2-8 商業都市アインズヘイル ウェンディの決意
三人が去った後、なんとか食事を終えてすっかり暗くなってしまった窓の外を見る。
二人はこんな夜から材料集めに出てくれているのだと意識し、再度感謝の言葉を念じた。
そしてなんとか回復してきた手で両頬をパチンと叩きやる気を入れる。
それにしてもアイディアか。
空間魔法で材料の在庫を見てみると殆ど何も残っていない。
殆ど手を付けていなかった鋼鉱石はおろか、これから一番使うであろう銀鉱石までなくなっている。
残っていたのは
毒体草 大量
月光草 少量
翡翠 少量
色ガラス 少量
ローズクォーツのブローチ
魔力誘導板 2枚
振動球体 2個
と錬金で分解を行った際に出てくる大量の石だけだ。
見事といえるほどろくな物がない。
毒体草は解毒薬を作るのに使うのだが、残念ながらこの町の周囲に毒消しが必要な敵は少なく、需要もそこまで高くないため冒険者ギルドでは在庫を大量に抱えているだろう。
そして月光草。
もともと数が少ないところを見ると、それなりに貴重なのだろう。
だが薄っすらと光っているだけのこの草は何に使うのかわからない。
『月光草 月の光を浴びて育つ草。神秘的でとても美しい』
だから誰の主観だよ! それで何に使えるんだよ!
まだ上がらない腕でころころと石を弄びながら月光草の使い道を探す。
石……。石か。
月光草と石でじゃじゃーん月の石とか。なんちゃ
『月光石 淡く光を放つ石。 魔力を注ぐと光が強くなる』
って……。
手元にあるのは光を放つ石。
見た目完全に石なのに淡い光を放っている。
もうなんでもありなのか。錬金ってなんでもありなのか!
ならばこのままじゃ使えないし、せめて石の質感は消したい。
色ガラスの透明と合成して、
『月光ガラス 淡く光る透明なガラス。 魔力を注ぐと光が強くなる』
淡く光るガラスが完成した。
HAHAHA-! もうありなのね。錬金って何でもありでいいのね!
魔力で光るガラス。これを丸めて小さい球にすれば。
はい。豆電球ですね。
……。だからなんだよ!
この部屋にも光源はあるんだよ! 今更だよ!
はぁ……何かないかなあ……。
目に入ったのは今日買ったばかりのローズクォーツのブローチ。
そういえば買い物に付き合わせただけだったけど楽しかったな。
頑張って急いで食べようとしているのも可愛かったし……。
手持ち無沙汰で振動球体に魔力を注ぐとブブブブと緩やかに振動をする。
流石に高速振動というわけにはいかないか。
目覚ましとかにならなるかも。いや微妙か。
魔力誘導板をばらばらにして適当に机に並べてみる。
これは表面と裏面で効果が違い、引きよせと引き離しを行えるらしい。
試しに表面に魔力を注いで机の上から近づけてみる。すると机にばらばらに広げた表面の物は近づき、裏面のものは離れていくのだ。
そういえば学生の頃授業中に磁石で遊んでいたことがあったな。
はぁ……今は何をしてるんだろ。ウェンディさん。
カチャカチャと魔力誘導板を弄りながら俺はウェンディさんを思い浮かべてばかりいた。
―ウェンディSIDE―
私は一人、自分に与えられた部屋にいた。
「入りますよ。よろしいですか?」
「どうぞ」
ヤーシス様の声だ。
「ご機嫌はいかがでしょうか」
「……良い訳がありません。どうして、どうしてあのような事をおっしゃったのですか?」
「あの日は楽しかったですか?」
「……はい。とても、とても充実した時間でした」
ヤーシス様は話をはぐらかしているようです。
あの日も何を聞いても答えてくれませんでした。
「そうですか。それはよかった」
「よくありません。どうしてあのような事を、あの方とダーダリル様で勝負などおっしゃったのか、答えてください」
「それには理由があるのです。あなたを利用したのは申し訳ないと思っておりますが、それでも必ず良い方向に収まりますので安心してください」
「私にはヤーシス様がお金に目が眩んでダーダリル様に私をお売りになろうと思っているとしか思えません」
私は特殊奴隷です。
相手を選ぶ権利がありますが、勝負の結果だからと納得させようとしているように思えます。
「はっはっは。それはありませんよ。貴方は幸せを願い、それを叶えるべき人だ。それにお客様は貴方をむざむざ見捨てるような方ではありませんよ」
「それは……。ですが一週間で8000万ノールなどとても……」
「あの方では集められないと?」
「そうは言いません……。ですがきっとこれは私の希望が混じっているのです……」
「希望ですか……。私もあの方なら何か起こしてくれると思います」
楽しそうに笑うヤーシス。
仕事に真面目でお金と自分のみを信じている男。
奴隷に手を出すような真似はしないが、犯罪奴隷には容赦なく過酷な環境へ送るのを躊躇わない怖い人。
普段は厳格で厳しい男であるのだがこの男がこんなにも楽しそうに笑う姿を初めて見たかもしれない。
「もう一度いいますが大丈夫です。貴方も私もどちらにも良い事がありますよ。きっと」
「はぁ……。もう知りません。私はたとえあのお方が負けてもダーダリル様の物になる気はありませんからね」
ヤーシスはそれを聞いてにこりと笑い部屋を出て行った。
窓から差し込む淡い光を見てあのお方の顔を思い出す。
頭を撫でてくれた。大丈夫って言ってくれた。
その言葉を信じたいが、現実問題として8000万ノールという壁は果てしなく大きい。
ヤーシス様に気に入られ、レインリヒ様の弟子といえどこの壁は越えられないのではないか。
あの方には他にも美しい方が二人もいましたし、私のことなど実は気にもしていただけないのではないだろうか。
あの方には目的がある。その目的には西地区の統括の子供と敵対しては確実に遠回りとなってしまう。
あの方の足手まといになるのは嫌だ。
それだけは、絶対に嫌だ。
一人になると悪いことばかり考えてしまう。
それでも、楽しかったあの日のことを思い出しては嬉しくて、でもそれがもう叶わないのではないかと悲しくて自然と涙が流れてしまう。
初めてお会いした時はヤーシス様がなぜ私と顔を合わせられたのかわからなかった。
二人の綺麗な女性を奴隷にしに来たあの方。
いつも通り下品な方々と変わらないと思っていたが、どうやら理由があるようだった。
あんな綺麗な二人に従属奴隷になることを強制しないのだから優しい人なのかもしれないと、珍しく好感の持てる男性だった。
次にお会いした日はまだ私が就寝しているところに、ヤーシス様の慌てた足音で目が覚めた。
「ウェンディ? ウェンディ起きていますか? いえ、起きてください。今すぐに外に出る支度をしてください。お召し物はこちらで用意しますから、湯浴みをするなら構いませんのでお早くお願いしますね!」
それだけ言うとヤーシスは慌てた足取りで衣装室に向かっていった。
珍しく慌てている様子のヤーシスにただ事ではないと思いながら急いで湯浴みを済ませヤーシス様の用意した服に着替えると他の奴隷の方に応接間に通された。
「とある方の接待をお願いいたします。あ、朝食は取らないほうがよろしいでしょう。お相手は中央広場に行けばわかると思いますので、お疲れのご様子でしたのでどうかお心を癒して差し上げてください」
気合の入ったヤーシスに若干の違和感を覚えながら中央広場に向かった。
一体誰なのだろう。まさかとは思うがダーダリル様ってことはないだろうと思いながら、まだ人のまばらな中央広場に向かうと一人の男性がベンチで食事を取っていた。
「あ……」
あの方はこの前の方だと、気がつくか先か口元にソースがついてしまっているのが目に入った。
あのお方は目を瞑り食べている物を味わっていたので、そっとソースを拭って隣に座る。
お礼を言いながら驚いた様子がどこか可愛くて、子供のようにソースをつけている事に気がつかない様子が愛おしく思えた。
一目ぼれ? そんなものは信じていない。
でもなぜだろう。このお方の近くにいるととても安心することが出来た。
膝枕を男性は喜ぶと聞いたので申し出たのだが断られた時は少し悲しくなった。
したかったな膝枕。
ご主人様はどんな顔をするだろうか。
次の機会があれば是非と言っていたので、その時を楽しみにしていようとはしたない思いも生まれていた。
私が起きたばかりじゃないのかと心配してくれる優しい人。
頑なに大丈夫だと言ったのは今思い出すと少し恥ずかしい。
それに奴隷に対しての常識も知らないご主人様。
手のついていない食事を、奴隷に与えるのは商館くらいである。
あーんとしてあげると、ぱくりと食べた姿がまた可愛くて。
私が食事をしている姿を見られていたのは素直に恥ずかしかった。
なるべく急いで食べたのだが喉につめてしまい、水筒の果実酒を分けてくださる優しいご主人様。
立ち上がり腕を組もうと近づくとご主人様は離れてしまった。
匂いを気にして離れようとするので、むっとして匂いを嗅ぐと薬草のいい香りがした。
腕を組むと、恥ずかしそうに嬉しそうに頬を緩めて照れたようなお顔になった。
私の胸が大きいのは知っていたが、こんな風に腕を押し付けるような真似をしたことがなかったのでその反応が楽しくて、なんだか自分も楽しくて幸せで何度もぎゅっと抱きしめてしまった。
幸せだって、ご主人様も言ってくれた。
幸せすぎて泣きそうだって。そこまで喜んでくれるならと何度も押し付けて、反応を楽しんでしまった。
恋人のようだなって、私は奴隷なのに分不相応かなって思ったが、ご主人様を見て今の幸せを大事にしようと思えた。
服屋さんに行くと服を選んでくれと頼まれたので、一生懸命似合う服を探した。
探しているうちにあれもこれもとどんどん服が増えていってしまった。
ご主人様が女性店員と楽しそうに話をしていた事にちょっとむっとしてしまい、話の途中だったのに妨げてしまった。
でも、私の選んだ服を四着も買ってくれて、その内の一つを気に入ってくれたのかそのまま着てくれていた。
次は道具屋に向かった。その間も勿論腕を組んで歩いた。
何故この人は他の方と違って安心できるのだろう。
何故奴隷に対してこんなにも普通に接することが出来るのだろうと疑問に思った。
もしかしたらと聞いたら素直に『流れ人』だと答えてくれた。
『流れ人』は凄い力を持っていて、それを悪用する人が多いと聞いたがご主人様はそんな人達とは違うと思えた。
私を買いに来る人は、お金を持った人だ。
お金も力である。
力を持てば人は変わる。
無意識に他人を上か下かで見始める。
そうなると、奴隷ならば好き勝手できると思っているのだ。
下品な目で私の胸を見る貴族が沢山いた。
ヤーシス様はそんな相手に私を売る気はなかったのか、数人の方にしか会わされたことはなかったがそれでも変わらなかった。
でも、この人は違うと思えた。
『一生働かないでまったり暮らしたい』って、笑いながら夢を語るご主人様。
贅沢だなって、でもその夢のお手伝いをしたいなって思えた。
静かな所でご主人様と二人星を見て、そっと寄り添うような妄想もしてしまった。
ご主人様の未来に、私も傍に居たいと思えた。
『この方と、一緒にいたい』
生まれて初めての感情に戸惑いながらも、心の中がぽわっと暖かくなった。
その後も二人で道具屋に向かい、変なもので無駄遣いをしようとするご主人様を嗜めたり、二人で大道芸を見ながら食事を取ってお茶をして、たわいもない話をして笑ってくれて、私もご主人様のことを一杯聞いてしまって。凄く楽しい時間だった。
……その後ダーダリル様が現れるまでは本当に楽しい時間だった。
でも、私のご主人様だって言い切ってくれた。
ぎゅって抱きしめてくれた時、ちょっと苦しいくらい力強くてでもそれが気持ちよくて幸せで、一日に何度もこんなに幸せな気持ちになっていいのかと惚けてしまった。
ヤーシス様が現れて、勝負を言い出したときは驚いたけど、それよりもご主人様が心配だった。
相手はあの非情な西地区統括のご子息。
ご主人様が危険な目にあったらどうしよう。
そんな事は絶対に嫌だ。
だから止めなくてはいけないと思ったのに、
「大丈夫」って頭を撫でてくれた。
「受けてやる」って男の顔をして言ってくれた。
その言葉が嬉しくて、撫でてくれた手が温かくて。
私は何も言えなくなってしまった。
だから。私は信じなくてはいけない。
あの人が、私のご主人様が大丈夫って言ったんだから泣いてちゃだめだ。
信じよう。信じて待とう。
私はあの方の、ご主人様の奴隷になるのだから。