第十二話 まさかの大事件
書店員さんが選ぶ「本屋大賞」というのは有名だが、その超・ド・マイナー版の「ごり押し書籍大賞」というのが数年前に創設された。いわく、「本屋大賞は、最近、書店員ならではという意外な作品が出てこない。そのため当協会では、本当に書店員や一般の読者が『俺がマジすげえと思った超マイナーな掘り出し物』の推薦を受け、埋もれすぎた真の名作を発掘することにした」のだそうだ。なお、この「当協会」というのは、某有名作家さんが友人の作家数名と一緒に立ち上げた「自称・名作発掘協会」のことである。正式名称に「自称・」の部分まで入っている。つまりは冗談の延長線上にある協会だ。
ただ、過去の受賞四作品が、「変だけど、激烈面白い」「文は下手だけど、すさまじく泣ける」など、一般論で言う名作でないところの良作ばかりだったため、この賞はじりじりと知名度を上げつつあった。
説明が長くなったが、この「ごり押し書籍大賞」、本年度の発表を前に、なんと当社に内定の連絡が入ったものだからさあ大変。
「貴社刊の、『天恵の魔法機械』が大賞を受賞しました」
私が担当者ながら大ハマリした、あの名作宇宙ファンタジー大作が!!
上司から聞いた時、私は一分ほど言葉もなく立ちつくした。でも、まったく意外ではなかった。だってほんとにおもしろいもん。冒頭は若干おかしいけど。
そして上司は私が我に返るのを待って、困ったように続けた。
「それで、編集担当者のコメントが欲しいとか、編集秘話みたいなものはないかとか、質問FAXが入ってるんだよね……。通常なら、派遣社員はそういう場に出さないで、僕の方で対応するんだけど、こればっかりは……。今は文書で返事をすればいいから、君から聞いて僕が対応できるけど、この後、他にも取材が入る可能性があるでしょう。僕が担当ですって出ていって、あてずっぽうに答えるわけにもいかないし、最初からちゃんと担当編集者として君の名前で対応してもらうしかないかな……と思うんだけど」
わあお。大ピンチ。私、上がり症なんだよな。上司が対応してくれたほうが助かるんだけどな。でも、まあ、あの作品を読んだこともない上司に対応は無理だよな。
「わかりました」
それだけ確認すると上司は、総務部の広報もやっている人(会社が小さいので「広報担当者」なる専任の者はいない)との打ち合わせのため、来客ブースに籠った。
やった、あの『天恵の魔法機械』が……。マジ涙ちょちょ切れ。てゆうかホントに泣けてきたのでこっそりトイレの個室に行って涙をぬぐっちゃったよ。あれは多くの人に読まれるべきだよ。あれが埋もれちゃいけないよ。よかった、見るべき人が見てくれて。ありがとう、「自称・名作発掘協会」!
早速、上司の指示のもとに著者に連絡をとり、内定のことを告げて今後について相談した。著者は感激し、恐縮したあと、私にこう言った。
「あの……あれは、編集担当者さんが書いたと、言っていただいてかまわないのですが」
なんじゃと? 意味がわからん。
「あの作品、原稿の時点で、友人に読ませたんですが、全然意味がわからないとか言って、ほとんど読んでもらえませんでした。大学の先生にも見せたら、日本語を勉強しなおして来いと……。恥ずかしい、とまで言われてしまって……。
それが、蕾花社さんにお願いしたらすごく良い本になったので、原稿を読ませた人に一冊ずつあげたんです。先生が、これは奇跡だぞ、おまえの作品じゃないな、って言って面白いとほめてくれました。ほんとに、あの、僕が書いたなんて、とんでもないです」
そんなことはない。私は「文章」はいじれても「物語」はいじれない。あの「物語」を世に生み出したのは、間違いなくこの著者自身だ。著者は0から1を生み出す。それを何倍にもするのが編集の仕事だとして、はじめがゼロなら、我々にはどうしようもないんだ。
そんなわけで著者には「アホなことを言うんじゃない」と叱責をくれてやり、「全部自分が書きました、とちゃんと言うように。編集なんて、馬の脚か背景の松の木くらいの役にしか立ってない」と説教して、発表の日を待つことになった。
まだ受賞作そのものが少ないせいもあるが、この「ごり押し書籍大賞」は、かのBG社も受賞したことがない。自費出版作品で初の受賞となった今回、世にはさまざまな思惑が交錯し、妬み嫉みを伴った反応が起こった。発表当初は、他の出版社から冷淡の極みに扱われ、ネットでは「素人の作品なんてどうせクズ」「裏金を積んだんじゃないの」など心ない声も相当飛んだ。だが、実際に作品を読んだ人たちは、賛辞を述べるか、中傷していた口を閉じた。もちろん「文が下手」「冒頭が意味不明」など、真っ当な指摘は受けたが、最後には必ず「でも、作品そのものは素晴らしい」と評された。
私も編集担当者として各所で話す機会を得たが、冒頭の文章に関してのみ「実は原稿はもっと文章が下手でした、そこを直すのに苦労しました」と説明しつつ、「でも、やはり、元々の作品力、著者の発想力です。私も編集していて大変感動しました」と語った。ネタがあったほうが取材側が喜ぶので、著者の許可を得たうえで冒頭の文章を一部紹介して、「この部分は、がっつり直させてもらいました」と言って笑いを取った。
おかげで、その月の蕾花社の原稿募集には見たこともない数の作品が届けられてきた。何でも後手後手に回りがちなウチの会社は、普段なら端っこからむやみに手をつけて「結局、間に合わない」と後で騒ぎだすところ、あまりの多さにはじめから「原稿殺到のため、審査に時間がかかります」という手紙を全員に送付するという賢明な措置を講じた。原稿の山をひと月もふた月も放置したあげくにこういう手紙を出すことにならず、本当によかった。こんな量でなければ、絶対にそういう失態をやっていたことだろう。
もちろん、契約数もうなぎ上り。「ごり押し書籍大賞」さまさまだった。
おかげさまで、私は蕾花社から金一封を得た。長年やってきた甲斐があったというものだ。刊行数を一時的に増やすしかなく、派遣社員を一人増やして(もちろんOJTで仕事を教えるのは私だが……)、四人体制になったうえに私と上司は残業三昧になった。でもそれも、嬉しい悲鳴というやつだ。
が……。
通常の物語なら、「こんな素晴らしい出来事が起こり、がんばった私が報われて、ハッピーエンド」となるところ、やっぱり特殊なこの業界、この話には続きがあった。
ある日、当社の代表番号に一本の電話がかかってきて、総務が恐縮して受けたのち、編集部の上司のところに飛んできた。
「編集部宛てに、丸川書房の編集長さんからのお電話なんですが……」
丸川書房! 超大手のこの出版社は、テレビや映画とのコラボなど、マルチメディア戦略もかなり派手に展開していて、おそらく「日本一の出版社」と言って差し支えないところだ。その戦略はまさに「商業主義」そのものだが、実際に金を生んでいるのは事実で、とにかく「超、でかい出版社」としか言いようがない。
そこの編集長からこんな「小社」に電話って、一体全体、なんの騒ぎ?
上司はしばらく「はい、はい、……ええ、はい」とひたすら相槌を打ち続け、「ちょ、ちょっと、ま、また改めて、担当者に確認のうえ、ご連絡……」とつっかえつっかえ答えて電話を切った。そしてしばらく受話器の上に手をのせたまま硬直していたかと思ったら、ぱっと私の方を向いた。
面くらっていると、上司はしばらくそのまままた困った顔をして、うーんとかむーとかうなったあと、こう言った。
「丸川書房さんな、あの受賞作、『天恵の魔法機械』の著者、名前はなんて言ったっけ……、とにかく、あの青年をプロデビューさせようとしたらしいんだ」
ほほう、そんないい話が。――と思ったのは一瞬だけだった。私は丸川書房が電話してきた理由を即座に悟った。
上司はふーっと一つ大きな息をついて、オチを言った。
「そうしたらな、何を書かせても文章が意味不明で、ゴーストライターをつけようにも、どうにもこうにもならないらしい。それで、恐縮だが、あれは本当に彼が書いたのかと……。本当は、蕾花社の誰かが、彼の原案か何かを元に書いたのではないかと……。実際のところがわかれば、こっちもあきらめがつくからと……」
丸川書房さん、まだまだだね。プロの作家さんのまともな文章の手直しばかりしている出版社には、あの意味不明文の修正は無理かもね。でもね、我々「自費出版系」の出版社は、いかなるヘタっぴ文であっても〝それなりのもの〟に仕上げてあげなきゃならないのさ。思い知ったか、底辺を生きる者の実力を!
そして一介の派遣編集者、安い賃金で働く時給労働者ができる文章の修正を、超大手さんが「できない」なんて、世の中って皮肉だなあ。
当然、『天恵の魔法機械』の著者さんはこのいきさつすべてをご存じなわけなので、私は上司と相談のうえ、著者さんに連絡してみた。著者さんはしょげ返っていた。
「やっぱり、僕は小説なんか書けないんです……。『天恵の魔法機械』を書いたのは、編集者さんです。今回、それが証明されました。僕は、さいわい仕事も見つかったので、このまま地道に会社員を続けます……」
確かに……あの文章の下手さは、ケタ違いというか、尋常でない。
だけど「あのストーリーを作れる人」に、作家性がないわけは絶対ない。「実は他の人が書いたものを盗作していた」ということもあり得ない。あの作品が絶対に盗作やパクリでないことは、「文章の下手さ」が逆に証明している。「大もと」の作品があってくれれば、あんな意味不明の文章にはなりえない。まさに彼の頭の中で生まれた物語だからこその意味不明さ――って、それはそれで、困ったものだね。
「丸川書房さんからは、どういう本を出す予定なんですか? あ、言ったらいけないんだったら、言わなくていいですけど」
「そうですね、やっぱりSFファンタジーです。丸川では、ゲーム化を考えているらしくて、主人公が経験値を増やして成長すると、世界が広がっていく……みたいなのを書いてほしいと言われました。それで、あらすじと冒頭を書いてみたんですが……。意味不明だと言われてしまい、今、どうにもならなくなってるんです」
著者さんはあらすじをメールで送ってくれた。
『タイトル:宙空刑事マロン
マロンの冒頭は刑事至らす、学校の修業で解決が多く飛び級のため仮免刑事。実はマロンに空間さえわかればという移動力がありえない能力になっていてそれで解決した。仮免だから馬鹿にする人もいた同僚は高嶺の花でもマロンは自分のペース。花が今度はマロンの力に借りてやがて恋が実現。花の事件が見事になったため仮をマロンは出る。
その頃刑事機構に陰謀の中に巻き込まれて移動ワープに頼るのができ危機がとずれる。一つずつ問題に解いて回復のためワープに乗って追う後を追う。すべてのい危機亜が解決した時刑事機構は闇から裏返って操られた黒幕が登場、マロンは花共に素晴らしく解決した。』
……。さすがに、私でもよくわからん。そもそも「ファンタジー」というジャンルは、「ありえない設定が、なんでもアリ」なだけに、何もかもをどうとでも読めてしまう。しかし、あの奇跡の『天恵の魔法機械』を書いてくれた著者さんだ。なんとかして助けたい。
「あのー、ちょっと、時間をもらえますか? これ、直してみますんで……」
私はそう言ってこのあらすじを借り受け、必死になって解読した。まるまる一時間かかってしまったが、訳すと、こんな感じじゃないかと思われた。
『タイトル:宙空刑事マロン
マロンは物語のはじめではまだ刑事でなく、刑事学校の修業中。だが、課題などを見事解決することが多く、飛び級で進級したうえ、すでに刑事の「仮免許」を得るほどの状態だった。実はマロンには「行き先の空間の場所さえわかれば、その空間に移動できる」という特殊能力があった。マロンはその能力でさまざまな事件を解決してきたのである。
マロンのことを「仮免だから」と馬鹿にする人もいたが、マロンはあくまでも自分のペースで日々を過ごしていた。
やがて、高嶺の花のような女性がマロンの力を借りて事件を解決し、恋が芽生える。そして、その事件解決を評価されたマロンは「仮免」でなく本当の刑事となった。
その頃、この世界の刑事たちを束ねる「刑事機構」という組織の中には陰謀が蠢いていた。この世界の刑事たちが捜査に使う「移動ワープ」が使えなくなり、刑事機構は危機に陥る。マロンは、一つずつ事件を解決しては「移動ワープ」を回復し、さらに事件を追っていく。すべての事件が解決し、「移動ワープ」がすべて回復したその時、刑事機構を闇から操っていた黒幕が登場、マロンは、恋人とともにその事件も解決した。』
著者さんにメールでこの文を送付し、「設定などが想定と違っているところは、自分で直してくださいね。この修正文は、自由に使っていただいてOKです!」と書き添えた。
「なるほど、こう書けばわかってもらえるんですね。使わせていただきます。ありがとうございます」という返事(おそらくそういう意味と思われる、変な文章のメール)が来た。合格だったらしい。よかったよかった。
隣では、上司が丸川書房の編集長さんに電話をしていた。
「『天恵の魔法機械』は、彼の文章を修正しただけで、間違いなく彼の作品ですよ。確かに文章はすごく読みづらいですけど……、当社の担当者は、あくまでも、文章を直しただけです。ストーリーに手を貸したり、変更してもらったりした部分なども何もないって言ってました。すべて彼の書いたものです。ええ、ええ、はい、……そうですね、文章さえ直れば、また、いい作品になるんじゃないですかね。当社としても、彼の作品が売れることは販売上、プラスになりますので、できる限りのご協力ができればと思います。ありがとうございます」
編集長さん、間もなく、ちゃんと意味のわかる「あらすじ」がそちらに送られていくよ。あらすじさえわかれば、文章の手直しもそれなりにできるんじゃない?
いい本になるといいね。私も楽しみにしているよ!