、人が入れ替わるたびに人脈が増えるんだったら、タダでは起きないと言うか、それなりのメリットも期待できるわけだなあ。
「俺今、鉄道系のチェック、ライターに頼んでる。鉄道って、ちょっと間違いあるとマニアが超~やかましいじゃん。マニアを超えるレベルでチェックとか、マジ無理」
「あ~鉄道うるさいよね。最近、ろくにわかってない、にわか鉄道ファンが本出すとかも多いし。鉄道ライターは、いると助かる」
そこから話はそれて、ワガママ著者の愚痴になった。愚痴の内容は、私が日々苦労していることとほぼ同じだった。文法の間違いを認めないとか、世間知らずで意味不明な要求をするとか、予算がかかることをタダでやってくれると勘違いしているとか……。
私は時計を見て席を立った。レジで金を払い、店を出た。
著者の家に向かって歩きながら、頭の中にはぐるぐると同じ言葉が回っていた。
「勝てねえ」
こりゃ勝てないよ。BG社、すげえよ。ヒット作を出そうという社内のシステムとか、編集者の力不足を補うバックアップ体制とか、蕾花社では及びもつかないよ。ああ……、ため息。
著者の家で打ち合わせを終え、駅に戻る際、またBG社の前を通りかかった。ドア前に誇らしげに超有名作家の講演会のポスターが貼られていて、びっくりした。会社に戻ってBG社のホームページで見てみたら、申し込めば誰でも行けるらしい。
上司に、勤務の一環として行ってもいいかと聞いてみたら、レポート提出を条件に許可された。さっそく電話で申し込んだ(もちろん、蕾花社の者とは名乗らず)。
当日、行ってみてますます「勝てねえ」と思った。講演会の客席は、五十人ばかりの一般客の後ろを、同じくらいの人数のBG社の社員が埋めていた。帰りがけにBG社のパンフレットを渡されたから、間違いなく顧客獲得を目的としたイベントでもあるのだろうが、同時に社員の講習会も兼ねているということだ。そして、その講習会に五十人からの社員が時間を割いて参加するというのは……。
参加させる会社も、参加する社員たちもすげえ。
青すぎる、隣の芝生。
蕾花社がBG社を超えることはできないだろうけど、いつか、BG社のヒット作以上のものを、自分の手でウチから出してみたいなあ。