さよなら、リビングデッド
カラスになってしまいたい。
そう思っていた。
何故ってあいつらは、死体を残さないからだ。そんな都市伝説ができるくらい亡骸を見せないのだと、噂好きの矢田が言っていた。
今の俺は昔の俺の残骸で、見苦しく死人が歩いているようなものだ。
なので高校に上がってからは、いつも、そんなことを考えていた。
自分で言うのもなんだが、中学校までの俺はちょっとしたものだった。
少年野球のチームに入り、そこで投手として頭角を現した。投げては勝ち、勝っては投げた。栄光が欲しくて、賞賛が欲しくて、誰にもマウンドを譲らずに投げ続けた。
それが祟って、肩を壊した。
甲子園の夢は諦めざるをえなくなって、進路も変えた。かつてのチームメイトたちが、頑張り続けるさまを見たくなかったからだ。
だが進学先にも出身校の同じ連中は当然居て、彼らは帰宅部の俺を眺めながら語った。
「中学の時はあいつ、凄かったんだぜ」
意識してか無意識にか、そうやって死体に鞭を打った。
だから、俺はカラスになりたかった。綺麗さっぱり、消え失せてしまいたかった。
そんなある日の夕暮れ。
茜色のアスファルトの上に、俺は一羽のカラスを見つけた。そいつは怪我をしているようだった。路上には抜けた羽が散乱していて、相手はもう見当たらないけれど、多分同族と争った後だろうと思われた。
実に敗残兵めいてみすぼらしい姿に、俺の足が思わず止まる。
羽を傷めたらしいそいつは、ひょこひょこと懸命に撥ねた。道の脇に逃れて人の足を避け、そこでゆっくり翼を広げ、一度、二度と動かす。
やはり所作はぎこちなく、痛みを伴うようだった。おそらく、飛べないのだ。
カラスは諦めたように動きを止め、首をもたげて落ちていく太陽を見た。
俺の胸に、憐憫と同情、それから「ざまを見ろ」とでもいうような、ほの暗い気持ちが湧き起こる。自虐にも似た感情に囚われたまま、俺もまた路肩によって、ぼんやりカラスを眺め続けた。
やがて黄昏の色合いに、夜の気配が強まってくる。ふと、こいつを拾って飼ってやろうか、なんて考えが過ぎって首を振った。
これもお節介焼きの矢田の受け売りになるが、カラスのみならずで野鳥を勝手に飼ってはいけないのだと、法律で定められている。
そもそも、連れて帰ってどうするつもりだ。飛べない同士で傷でも舐め合うのか。馬鹿らしい。
自嘲したその時、カラスがまた羽を広げた。残照を映して、黒が宝石のように煌く。確かめるように両翼をゆっくりと運動させながら、そいつは頭を巡らせて、日の名残りをしっかと追った。
何を思う暇もなかった。
伏せるように低くなった体が、地を蹴って跳ね上がる。周囲の雑音を切り裂いて、力強い羽ばたきが耳を打った。一度揚力を得れば、後はたちまちだった。時に翼を休めるように滑空しながら、不恰好に覚束なく、それでも確かにカラスは飛んだ。昼夜の境界目がけて、真っ直ぐに。
その飛翔は弾丸のように俺を貫き、驚くほどくっきりと胸の奥に焼きついた。
飛び去るカラスの残像を、しばらく呆けたままに見送り、それから俺は我に返った。携帯電話を取り出して、幼馴染の矢田のところへ電話する。コール2回で奴は出た。
「あ、俺だけど。今いいか? ああ。前にお前が言ってた手術の話、今度詳しく聞かせてくれないか。親に、ちゃんと相談してみる。……そうだよ。心境の変化だよ。鳥に負けたままじゃ格好悪いだろ。うっせ。気も頭も確かだっての。教えねーよ。こいつは男のロマンだ。女にゃわからねぇ」
気心の知れた悪態を交わしながら、帰り道を歩く。
こうして言葉を交わすのは、随分と久しぶりのような気がした。本当に色んな意味で、俺は死んでたんだなと気づく。
「それから、その、まあ、なんだ。……ありがとうな。違ぇよ。そういうんじゃねーよ。違ぇって言ってるだろ! 調子乗んな!」
空を失くしたって、道ならばまだ続いてる。
あいつの羽とは異なるけれど、この心にも翼がある。
だから見栄張って気取って物分り良く諦めないで、縋って喚いて迷惑かけて、それでも齧りついてやるのだと決めた。
どんなに無様な足掻きめいても、それが俺の飛び方だ。死体の日々にはさよならだ。
もしもいつか俺の飛翔が、誰かの胸を打てたなら。心を震わせられたなら。そいつは万々歳ってものじゃあないか。そう思った。そう思えた。
奇妙なくらい浮き立つものが、俺の中を渦巻いている。
今、ものすごく投げたい気分だった。