第30話 朝のひととき
ディザスタースライム事件が発生して1か月が経過した。
ダンジョンに入れないままになっているため、ハイシンは未だに再開される予定はなく、妹のエーリカとともに葵の作った朝食に舌鼓を打つ。
「サブローししょー、今日は出かけるって言ってましたけど、いちおうお弁当を作っておいたっす」
「ああ、すまんな。俺もそろそろスーパータカミの臨時バイトだけでなく、正式に働こうと思っててな」
葵が作ったカリカリのベーコンと目玉焼きが載ったトーストにかぶりつきながら、仕事が決まったことを葵に告げた。
俺の発言を聞いた葵がおでこに手を当ててくる。
「サブローししょー! 病気ですか? 何か痛んだ物を道で拾い食いしたんっすか!? 怒らないからちゃんと申告してくださいっす!」
何気に葵の俺に対する扱いが酷い。
「このシュッテンバイン=リンネ=アルベドが道端に落ちてる物など拾って食うか!」
「そうじゃぞ、葵。兄様が拾い食いなどという行為をするわけがないじゃろう。昨日だって、妾にポテチを分けて――」
「エーリカ、その話は――」
俺は急いでエーリカの口を塞ぐ。
「はーん。どっちが食べたのかなーって思ってたっすけど、共犯だったんすねー」
腕を組んだ葵の背後に殺気が湧き上がる。
「サラちゃん、盗み食いの量刑はなんだったか、この2人に教えてあげてくださいっす」
葵の肩に乗っていたサラマンダーが器用に指先を動かし、自分の喉元を掻き切る仕草を見せた。
「おっけー。そういうことになってますけど、2人とも盗み食いしてませんよね?」
実力的に葵に負けることはないが、ここで盗み食いを認めると、食事のカロリーを徐々に減らされる兵糧攻めをされるのは目に見えている。
エーリカも、この一ヵ月でそれを理解しているため、俺と同じように無言で頷いた。
「盗み食いなどするわけがない。ちゃんと、開封前に『ポテチを食すが、問題ある者は名乗り出ろ』と聞いた。返答がなかったので、エーリカとともに食したまでだ。これなら問題あるまい」
笑顔の葵の表情が、そのまま固まった。
問題は……ないはず。
盗んではいない。ちゃんと、持ち主がいないかを確認したからな。
「サブローししょーが聞いた時、その場にあたしがいませんでしたよね?」
「ああ、そうだ。だが、ちゃんと聞いたぞ」
「アウト―! サブローししょー、アウトです! 毎日の摂取カロリー量1000kcal固定の刑に処します」
毎日1000Kcal! 無理だ! そんな、はしたKcalでは身体が維持できない!
なんという非道な行い! 弟子として師匠を敬うということができないのか! やつには人の血が流れてないのかもしれんぞ!
葵から摂取カロリー固定の刑宣告を聞いたエーリカが、次は自分ではないかと思い、ガクガクと身体を震えさせて怯えている。
「わ、妾は兄様から唆されただけなのじゃ! 葵、妾は悪くないのじゃぞ! この通りなのじゃ! 成長期の妾に摂取カロリー固定の刑は無体な行い!」
笑顔を貼り付けたままの葵が、無慈悲に指で首を掻き切る仕草を見せる。
「エーリカさんも同罪でアウトっす。しかも年齢詐称っすよ。あたしより年上っす」
「許してくれなのじゃ! ついでき心だったのじゃぞ! ポテチが美味しいのが悪いのであって、妾は悪くないのじゃ!」
自分の椅子から飛び降りたエーリカが、葵の腰にしがみついて必死に命乞いをする。
エーリカよ……葵のあの眼を見たら、減刑は絶望的だと察するがいい。
ともに堕ちよう。摂取カロリー固定の刑の地獄へ。
「エーリカさん、毎日の摂取カロリー1000Kcal固定の刑に処します」
「ああああぁああああぁあぁぁああっ! 嘘じゃあ! 嘘と言ってくれなのじゃ! 葵ぃいいいいいいっ!」
葵の腰に縋り付いていたエーリカが床に崩れ落ちた。
「まぁ、でもカロリー固定の刑は明日からっス。とりあえず、これはエーリカさんの分。早弁したらダメっすよ」
床に崩れ落ちたエーリカの前に、葵がお弁当箱を差し出した。
「葵はガチ天使なのじゃ! 妾は一生ついていくのじゃ! 裏切って妾を売った兄様なぞ、犬に食われて死んでしまえなのじゃ!」
「散々な言われようだな……。葵、遊んでていいのか? そろそろ、学校に行く時間だろ?」
ダイニングの壁に掛けられた時計を見た葵が、顔色を変える。
いつもの登校時間はとうに過ぎていた。
「ち、遅刻っす! サブローししょー、出かける時は施錠よろしくっす! じゃあ、エーリカさんも大人しくしててくださいね! 行ってきます!」
葵は大慌てで鞄を背負うと、アパートの扉を開けて駆け出していった。
俺は葵を見送ると、身支度を始める。
葵は信じていない様子だったが、今日から正式に採用されて働くことが決まっている場所がある。
「エーリカ、俺たちもそろそろ仕事場に行くから準備しろ」
「面倒くさいのぅ。あの仕事は兄様が頼まれたやつなのじゃ」
「お前も含めての採用だ。文句を言わず準備しろ」
「はいはい、すぐに終わらせるのじゃ」
しばらくして身支度を整えたエーリカとともに、俺は新たに採用された職場へ向かうことにした。