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『三賢者の時乞い』①

 王太子の近衛魔術師として働き始めてから、三ヶ月弱。

 ようやく私にまとまった自由時間ができた。


 今夜は王太子が王族達と、晩餐をするのだ。

 流石に私による警備は不要で、久しぶりの自由時間だった。


(これで、やっとシンシア達にあえる!)


 国王と王太子の晩餐が始まるなり、私は王宮にある王立魔術庁の付属図書館にやってきた。シンシアはこの図書館の司書も兼任しているのだ。

 魔術庁は王宮の建物の中にあるが、一つの棟を丸ごと使っており、そこだけで沢山の魔術師が働き、魔術研究所と図書館もあった。

 シンシアがマックにも声を掛けてくれていて、今夜は三人で食事をする予定だった。


 附属図書館は実に立派な施設だった。

 王宮で働く魔術師であれば、誰でも魔術書の保管されるここの図書館を使える。

 図書館は吹き抜けになっていて、高い建物の上部いっぱいまで、ぎっしりと本が並んでいる。新しいピカピカに光る背表紙の本から、古めかしく丁寧に扱わなければすぐに破れてしまいそうなほど、年代物のものまで。


(なんて、贅沢! 見たことがない魔術書が、たくさん!)


 水系の魔術のうち、珍しい本を何冊か借りると、その足でシンシアを探す。

 図書館のそばには楕円形のホールがあり、大きなデスクが中央に置かれていた。デスクの上にはクリスタルの巨大な竜が天井から下げられ、サンキャッチャーのように光の粒をホール内に投げかけていた。

 静かな図書館の中で煌めくその光は、とても幻想的に思える。


 パタパタという足音とともに、図書館の奥からシンシアが走ってきた。

 片手に財布を持っている。


「お待たせ! 本当に久しぶりね。同じ王宮にいるのに、こんなに会えないと思わなかったわ!」

「本当それよ。そもそも私、附属図書館に来たのも初めてよ」


 シンシアは少し得意げに笑った。


「どう? 本の多さに、驚いたでしょ!」

「ここの司書は、知識の番人ね」

「あら、素敵な表現ね。私、ここの珍しい資料をたくさん読んで、今度論文を書くつもりなの」


 仕事の話をするシンシアが、眩しい。

 希望の仕事を任され、好きなことを仕事にできた幸運を、思いっきり楽しんでいるのだろう。

 嬉しそうにしているシンシアを見ていると、こちらまで幸せな気持ちになる。

 私たちはそうして仕事の話をしながら、マックが席取りをしてくれている食堂に向かった。




 王宮の食堂は、王宮に勤めるものたちが利用できる場所で、低価格で食事を提供していた。

 職員が殺到しても混雑しないように、内部は非常に大きく作られて、王宮の中にあってもここだけはまるで街中の大衆食堂にいるのかと錯覚してしまう。次々に客が押し寄せ、注文の声や食器の音が飛び交い、雑然とした雰囲気に溢れていた。

 木の梁が渡された天井は見上げれば首が痛くなるほど高く、音がよく反響している。

 机と椅子は奥まで整然とならび、マックはその隅の方の一角を席取りしてくれていた。


 私たちが注文したのは薄いパン生地の上にトマトソースを塗って、ベーコンやチーズを乗せて焼いたものだった。

 かじればビョーンと伸びるチーズが楽しくて、マックは一口かじってはしつこく伸ばしていた。

 マックは王宮魔術庁の軍部に所属していた。軍部は魔術師で構成される軍隊組織のことだ。


「いや〜、決して希望したわけじゃないんだけどさ。ほら、俺の肉体美を見て、人事の人が軍部に入れちゃったわけよ。これで来年の馬上槍試合で優勝すれば、俺もモテモテだな」

「はいはい、そうね」

「いや、……軍部は自分で希望したんだけどさ」

「あっさり自白したわね」

「配属先は軍部の下部組織の一つの、王都警備隊なんだ。制服、すっげーカッコいいよ!」


 王都警備隊は王宮正門の隣に本隊の詰め所があり、赤い屋根に石造のその建物は非常に目立つので王都の名物となっており、地方からやって来る観光客なら、必ず見に来るほどだ。


「毎朝、詰め所から制服着て出るとさ、街中の人たちから羨望の眼差しで見られて、気持ちイイぜ。特に、若い女の子達のウットリした視線がたまんないね」

「よ、よかったわね。モテそうで」

「あと意外に、熟女のネットリした視線もグッとくるね」

「――あなた、なんで警備隊に入ったの!?」


 シンシアが呆れて顔をしかめる。マックは動じることなく、飄々としていた。


「いや〜、俺もさ、色々思うことがあってさ。とりあえず王都に幅をきかしとこうと思ってね。色々とリーセル経由で、未来も知ってるし」


 するとシンシアがあっ、と声を上げた。


「そういうことね! 来年の夏に、レイアが同盟国に援軍を送るのを知ってるからでしょう。軍部の中でも王都警備隊にいれば、戦いに行かされないものね」

「ま、それもあるかな」

「王都警備も危険な時はあるんじゃない? マック、危ない時は自分の安全を第一にしてね。私みたいに十九歳で死んだらダメだよ」


 冗談半分で注意をすると、マックは引きつるように笑って頷いた。

 シンシアは色とりどりの豆が入った豆サラダを口に頬張っていた。食べている様子がまるで小鳥みたいに見える。可愛くて、ついチラチラと見てしまう。

 シンシアは自分の近況について話し終えると、私に水をむけた。


「リーセルは忙しそうよね」

「忙しいというか、近衛の仕事って実際にやることはそんなにないのに、拘束時間だけは長いんだよね」


 魔術を使うことはほぼない。けれどある程度気だけは張っていないといけない。

 ある意味、ほとんど成果の見えない仕事だ。王太子に何かあってはいけない、という仕事なのだから。何もないのが成果なのだ。


「王太子殿下の警備はどう? 王都の警備より、ある意味面倒くさそうだな」

「警備自体はそんなに大変じゃないよ」


 マックとシンシアは顔を見合わせた。そのあとで、マックが私に尋ねる。


「じゃあ、何が大変? やっぱり、過去のことを色々と思い出しちゃうとか?」


 正しくは過去ではなくて、未来だ。私は言葉を選びながら、今の心境を語った。


「それが、意外とそうでもなくて。なんて言ったらいいかな。――なんかね、王太子がちっとも彼らしくないの」

「というと、つまり?」

「私の知ってるユリシーズとは、随分人格が違うのよ。人が変わっちゃったみたいに」

「私たちが出会ったみたいに、全てが前と同じではないのかもしれないわね」

「ま、性格は環境や生い立ちで変わるだろうからな。色々変化があっても、おかしくはないのかもな」


 そういうものだろうか。

 でも、私の家族やカトリン、アーノルドたちには人格の変化はなかった。

 そう思って腑に落ちない顔をしていると、マックが私の肩をバンバンと叩いた。


「んまぁ、それなら殿下に対する諦めもスパッとつくんじゃね? 結果オーライでしょ」

「そ、そうかもしれないけど」

「マック! そんな言い方ないわ」


 怒ったシンシアがスプーンをガチャリと皿の上に置き、その衝撃で豆が転がる。テーブルから落ちた豆を拾おうとシンシアは椅子を引いて屈み、目測を誤って頭をテーブルにぶつける。


「痛っ!」


 マックが爆笑する。


「笑うところじゃないでしょ!」

「悪い悪い、俺が拾うからさ。こっちからの方が近いし!」


 まだ笑ってる、と怒るシンシアを宥めながら、ついマックに感心してしまった。

 彼はいつでも楽観的で、よく笑う。その動じない強さが、時折とても羨ましい。







 王宮に来て以来、一日の終わりには、いつもへとへとに疲れ切っている。

 ローブを脱ぐ間すら惜しく、寮のベッドに横になってしまう。


(ああ、疲れた。ローブくらい、脱がなきゃ…)


 仰向けで体の下に踏んでしまっているローブを、片手で引き上げながら、ぼんやりとその濃い紫色を眺める。

 首を動かして狭い部屋の入り口付近にある、クロゼットを見やる。

 クロゼットまでのほんの少しの距離が遠くて、しまいに行くのも面倒くさい。

 溜め息をつきながらも、のそのそと起き上がってクロゼットに向かい、扉を開ける。キィ、と蝶番が軋む。

 クロゼットの中には、白いローブも入っていた。

 ギディオンに貰ったものだ。


(同じ王宮で働いているのに、ギディオンとも全然会わないな)


 彼や学院の他の子達は、そして先生達は今どうしているだろう。

 学院で毎日顔を合わせていたのに、パッタリと会えなくなってしまうと、気になってしまう。新生活が始まると、必死で違う環境に合わせて前を向き続けないといけなくなるけれど、こうして立ち止まって振り返ると、今までの人間関係が途絶えていることに気づいて、それをやはり寂しく感じる。

 クロゼットの一番端に掛けてある、白いローブに手を伸ばす。

 触れると指先から、色んな出来事が蘇る。

 ずぶ濡れで小川から上がってきて、私を見上げていた少年の碧の目を。難しい問題を先生に出され、皆が答えられない中、スッと挙手をしてスラスラと答えを述べる姿。

 手を握って、私を卒業パーティに誘ったあの少し不安そうな顔を。


「――友達でいたい、なんて言っていたくせに。ちっとも会いにも来ないじゃないの」


 引いていた白いローブを、奥に押し込む。

 顔を上げると、扉の内側に取り付けられている小さな鏡の中の自分と目が合う。不満そうに仏頂面をした私は、まだ化粧をしたままだと気づく。


(いけない、いけない。化粧くらいは落とさないと)


 マナー違反にならない程度の薄化粧しかしていないが、落とさないと肌がカチカチになってしまう。

 あくびを噛み殺しながらクロゼットを閉め、共有の洗面室に向かおうとしたその時。

 扉が廊下からノックされた。


(こんな時間に、誰?)


 不審に思いつつそっと開けると、そこにいたのはシンシアだった。

 別の棟の寮にいるはずの、シンシアがなぜ。彼女もまだ、王宮魔術師のローブを着ている。


「シンシア? どうし、」

「しっ! そのまま急いでついてきて! 時間がないのよ」


 言うなり、私の右手首を鷲掴みにして部屋から引き摺り出し、小走りで廊下を進む。

 シンシアは灯りを何も持っていなかった。暗い廊下を抜けてそのまま寮から出ると、外にはマックがいた。

 私がいる建物は女子寮なので、彼は外で待つしかなかったのだ。


「二人とも、どうしたの? 何か急用?」


 するとシンシアが掴んだままの私の手首を、より一層強く握りしめた。


「私、ついに見つけたかもしれないの。謎を解く鍵を! 昼過ぎに気付いてから、もう興奮しちゃって。午後は仕事どころじゃなかったわ!!」

「鍵? なんの話?」

「実は私、就職してからずっと付属図書館で調べていたのよ。前回の貴女の身に起きた、おかしなことを」

「そうだったの。ありがとう。――何か、もしかして分かったの?」

「見つけたのよ、気になるものを。――とにかく、時間がないの。こっちで話しましょ」


 寮の建物の周りは小さな中庭があり、倉庫が並んでいる。石組みの倉庫の隣には分厚い門があり、人気がない。倉庫の陰まで移動すると、辺りは一層暗くなった。

 高い倉庫の壁と門に挟まれたそこは、昼間でも日がささないため、どこかジメジメとしていて、壁には緑色の苔が生えている。

 シンシアは私に小声で言った。


「私、図書館の非公開の所蔵も職務権限で閲覧できるのよ」


 そこまで言うと、倉庫の外壁に手をついて寄りかかるマックが、口を挟む。


「シンシアは考えたんだよ。この状況についてさ。誰かが、魔術で故意に時間を巻き戻したんじゃないかって」

「魔術で時間を、巻き戻す? そんなこと、できるの?」


 シンシアは神妙な面持ちで、こくりと頷いた。月明かりしかない中、顔色までは分からないが、目には熱い色が宿って見える。

 シンシアは調べてくれたことを、話し始めた。

 魔術の研究をしているシンシアも、時間を戻す魔術というのは、存在すら聞いたことがなかった。

 そして王宮所蔵の多くの魔術書にも、当然一切記述がない。


「だから、アプローチを変えたのよ。もしかして古い魔術の中の一つなのかと思って。古魔術集っていうのがあってね、古に失われた術式を集めた古文書があるの」


 私たちは顔を寄せ合って、話をした。シンシアは近くの石の壁にすら聞き取れないような小さな声で、説明をした。


 古文書に残された魔術は、昔発明された魔術ではあったが、断片的にしか残されていないものが多く、術式に欠陥や不足があったりして途中で開発や研究が放棄され、現代に残らなかったものだ。実際に試みる価値がないため、研究者たちがたまに目を通すだけの古文書だった。


 その膨大で取り止めのない古魔術集をまとめたリストの中から、シンシアはついに時間に関する魔術を見つけたのだ。

 それは魔術で時間を戻すというもので、その名も『三賢者の時乞い』だ。


「リストにあるから軽く内容は確認できるんだけど、実物の古魔術集本体を読まないと、詳細がわからないのよ。古文書は魔術庁の最奥にある、公文書保存棟に置かれているの」


 ここで一旦言葉を区切ると、シンシアはローブの内ポケットに手を入れ、私の前にサッと何かを突き出した。

 金属の輪っかで括られた、鍵の束だ。

 息を呑む私に、マックがニッと笑った。


「だから今から三人で探しに行くぞ。三人寄れば何ちゃらだからな!」

「えええぇっ!?」


 急な話の展開に驚く私を他所に、マックとシンシアは私の手を取って、王宮の魔術庁が入る棟に向けて走り始めた。


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