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第十一話 作家になれない人

「なんで、こんな弱小の、しかも自費出版社に来たの?」という人が時々いる。うかつな作家より上手く面白く書けていて、当社から出すのが申し訳ないクオリティ。だがもちろん、当社から出る以上は「普通に」自費出版作として発売されるだけ。こんなとき、せめて本の門社の「推薦システム」があれば……。

 実際、「これ、すごく面白いんで、ぜひどーんと販促してほしいんです」と上司に掛け合ってみたこともある。上司の反応は「でも、ウチ、それが面白いからって、何ができるでもないから」だった。そう、お金も力も何もなくて、何もできないのがわが蕾花社だ。


 だが「書けるのに、作家になれない人」には、たいがいちゃんと理由がある。

 以前私が「蕾花社から出すのはしのびない、私がこの手で、こっそり他の文学賞に出してしまおうか……」とまで思いつめる名作の青春小説があった。だが、その著者さんと話していくうちに、なぜこの人が作家になっていないのか理解した。

 著者さん(女性)が当社にいらしたので、私は相手が偉い作家さんであるかのように、大いに恐縮してお迎えした。著者は美人風で(あくまで「ふう」だが)、スーツを着こなし、きりっと聡明そうだった。彼女は座るなり、カラーの出力紙を机に並べてこう言った。

「書籍カバーのデザインはこれで。帯文はこちら。でも、出版社さんの意向もあると思いますので……。別の販売戦略も考えてきました。この場合は、帯文をこっちにします」

 さらに次々並べられる資料。

 そのまま「販売促進戦略あれこれ」を流暢に語る著者。

「書店への営業戦略は、以前ベストセラーになった○○という本の、あの手法を踏襲します。ほぼ同じ戦略で効果が期待できると思います。上手く展開するようであれば、私が予算を出して、販売促進用のPOPを作ってもいいと思っています。

 その他、いろいろ資料を作ってきたので、ぜひお時間のあるときにご覧ください。かえってご迷惑だったらすみません。素人考えですので、あくまで案ということで……。

 あと……できるだけ御社の制作上のお手間を省いた方がいいだろうと思って、実は組版も全部こちらでやって、デザインも、ISBNコードが決まればすぐ仕上がるようになってます。出すぎた真似かな……とも思ったんですが、作家さんで、組版まで自分で全部やるっていう方がいるようなので、ちょっとやってみました」

 渡されたDVD-Rには、組版ソフトでがっつり組版された原稿と、バーコード窓だけが空欄で他は完成されたデザインデータが入っていた。デザインも、決して悪くはなかった。

 この著者さんのまっすぐキラキラ輝くまなざし、前に向かって進むエネルギー、さぞ優秀であろうその語り口。

 でもね……

 蕾花社は「自費出版系」だから、著者さんがそうやりたいと言ったら、デザインも、帯文も、販売戦略も、極力そうしてあげることになる。でも、それは、「本があまり売れなくても、自費出版だから仕方ない」という前提の上に成り立っている。

 間違えちゃいけないのは、「本を売って、利益を出す」というガチの商業出版の場合、「著者のやりたいようにやる」という方法論は絶対にないということだ。販売促進は完全に出版社の都合で決められてしまう。カバーデザインや帯文は、販売戦略が最優先で、「著者の意向」「著者の趣味」など二の次だ。作品の内容すら、売りやすいように改変させられるかもしれない。とにかく「売れないと、意味がない」のだからしょうがない。

 それに出版社は、「得意分野、戦略的強み」がそれぞれに違う。同じ作品を扱っても、A社なら「大人向けのアクション小説」として重厚に売り出し、B社なら「中高生向けの冒険ライトノベル」としてポップにファンシーに売り出す……というように、戦略がまるっきり別になることもよくある。書店が「A社さんのアクション小説は、売れる」と思っていれば、期待に応えるほうが有利だ。作者がライトノベルのつもりで書いていても、その出版社がライトノベルレーベルを持っていなければ棚に入りようがない。ならば、むしろ別ジャンルの小説にアレンジした方が、書店の本棚に入れるかもしれない。

 もし私が大手出版社勤務時代にこの著者に出会っていたとして、作品の良さに目を留めても、作家としてお迎えすることは結局なかっただろう。出版界のことや、各出版社の状況を何も知らず、一般論で考えた著者の販売戦略は、たいがい使いものにならない。組版をやったり、帯文を書いたり、販促を考えたり……出版社は、物書きにそんなことを求めていない。だったら売れそうな作品をもう一作書いてくれた方がよっぽどいい。


 なお、著者が組版してきたデータは小さいミスが散見され、組版所から「どうしても使いたいなら使うけど、見る人が見れば、恥ずかしいですよ」と言われてしまった。例えば、ふりがなの振り方のルールがバラバラだったり、版面から句読点をはみ出させる「ぶら下げ」がアリだったりナシだったり、傍点が「、」だったり「・」だったり、柱の書体がなぜか途中で「似ているが、違う書体」に変わっていたり……。結局、全部組み直した。

 カバーデザインと帯も、一度印刷所にデータを見てもらったら、やはりデータ上の不備があった。そもそも色の形式が印刷用の「CMYK」でなくパソコン用の「RGB」のままだった。印刷のガイドになる「トンボ」が変な形で入っていたし、「ここまで画像が入っていないとダメ」なラインの手前で画像が終わっていた。なぜか黒一色の著者名の名字の部分だけ、黒の上に他の色ものっていた。黒に他の色ものせる「リッチブラック」という手法もあるが、名字と名前で設定が違うのは明らかにおかしい。

 見た目が「それっぽく」仕上がっていても、それはあくまで「それっぽい」だけ。結局、プロはプロ、アマチュアはアマチュアだ。

 最終的には組版も装丁も「著者のデータをこっそり直したもの」が使われた。著者はきっと「自分でやったぞ!」と満足するだろう。販売促進も「いただいた案、できるだけのことはやってみますね」と言っておいた。実際に、販売部も多少はやってくれるだろう。

 でもそれは「ガチの商業出版」ではない、自費出版の世界だけで成立する話。

 この著者さんが「プロの感性」を持っていないことがよくわかる。すなわち、「作家」向きでないのだ。


 本ができあがってから、雑談のふりをして、ちょっと聞いてみた。

「あの、正直、これだけ書けるのになぜまだプロじゃないのか、不思議に思っているんですけれど……」

 返事は案の定、こうだった。

「実は……何度か、声をかけていただいたことがあるんです。デビュー作の企画は進むんですけれど、結局出版社さんに納得してもらえるものが書けなくて……。組版とか、できる限りのことをやって、出版社さんに負担をかけないようにして、私が考えられる範囲で販売についてもいろいろご提案して、めいっぱいがんばるんですが……。どうしても、作品の方にダメ出しが出て、途中で話が終わってしまいます。私、好きなように書くのはよくても、出版社さんの企画で書く才能はないみたいです」

 それね、多分……作品が悪いんじゃないと思う。「あんたが扱いづらいから、この話はやっぱりナシね」とは言えないから、作品のせいにして頓挫させてるんだと思う……。

 私は、私なりの最大限の誠意として、彼女にこんなはなむけの言葉を送った。

「普通に原稿を書く以外の、いっさいのことをやめて、出版社に任せちゃったらどうですか? 組版だとか、販売戦略だとか、いろんなことを考えたり、やったりしながら書いていることで、作品に余計な思惑が入っていくと思いますし。自分で組版すると、行をまたぐ位置で単語を切りたくないとか、見た目に合わせて文章を変えちゃって、文の自然さが損なわれるかもしれません。販売戦略を考えながら書くと、売ろうっていう『欲』みたいなものが作品から醸し出されそうだし……。そういうのは捨てて、もう自分は素直に作品を書くだけ書いて、あとは任せる、っていうのも大事なことだと思いますよ」

 彼女は困ったようにニコッと笑って、こう答えた。

「性分なんですよね」

 残念だが、彼女を文壇で見ることはないだろうと、その時思った。


 とはいえ、前のめりでエネルギッシュでハングリーな、こういう著者はむしろ珍しい。この人は、作家の世界でなく、どこか別の世界できっと成功するだろう。

 そうではなくて、当社でよく見かける「書くものはいいのに、作家になれない人」は、たいがいその真逆の性質を持っている。私はまた、そのテの人に遭遇することとなった。


 私は常々「ファンタジー作品」に辟易させられているのだが、その『笑劇魔法英雄伝』という作品は素晴らしかった。独りよがりも勘違いもなく、読者目線できちっと検証されてわかりやすく丁寧に仕上げられた「剣と魔法のファンタジー」。

 この作品においては「魔法」が現代の私たちの言うところの「お笑い」だという設定である。基本の、低レベルの魔法は「ダジャレ」程度のギャグで発動する。「ふとんがふっとんだ」などの既存のギャグではささやかな風しか起こせないが、多少なりとも自分で考えた「長雨続きで、太陽がみたいよう」なんてダジャレだとエネルギーが生じ、そこそこの雨と炎が巻き起こる。なぜ「雨と炎」かというと、文章に「長雨」と「太陽」が出てくるからだ。なお、せっかく起こった炎の部分は雨に巻かれてすぐに消えてしまったりする。

 つまり、すごい魔法を出そうと思ったら、すごいギャグを考えなければならない。しかもその魔法の属性は、ギャグに使う言葉に影響される。相反する言葉を盛り込むと魔法が打ち消し合ってしまう。魔法の修業は、言葉の能力を磨くことなのである。

 剣と魔法のファンタジーらしく、旅の途中でモンスターが出たりするのだが、剣士は普通に剣で敵を倒すのに、魔法使いは剣士の背後に隠れてひたすらギャグを言い続ける。邪魔でしょうがないが、旅には「癒し」や「炎」の呪文が必要なので、魔法使いを無下にはできない。この世界では「火を起こす方法」が「魔法」しかなく、木と木をこすり合わせても永遠に火は出ないことになっている。

「炎はどうなった? ほぉー、のうなったか」などと魔法使いが唱えれば、空中にポッと火の元が得られる。それをみんなで消えないうちに慌てふためいてたいまつやろうそくでキャッチして使う。ときどき、爆笑を誘う秀逸なギャグができたせいで、大爆発を起こして仲間がひどいめにあったりする。

 そして小説そのものは「のちの語り部が記す、その世界の過去の英雄物語」という形を取っているため、「秀逸なギャグ」は、「その魔法は危険なので、ここに書くわけにはいかない。今、上空で爆発が起これば帳面が燃えてしまう」などと書かれるのみ。それでかえって「どんだけ面白いこと言ったんだ、この場面!」と読者が勝手に面白く想像していくのである。

 ラストの大魔王との決戦は、剣士たちが必死で戦う背後で、魔法使いたちが長編コントをやっている。「そのとき、大きな火柱が立った」とか「ふっと冷気を感じたが、すぐに消えてしまった」など、「どうやらギャグを言ったらしいぞ」ということだけが書かれ、悲壮な剣士たちとのギャップがまた可笑しい。

 だが「そればかりだと読者が退屈する」と著者がわかっていて、次第にセリフが虫食い式になって「多分、こういうギャグを言ったんだろうな」と推測できるようになっていく。しかも、その「多分こう言ったであろう内容」が本気で可笑しい。実際は虫食いだから推測にすぎないけど、実に上手い!

 いよいよ必殺魔法を出すぞ――というところで、セリフが長すぎて、何度やっても言い終わる前に大魔王が攻撃してきてしまう。「セリフ長ぇよ!」と逃げ惑う魔法使いたち。万事休すか――

 そのとき、主人公・アークが「すべてを終わらせる、禁断の魔法」を解禁する。いにしえのコントの神「漂流者たち」は、このようなコント魔法の際、どうにもならなくなった時には常にこの一言ですべてを崩壊させ、その崩壊を以て「オチ」としていたという。


『その言葉の意味は、この世界の者にはわからない。意味がわかって唱えなければ、言葉に言霊は宿らず、魔法は発動しない。私はここにその大魔王を滅ぼした言葉を書きしるし、いつの日か、正しい心を持った勇者がこの言葉を使える日が来ることを祈る。』


 私、それなりに年齢いってるから、この呪文わかっちゃった。次の行を読むのが本当に楽しみだった。でも、私は兄がいるからわかるけど、三十代以下には厳しいネタかもなあ。


『「ダ メ だ こ り ゃ」――

 これがその言葉である。一体どういう意味なのであろうか。この言葉をアークが唱えると、不思議な音楽とともに魔王の城は崩れはじめ、その空間は大魔王を連れたまま背後に回転するかのように消えていった。こうして大魔王は滅び平和が訪れたのである。

 勇者となったアークは、とうとうこの究極の呪文の意味を語ることはなかった。そして意味を知るアークの死とともにこの言葉は呪文ではなくなった。……』


 この「オチ」の意味がわからない人もいるので、完璧な作品というわけではない。だけど、そこまでの展開で十分に爆笑に次ぐ爆笑で、読み応え十分、大満足だった。(あと、細かいことを言うと、「ダメだこりゃ」と「音楽で回転して舞台終了」は別の番組だよな)

 そしてこの著者さんが「今、自分は会社員ですが、作家になるにはどうしたらいいですか」と質問してくれたので、私は狂喜乱舞してメールで回答した。

「蕾花社みたいな弱小出版社から自費で出版していないで、もっと文学賞などの大きなチャンスを狙ったほうがいい。今は作家だけで〝食べていく〟のは厳しい時代。時々『仕事を辞めて作家修業をする』と言う人がいるが、机に向かって想像だけで小説を書くと発想が先細るし、不本意なものを安い値段で書きながらバイトで食いつなぐようになったら、いいものは書けない。今のままでチャンスは十分にあるから、上手く時間を見出して作品を仕上げ、大きな賞に投稿してみてほしい。きっとどこかが目を付けるはず。実力は申し分ないので、受賞を楽しみにしている。(要約)」

 とにかく、出版業界の者として可能な限りの思いを込めた、大長文の激励をお送りした。こういう時間を編集者に費やさせることじたいが、才能の証だ。


 だが、著者さんからの返信に、私は呆然とした。


「蕾花社さんが僕を評価していないと、いただいたメールでよくわかりました。編集さんが僕の気を悪くしないように、大変気を遣って言葉を選んでくださっているのが伝わります。でも、ざっくばらんに言えば、『うちの会社ではもうけっこう』『あきらめがつくまで、会社員をやりながら趣味で他所にでも投稿したらどう?』ということですよね。

 今回、出版してよかったです。やっと自分の立場がはっきりとわかりました。一冊だけでも本が世に出たことを良しとして、身の程を知って、筆を折ろうと思います」


 アホかあんたは! マイナス思考の人は、どんなに才能があっても、こうして勝手に歩みを止めて作家への道を自分で閉ざしてしまう。私のあの「あんた、素晴らしいよ!」という熱烈応援のメッセージを、どうやったら真逆に受け取れるの?

 私は憤懣やるかたない思いにしばらく身悶えていたが、著者に直接説教すべく、目の前の電話をむんずと掴んだ。こういう人も、ほんとに多くて困るんだよね!

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