大会が終わって
王宮の食堂は相変わらず混み合い、各種の制服を纏った職員達が出入りしていて賑やかだった。
ランチとは思えないほどの大量のメニューをテーブルに並べると、私は今日の主役を讃えた。
「マック、三位おめでとう!」
隣に座ったシンシアが、マックに盛大な拍手を送る。
大会が終わって、今日で二日目。
一日寝倒してすっかり体力を回復したマックに、私たちはやっと祝福を伝えることができた。
マックは優勝を狙っていたのだろうから、それができずに不本意な結果なのかもしれない。だが初出場にして三位というのは、大したものだ。
マックは両手を顔の前ですり合わせて、満面の笑みでお礼を言うと、チーズたっぷりの薄パンに早速かじりついた。
「いやー、まさか黒騎士が殿下だとは思ってもいなくって、腰抜かしたよ。対戦しなくてよかった」
「準決勝は、ちょっとマックらしくない負け方だったわね」
シンシアの指摘に対して、マックは戯けたように肩を竦めた。
「十七番のお客さん! ドーナッツが揚がったよ」
厨房の女性が大声で呼びかけ、シンシアが弾かれたように席を立つ。
「いけない、私十七番だわ。今取ってくるから待ってて」
シンシアがテーブルを離れて厨房に向かうと、私は小声でマックに言った。
「本当は、わざと負けてくれたのよね? 殿下を勝たせるために」
パン上のチーズをビヨーンと口から伸ばしていたマックは、ハッと目を見開いた。
マックも学生時代、槍の授業を共に学んだ仲なのだ。あの大会で黒騎士の動きを見て、一緒に授業を受けたギディオン――つまり今の王太子だと気がついても、おかしくない。
マックは伸ばしたチーズをもぐもぐと口の中に入れると、観念したように苦笑した。
「まあね。黒騎士の正体は、実は初日に見抜いたよ。それとあの優勝候補の伯爵は、一つだけ弱点があったんだ。最後の段階で、いつも左に体が傾く癖があった。我らが国立学院の槍のギディオン様が入っている殿下なら、きっとそれに気がついていると思ってね」
「だから、二人が当たるようにしてくれたの?」
マックは歯を見せてニカっと笑った。
「いやー、ちっさい領地と爵位なんか貰うより、友達が王太子妃になる方が楽しいじゃん」
「マック、そんな……。優勝が夢だったのに、私のために?」
「いやいや、俺にはまた四年後があるしさ。でもリーセルのチャンスは、今しかないだろ? ……ってか、泣くなって! 泣かれたら俺が今困るし〜」
「……ゴミが入ったの」
「いや、ほら。考えてみてよ。俺もそこまでお人好しじゃないぜ? 未来の王妃と国王に、恩を売っとく方が先々何かと賢明だろ? どうよ。俺、小狡いっしょ? ま、よろしく頼むよ王太子妃様」
「誰が王太子妃なの……。そんな呼び方は、やめて頂戴」
「いやいや、黒騎士と君の話は、もう王都中で話題になってるから。
そうだった。
思い出して、赤面して顔を覆ってしまう。
世紀のプロポーズ、なんていう副題がついて、新聞は飛ぶように売れたらしい。
王宮の侍女や他の魔術師たちも、廊下ですれ違うと、昨日から意味もなく私に最敬礼をするようになっているし。
「あんな、国で一番盛り上がる大会で、衆人環視の中で国王からメダルを君に渡させたからね。殿下も、策士だな」
マックはいつものように戯けて見せたが、長い付き合いの私は、もう一つ分かってしまったことがある。
「マック、あなたは優勝したら誰をメダルの乙女に指名するか、決めてたんでしょう? それこそ、魔術学院に入る前から」
すぐに茶化してしまうマックに引き摺られまいと大真面目な顔で尋ねると、彼は観念した。天井を仰ぐと、やれやれと溜め息をつく。
「白状すると、その通りだよ。参っちゃうよな。あんな約束するんじゃなかったよ」
約束とは、マックが優勝したらシンシアに貴公子を紹介する、と言ったことだ。
少し沈んだ表情をしたのも束の間、マックは再びニッと笑った。
「ま、そんな約束は四年の間になんとか取り消すから、却って好都合だよ!」
「マックったら……」
「でも、本人に言わないでよ? 向こうにはそんな気が全くないのは、十分わかってるからさ」
シンシアがドーナツを持って戻ると、マックは照れ隠しなのか頭の後ろで手を組んで、天井を見上げて急に天窓の数を数え始めた。
「どうしたの、二人で何の話してたの?」
「ん? いやー、リーセルが今度、すっごいウマいもんを奢ってくれるってさ」
「そ、そうね。いいわよ」
「本当に〜? さすが私たちの王太子妃様だわ。楽しみ! で、すっごい美味しいものって、何?」
「ええっと。……」
「リーセルが今まで食った中で、一番ウマかったものにしてよ〜」
「私が今まで食べたものの中で、一番美味しかったものは、……そうね、焚き火でこんがり焼いたじゃがいもとベーコンの上に、バターを乗せたやつかな」
間違いない!と二人は声を合わせ、弾けるように笑った。そしてその後で、シンシアは付け足した。
「あと、サワークリームも載せなくちゃね」と。
馬上槍試合の大会が終わると、レイアはいよいよ春本番を迎える。
柔らかな日差しとともに、花びらを運ぶ温かな風が吹き、王宮の窓ガラスを優しく揺する。
ユリシーズが戻ってから、はや十ヶ月。
いつものように紫色のローブを纏って王太子の執務室に入り、朝の挨拶をすると王太子は穏やかな調子で驚くべきことを言った。
「リーセル、王宮魔術庁から先ほど連絡があったんだが、今日をもって君は近衛魔術師としての任を解かれたらしい」
「どういうことですか?」
まさか、急にクビになるということ?
ショックを受ける私とは対照的に、王太子は随分穏やかだ。
「父上からの伝言だ。『魔術師としての仕事をやめ、さっさと妃教育を受けよ』だそうだ」
予想もしなかった伝言に、混乱する。
意味が咀嚼できない。
「それってつまり」
「君専任の教育係がついて、色々とこれから宮廷作法を教えてくれるらしい。並行して、結婚式の準備も行うから、忙しくなる」
「結婚式……。私と、殿下のーー?」
鸚鵡返しに尋ねると、王太子は少し意地悪そうに質問を重ねた。
「リーセルは誰か他の男と結婚するつもりがあるの?」
挑発的な視線を投げながら、王太子が私の手を取る。
「十年以上も待ったんだ。私はこれ以上、待てない」
「殿下、それは私だって同じです。――あの、結婚式には……おじい様やカトリンたちを呼んでもいいですか?」
「もちろん。君の大事な家族だ」
そういうと王太子は、私の背に手を回し、引き寄せると熱いキスを降らせた。燃える唇を強く押し付けられ、その上息つく間もなく角度を変えられる。
「で、んか、……苦し、」
食べられてしまいそうなほどの熱烈なキスに、頭が朦朧としてくる。
まさにその時。
前触れもなく、すぐ後ろから呆れたような声が飛んできた。
「朝っぱらから何をしておる!」
心臓が止まりそうなほど驚いて振り返ると、そこには腰に手を当て仁王立ちになる国王がいた。
非常に不愉快なものを見たと言いたげに、眉間に深いシワが寄っている。
恥ずかしすぎる。穴があったら、入りたい。
「王太子。そなたは妃候補を窒息させる気か」
妙な叱責を受け、王太子は絶句してしまった。
国王は腰に両手を当て、私を睨みつけると続けた。
「そなたのような近衛魔術師は目障りだから、さっさと王太子妃になってしまえ」
私たちは瞬時に顔を合わせた。
国王は何かに満足したのか、面倒そうに数回頷くと、溜め息を吐きながら執務室を出て行った。
閉まったドアを見つめる王太子に、ぽつりと尋ねる。
「何をしにいらしたのかしら? 今のって」
すると王太子は腕を回して私を抱きすくめた。
「今のは、父上が私たちの結婚を認めてくれたと、直接ご自分のお言葉で伝えに来て下さったんだよ」
そうなのだろうか。
回りくどいし、わかりにくい……。
それでも、じわじわと喜びが胸の中に広がった。