第21話 掃除日和の屋根の上
ギルマスの気持ちが鎮まるまで、僕は彼の目につかないところで掃除に従事することにしたのだった。
つまり、冒険者ギルドの屋根の上だ。
掛けられたはしごを上っていくと、他の階の窓を掃除していた冒険者が、
「ギルマスのかみさんに手を出すとは、ナザルは本当に恐れ知らずだよなあ!」
「お前がギルマスから逃げ切れるか賭けないか? 俺は逃げられない方に賭ける」
「それは賭けにならないだろ!」
僕だって逃げ切れるとは思っていない。
ギルドマスターに誤解であることを伝え、怒りを鎮めねば。
さて、そのためにはどうするか……。
屋根の上で掃除をしながら時間を得ようではないか。
冒険者ギルドは三階建ての建造物だ。
その最上階は、真っ赤なレンガの屋根も鮮やかな、この辺りで一番高い場所。
アーランの都には、高くて二階、大体は平屋や半二階とでも言うような建物が立ち並んでいる。
下町の家々はあまり良いレンガを得られないから、やや土色めいたオレンジの屋根が連なる。
なんとなくくすんでいるように見えるな。
そして遠く、商業地区は明るく鮮やかな緑のレンガが連なる。
緑は商いの色だとされているのだ。
さらに彼方は真っ赤なレンガが連なる。
向こうは住宅地区。
「いやあ……三階建てとは言え、本当に見晴らしがいい……」
最上階には一人しか先客がいなかった。
誰あろう、安楽椅子冒険者リップルである。
彼女は屋根の上に腰掛けて、水筒に入れてきたマスターの茶を飲んでいる。
「何をサボってるんだリップル」
「いやね。この素晴らしい景色をごらんよ。せかせかと掃除をしているのがバカバカしくなってくるじゃないか」
「そりゃあまあね。今日はよりによって天気もいい」
「春の空は、夏ほど高くなく、冬よりは高い。ちょうどいいってものさ。私は好きだなあ。ああ、こんな空を見上げながらフライドポテトやドーナッツを食べたい……」
「僕に揚げて欲しいわけだね?」
「そうとも言う……」
「残念ながら、僕は濡れ衣を着せられて恐るべき追っ手から逃げているところなんだ。屋根の上でほとぼりを冷まそうとしているところだよ」
「なるほど。ナザルはドロテア殿を誘って遊び歩いた事がばれ、細君の浮気相手ではないかと疑うギルマスによって今まさにその生命は風前の灯……」
「さ、細部までよく分かってらっしゃる」
「なに、簡単な推理だよ。っていうかうわさ話を集めて推察して、君が汗だくでここにやって来た姿を見たら普通分かるでしょ」
それもそうか。
だが、僕はリップルと違ってサボっているわけにはいかないのだ。
なぜなら……。
「リップル、はしごまで移動しておいてくれ。ちょっと徹底的に掃除する」
「やる気だねナザル。ギルドへの点数稼ぎじゃないだろう?」
「僕の趣味だ……」
「やっぱり……。うちの部屋に来て徹底的に掃除して欲しいなあ」
「いかに安楽椅子冒険者とは言え、女性が一人暮らししてる部屋に男が訪れるのはどうなんだ。どうなると思ってるんだ」
「君が二股しているという噂が広まる」
「最悪だ!」
分かってて言ってるなこのハーフエルフ!
僕は彼女のそんな与太を聞かされながら、せっせと掃除に励んだ。
油で浮かせるのは変わらない。
最上階の屋根ともなれば、鳥のフンや鳥の巣の跡などもある。
これは全て油で落ちる。
見よ、油万能! 油万能!
「ナザル、油は石鹸になると聞いたんだけど、君の能力で石鹸は作れるのかい?」
「僕の魔力が短期間目減りするが、石鹸に変えることはできるなあ」
「無限とは行かないか。それじゃあむしろ効率が悪いねえ」
そうなる。
石鹸はやっぱり、市販のものが一番だ。
僕の魔力で作る石鹸は超高級品レベルのが出来上がるが、とにかく一個あたりのコストが高い。
趣味レベルでやるかどうか、というものだ。
なので、こうして、直接油を使う!
これが一番。
リップルがたくさん持ってきていたボロ布で油を拭き取り、レンガをツヤッツヤにする。
太陽の輝きを受けて光る赤いレンガの屋根。
美しい……。
おや?
下の階が賑やかになってきたような……。
「ああ、ギルマスが細君にお弁当を届けられているんだ。見なよ。あの強面のおっさんがデレデレしてる。彼の家での力関係は、細君の方がずっと上だね」
「なんだって!? ドロテアさん、一人で来たのかあ……」
元冒険者だから、一人で行動しようと思えばできるもんな。
やれやれ、これでギルマスが少しは大人しくなってくれると……。
僕が屋根から顔を出したら、ドロテアさんがすぐに気付いて手を振ってきた。
や、ヤバい!
ギルマスとも目が合ってしまう。
「ナザル! 降りてこい! 話がある! 別に怒らないから! 降りてこい!」
おや……?
ちょっとだけギルマスの態度が軟化した。
「彼を信じるのかい? 罠かも知れないぞ」
「リップルがニヤニヤしながらそう言うことを口にするってことは、罠じゃないんだろう?」
「残念、君も私という者の性格が分かってきたなあ」
分からいでか。
果たして、はしごを降りた僕を待っていたのは、バツが悪そうなギルマスの顔だった。
「お前がうちのを外に連れ出してくれたお陰で、自分でもあちこち行くようになったそうじゃないか。それにお前のお陰で、うちのの顔を下町の連中も覚えて、むしろ安全になったと言っていた。悪かったな、疑ったりして」
「いえいえ、お分かりいただけたならそれで十分ですよ! 僕は至高神バルガイヤーに誓って、人妻に手を出すことはありませんからね……。あくまでフライドポテトをたくさん食べてもらっただけです」
「あの揚げ芋、お前だったのか!? 最近、朝飯でも弁当でも夜でも出してくると思ったら……! ナザル、うちのにあまり中毒性の高い料理を教えるな!」
「あっはい」
別の雷が落ちたぞ!
仕方ない。
ギルマスのようなおじさんの胃袋でも大丈夫な揚げ物を研究するとしようか……。
「ナザルさん、何か考えてらっしゃるの? 私も協力したいわ。新しい揚げ物を開発しましょう!」
「いや、いかんドロテア! お前は男を惑わす美貌があるんだから、あまりこういう男と二人きりでだな……!」
「あらあなた。私だって外に出たいし、新しいことをやってみたいわ。ずっとあなたの言うことを聞いて家で大人しくしていたのだから、これからはその分だけ楽しいこと探しをしてもいいんじゃないかしら」
僕を挟んで痴話喧嘩するのはやめてくれ!
ギルドの構成員たちが集まってきて、物珍しいものを見る目を向けてくる。
いやあ、勘弁していただきたい!
僕はその後、夕方までこの状況から解放されなかったのである。
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