第六話 解読不能文
毎度、強敵と戦い続ける私の仕事だが、文句をブーブー言っていられるのは幸福だ。
文句を言えるということは、どこがどう悪いかがわかる作品なのだ。
真の敵を前にすれば、ただ呆然とその圧倒的な力の前に立ち尽くすのみ……
『生まれたて、そこそこの幼少のわが子が妙な寒さを覚えて風邪か熱を持って凍え、具合が悪そうで医者に見せるためマフラーは長すぎて私と二人で巻けるくらいある水玉柄で包むと家を出た。』
この文章、どう直せばいいの。「幼いわが子が具合が悪そうで風邪っぽいから水玉の長いマフラーでくるんで家を出た」ということはわかるけど、原文を生かそうと思ったらまともな文章になんてできやしない。
『電車の駅は徒歩のところにあるが遅いのならまだしもフライングですでになく、しかたなく、道を駆け出して夜道を夕焼けの消えかけた中駆け出すと息が白く霞み、電車の後姿をののしりながら走ると体力が奪われる。走りに走る中とんでもない事件がやがて起こるということも知らないまま、そう、それは本当にすぐのことで、ただ走り続けていたのが数分前のことだった。』
……電車に間に合わなくて、息が白くなるような寒い道を走り(夕刻か夜かは不明)、数分走り続けると、その後にとんでもない事件が起こる……ということらしい。てか、電車はまだ姿があったの? なんか漠然と、風景が脳内に描けない……。
『好きで住んでいるわけではなく、住んでいるアパートは山すその洋館で多少おしゃれながら不気味なお化けの出るような凄みのある一軒で、まさに人が住むようなところではないが、近所には他に建物がまったくなく何よりこの山道が苦労され足を悩ませる土地で、しかし彼女の子の父親はこのアパートだけ財産にして所在不明のためやむをえないのだった。すぐにも売って去りたいのにまさに本当にむかつく。』
いっそ意味が汲めないほうがあきらめがつくのではないだろうか……。
物語の視点の主は女性であることがここで判明。この母子は山すそにぽつんと孤立する洋館のアパートに住んでいて、この子供の行方不明の父が残してくれた財産だから出て行くことができないらしい。そういうことがちゃんと読者にすんなりわかる文章に、このトンデモ文を直さなければならないのだ。
てゆうか「もうすぐ事件が起こる」と書いた後で悠長に屋敷の説明かい。説明はもっと前にしておいてくれ。
『立派に行方不明者の仲間入りをして、どこにいるのかはともかくとして、赤ん坊がどうやら熱病で息苦しくてこんなとき父親がいるのが当然だろうと思うが、となんとその時すぐそこに大きな未確認飛行物体が飛んできて山頂にぶつかって大破して、彼女は衝撃に身を伏せると立ち上がった。
山火事を起こし始めて火の手が上がりやがて、燃えすぎて不安になったと思ったら消防車が背後からのぼっていく。呆然とした彼女が見ていたその事件はまじでハリウッドのSF映画のようで、まさに数分前のできごととなった。ほのうが出すぎて視界のすみずみまであたりが赤いがサイレンも後ろからまだまだ続くからもう大丈夫という寸法だ。
だがそれはこれから怒る事件の前フリ、いや前説にしか匹敵しないくらいの慣れないお笑い芸人の寒いそれだとしか言えないレベルに、いやさえもに達していなかった。』
これ、どうしても担当しなきゃダメっすか~。どんどん文がわけわかんなくなっていくし、「ほのう」って何だよ。「怒る事件」とか……この文にさらに誤字脱字まで加わるのか。
契約仕様書には、二段組三百ページ(予定)とあった。一ページに九百六十字も詰め込んで三百ページ分、この呪文が続くんだって~。著者本人にこれをまともに書き直す国語力などあろうはずもないし、やっぱ私が書き直すしかないんだろうな……。
著者には文章の揚げ足を取って赤字で真っ赤になった原稿のプリントアウトを数枚送付し、私の美しい書き直し文を添えて「文法のミスを正すとこうなるけど、どう」と提案してみた。案外あっさりと「全面的に書き直してください」と言われ、安堵。著者は二十代後半の求職中の青年なのだが、二十代、三十代はこうした指摘や「人が書き直す」ということに比較的柔軟なことが多くて助かる。
なお、あくまでも傾向に過ぎないが、「文法変だよ」という指摘をした際、女性は割合五十六十になっても「未熟でお恥ずかしい」みたいに恐縮する人が多く、話が早い。だがその一方で、五十、六十と歳を重ねた男性には「そんなはずはない」「文学的な表現がわからない若造はダメだ」と怒りだす人も多い。社会でいっぱしにやってきた自分が「文書」を書けないはずはない、ということらしい。でも仕事の文書はたいがいが定型文のアレンジだ。小説文になると「てにをは」の助詞さえまともに使えない人は多い。文法がおかしいのは私の独断や偏見じゃなくて、見ればわかる単なる事実なんだよ。
私の仕事上、本をより良くするよう努力はするものの、それよりも著者が契約を解除しないことが優先されるので、残念なことに「著作者人格権を尊重して」、文法デロデロのトンデモ本を世に送り出してしまったことが何度もある。その大半が、五十代以上の男性の作だった、少なくとも私はね。
さて、今回のこのトンデモ文章作品、全力で書き直しをした。二週間、全部この作品の書き直しに当てた。上司も文字数にして正味二冊分のボリュームがあることを認めて、他の仕事を少し軽減してくれたので助かった。
書き直しながら作品全体を初めて読んだのだが、びっくり。冒頭の「赤子を連れて走っていた彼女」は物語に出てこない。赤子もだ。「山に何かが墜落して火事になった」ということを表現したかっただけらしい。えー! その彼女か「生まれたて、そこそこの幼少のわが子」のどっちかが物語の主人公か重要な脇役だと思うでしょ、普通。
一応それが「序章」らしかった。章分けはまったくされていなかったが、一応伝わった。本編がはじまると、新しい人物が登場するたびにまる一ページ分くらいずつ説明が入るのに辟易した。しかも重要人物もチョイ役も全員、同じ比重で紹介が入る。身体的特徴や性格、着ているものに略歴といった感じで延々と説明されるのだが、性格なんかは物語の展開の中で表現していくものだろうが……。やれやれ。
そして、この作品を「まともな文章」に書き終えたとき――
私は、この作品の熱狂的なファンになっていた。
冒頭こそぐずぐずして意味不明の展開が続いたものの、いよいよ主人公が「天恵の魔法機械」を動かす選ばれし者であることがわかると、物語は一気に名作になっていった。個性的なキャラクターが続々登場しては騒動が巻き起こり、ドキドキのスリルとワクワクの冒険を経て、主人公や仲間たちが目に見えて成長し、絆が強まっていく。ひねりのない王道な展開ながら、随所に工夫がこらされていて斬新に見える。
ストーリーを概略で語ると、こんな感じ。
「天恵の魔法機械」はムートランティという魔法機械文明の星で開発された。天変地異から作物を守るバリアとなり、産業の障壁となる物理法則を一部空間でのみ消し去るなど、さまざまな恵みをもたらす機械である。
兵器にも転用できるであろうこの機械を、彼らは自分たちの星が豊かに暮らすためにのみ使われるよう、星に棲む生き物の遺伝子の特性を鍵にしなければ動かないように設定した。このすばらしい機械はたびたび他の星に狙われ、時には奪われることもあったが、結局使用することはできず、常にムートランティだけのものであった。
その機械によって栄えたムートランティは宇宙に進出する。ただしそれは「侵略」という形をとらず、あくまでも「一民族」として住み着くという形をとった。地球に住み着いたのがムー大陸、アトランティス大陸の人たちである。しかしこの二つの大陸は「天恵の魔法機械」を狙った他の星の住人の攻撃によって滅び、生き残りが世界中に散っていった。
もうその血は薄れ、地球には魔法機械を動かせる者はいないと思われた。しかし、奇跡的な偶然によって主人公の祖父母が四人ともムートランティの血をわずかに引く者であり、両親を経て血が濃くなる形で遺伝子が強く受け継がれた。
その頃、ムートランティ星は未曾有の危機を迎えていた。他の星から持ち帰った「原子力」というエネルギーを乱用し、地球で言うところの放射能汚染が進んだことで、遺伝子異常が何代にもわたって蓄積され、星に恵みをもたらす魔法機械を動かせる者が、寿命の尽きかけた長老一人になってしまったのである。
ムートランティ星の人々は宇宙に植民した仲間たちを呼び戻し、事態の打開を図ろうとした。しかしすでに現地に適応し、交配が進んだ仲間たちは鍵となる遺伝子を失ってしまっていた。だが中には血が濃い者もいくらかは見られた。
地球で奇跡的に見つかった強い遺伝子を持つ主人公と、他の星々でいくらか可能性があると期待された者たちは、ムートランティへの旅路につくことになる。が、そこには障壁があった。ムートランティ星は、とうてい生身ではたどり着くことのできない宇宙の最果てにある。ムートランティの魔法科学力はそれすらも超越したが、その「魔法跳躍ワープ」の技術は、ワープする生物の側にも魔法力を要求するというものだった。
主人公と他の星の仲間たちの魔法訓練がはじまる。
訓練中に意地悪ばかりしていた少年が、実は幼少の頃から、「こういう男の子が現れたら命を張っても守るように」と親に言い聞かせられて育った騎士役だったりする。主人公だけがどうしても初歩の魔法すら使えずに落ち込んでいたら、一番の優等生の女の子がそっと力を貸してくれて淡い恋心が芽生えたりもする。そういうのは確かに「よくあるパターン」ではあるのだが、やっぱり王道というのは人の心に残るものなのだ。
いよいよ魔法力を身につけ、魔法跳躍ワープに乗ることができた主人公と仲間たちであったが、思ったようにはムートランティに着くことができなかった。なんと教官の中に、「天恵の魔法機械」を狙う他の星の手下がいたのである。ここも王道な展開だが、上手くカムフラージュしてあって「えっ、この人が!」と驚くこと請け合い。
寄り道をする羽目になったが、妨害者を倒し、とうとうムートランティの宙域にたどり着いた主人公と仲間たち。しかしそこには、「天恵の魔法機械」を狙う星々の連合軍が、巨大な艦隊を結集して待ち構えていたのである。主人公たちの運命やいかに――。
こんな壮大な物語が、あの意味不明のぐちゃぐちゃ文で書かれていたのだから驚きだ。
機械文明と魔法文明の融合の描き方の上手さ。「ムー大陸とアトランティス大陸の謎」を適宜持ち出してはムートランティを地球に結びつける〝辻褄合わせ〟の絶妙さ。キャラクターの特徴づけとその書き分け。文章こそめちゃくちゃだが、著者本人には物語が歴史として、事実として整合性を持ってきちんと整列しているため、展開がよどみない。
そして、最後に友情の絆が起こす奇跡! 魔法訓練の時にやっていた練習の一つが、工夫して、協力して使うことで巨大魔法陣として機能して、艦隊を足止めすることになるとはね! その中を駆ける主人公の小型宇宙船舶が、特殊魔法で放つ虹色の輝き。主人公を迎え入れる「天恵の魔法機械」の温かい腕(魔法力のオーラ)の神秘性も美しい。
見事、起動鍵として機能した主人公と仲間たちは、ムートランティ星を天恵のオーラで包む。長老は、自分自身の命を犠牲に遺伝子のカプセルを作り、それを鍵にして「天恵の魔法機械」の機能を「星を守るオーラ」だけにロックした。これによって星への侵略は永遠に防がれることになるが、常に最大出力を維持しなければならないため、ムートランティ星はもうこの機械の機能に頼ることはできない。原子力を捨て、自分自身の力で再生を果たすという新たな決意に結束した星の人たちに見送られ、主人公たちはそれぞれの星へと帰っていくのだった……。おしまい。
いやあ恐れ入ったね。正直、ハリー○ッターが若干無理やりな感じがしたりして途中で読むのに萎えちゃった私としては、この作品のほうが名作じゃないのとか思ったくらい。自分で手がけた分の贔屓目はあるにしても、これ、間違いなく名作だよ。
でも……可能な限り手を入れはしたものの、契約違反にならない範囲内、本人が書いたという味わいを全滅させない範囲内でやらないといけないので、限界はある……。あのグズグズした展開と、直したもののちょっと「上手くない」感じが残る文章で構成された冒頭部分で、損をしてしまうんだろうなあ……。販売力という意味でも、うちの蕾花社は弱小だし。あの大手のBG社くらい書店に力を持ってれば、あるいは……。
とはいっても、この作品、この文章じゃどこの文学賞も取れないし、どこの出版社も読まずにポイしちゃうよな。大手のBG社の出版価格はウチの蕾花社より断然高いから、求職中のこの著者に支払えるのは、ウチみたいな弱小会社のやっすい提示額だけだろうし。だからきっと、当社との出会いがなければ、この名作は本当の本当に埋もれてしまったんだろうと思う。
「自費出版系」の出版社があるからこそ、埋もれるはずだった良い作品が世に出ていき、その作品に出会える幸運な読者がいる……。
こんなふうに思えるのが、この仕事の最大の醍醐味かな。