第三話 書き方教室の主婦
私自身、結婚したら仕事はどうなるんだろうという不安を抱えながら仕事をしているので、「主婦」という立場に多分に同情しているところがある。「職業・主婦」という人は、仕事を仕方なく辞めた優秀な人かもしれないし、子育てで一時的に休職してキャリア中断中で忸怩たる思いをしている人かもしれない。あるいは主婦を本当に「業」としてプロのレベルで成し遂げているすごい人かもしれない。一般的に、どんなに優秀な人材であっても社会的な価値が理解されづらい「主婦」という職業は、本当に難しい立場だと思う。
だが、しかし。
他と比較して、この「主婦」という職業の人に、扱いづらい人が比較的多めに含まれていることは否めない。自分自身が状況によっては専業主婦になるかもしれないし、女性はどんな人でもそうなりうるわけだから、「主婦だからどう」とは絶対言いたくない……と思いつつ、つい、心を不安がよぎってしまう。
コスト意識がない人が多い。納期や時間の観念が甘い人が多い。会社組織の常識が通用しない人が多い。もちろんあらゆる職業にこういう人はいるが、主婦の中にこの類の人が比較的多いのである。
今担当しているのが、そういう傾向の強い主婦の人。
始業は九時なのにその前に電話をかけてくる、終業は十七時なのに十八時、十九時に電話をかけてくる。もちろんそれはそれで仕方ないのだが、何度言っても「九時~五時」という就業時間が理解できない。電話した時間に私が不在だと、「まさかいないとは思わなかった」「会社の他の人はいらしたけど?」などなど、「いないなんておかしい」と言わんばかり。しかも、「私が勤め人の頃は、始業三十分前には仕事を始めていた」とまで言われてキレそうになった。
会社に残っていた「他の人」は、サービス残業をさせられている正社員だ。ハケンは時給が余計にかかるから、早出も残業も禁止。「サービス勤務」はあってはならないし、無駄に会社にいるのは嫌がられる。私も好きでハケンをやってるわけじゃない。もう、正社員たちが根性論で仕事をしていた時代はとうに終わっている。私が日々定時に終業して会社を出るために、どれだけの努力をしているか……。
もちろん先方は私がハケンだとは知らないから仕方ない……とはいえ彼女、就業時間内に私に電話をかけられないわけではないのだ。日中、いつでも家にいるので、こちらが就業時間内に電話をかけて不在だったことはほとんどない。「忘れてた」とか「思いついた」とかいう理由で早くや遅くに電話をかけてきて、いないのなんのと言われても……。
他にも、「これをしてほしい」「あれをしてほしい」と、金のかかることを気軽に言ってくるのが困る。「やっぱり写真を入れたい」「やっぱり写真を差し替えたい」「たくさん書き足したい」「並製本を上製本にしたい」……都度、「お金がかかる」と説明するのだが、最初に「少しなら書き足しても大丈夫」と言ったために「それができるのなら、その分をこっちに振り向けることができるはず」と言ってなかなか引き下がらない。
パン屋で、サービスの試食があるからって、「試食の分、他のパンをくれ」とかナイでしょう……。編集上の都合で多少予定よりページが増えることもあるけれど、それと「書き足したい」というのは別で、それを無限に許容してたら仕事にならないんだって……。
写真も、最初の「入れたい」をなんとか予算的に許可してもらったら、「あれにする」「やっぱりこれにする」と変えてしまい、「変更分は再スキャニングの費用がかかる」と説明したら「じゃあお金がかからないよう、我が家のスキャナーで取るから」。機械がわからないの、データ送信のやり方がわからないの、さんざん騒いだ後でUSBメモリに入れて送ってきたのが解像度スッカスカの粗いデータ……。
家で趣味で取り扱うものと、仕事で商品を作る時に使えるものは別。コストも作業の分だけ発生する。サービスは無限ではない。そして、会社員は業務の時間外にむやみに会社にいるとは限らない。そうした部分が、感性としてまるっきり欠けているのだ。
愚痴っぽくなってしまったが、この人の問題はそれだけではない。我々にとって恐怖の敵、「書き方教室」に通っているのである。
『聡美はわずかに小首を傾げて、淡い綿菓子の浮かんだ三色のグラデーションを奏でる黄昏の宵闇に視線を向けてみた。まだ買って三か月と経っていない朱の紅を引いたようななめらかな色調のパンプスが、細いながらもしなやかな筋肉のついた脚が歩くたびにぎゅっと聡美の足を締めつけ、そのどこか甘苦しいような革の感触が気持ちまで引き締めてくれる。かすかにたなびく雲の中に、窮屈そうな月がその輝く穏やかな顔を覗かせ、まだ暮れきっていない薄闇の空がわずかに光沢を増して、行き交う人々の影を中間色の灰色からもう少し濃いめの灰色へと色を変える。聡美の歩く道と平行に、はかない蛍の群れのように連なる赤い小さな光が等間隔で並び、それぞれの蛍が幾分息苦しさをもよおさせる少し有毒な吐息を吐き出す。都会の道路の上を同じ高さで飛んでいく機械の蛍の双眼たちが向かう先には、蛍と同じ色の発光が点っていたが、やがて穏やかな許容の色へと変化すると、蛍たちの発光は消えて彼らはスピードを上げた。』
一文長い。形容長い。読みづらい。読み進むのが苦痛……。
書き方教室、綴り方教室、文章講座……それらのどれもがこんなことばかり教えているとは思わないが、一部の文章教室で生徒たちが学ぶのは「文章をいかに余計に飾り立て、ぐずぐずと長いものに仕上げるか?」ということのようだ。
私は書き直しの文例を作ってみた。
『聡美はわずかに首を傾げて、薄雲のかかった、三色のグラデーションに染まる夕焼け空を見た。歩くたびに新品の朱色のパンプスがぎゅっと聡美の足を締めつけ、その革の感触が気持ちまで引き締めてくれる。雲の中に月が顔を覗かせると、空はわずかに明るさを増し、人々の影の色をわずかに濃くする。聡美の歩く歩道と平行に走る車道ではテールランプを点した車が排気ガスを吐き出しながら列をなし、やがて信号が青になるとスピードを上げた。』
そう、このくらいの文章量でいいし、表現もよっぽどこのほうがわかりやすい。
この著者いわく、書き方教室では「空が青いのなら、『青い』という表現を使わないで、文学的にその風景を描くように」と習ったのだそうだ。やめてくれ。その空の微妙かつ繊細な色合いが物語にとって重要でないのなら、青い空は青い空と書いてくれ……。
だが、文法のミスはとても少ない。国語の勉強はきっとそれなりにできたのだろう。こういう文章を書く人は、現代文の超難関入試問題を作る仕事などをしてはどうだろう。「傍線部の形容詞は、文章中のどの部分を修飾しているでしょうか」、なんと五行も後ろの「服」にかかってました、遠くてワカンナイ! みたいな。
もちろん「文学的に凝った表現で風景を書き表すことにこだわった」という創作意図があるならそれはそれで尊重する。だがこの作品、「四十代なのに二十代にしか見えない専業主婦が、十代と二十代の男に次から次へとモテまくり、突然キスされたり押し倒されたりして困惑していたら、男たちは死んだりして次々いなくなり、主婦はイケメンで金持ちの夫のもとに戻ってめでたしめでたし」という、妄想レベルの恋愛小説なのである。
空がどうだ、雲がどうだ、風がどうだ、服がどうだ、靴がどうだ……と大量の「凝った描写」を読まされて、ちっともストーリーが展開しない。展開したかと思ったら、ありえないご都合主義のモテモテ展開オンパレード。なんでテレビで人気のイケメン俳優が主人公の近所のスーパーにお忍びで来てるんだ。なんで甥っ子の同級生(十代)が一目ぼれして部屋に押しかけてくるんだ。なんでその十代に迫られている最中に初恋の男から二十五年ぶりに連絡が来るんだ。ダンナが出張に行こうものなら、以前から横恋慕していたというダンナの後輩社員が乗り込んでくるし……。
男どもがまた「男らしい」(笑)ことこの上なく、強引に主人公を抱きしめるのは当たり前。俳優は強引にキスをする。十代は強引に押し倒す。強制わいせつで訴えた方がいいと思うが、もちろん相手はイケメンばかりなので、主人公はただただドキドキして戸惑うばかり。後輩社員はダンナの出張中を見計らって押しかけてきて強引に薬指から結婚指輪を奪い取り(これ、相当難しいと思うけど……)、「今夜、僕は帰りません」と宣言。警察を呼んだら帰ってもらえるぞ。初恋の男は「ご主人と別れてほしい」と強引なプロポーズをしたうえ、その場でホテルに誘ってくるのだが、この男、奥さんがいると後でわかる。体目当てか結婚詐欺じゃないんか?
なお、俳優と後輩社員は死に、十代は主人公を泣く泣くあきらめて同い年の女の子と付き合うことになり、初恋の男は「妻とやり直すことにした」ってなんじゃそりゃ、という展開でそれぞれ姿を消す。最後主人公がイケメンで高収入のダンナに抱きしめられて、「やっぱり私にはこの人が最高」としみじみしてEND。
このストーリーを、あの形容だらけでわかりづら~い文章で読まされ続けるわけだ。読者が「ふざけんな」と叫ぶ顔が目に見える。……いや、そうではない。読者でなく「書店の客」は、そんな作品、「買わない」のである。
少しでも売り物になるように仕上げるためには、いったいどう編集したものか……と頭を痛めていると、珍しく、就業時間内に作者から電話がかかってきた。
「帯文には、アイドルの〝ハイスクーラーズ〟が歌って今すごいヒットしてる、『ラブストーリー』っていう曲のサビが使いたいんですけど。主人公が二度とない素晴らしい出会いを繰り返して、いろんな恋をする展開にピッタリだと思うので……」
はあ? と、けげんな声が出そうになるのをかろうじてこらえた。イケメン男子のアイドルグループ〝ハイスクーラーズ〟の『ラブストーリー』という曲は、「とうとうたった一人、僕の運命の人に出会えた」という喜びを歌ったラブソングで、サビはこんな歌詞だ。
『運命の出会い 衝撃の一期一会 永遠の純愛
もう二度と君みたいな人には出会えないだろう…』
主婦に次々男が言い寄っては強制わいせつを働き、結局全員いなくなる恋愛が、運命や一期一会や永遠や純愛なのだろうか。それに「使いたいんですけど」って……この断定口調は、おそらく、簡単に使えると思っているに違いない。気分が滅入る。
著者のうきうきした声は続いた。
「やっぱ、『ハイスクーラーズ』の名前も入ってたほうが本が売れると思うんで、サビの歌詞だけじゃなくて、『まさに、ハイスクーラーズの「ラブストーリー」そのもの』ってコピーも帯に大きく入れたいです。これは、私の作品がそんな感じだよ、っていうだけだからいいですよね。著作権とか、そういう、権利侵害にならないから。
ほんとは、ハイスクーラーズのメンバーの写真も入ったらうれしいですけど……それは、肖像権とかあるから事務所の許可が要りますよね。一応そのへんの知識はあるんで、無理を言ったりしないから安心してください。無難に、文字を入れるだけにしておきます」
これやっていいんだったら、世の中の商品、みんな無断で芸能人の名前とか使いまくって売ってるよ……。「女優の○○さんみたいな華やかな美しさの振袖です」とか「作家の××さんに読んでほしいくらい面白い推理小説!」とかさ。ああ、この人、書き方教室じゃなくて、社会常識教室に通ってほしい……。