第一話 1024倍の罠
本作は全ジャンル踏破「SF_VRゲーム」の作品です。
詳しくはエッセイ「なろう全ジャンルを“傑作”で踏破してみる」をご覧ください。
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――人という字は、人間が自らの二本の足で立っている姿を元にした象形文字だ。それはつまり。人としてまっとうに生きたいのなら、自分で考えろ、他人を頼るな、ということなんだろう。
そんな風に僕が自立の覚悟を決めたのは、十歳の頃だった。当時は毎日のように母親から殴られていて……穴の空いた服を着たり、足に合わない靴を履いたりして、下水道のネズミみたいな汚い風貌をしていた。助けてくれる大人はいなくて、同級生からも不潔だからと遠巻きにされていたのを今でも覚えている。
雪のちらつく寒い夜、薄着のまま放り出された僕が生き残るための選択肢は少なかった。だから……裸足で震えながら、自らの意思で児童養護施設に辿り着いて、僕はようやく自分の人生というモノを手に入れることができた。
他人に期待せず、自分で考える。そうやって、どうにか高校二年生まで平穏無事に育ってきた……だというのに。
VRクラフトゲームのβテスト。
かなり昔に大流行したクラフトゲームのVR版がついに発売されるということで、高倍率の抽選の末にテスターに選ばれた僕は、意気揚々と仮想世界にログインしたのだが――
『我々“自由の翼”の手により、諸君はこのVR空間からログアウトすることが不可能になった』
そこで待っていたのはテロ組織の罠であった。
ブルドッグのようなクシャクシャ顔のオッサンが空に投影され、彼のしわがれ声がゲーム世界に響き渡る。
初期スポーン地点に集まっていた数百名のプレイヤーは無様に混乱していた。まぁ、僕も決して人を笑える有様じゃないんだが……胃が捻れるような落ち着かない気持ちのまま、視界に映るゲームのコントロールを見る。
長杉ケイタ【状態:正常】
LP━━━━━━━━━━[FULL]
FP━━━━━━━━━━[FULL]
[製作][道具][装備][会話][設定]
本来ならばメニュー端にあるはずの「ログアウト」ボタンが存在しない。これでは確かに、ゲーム世界から抜け出すことはできなさそうである。ちなみにLPは生命ゲージ、FPは満腹度を表現しており、どちらかがゼロになると死亡する。その時点で所持している道具・装備は全てカラッポにされ、スポーン地点まで飛ばされるのがゲーム仕様である。
『ゲーム内での死亡は、もちろん現実空間の諸君の生死とは何ら関係がない。そう簡単にドロップアウトされてしまったら、我々の目的が果たせなくなってしまうからな』
ほう。いわゆる「デスゲーム」という奴ではないのか。しかし、奴らの目的というのは一体何だろう。そう思っていると、テロリストはニヤリと口角を上げて説明する。
『我々の目的は単純だ。現在の囚人への刑罰がいかに悪辣なものか、世界に思い知らせること。そのため君たちには悪いが、強制的に1024倍の加速処理の中で過ごしてもらおう』
その言葉は、プレイヤーたちを激しく動揺させる。
技術の進歩は凄まじく、人間は専用のカプセルベッドに入って仮想空間で活動できるようになった。脳の時間感覚を加速するといった機能も実現しているので、今では学校の授業や各種仕事もVR空間で行われるのが一般的になっている。
だが健康上の理由から、一般人は最大8倍で1日4時間まで、国際資格を持つ専門職でも最大32倍で1日8時間までしか加速してはならない決まりになっており、1024倍というのは犯罪者の刑罰に用いられる加速倍率である。
『時間感覚を1024倍にされるということは、現実世界の1日が体感で2.8年になるということだ。懲役10年を超えれば体感時間は1万年以上……長期刑囚が当然のように廃人にされる。こんな非人道的な制度がまかり通ってたまるか』
いや、その非人道的な行為をまさに今、貴方は無辜の小市民に対して行ってるんだが。それについてはノータッチで行くのだろうか。酷い矛盾だと思うが、そんな人間だからテロなんて非生産的な活動をやってられるんだろう。
警察がどの程度の期間で僕らを救出できるかは分からないが、仮に1ヶ月ほどかかったとすれば……計算上は84.2年をこのゲーム内で過ごすことになるな。現実空間の肉体は若いままだが、精神的には爺さんになってしまう。
『まぁ、いずれ助けはくるだろう……体感で何十年先になるかは知らんがな』
テロリストの宣言は、そうして終了する。
そういえば、このテロ組織は以前から囚人の刑罰について口汚く喚いてたな。だが……この制度のおかげで世界的に犯罪率が大きく下がる結果になっているのは確かな事実で、罪のない一般人は普通に受け入れている。今回のやり方はむしろ、反感を買って逆効果になると思うんだが。
さて、これからどうするか。
自分で考えろ。他人を頼るな。
そんな風に考えていると、プレイヤーの集団の中から一人の女の子が僕の方へと歩いてきた。明るく染めた髪色、整った顔をさらに派手にみせるメイク、露出の多い服装。これは見覚えのある風貌だが……そうだ。
同じクラスの女子、西園寺アゲハだ。
「長杉っちもこのゲームに参加してたんだ」
「は? 長杉? 他人の空似では」
「ふふ。その発言は完全に長杉っちだよね。こんな状況でもブレないねぇ。あのね、それでさぁ」
「断る」
「まだ何も言ってないでしょ? あのね」
「断る」
「もう、仲良くしようよぉ。これから長いんだしさ。ほら、参加者同士での情報交換も必要じゃん。でも長杉っちはコミュニケーションという行為に常に喧嘩を売ってる男じゃん。私が代わりに他の人と会話してあげるから、長杉っちには私を助けてほしいの。ねぇお願い。仲間になろ☆」
「断る」
もう、とプリプリ怒る西園寺アゲハを横目に見ながら、僕は小さく溜息を吐き出した。もしかしてこの先、何十年もこのハイテンションな女に付き纏われ続けるのだろうか。そんな予感に軽い絶望を覚える。
あぁ、囚人の刑罰は、たしかに少々非人道的なのかもしれないな。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲
誰が言い出したのかは分からないが、とりあえず全体の方針は決まったらしい。
これから皆で初期スポーン地点の付近に簡易的な拠点を作成することになった。僕としては早々にこの場を離れて一人になりたかったが、ゲーム内で死亡すると結局はこの地点に戻ることになるので、軽率に逃亡するわけにもいかない。気は進まないが、半ば諦めの境地で割り当てられた作業を淡々と行っている。
長杉ケイタ【状態:正常】
LP━━━━━━━━━─[90%]
FP━━━━━━────[60%]
[製作][道具][装備][会話][設定]
製作画面を開き、木と石で作業ツールを作る。
やること自体は単純だ。石斧で木を切り倒し、石ピッケルで岩を破壊し、石シャベルで土を削って地面を平らにしていくだけ。道具欄は様々なモノで埋まっていくが、とにかく「土キューブ」が溜まりまくって邪魔なので、建築資材用の収納ボックスへと定期的に捨てに行く。
それにしても、ゲーム内で満腹度が減ることをわざわざ実際の空腹感にまで反映させなくても良いのにな。まぁ、そういうリアルさがVRの良さなんだろうが。
もちろん仮想感覚だから現実ほどシビアな飢餓感を覚えることはないだろうが、今の状況だとあまり歓迎したい機能ではない。
そう思いながら作業を続けていると、茂みの方から何やら小さな影が飛び出してきた。こいつは……爆弾ネズミ。ゲーム序盤の難敵で、油断していると静かに近づいてきては自爆し、地形や建築物ごとプレイヤーを吹っ飛ばして破壊することで有名だった。
Wikiを読んでおいてよかった。
耐爆装備がない今、取れる戦法は一つだ。
「ヒットアンドアウェイ……やってみるか」
僕は装備を石剣に持ち替え、ダッシュしながら一撃をくれてやる。するとネズミは身体を丸めて爆弾モードになり、導火線のような尻尾からはジュウという音が聞こえるので、すぐさま距離を取る。一定以上離れるとネズミは爆弾モードを解除するので、あとは同じことを何度も繰り返すだけだ。
爆発させずに倒せれば、ドロップアイテムの「火薬」が手に入る。これは自分用に確保しておこう。
爆弾ネズミの湧いたあたりを見れば、日陰になって少々瘴気が濃くなっている。このゲームでは瘴気濃度が一定以上になるとモンスターが湧く仕様なので、安全な拠点を作りたかったら湧き潰しは必須である。
道具欄から「浄化の火」というロウソクのようなモノを取り出して、その場に置く。こうすれば、半径十メートル程度の範囲にモンスターは湧かなくなる。ちなみに、このロウソクは尽きることなく延々と燃え続ける謎装置である。
長杉ケイタ【状態:正常】
LP━━━━━━━━──[80%]
FP━━━━━─────[50%]
[製作][道具][装備][会話][設定]
満腹ゲージはいいとして、生命ゲージが減っているのはなぜだろうか。戦闘でダメージは食らっていないはずだが。
そんなことを考えていると、僕の作業場に西園寺アゲハが現れる。
「長杉っち。はい、肉焼けたよぉ」
「……あぁ」
「ほら。ちゃんとお礼を言って」
「ありがとう」
「どういたしまして☆」
西園寺アゲハから受け取った肉は、漫画に出てくる骨付き肉のような見た目をしていた。ワイルドに焼いただけのものではあるが、香ばしい匂いが食欲をそそる。僕は待ち切れない気持ちでガブリと噛みついた。うーん。仮想味覚だが、これは美味い。
FP━━━━━━━━━─[50→90%]
なるほど。肉一つで満腹度は40%回復か。
作業をしていると満腹度はどんどん削れていくし、これは早めに独自の食料調達手段を確保した方が良いかもしれないな。とりあえず直近は、不自然でない程度に作業ペースを落として体力を温存するのが良さそうだ。
この場を離れるのは時期尚早。
遠出できる装備や食料、簡易拠点を作れる程度の建築資材も集めておく必要があるし、ゲームのWikiを読み込んで仕様を把握することも必要だ。拙い逃亡劇の末にあえなく死亡して初期スポーン地点に逆戻り、なんて間抜けな事態は避けなければ。
ゲーム機能とは別に、仮想空間アカウントに紐づけられたメモ帳でタスクリストを作っていく。そうしていると、西園寺アゲハが僕の方へずいと身を寄せてきた。うん、邪魔だ。
「ところでさぁ、長杉っち。私たちの現実世界の身体って、どうなってるのかなぁ」
「ん? というと?」
「ほら、ゲーム内では肉を食べれるじゃん。でも現実の私たちはVRカプセルベッドで寝てるだけだし。カラカラに干からびたりしないか怖いんだけど」
いや、それは大丈夫だが。
というかVR機器の基礎知識だと思うんだが。
「VRカプセルベッドは基本機能として、栄養補給や排泄物処理なんかを自動で行ってくれる。そう法律で決まってるからな。そうしないと健康的に長期間のダイブができないだろ」
それだって本当に基本的な機能でしかない。お高い機械になると、仮想感覚をよりリアルに感じるために現実の肉体を刺激したり、筋肉が衰えないよう定期的に電気を流すような製品だってあるわけで。そのあたりは、こだわり始めたらキリがない分野だ。
「へぇ、そうだったんだ。VRでゲームするのって初めてだから、その辺よく分かってなくてさ」
「小学校でも習う内容だぞ」
「小学校なんて途中から行ってないもん」
西園寺アゲハはそう言って笑う。
まぁ、事情なんて人それぞれだからな。
「私、VRとか全然詳しくないからさ。お願い長杉っち。アゲハに手取り足取り、色々教えてぇ?」
上目遣いで潤んだ目を向けてくる西園寺。
「……その計算され尽くされた小悪魔仕草」
「ふふん。長年の研究の成果だよ☆ これでコロッと騙されない男子なんて、長杉っちくらいだよ」
「怖いなぁ。だがやるなら上手く立ち回らないと、変な男に粘着されたりするからな。気を付けろよ」
僕がそう言うと、彼女はきょとんとした顔をする。
「小悪魔はやめろ、とか止めたりしないの?」
「なぜだ? 処世術の一つだろ」
「へぇ……案外話分かるじゃん」
うーん……なんだか意図せず西園寺からの好感度が上がった感じがするが。別にそんなのいらないんだがな。
「……僕はそういう類の面倒な立ち回りをするのが苦手なだけで、西園寺の言動そのものは人間関係において有効な戦略だと思ってる。化粧だろうが身体だろうが、どうとでも使って好きにすれば良いんじゃないか」
「失礼な。それは聞き捨てならないよ。これでも身体は清い乙女のまんまですぅ」
「そうか。クソどうでもいい情報をありがとな」
そうして話しながら少し休んでいると、生命ゲージがフルまで回復する。
LP━━━━━━━━━━[FULL]
なるほど。どうやらダメージだけじゃなくて、疲労でも生命ゲージが削れるみたいだな。ワーカホリックには辛い仕様だろうが、僕は程々にやる派だからちょうどいい。
「ねぇ、基本的なことから教えてほしいんだけどさぁ。VRゲーム内で気をつけた方がいいことって、何があるかな?」
「んー……まぁ色々あるが。西園寺の場合だと、とにかく接触拒否設定を解除しないことじゃないか」
「接触……?」
「それも知らないのか」
接触拒否設定。それはVR空間において、様々な暴力被害から身を守るために最も重要な設定である。解除するのは恋人同士や夫婦同士といった極親しい仲に限るべきだと……これも、小学校で習うのだが。
「ほら、僕がこうして手を伸ばしても、壁みたいな物に阻まれるだろう? 悪い男は、あの手この手で脅してこの設定を解除させようとする。どんな状況でも、それだけは絶対に避けろ」
「わ、分かった」
前途多難だな。これは基本の基本から教えておかないとマズいかもしれない……いや、本来なら僕がそこまで世話を焼く道理はないんだがな。
とにかく危なかっかしくてヒヤヒヤするから、僕の精神衛生上、彼女には最低限の知識を教え込んたほうが良さそうだ。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲
参加者の中でリーダー面をしている阿原という中年の男は、どうやらこのクラフトゲームがVR化する前からの古参のようで、その指示自体は割と的確なものだった。
僕を含む整地班は周辺の地形を平らにしながらモンスターの湧きを潰していく。木材調達班は森を禿げ山にする勢いでとにかく大量の樹木を素材に変える。食料調達班は動物を狩りながら肉と毛皮を集めて、地下資源調達班は地面に大穴を掘りながら鉱物資源、石材、石炭なんかを集める。
<会話>
◇阿原:簡易的だがリスポーン地点用の広場を作成した
◇阿原:一度集まって各自リスポーン設定をしてくれ
ゲーム内チャットにそんなメッセージが流れてきたので、僕は西園寺アゲハと共に拠点に戻る。
すると、何もなかった初期スポーン地点には中央に噴水が設置され、まるで公園のように周囲が整備されていた。細部まですごく凝っていて……いやまぁ、建築センスは凄いなぁと思うのだが。僕らが淡々と作業をしている中、阿原たちはずいぶんと楽しく建築作業をやっていたんだなぁと思うと、なんだかちょっとモヤモヤする。
「簡易的で悪いが、ここをリスポーン地点とする」
簡易的、と強調しながらも得意げに鼻の穴を膨らませる阿原は滑稽な男だと思う。きっと頑張って作った広場をみんなに見せたかったんだろう。えらいえらい、よく頑張ったな。
それと、広場の周囲にはいくつか建物が並んでいた。これも装飾が無駄に凝っていて、見た目としては素晴らしいものだと思う。こんな状況で披露されるのでなければ、素直に称賛していただろう。
「あそこに建てたのが倉庫だ。収納ボックスを多段に設置してある。モノを収納する時や取り出す時のルールについては後で周知する。あのエリアには今後もどんどん倉庫を増やしていくつもりだ」
阿原は得意満面である。
なるほど。僕はこの場に長居するつもりがないからクソどうでもいいが、あんまりかっちりしたルールを決めると運用が大変なんじゃないだろうか。数百人のプレイヤーに独自ルールを守らせるのって相当キツいと思うぞ。
「そして、こちらに建てたのが宿泊所だ。広い建物に数百人分のベッドを並べてある。各自譲り合って使ってくれ」
んー、つまり雑魚寝部屋ってことか。正気か。これはかなり苦痛だぞ。というか、なんで他人と一緒に寝起きしなきゃいけないんだ。公園や建物の装飾に凝る時間があるなら、宿泊所を個室にしてくれよ。
そう思ったのは僕だけではないらしく、周囲のプレイヤーもちょっとうんざりした顔をし始めた。というか、初期スポーン地点の安全がある程度確保できたら、あとは解散で各自好きなように過ごせばいいんじゃないのか。
僕はそう思っていたが……どうも阿原は違ったらしい。
「みんな聞いてくれ。我々はゲームに閉じ込められたわけだが……上手くやれば、早々に脱出できる可能性がある」
その言葉に、皆の表情が一変する。
「このゲームの基本はクラフト生活を送ることだが、実はボスキャラが存在している。全部で四種類……青龍、白虎、朱雀、玄武。その中の一種類でも討伐すると、エンドロールが流れて自動的にログアウトされる仕様だ。私は、この可能性にかけてみたいと思っている」
阿原の言葉にプレイヤーたちの目はギラつき始めるが……そううまくいくものだろうか。
「テロリストは宣言の中でログアウト処理を封じたと言っていたが、ボス討伐後の自動ログアウトについては特に言及していなかった。これは奴らの計画の穴ではないかと私は考えている」
いや、それは違うんじゃないだろうか。
テロリストどもはむしろ、あえてその可能性に言及しないことでプレイヤーを誘導して……結果的に、ゲームをクリアしてもログアウトができない現実を叩きつけようとしてるんじゃないだろうか。
「これから攻略組を立ち上げる。VRアクションゲームなどが得意な者はぜひ名乗り出てくれ。残りの者には、拠点組として我々のサポートをお願いしたい」
周囲のプレイヤーの何人かが、やる気に満ちた様子でピシッと手を上げて前方に集まっていく。それに釣られるように、攻略組に名乗りを上げる者がポツポツと出始める。
さあ、面倒くさいことになってきたぞ。
小さく溜息をつきながらちらりと横を見れば、西園寺アゲハは不安そうな目で僕のことを見つめていた。