大夜会の誘い
「その日も多分、私は勤務日なのよ」
「休暇を取れるはずだよ。近衛魔術師としてではなく、ドレスを着て私と踊って欲しい。私のエスコートがあれば、招待状がなくても参加できるから」
そういう問題じゃない。そもそも夜会の相手は恋人を連れて行くものだし。
(相変わらず、意味の分からないことをしてくるんだから……)
「でも貴方は他に誘わないといけない女性がいるんじゃないの?」
「リーセル、それと同じようなことを卒業パーティに誘った時も、言っていたね。私もまた同じことを言うよ。だから誘いたい女性を、こうして誘っているんだ。卒業パーティでは踊れなかったから、今度こそ来て欲しい」
けれど私たちはもう、気楽な魔術学院の生徒という立場ではない。夜会に誘うというのは、あの頃よりももっと色んな意味を持つ。
小箱をぐっと握りしめ、目の前のギディオンを見上げる。
「どうして公爵家の貴方が、私なんかを誘ってくれるの?」
ギディオンの手が、私から離れる。
澄み切った南海の碧の瞳が、少し辛そうに俯き加減になる。
「どうして、かって……?」
ブローチとギディオンを、交互に見つめる。
前回は私の処刑を聖女と一緒に喜んだはずのあなたが、どうして?
「ギディオン、まさかとは思うけど……。おかしなことを聞くようだけど、念の為聞いてみてもいいかしら。貴方もしかして……、私のことが好きなの……?」
少しの間、沈黙が流れた。
その後で、彼はぎこちなく微笑を浮かべた。
「それ以外に、何があると思う?」
質問で返され、返事に困ってしまう。碧の目をかげらせ、ギディオンは投げやりに言った。
「リーセルを一番大切な卒業パーティのダンスに誘ったのも、読みたい本もないのに図書館にいつも行っていたのも。わざわざ槍の授業を専攻したのも、理由は一つしかなかったよ」
浴びせられる出来事が、次々と私の胸に刺さる。
そんなのは、――本当は分かっていた。私は、気付きたくなかったから、分かっていないふりをしたのだ。
「そうよね、そうね…」
「一枚しかない、五年間の勲章の証である白いローブを、なぜリーセルにあげたと思う?」
ギディオンは苦しげに溜め息をついた。
「――学院で君のことしか、ずっと見ていなかったよ。五年間、本当に……」
言葉が胸に深く、重く響く。
ああ、どうしよう。
分かっている。本当はもう、とっくに私は分かってしまっている。
ギディオンの気持ちも、彼が本当に良い人だっていうことも。
私は一度目のギディオンの姿に引き摺られるあまり、今目の前にいるギディオンを、直視しようとしなかったのだ。
むしろあの記憶さえなければ、私はごく自然に彼を好きになっていたかもしれない。そしてきっとここで私は、とても喜んだはず。
手の中の小箱の表面を親指でなぞり、なめらかな革の手触りを確かめながら考えた。
ギディオンは人が変わった。まるで王太子が前回とは性格が違うのと、同じように。
(むしろ、言動だけを考えれば、今のギディオンの方が私が知るかつての王太子ユリシーズに似ている気がする……。これは何が起きてるの?)
考え込んでいると、ギディオンは私の肩にそっと手を落とした。そしてぎこちなく微笑む。
「大夜会に、一緒に来てほしい。一夜だけ、恋人のフリをしてくれるだけでいいんだ」
「ふり?」
驚いて素っ頓狂な声で聞き直してしまう。対するギディオンの目は、どこか悲しげだった。
「夜会で君と踊れるのなら、その夜だけ、恋人の……フリだけでも、嬉しいから。私と踊っても、それでも友だち以上には考えられないなら、もう私もそれ以上になりたいとは今後思わないから、安心して」
それはあまりに切ない告白だった。
ひたむきに向けられるその目に、嘘があるとは思えない。
「でも、その日も私は勤務日なの。休暇がなかなか取れないのよ……」
「休暇は魔術庁で全ての魔術師に、認められている権利だよ。それに、私からも殿下にお願いしてみるから」
ギディオンは瞳を下ろし、私の手の中のブローチを辛そうに見つめた。
「あの時のことを、とても後悔しているんだ」
「あのとき? 卒業パーティに行ったこと?」
ギディオンは答えなかった。
マックたちとのシェルン式野外パーティを思い出す。
あの中に混じるギディオン……?
木の枝に挿したマシュマロを、口の周りをベタベタにして食べる、ギディオン?
それはちょっと、想像が難しい……。
「公爵家の貴方が、卒業パーティに出ないわけにはいかなかったと思うわ。答辞もあったし。でも、その気持ちが嬉しいわ。ありがとう」
私は右手を上げて、肩に落とされているギディオンの手の甲にそっと触れた。碧色の双眸がゆっくりと持ち上がり、私を捉える。
こんなに不安そうで一生懸命な万年首席のお誘いを、断るほど意地悪にはなれない。
「ありがとう、ギディオン。――貴方が迷惑でないのなら、来月の大夜会に私を連れて行って」
「本当に?」
ギディオンがその甘い碧の瞳を、驚いたように少し見開く。
「言っておくけど、大夜会の夜だけよ?」
「分かっているよ」
ギディオンは滲むように笑った。眦が下がり、ゆっくりと口角が優しげに上がる。
その笑い方が、私のユリシーズにそっくりに思えて、きゅっと胸の奥が痛む。私が大好きだった、あの笑顔だ。
つい混乱して、目を逸らしてしまった。
ダンスが終わり、歓談が始まると私は王太子のもとに戻った。
聖女は父親であるゼファーム侯爵に連れられ、大広間の中で貴婦人達と歓談を始めていた。
王太子は近くに寄った私を一瞥すると、眉根を寄せた。
「どこに行ってたんだ。近衛魔術師のくせに」
「お近くにおりますと、皆様のダンスのお邪魔になりますから。壁際で控えておりました」
「チョコレートは食べてみたか?」
「はい。とても美味しかったです!」
一粒落としたことは、絶対言えない。
「ピアランだからな。うまくて当然だ。――壁際でギディオンと妙な様子だったな。何を話していた?」
「ご覧になっていたんですか? 久しぶりに会ったので、仕事の話をしておりました」
王太子はふん、と鼻を鳴らした。
すると彼の横からギディオンが現れ、会話に割り込んだ。
「殿下、来月の大夜会もお招きいただき、ありがとうございます」
王太子は近くを通りかった給仕から脚付グラスを取ると、白ワインを喉に流し込んだ。
「ランカスター家を招くのは当然のことだ。それにお前がいる方が、夜会も華やかになる。醜男ばかりでは、レイアの王宮の名が廃るからな」
「大夜会のことで、一つお願いしたいことがございます」
「なんだ?」
「殿下の近衛のリーセルを、大夜会の間だけお貸しいただきたいのです」
「なぜだ? お前に護衛は必要ないだろう。魔術学院を首席で卒業したのだから」
王太子が不可解そうに首を傾げる。