敗北の味①
実技のテストは午後から行われた。
年に一度、つまり学年末に行われるこのテストは、学んだことを出し尽くして戦う死闘のようなものだ。
魔術学院の校庭に、一年生から五年生までの全生徒が出て、自分の魔術で作り出した剣を使って、その腕を競い合う。
死者が出た年もあったという。
学院の校庭は広い。
運動場だけでなく、池や林もあり、結構な太さの川まで流れている。
実技のテストは全学年が入り乱れて行い、上下に関係なく、相手を倒して戦い抜く。
勝つことは大変な名誉だった。全学年の頂点なのだ。
ちなみに筆記試験でもこの実技試験でも、私は入学から今に至るまで、一位を取れたことは一度もない。いつもその座にギディオンがいた。
彼はテコでもどいてくれなかった。
私は万年二位なのだ。
全校一斉の実技試験に挑むため、煉瓦の校舎の前に整列した生徒たちの前に、学院長が進み出る。
学院長はクマを彷彿とさせる、丸っとした体型を左右に揺すりながら、よっこらしょと朝礼台に上ると声を張り上げた。
「これより、国立魔術学院の学年末実技試験を始める! 皆、力を尽くしなさい。ただし、魔術の『上限点』だけは超えないように気をつけなさい。さもないと、魂が体から飛び出してしまうからね!」
学院長は簡潔な挨拶をすると、朝礼台を下りた。そしてそそくさと校舎の壁際に急ぎ、できるだけ生徒たちから距離をとった。
試験の魔術が、流れ弾のように飛んでくるのを警戒したのだろう。
試験開始前の、静まり返った緊張感が辺りに充満する。誰かが、ごくりと生唾を嚥下する音が聞こえた。
「みんな、剣を掲げて!」
学院で魔剣術を担当する先生の掛け声とともに、校庭に溢れる生徒達が一斉に右手を掲げる。
万物の根源は水と火と風だ。
魔術師はその三つの力を操る。
操れる根源にはバラ付きがあり、生徒たちは各々、最も得意なものを使って剣を編み出す。
「水の精霊たちよ、我が手に集まりて剣となれ」
私は空気中や土中に漂う水に呼びかけた。
すぐに霧となって手のひらに集まり、凝集して青く輝く氷のような剣に変わる。柄は硬く、ひんやりと手のひらに吸い付くように収まった。
「テスト、始め!!」
先生の号令とともに、生徒たちが一気に動き出す。隣にいる級友に剣を振り上げる者、特定の相手を狙って走りだす者、もしくはしばらく隠れているつもりなのか、林の中に駆け込む者――。
私も水の魔剣の柄を両手で掴むと、直ぐ近くにいる上級生に挑みかかる。二学年上の、四年生の女子だ。
下級生と戦うのは気が引ける。
彼女も水の魔剣を掲げていたが、数回剣を打ち合わせただけで、彼女の水の剣は欠けてしまった。
半分ほどの長さになった自分の剣に、ギョッとしてすぐに叫ぶ。
「降参よ! 剣を下ろすわ!」
負けを認めた上級生は剣を手放し、校舎の前に立つ先生の近くに向かった。先生の周囲は敗者が集まり、そこで以後の試合を観覧するのだ。
試合が始まって二十分ほど経過すると、既に残っている生徒は半分以下に減っていた。
その殆どが最上級学年の五年生で、力の差を見せつけていた。
既に敗北した生徒たちも、校舎の前で先生と残る試合をただ見ているだけではない。まだ戦っている私たちに向かって、声援を送る。
「クリスティ、気をつけて! うしろ、危ない!」
「俺の分も頑張れ! ジョニー!!」
それぞれ仲の良い友人や、学年の首席を応援している。
「ギディオン様ぁぁぁ!」
一番多い応援は、もちろんギディオンの為のものだ。
耳をつんざく黄色い掛け声が、うるさいほどだ。
気が散るったらありゃしない。
「リーセル、ちゃんと試合に集中して!」
「絶対ギディオンを討ちとれよ!」
応援に気を取られる私に、シンシアとマックが叫ぶ。
既に負けていた彼女たちが、私に後ろを見ろと手振りで必死に訴えている。
その直後、砂まみれの風が私の体に吹き付けた。
急いで振り返ると、そこには風の魔剣を握ってかけてくる生徒がいた。
体がまだ小さく、どう見ても一年生だ。まだ残っていたとは。
どうにか生き残り、もう相手は上級生しかいないのだろう。踏ん張る両足が、恐怖に震えている。剣からは風の渦が巻き起こっているが、それも支え切れていない。剣先がグラグラ揺れている。
「目を閉じてね!」
一応警告を発してから、私は水の剣を大きく振った。爆流のような水のしぶきが剣の軌道から飛び散り、一年生は吹っ飛んだ。
その衝撃で風の魔剣を手放してしまい、これで全ての一年生は脱落した。
林の中で戦っている生徒もいるため、ずっと校庭の真ん中にいては、勝ち抜けない。
校舎のグラウンドで戦う生徒がいなくなったため、私は林に入って行った。
すると木の上からバラバラと四人の女子生徒がおりてきた。みなさきほど廊下にいた、ギディオン親衛隊の女子だ。
「リーセル・クロウ。今日こそ、貴女の生意気な鼻をへし折ってやるわ」
古臭い悪役の常套句のような台詞を吐きながら、私に水の剣を向けたのは、ジュモー侯爵家のキャサリンナだ。
たとえるなら、ギディオン親衛隊というサル山のボスザルみたいな女生徒で、厄介なことに四大貴族ではないが、名門出身の一人だった。
つまり、プライドの塊だ。
金色の髪を豪華な縦巻きロールにして、真っ赤なリボンを頭の上で結んでいる。
多勢に無勢だが、実技試験後半ではよくあることだ。
女生徒のうち一人は、白いローブを着ていた。
一般の生徒は灰色を着るが、各学年の首席生徒は白のローブを着るのだ。どうやら五年生の首席まで、サル山のメンバー入りしたらしい。
一気に四人が私に向かって走ってきたため、剣で空気をなぎ払うようにして、四方に水滴を飛ばす。魔術で水は氷へと変わり、当たった二人が倒れ込んだ。うまいこと氷を避けた残る二人は、そのまま私に飛びかかり、私は前後から火と風の剣を浴びる。
魔術で咄嗟に盾を作るが、火を防ぎ切れず、ローブの胸元が焦げた。ジリっ、と煙が上がったあとに鼻につく焦げ臭さが漂う。
風の剣を持つ首席の方に狙いを定め、剣を振り下ろすと、私の剣の水圧に屈して彼女は剣を取り落とした。
「ま、負けたわ。降参よ」
地面に風の剣が置かれたのを確認すると、すぐに後ろを振り返ってキャサリンナに向き合う。
「お前に負けるわけにはいかないから」
キャサリンナがそう言うと、突然私は背中から誰かに抱きつかれた。驚いて振り返ると、さっき負けを認めたはずの生徒だ。
彼女は私をはがいじめにした。
「はなして下さい! 二回参戦するなんて、規則違反ですよ!?」
これにはキャサリンナも一瞬驚いたようで、たじろいで剣を下ろしかけた。
だがこの機を見逃せないと思ったのか、彼女は手にした火の剣を再び振り上げた。
腕が自由にならないので、詠唱で水の盾を作るしかない。
だが更にもう一人の生徒が私の髪を強く後ろにひっぱり、詠唱が途切れてしまう。
キャサリンナの剣が、盾に割り込み私の頰をかすめる。
「あつっ…」
「あら、その綺麗な顔に、ごめんなさいね」
再びキャサリンナが剣を構えたので、私は短く詠唱し、まず背後の生徒を爆風で追い払った。女生徒が後方にふっ飛ばされる。低木の茂みに顔から突っ込んだが、状況が状況なので、正直、申し訳ない気持ちはあまりしない。
すぐに手短に詠唱し、手の中の水の剣を火の剣に作り変える。
「うそっ、お前水の剣を火に変えられるの?」
キャサリンナが微かに怯える。
火剣を空高くかかげると、剣はメラメラと燃えた。次第にそれは長く伸びていき、キャサリンナが青ざめていく。彼女は剣を振るわせて、数歩後ずさった。
「出でよ、火剣の竜」
剣から剥がれるようにして分離した火の竜は、真っ直ぐにキャサリンナに向かった。
キャサリンナは火の剣で竜を追い払おうとしたが、竜はそれをかわしてキャサリンナに噛み付いた。キャサリンナが悲鳴を上げ、自分の剣を放り出して燃える竜を追い払おうと両手を振り回して地面を転がる。
もはや勝敗は決した。
私は指を打ち鳴らして火竜を消すと、次の試合相手を探して木々の中を駆けていく。
林を更に進むと、奥から剣を失って負けた生徒達がぞろぞろと向かってきた。どうやら次々に倒されたらしい。奥に強敵がいるのだろう。
春にしてはまだ冷たさの残る、強い風が木々の間を抜けていき、私の灰色のローブを巻き上げる。ひんやりとした風が頬から熱を奪い、キンと冷えるが胸の内は熱く燃えていた。
油断なく周囲に視線をめぐらせながら、残る生徒を探して真っ直ぐに進む。
そしてその先にいたのは予想どおりの人物だった。
白いローブを風に靡かせ、火の剣を持つギディオンだ。
金色の柔らかそうな髪に、澄んだ碧の瞳。何人もの生徒達と戦った末に残ったのだろうに、呼吸も髪の毛も、服も一切乱れることなく、彼はそこにいた。