<< 前へ次へ >>  更新
22/53

王太子の変貌

 こうして私の王宮生活は幕を開けた。

 王太子は私の記憶の中にいる彼より、随分冷淡で軽い風味のある男になっていたが、公務は変わらず熱心にこなした。


 起床後間もなく大臣や教師によるご進講が始まる。その後は軽く運動をし、再び執務に戻る。昼食を挟むと、王宮の外に出て各種視察や見学に行く。


 王太子の日常はとにかく激務だった。

 夕食の後は音楽や美術系の習い事があり、つまり寝る時間まで彼には娯楽にあてられる時間はおろか、何もせず寛ぐような時間がほぼなかった。

 特に王太子の嗜みなのか、習い事は毎日あり、非常に多忙だった。人生を豊かにするはずの芸に忙殺されるのは、本末転倒な気がしてしまう。


 王太子担当の近衛魔術師は警備部に数名おり、交代で任務をするはずが、王太子はほぼ毎日私を指名した。

 そのおかげで、私はほとんど毎日が勤務日になった。お給料日が、楽しみだ。


 近衛魔術師の私は、本来王太子が教師による講義を受けたり執務をする間は、近衛兵と共に入り口付近に立ち不審者が近づかないよう(実際は王宮内で危険があるはずもないので、現状はただの魔除みたいなものだ)気を配れば事足りるはずなのだが、彼は非常に面倒くさいことに、いちいち私に講義の内容について感想を求めたり、或いは政治的な意見を述べるよう、執拗に要求してきた。


「リーセル、税収全体のうち、関税が占める割合は去年何%だった?」


 急に話を振られても、答えようがない。想像で適当な数を言うと、王太子は非難がましく私を見るのだった。


「先生の話を聞いていなかったのか? 正解は、一割だ」


 王太子はかなりのSだった。以前の彼は、こんな性格ではなかったのに。どうして、こうなった。

 まるで王太子の皮を被った別人みたいだ。


 同じ王宮の中にある魔術庁の本部で勤務しているシンシアとは、「お昼ご飯くらい、一緒に食べられたらいいね!」などと言っていた。だが、そんなのは夢のまた夢だった。

 ランチどころか、広い王宮ではすれ違いすらしない。







 王太子の日課には、昼食後に散歩があった。

 彼は庭園にある池に行くのが好きで、公務に疲れると、池の噴水を少しの間眺めていた。

 池の真ん中の噴水では、五頭のライオンの像が互いに背を向け、勇ましく両足を上げて立っていた。ライオンは胸元に飾りをつけ、そのたてがみも毛並みも、繊細に表現されている。ライオンの口から出る水が池の水面に叩きつけて、涼しい音を出している。


 王太子が黙って噴水を見上げていると、風に吹かれて花びらが池の水面を流れてきた。

 王太子が岸から手を伸ばし、黄色い花びらをすくう。

 それは非常に絵になる光景だった。

 綺麗な顔立ちの王太子が、どこか憂いを帯びた瞳を水面に向け、花びらを見つめている。

 私は少し複雑な気持ちで彼を見つめた。


(あなたは、本当にあのユリシーズなの?)


 私が愛した王太子は、女官や侍従たちにも丁寧に接し、王宮内の誰からも慕われていた。だが今私が仕える彼は、少なからず横柄で、傲慢だった。

 なぜか特に私に対して。


(これがかつての王太子だったなら、私は彼と恋に落ちなかったかもしれない……)


 一抹の寂しさを感じる。

 時間が巻き戻り、ユリシーズは性格まで変わったんだろうか。

 再び花びらを水面に放ると、王太子は首を傾けて私に言った。


「リーセルの魔術を見てみたい。何かやってみてくれ」


 これもおかしな点のひとつだった。

 私が知る王太子ユリシーズは魔術持ちだったのに、今回の彼は違うのだ。ますます別人に見えてしまう。


「魔術なんて、殿下は見慣れてらっしゃるのでは? 王宮には名だたる魔術師がたくさん仕えています」

「なんだ、出し惜しみか? それとも実はたいした腕前ではないとか」

「これでも魔術学院では、いつも成績は上位でしたよ。……残念ながら、一位は一度も取ったことがありませんが」

「一位はどうせあのギディオン・ランカスターだろ?」

「ギディオンをご存じですか?」


 すると王太子はふん、と鼻を鳴らしながら、投げやりな視線を水面に流した。


「子供の頃は、よく一緒に遊んだものだ。強い魔術を持つのが自慢なのか、女官達にもよく色々腕前を披露していたよ。炎のライオンだとか、水の腕輪だとか」


 それは自慢ではなくて、きっと彼は女官たちを喜ばせる為にやっていたんじゃないのか。そんな気がする。

 私も一度目の人生では、魔術庁の庶務部に所属していて仕事がそんなに忙しくなかったので、王宮の下働きの人たちに、魔術を見せていた。魔術は本来、人を喜ばせる為にあるのだと思う。私と弟が子供の頃に、祖父が水の猫を見せてくれたのと同じように。


「四大貴族の嫡男だから、魔術学院に在学中も、公爵家には降るように縁談話が来ていたらしいな」

「ギディオンらしい逸話ですね」

「学院だろうが王宮だろうが、うまいことこなすあいつの姿が、目に浮かぶようだ」

「確かにギディオンは魔術もうまかったですけど、でも私は水系の魔術だけは、ギディオンと互角だと学院の先生にも言われました」

「ほう、お前にもたった一つは良い所があったんだな。ではそれを見せてみよ」


 王宮に来てから、ほとんど魔術を使う機会がなかった。王太子は王宮の外でも常時多くの衛兵に守られているし、中にいては危険などまずない。

 近衛魔術師が派手な魔術を使う場面など、実務上はそうないのだ。

 久々に魔術を使ってみたい気もする。私は咳払いした。


「ご希望でしたら、致しましょう」


 右手を前に出し、池の水面に向ける。

 自分の周りには今、三百六十度水の気配を感じられるので、水は操りやすそうだ。

 深呼吸をして神経を研ぎ澄まし、集中力を高める。


「水竜ジャバジャン、姿を見せよ!」


 ギュッと拳を握りしめた瞬間、池の水面が大きく盛り上がり、重力を無視して水柱が高く上がる。飛沫を撒き散らしながら、それは横に泳ぐようにうねりながら動き、長い尾を持つ竜の形へと変わる。

 透き通る背中から、大きな翼が伸びていく。


(上手くいった!)


 長い爪を持つ四本の足と、背中から生える翼。

 池の水で作り上げたそれは、向こうの景色が透けて見える透明な体だったが、たしかに実在することを主張するかのごとく、大きな唸り声を上げた。

 水竜がグォォォン、と低音で鳴くと、王太子は岸辺で身動いだ。


「ご安心を。殿下を襲ったりはしません」

「当たり前だ。――ジャバジャンというのはこの水竜の名前か?」

「カッコいいでしょう? 名をつけることで、行動を支配できます」


 王太子は水竜から視線を外し、私に腕試しでもさせるように、挑発的な調子で言った。


「三回回ってワンと言わせることは、できるのか?」

「えっ……。水竜は犬ではありませんので…」

「魔術師なのに、操れないのか?」


 王太子が私を馬鹿にしたように笑う。水竜に「ワン」なんて言わせたことなど、ない。

 挑発に乗るまいと思うも、ムッとしてしまう。


「国立魔術学院は、たいしたことないな。やはり学院は王立に限る」


 国立の方が入学試験のレベルが高いと言われているのに、心外だ。王立より下だと思ったことなんて、ない。国立魔術学院の生徒なら絶対に放っておけない言われようだ。

 自尊心が激しく傷つけられる。

 黙っているわけにはいかない。

 ――やってみせようじゃないの。

 屈辱を晴らそうと、私は水竜に命じた。


「ジャバジャン。三回回って、殿下に吠えて見せなさい!」


 水竜は池の上でぐるぐると回った。その動きで起きた風が、池の水面にさざなみを立て、冷たい風が私の頰を撫でる。

 律儀に三周すると、水竜はまるで蛇がトグロを巻くような格好になった。

 そうして王太子の前で顔を突き出すと、その大きな口を開け、「グワァァァン!」と吠え(?)ながら、なんとビューッと勢いよく水を吹き出した。ちょうど水鉄砲のように。

 水竜はそのまま、私の狼狽と共に魔術が崩れてその形を失い、大きな水飛沫となって、水面に落ちる。

 正面にいた王太子は一切避ける暇もなく、水を被った。


(そんな……! なんてこと)


 水竜に犬の真似をさせるのは、無理があったのか。もしくは私の日頃の疲れが無意識に綻びとなって術内に紛れてしまったのだろうか。

 顔面が水浸しになった王太子は、衝撃が大きすぎたのか、微動だにしない。

 ただ水がそのお綺麗な顔面から、ぽたぽたと彼の胸元に滴っている。

 まずい。

 これは、とてつもなくまずい。

 大失敗というか、大失態だ。

 始末書? 戒告? それとも。


 でも、焚き付けてまで所望したのは、王太子自身だ。それに、とりあえずワンと吠えたのだ。

 数秒の熟慮の後、私はこの件については、敢えて触れないことにした。

 何事もなかったかのように、池に背を向ける。


「さぁ、執務室に戻りましょうか。そろそろ次の公務も控えてますし」


 数歩進んだところで、王太子が私の肩を叩いた。


「殿下?」

「リーセル。スルースキルが高いとよく人に言われないか?」


 顔から水を垂らしながら、王太子は苦笑した。目はもちろん、笑っていない。


「――いい度胸だ」


 王太子は私のローブの首元を掴み、ぐっと引き寄せた。茶色の瞳が、冷たく私を睨む。

 もはや、私の足は地面から離れていた。


「実に面白い奴だな。その、よく見れば可愛い顔の裏で、一体何を考えている? 新人でなければ、首を刎ねていたところだ。寛大な俺に感謝するんだな」

「も、申し訳ありません……。どのような懲戒も、謹んでお受けします」


 王太子は顔をぐっと近づけ、目を細めた。その茶色に私が映るのが見え、彼は恐ろしく真顔で言った。


「お前は、絶対に首にはしないからな」


 王太子は硬直する私によく言い聞かせるように、ゆっくりと言った。まるで聞き漏らしを許さないかのように。


「優れた人材は皆、王宮のものだ。良く覚えておけ」


 切れ長の茶色の瞳の奥に、温度を感じさせない冷酷な光が見える。

 すっかり固まっている私から手を離すと、彼は両手をパンパンと叩き、当然のように命じた。


「お陰で俺の自慢の顔が、水浸しだ。責任を持って、魔術で乾かしてくれ」


 少し考えてから、提案してみる。


「お顔に温風を吹き付けて、宜しいですか?」

「お前は俺を、干物にする気か?」

「で、では爆風で一発で飛ばすという手もございますが」

「俺の顔を吹っ飛ばす気か? バカも休み休み言え。学院を次席で卒業したくせに、そんなやり方しか思いつかないのか。なぜ風の魔術にこだわるんだ。いいか? こういう場合は、水の魔術で顔の表面の…」


 王太子は突然口をつぐんだ。


「殿下?」

「いや、いい。散歩は終わりだ。戻るぞ」


 王太子は肩をすくめると踵を返し、歩き始めた。

 何を言いかけたのだろうか。敢えて稚拙な方法を提案してみたのだが、すぐに拒絶したところを見ると、少なくとも魔術に関して知識はあるらしい。魔術持ちでない限り、学ぶことなど、まずないのに。

 本当に魔力はないんだろうか?



<< 前へ次へ >>目次  更新