子猫たちと羽のおじちゃん
猛獣や魔獣が跋扈する森の奥。
小さな洞窟があった。
洞窟としてはごくごく小さなそこには、生き物としてはとてもとても大きな竜が住んでる。
その竜のもとには、毎年のように身ごもった猫たちがやってきた。
子供を育てるのが初めてである猫や、怪我を負った猫。
皆様々な事情があり、子供を育てるのが困難な猫たちばかりだ。
竜はそんな猫たちを守り、生まれてきた子供たちに狩りの仕方や、魔法の扱いを教えていた。
長いことそんな生活を続けてきた竜を、猫たちはとても慕っている。
森にすむ猫たちにとって、「羽のおじちゃん」はとても優しく、厳しく、大切な存在だ。
竜にとっても、猫たちはかけがえのない存在であった。
何せこの森にすむ猫たちは、皆竜の兄弟たちの子孫達なのだから。
竜にとって猫たちは、一匹の例外もなく身内なのだ。
今年も、初めて子を生む若い猫と、後ろ脚を怪我した猫が竜のもとへとやってきた。
初産は母になる猫にとって、とても大きな壁である。
子供を産むための体力を蓄えられるのか、子供にどんな教育をすればいいのか。
覚えるべきこと、するべきことはとても多い。
それらをきちんと覚えるために、多くの猫が最初の子を竜のもとで生むのだ。
だから、当然竜は若い猫を快く受け入れた。
問題は怪我を負った猫である。
なぜそんな怪我をしたのか、いったい何があったのか、竜はそれをとても気にかけたのだ。
それも、無理からぬことだろう。
怪我を負ったその猫は、竜が狩りと魔法を教えた猫だったのである。
森にすむ猫の中でも、竜が教育を施した猫は精鋭中の精鋭だ。
狩りが上手で、逃げるのも得意なのである。
ちょっとやそっとの相手に、怪我をさせられるはずがないのだ。
その猫が竜のもとを訪れたのは、まさに怪我をしてすぐのことであった。
後ろ脚を引きずる猫を見た時の竜の怒りは、筆舌に尽くしがたいものであった。
同じく洞窟にやってきていた若い猫は、夫である猫とともに思わず近くの木のうろに隠れたほどである。
傷を負った猫によると、その原因は人間であったのだという。
遠くの国から来たらしい人間たちで、どうやらこの森の猫、つまり「ケットシー」を求めていたらしいのだ。
話を聞くや否や、竜は翼を広げ洞窟を飛び出した。
周りにいた精霊たちにその人間たちの居場所を聞き、捕まえようと飛びたったのである。
捕まえようと、というのは、間違えであるかもしれない。
何しろ目はらんらんと輝き、口の端からは炎が漏れているのだ。
ことと場合によっては、人間たちは消し炭にされるだろう。
だが、幸いなことにそうはならなかった。
竜が人間たちを見つけた時には、既に彼らはツタや草でぐるぐる巻きにされていたのである。
それをやったのは、誰あろう、森の猫たちだ。
「子供を身ごもってる母猫に手ぇ上げるなんて、ふてぇやろーだぁ!」
「くらえ! びりっとするやつをくらえ!」
「やー! とー!」
草木を操る魔法で縛り上げられた人間たちは、群がる猫たちに散々に痛めつけられていた。
猫の心配をするのは、何も竜だけではないのだ。
同じ猫たちも、仲間を大変に気にかけているのである。
放っておくと人間たちを殺してしまいかねないと、龍は慌てて猫たちを止めに入った。
そして、事情を聴きだしたのである。
「お前たちは、一体何をしているのだ! 人間を痛めつけるよりも先に、することがあるだろう! 身ごもった猫の事を気にかけなさい!」
しゅんとなる猫たちをしかりつける竜ではあるが、自身も傷を負った猫を置いてきているのだ。
一応治療の魔法こそかけてはいるが、子供がお腹にいる以上、何が起こるかわからない。
竜自身人のことは言える立場ではないのである。
「でもおじちゃん。コイツラ悪い奴なんだ」
「どっかの王様に、オレたち森の猫をおくるっていうんだじぇ。オレのことも捕まえよーとしたんだじぇー」
「目ん玉引っ掻いてやるー!」
猫たちの話をまとめると、どうやらこの人間たちは遠くの国から来たのであるらしい。
以前から交流のある、近くの王国には関係のない人間のようであった。
竜は少し考えると、猫たちに指示を出した。
「いいか、お前たち。この人間を殺したら、国王たちについている猫たちに、いらぬ迷惑がかかるかもしれん。このまま人間の町まで連れて行き、事情を話して罰を受けさせるのだ」
「わかったー」
「そーするよー」
「羽のおじちゃんは、どうするの?」
「私は洞窟に帰って、出産の準備をせねばならん」
「そっかー」
「じゃー、コイツラはまかせてよー」
猫たちは胸を張り、鼻息荒く人間たちに飛び掛かった。
それぞれ得意な魔法で人間を持ち上げると、そのまま駆け足で森の外へと走っていく。
竜はそれを見て満足そうにうなずくと、羽を広げ洞窟へと戻った。
竜が戻った洞窟では、思わぬことが起きていた。
怪我をした猫を心配した夫の猫が、回復の魔法をかけすぎていたのだ。
回復の魔法は生命に外部から力を与え、活性化させる魔法である。
使われるほうに体力が無かろうが、前足が切断されていおうか、直してしまえる力を持っている。
夫の猫は回復の魔法が大得意であり、その腕前は森の猫の中でも一二を争うほどであった。
だが、今回はそれが災いしたのである。
なんと、お腹の中の子供たちまで元気にしてしまい、破水が始まってしまっていたのだ。
「馬鹿者っ! あれほど回復の魔法の扱いには気をつけろと言っただろうに!」
「でも、おじちゃん! ぼくもう、心配で心配で!」
「まぁまぁ、おじちゃん。回復の魔法で死んじゃうこともないんだしさ」
「確かに死ぬことはないだろうが、生まれるのが早まってしまったではないかっ! 慌てていないで、舐めてやりなさい!」
「ねぇ、おじちゃん。なんだがすごくお腹が痛いんだけど、生まれそうなのかな?」
「こちらもか?! 急いでそこに寝なさいっ! 土の上でなく、草の上だぞ!」
つられてしまったというのだろうか。
怪我を負った猫だけではなく、若い猫まで産気付いてしまったのだ。
長く生きてきた竜ではあったが、こればかりは馴れるものではなかった。
はらはらとして出産を見守り、子供たちが無事に生まれてくることを祈る。
いざとなれば、さまざまな魔法で手助けすることもできるのだが、こういう場面に男が弱いというのは、竜も猫も人も、あまり変わらないようであった。
同じころ。
人間の町では、猫たちが人間を引きずってきたと大騒ぎになっているのだったが、猫たちにとっては出産のほうがずっと大事である。
バタバタとしていたが、出産はなんとか成功した。
二匹の母猫と、七匹の子供たちは、どちらも無事である。
怪我を負った猫が四匹。
若い猫が、三匹の子供を産んだ。
二匹の夫と一匹のおじちゃんはずっとやきもきしていたのだが、これにはほっと胸をなでおろした。
このことはすぐに、街に行った猫たちの耳にも伝わった。
もちろん、猫たちは大いに喜んだ。
悪い人間たちのことなどすっかり忘れ、よかったよかったと言いながら森へと戻っていったのである。
放置されたほうはたまったものではなかったが、まあ、命がとられなかっただけましであるだろう。
一番訳が分からなかったのは、町に住む人間たちであった。
いったい何が起こったのか分からず、しばらく呆然と立ち尽くしたという。
結局城に住んでいる猫たちによって事情が解明され、悪い人間たちは牢屋に押し込まれることとなった。
あとでそのことを王の友人である猫が、竜に知らせに行った。
だが、数日前の事であるにもかかわらず、竜はそのことをすっかり忘れていたのだ。
その時の竜にとって一番大切なことは、懸命に母猫の乳を吸う子供たちに、どんな教育をするかであったからである。
竜に関心があるのは、結局猫たちの事のみであったのだ。
その年生まれた子猫たちは、すくすくと育っていた。
生まれるときは大騒ぎだったのだが、当人たちはそんなことまったく知らないといた顔で母猫の乳を吸っている。
まったく無邪気なものである。
この時期忙しいのは、父猫たちだ。
母猫は子猫たちにミルクをやるため、栄養が必要になる。
とはいえ、自身で狩りに行くわけにはいかない。
生まれたばかりの子猫たちから、目を離すわけにはいかないのだ。
だから、餌を持ってくるのは父猫たちの仕事なのである。
ただでさえ森での狩りは難しく、危険なものだ。
それを母猫の分もこなさなければならない。
大変で、危険ではあるが、夫の甲斐性の見せ所である。
足に怪我を負った妻を持つ夫猫も、若い初産の妻を持つ夫猫も、せっせと狩りをおこない、餌を運ぶ。
そんな夫猫たちの姿を、俺も去年は大変だったと、先輩夫猫たちが眺めていた。
ケットシーは普通の猫と違い、子育てに二年の月日を費やす。
洞窟に来た猫たちも、当然竜のもとで二年を過ごすのだ。
だから今洞窟には、生まれたての子猫たちと、生後一年が過ぎた子猫たちがいるのである。
一年目の子猫たちは、見た目にはもう成猫と変わりはしない。
だが、狩りや魔法の腕前はまだまだだ。
行動も落ち着きはなく、まさしく子供である。
彼らは生まれたばかりの子猫たちに興味津々で、おっかなびっくりといった様子で覗き込む。
母猫たちは心得たもので、威嚇したりはしない。
子供の様子を見るのも、大切な経験の一つなのだ。
「ちっちぇー」
「ころころしてるー」
「もふもふだぁー」
まだ生まれたばかりの子猫たちは、目も開いていなければ耳の穴さえ開いていない。
もぞもぞと前足と後ろ脚を動かす姿は、一歳の猫たちにとって同じ猫とは思えない姿だ。
まだ触ることを許されていない下の子たちを前にした彼らに、竜は目を細めながら声をかける。
「こんなに小さな子供たちでも、10日もすれば歩けるようになる。あっという間に走れるようになり、魔法を使えるようになるのだ。お前たちも笑われないように、きちんと狩りと魔法を覚えるようにな」
この言葉に、一歳の猫たちはぎょっとした。
去年の今頃は、自分たちもこんな様子であったのだと思い出したからだ。
そして、先輩の子猫たちがいたことも、同時に思い出していた。
足に怪我をした母猫と、若い母猫と、入れ違いに洞窟を巣立っていった、二年前に生まれた子猫たちである。
子猫たちにとって、一年というのはとても長い時間だ。
一歳年上の猫たちというのか、彼らから見れば成猫と大差ないのである。
そんな猫たちに、今度は自分たちがならなければならない。
一歳の猫たちは、竜の言葉でそれに気が付いただ。
「ええー」
「むりだよー」
「おいら、せんぱいたちみたいに、まほーうまくないよ」
不安そうに言う子猫たちに、竜は思わず苦笑してしまう。
今年巣立っていった子猫たちも、一年前同じことを言っていたのを思い出したからだ。
いや、それは正確ではない。
毎年毎年、ずっと同じようなことを、歴代の一歳の猫たちは言っていたのである。
中には、自信満々で任せておけといった猫もいた。
だが、そういう猫は決まって必死になって、狩りと魔法の練習をするのだ。
竜は真面目な顔を作ると、吹き出しそうになるのを我慢して口を開く。
「ならば、その子らが歩いて話が出来るようになるまでに、もっともっと狩りと魔法の練習をすることだ。巣立っていった子供たちのようにな」
一歳になったばかりの子猫たちにとって、巣立っていった猫たちはあこがれの存在だ。
自分たちと同じ子供なのに、狩りもできるし、魔法までつかえたのである。
いつかはそうなりたいと、一歳になったばかりの子猫たち誰もがそう思っていた。
だから、竜にそう言われた子猫たちは、皆張り切ったように声を上げた。
竜はそんな様子を見て満足そうにうなずくと、子猫たちに洞窟の外に出るように告げる。
今日も外で、魔法の練習をしなければならないのだ。
生後15日を過ぎると、その年に生まれた子猫たちは、よちよちといった様子で歩き始めていた。
まだ足腰はしっかりとしていないので、歩き始めるとはいっても、実に頼りない様子だ。
歩いているのか転がっているのか、分からないで有様である。
てこてこ歩くというよりも、ころころや、よちよちといった表現が似合うだろう。
こうなると、生まれたての子猫たちは途端に騒がしくなってくる。
母猫の体にくっついているだけだったのが、あちこちに動き出すのだ。
何かによじ登ろうとするもの、母猫の体に突撃していくもの、兄弟の上に乗っかろうとするもの。
とにかくじっとしていない。
母猫は自分の体から離れないようにと引っ張り戻すのだが、子猫たちは元気いっぱいに動き回るのだ。
隙をついて、思わぬところに行ってしまうこともある。
そうならないように見張るのも、竜の仕事の一つだ。
若い母猫から離れた子猫の一匹が、ペタペタと地面をひっかき、竜のもとへと歩いていく。
その子猫は、大きな体を持つ竜に興味がある様子なのである。
別に危険なところに行こうとしているわけでもないので、母猫は特に気にした様子はない。
竜も、目の届かないところに行こうとしているわけではないので、のんびりとした様子で子猫を見守っていた。
一生懸命に前足を伸ばし、反対側の前足を後ろに動かす。
前足の動きに集中しすぎると、どうも後ろ足がうまく動かせないらしい。
子猫は一歩前に進んではぺたりと倒れ、後ろ脚に力を入れすぎてつんのめり、ぽてりと尻もちをつく。
はじめのうちは、どんな子猫でもこんな調子だ。
ようやく竜の足元までたどり着いた子猫は、後ろ脚を投げ出すようにして地面に座る。
どうやら、お座りをしているつもりのようだ。
じっと見つめているのは、竜の前足。
正確には、その鋭い爪であった。
竜の爪は文字通りの鉤爪であり、その大きさは子猫ほどもある。
どうやら子猫は、その爪が気になって仕方がないようなのだ。
子猫はぐっと前足を伸ばすと、竜の爪にぺたりと触った。
まだ加減は出来ないらしく、爪は突っ張ったままだ。
だが、竜の爪は非常に硬く、子猫の爪程度はどうということもない。
竜は気にした様子もなく、子猫の好きにさせることにした。
母猫も竜が見ているからと、安心した様子である。
子猫はさらに竜の爪へと身体を近づけると、今度は両前足で爪を挟み込んだ。
とはいえ、まだまだ前足をうまく動かせない子猫である。
まるで抱きつくような、抱きかかえるような格好だ。
そして、子猫は大きく口をあけると、何と竜の爪にかみついたのである。
猫たちにとって、口は大切な感覚器官の一つだ。
甘く噛んでみるというのも、興味のあるものに対する行為の一つなのである。
だが、子猫というのは往々にして加減を知らないものだ。
かじかじと竜の爪を噛む口には、子猫の渾身の力がこもっていた。
もっとも竜の爪は、分厚い城の壁も、鋼鉄の扉さえも引き裂くものである。
子猫の爪と歯では、びくともするわけもない。
それが気に入らないのか、子猫は懸命な様子で爪にかじりつく。
竜はその様子がおもしろかったのか、小さく笑い声をあげた。
「この子は私の爪に興味があるらしい。将来は狩りがうまくなるやもしれんな」
楽しげに言う竜の言葉に、2匹の母猫もおかしそうに笑う。
爪や牙は、狩りの象徴である。
それに興味を持つ子猫は、昔から狩りがうまくなると言われていた。
「でも、ふつうは母親のを触るものでしょう? 羽のおじちゃんのが気になるなんて」
「ずいぶん気が大きいわね。将来は狩りの名人になるかもしれないわよ?」
「違いない。外へ出ている子供らも、おちおちしておれんだろうな」
一歳になる子猫たちは、今日は大人の猫たちについて狩りをしに行っていた。
2組の夫婦の猫と、2匹の夫猫。
合わせて6匹の大人の猫。
子猫は4匹ずつ、計8匹。
合計14匹の猫が参加する、大仕事だ。
もっとも、子供たちに狩りの練習をさせることが目的であるので、あまり獲物の量は期待できないのだが。
外にいる子供たちも、去年の今頃はこのようなことをしていた。
そんなことを考えながら、竜は自分の爪にかじりつく子猫を眺めた。
丈夫な、狩りの上手な子に育つだろう。
必死になって爪をかじる子猫を見ながら、竜は小さく、楽しそうに笑うのであった。
子猫たちが生まれてから、30日ほどが経った。
すっかり歩き回れるようになり、まだまだ遅くはあるが走れるようにまでなっている。
まだまだ片言ではあるが、言葉も覚え始めていた。
「やー! にゃー!」
「おかーちゃ、おちち!」
「おかーちゃ! おかーちゃ!」
盛んに声を上げながら、子猫たちは母猫にまとわりついている。
まだまだ主食は母猫のお乳なのだ。
母猫が寝床に寝転がると、一斉に駆け寄っていく。
子猫たちは、それぞれ吸い付くお乳が決まっているのだが、押し合いへし合いだ。
生まれてすぐのころよりもずいぶん体は大きくなっているが、母猫の乳房を前足で押している姿は、やはりまだまだ赤ん坊である。
子猫たちの体を舐めてやりながら、お乳を与えていた母猫はほっとしたようにため息をついた。
「やっと爪をしまってお乳を飲めるようになったわね」
お乳をのむとき、子猫たちは前足で乳房を刺激する。
これは母猫のお乳の出をよくするためなのだが、生まれてすぐのころは手加減できず、母猫の体をひっかいてしまうことがあるのだ。
母猫たちも我慢するのだが、これが意外と痛いのである。
「本当に。爪を引っ込めてなら、いくらでも押されても平気なんだけど」
「こうなってくると、乳離れまでもう少しよ。そうしたら、子供たちの食べるものも用意しなくちゃね」
「その位になれば、私たちも狩りにいけるのかしら?」
「なに言ってるの! とってもじゃないけど旦那たちだけじゃ間に合わないわよ!」
若い母猫の疑問に、足に怪我を負った母猫は笑って答えた。
怪我はすっかり癒えているので、いつでも狩りには行けるだろう。
獲物であるネズミなどを取ってくるのも、かみ砕いて子供たちに食べやすいようにしてやるのも、親猫たちの大切な仕事だ。
子猫たちの食欲は、なかなかに凄まじいものがある。
一歳を過ぎた子猫たちならば、狩りの手伝いもできるのだが、生まれたての子猫たちはそういうわけにはいかない。
食べ物はすべて、両親がとってくるしかないのだ。
竜も時々は手伝うことはあるのだが、ずっと餌を運ぶようなことはしなかった。
そんなことをしては、猫たちが自分たちだけで子供を育てる手段を忘れてしまうからである。
親猫たちが狩りをしている最中に竜がすることは、子猫たちの面倒を見ることぐらいだ。
とはいえ、精神的な負担がない分、それは猫たちにとってとても助かることなのだが。
お乳を飲み終えたのか、子猫の一匹がちょこんと顔を上げた。
きょろきょろとあたりを見まわすと、お目当てのものを見つけた走り始める。
狙っているのは、どうやら竜の大きな爪のようだ。
心得たもので、竜は目だけで子猫を追い、じっとして動かない。
子猫は竜の爪に飛び掛かると、両前足で挟み込んでかじり始める。
「おじちゃ、ちゅめ!」
どうやらこの子猫は、よほど竜の爪に興味があるらしい。
竜はわずかに爪を動かし揺さぶってみるが、子猫は必死な様子でしがみつき離れようとしない。
これはよいと、竜は子猫を振り落さない程度にちょこちょこと爪を動かした。
子猫は爪をかじかじと齧りながら、後ろ足2本で器用にバランスを取っている。
よほど竜の爪が気に入っているらしい。
そんな子猫の姿を見て、大人の猫たちも竜も、声をあげて笑った。
「よほど羽のおじさんの爪を気に入ったんだなぁ」
「後ろ脚だけで立ってるみたいだね。人間みたいだー」
「うんうん。この子も、王子様やお姫様のところに行くかもしれないわね」
猫たちの言葉に、竜はわずかに顔をしかめる。
森の猫たちの何匹かは、人間の国で暮らしていた。
その多くが、王や王子、姫などといった、王族の友人として暮らしている。
中にはそれ以外の場所で暮らしている猫もいるが、皆だれか友となる人間にくっついてい居た。
竜には、どうにもそれが納得いかなかったのである。
人間というのは複雑で、一人一人別の生き物ではないかと思われるほどに違いがあった。
しかし、その多くは悪い奴であると、竜は思っている。
いい奴も確かにいるだろう。
だが、それはごくごくわずかだと竜は思っているのだ。
猫たちの人間を見る目は、非常に優れている。
まさしく野生の勘といったところだろう。
でも、うっかり騙されてしまうようなドジな猫が居ないとも限らない。
または、猫たちをだませるほどにウソがうまい人間がいないとも限ら居ない。
危険なものには、近づかないほうがいいのだ。
人間の言葉に、確か「好奇心は猫を殺す」というものがある。
人間たちは猫には九個の命があると思っているのだという。
そんな猫でさえ殺すほど、好奇心というのは恐ろしいものなのだ、という意味の言葉なのだという。
だが、竜にはとてもそういう意味だとは思えなかった。
猫たちは好奇心旺盛で、なんにでも興味を示す。
それが猫を危険にさらすと、そういう意味に聞こえてならなかったのである。
竜は自分の爪にじゃれ付く子猫をまじまじと見据えると、諭すように声をかけた。
「いいか。お前はきちんと、森の中で暮らすのだぞ」
「ちゅめ! おっきぃ!」
竜の言っていることが分かっているのか、いないのか。
子猫は無邪気に、竜の爪にしがみつくのであった。
子猫たちが生まれて、2か月ほどが経った。
身体はずいぶん大きくなり、走る姿も様になっている。
言葉もずいぶん覚えたので、ずいぶん騒がしくもなっていた。
既に記憶もきちんととどめておけるようになっている。
これでようやく、本格的に竜の指導が始まるのだ。
つまり、狩りと魔法を教えはじめるのである。
竜の前に並んだ7匹の子猫たちは、期待に目をキラキラと輝かせていた。
これから狩りの方法や魔法の使い方を教えてもらえるのが、うれしくてたまらないのだ。
親猫たちはもちろん、去年生まれた子猫たちが魔法を使ってるのを、今年生まれた子猫たちはよく見ていた。
静かに獲物に忍び寄り、魔法を使ってあっという間に倒す。
これは、子猫たちにとってあこがれ以外の何物でもなかった。
去年生まれた子猫たちは、今はちょうど外に出て狩りを練習をしている時期である。
外で見てきた狩りの様子を、今年生まれた子猫たちに話して聞かせているのだ。
7匹の子猫たちの期待は、否が応にも高まるわけである。
竜の講義が始まるのを、7匹の子猫たちは今か今かと待ちわびていた。
そんな様子を見ておかしそうに目を細めながら、竜はその大きな尻尾を軽く振るう。
すると、見る見るうちに竜の体が縮み始めた。
仰天して全身の毛を逆立たせる子猫たちをよそに、竜の体は見る見るうちに変化していく。
小さく、小さく。
ほわほわの毛皮に包まれた姿へ。
竜はあっという間に、翼の生えた猫の姿へと変化したのだ。
子猫たちは知らない事ではあるが、この姿は以前に人間の王と対談した時に見せた姿であった。
竜はあんぐりと口をあけている子猫たちを見回すと、一つ頷いて口を開く。
「この姿を見せるのははじめてだったな。このように体を小さくすることもできれば、大きくすることもできる。それが魔法だ」
子猫たちは、歓声を上げた。
それもそのはずだろう。
洞窟の半分もしめていた竜の体が、他の大人と同じほどの大きさになったのだ。
驚かないほうがおかしい。
「しゅっげぇー!」
「はねのおじちゃん、ちぢんだ!」
子猫たちは一斉に竜の体に群がると、前足で叩いてみたり、かじってみたりし始める。
竜はなれたもので、両前足を器用に使って子猫たちを転がす。
それも楽しいのか、子猫たちはにゃぁにゃぁとはしゃいでいる。
子猫というのは、楽しいものに目がないものなのだ。
ひとしきり遊び終えた後、竜は子猫たちに狩りについて話し始めるのであった。
「狩りというのは、獲物をとることを言う。私たち猫には、正確には私は猫ではないのだが、とにかく私たちにはそのための力が備わっている。まずは、爪、そして牙だ」
竜の言葉を聞き、子猫たちはお互いの爪や牙を見比べた。
皆まだ体が小さいので、ごくごく小さなものだ。
猫の姿になった竜が、子猫たちの前でぎゅっと爪を出して見せる。
親猫たちは普段爪を隠しているので、子供たちはあまり大人の爪を見たことがない。
初めてまじまじと見る大人の猫の爪は、鋭く大きかった。
竜の爪よりははるかに小さなものではあるが、それは比べる対象が悪いだろう。
「これや、牙を使って獲物にとどめを刺し、食べるのだ。だが、これは簡単ではない。獲物も簡単に食べられたくはないからだ」
そういうと、竜は再び尻尾をふるった。
竜の体がもにもにと変化し、大きくなっていく。
変身したその姿は、4本の前足に、2本の後ろ脚をもった、この森に生息する魔獣のクマである。
この森にすむ猫たちにとっては、本能に刷り込まれた捕食者の姿だ。
「にゃー?!」
「こあいよぉー!」
「くわれるー! にげろー!」
パニックになる子猫たちをよそに、竜はしれっとした顔で猫の姿へと戻った。
子猫たちは洞窟のさまざまな場所に隠れている。
岩の裏や、くぼみの中。
中には、兄弟どうしで固まって丸くなっているものもいた。
「お前たちでも、食われると思えばそうやって逃げるだろう。ネズミや虫たちも、お前たちのように必死で逃げるのだ」
かなりのスパルタ教育ではあるが、子猫たちはぶんぶんと首を振って納得した。
命の危険が迫れば、このような心境で獲物は逃げるのか、と、幼いながらに理解したのだ。
「さて、同じ猫であるお前たちだが、逃げる場所はみんな同じではないな。ネズミや虫たちも、同じように違った場所に逃げるのだ。それをよく観察して特徴を掴む事が出来なければ、獲物は取れない」
竜の言葉に、子猫たちはそれぞれが隠れている場所を見比べた。
みんなばらばらだったが、一応身体は隠しているものばかりである。
うまい下手はあるものの、隠れられてはいるのだ。
ネズミや虫も同じように逃げるのだろうと、子猫たちは考えた。
「獲物を観察し、前足をかけるところまで行ったとしても、安心はできない。獲物は必死で抵抗する。それこそ、私たちと同じく魔法を使うものもいるだろう。それに対抗するには、やはり魔法が有効なのだ」
竜はそういうと、しっぽを振るう。
それに合わせるように、ぱちぱちとしっぽの周りを覆うように火花のようなものが飛び始めた。
青い筋のような光が、現れては消えていく。
魔法による現象ではあるが、子猫たちには見知ったものであった。
大人や去年生まれた子猫たちがよく使う、電気の魔法だからである。
「これは、本来使う魔法の力をずっと弱めたものだ。全員こっちに来て、触ってみなさい」
子猫たちは竜の言うとおり集まると、恐る恐るといった様子で前足を伸ばした。
青い光の筋に小さな肉球がふれた瞬間、ばちばちと痛みが走る。
「みにゃー?!」
「いみゃいー!!」
「ばちばちー?!」
悲鳴を上げる子猫たちを見て、竜は満足そうにうなずいた。
恐ろしさを伝えるには、自分で試してみるのが一番というのが、竜の教育方針なのだ。
「体が突っ張って、言うことを聞かなかっただろう。動物も魔物も、電気に触れると体が勝手に動いたり、動かなくなってしまったりするのだ。それを使えば、獲物を捕まえさせさえすれば確実に獲物がとれる」
落ち着いた様子で言う竜の言葉に、子猫たちは前足をぺろぺろと舐めながらうなずいた。
弱くしてこれなのだがら、強い奴ならばとてもとても動けなくなってしまうだろう。
大人や去年生まれた子猫たちは、こんな恐ろしい魔法を使っていたのか。
子猫たちは驚愕しながらも、必死になってぺろぺろと前足を舐める。
なんだか、まだぴりぴりしている気がするのだ。
「この魔法は少々難しいが、覚えさえすれば最高の武器になる。私と、私の三人の兄弟たち。つまり、この森のすべての猫が先祖代々得意にしてきた魔法だ」
竜はそういいながら、母猫のことを思い出していた。
電気を使った魔法が得意だった、母猫のことである。
とても狩りが上手く、とても落ち着いた、偉大な母猫であった。
人間に召喚されて、もうずいぶん経っているが、竜にはいまだにどこかに元気でいるような気がしている。
そんなはずはないと頭では分かっているのだが。
「では、まずはしっぽに魔力をためることから始めよう。皆、並んでやってみるんだ」
子猫たちはちょこちょこと走って竜の前に集まると、しっぽを高く振り上げた。
うなってみたり、しっぽをぶんぶん振り回してみたり。
皆それぞれの方法で集中し、しっぽに魔力を集め始める。
猫たちにとって、魔力というのは生きるために必要な力だ。
その扱いは、それこそ生まれた時から知っているのである。
竜は子猫たちが問題なく魔力をしっぽに集めるのを眺めて、満足げにうなずいた。
今年の子猫たちも、魔力の扱いが十二分にできるように見受けられる。
きっといい狩人になることだろう。
どのように鍛え上げたものか。
そんなことを考えながら、竜はゆったりと尻尾を振るのであった。
今年生まれた子猫たちも、大分魔力の扱いに慣れてきていた。
そろそろ洞窟から離れ、外の世界を見る時期である。
竜はその時期を、生後半年ほどと決めていた。
今年も問題なく、その時期を迎える事が出来たのだ。
今までも、洞窟から近い場所であれば、出かけたこともあった。
しかし、その日子猫たちが行く予定なのは、移動だけでも一日がかりの湖であるのだ。
どの子猫たちも少なからず緊張した面持ちをしている中で、一匹だけ期待に目を輝かせている子猫がいた。
竜の爪に齧りついていた、あの子猫である。
相変わらず竜の爪がお気に入りの様子で、もうすっかり大きくなっているというのに相変わらず隙さえあれ飛び掛かってきていた。
もっとも大人の猫でも、竜のしっぽを追い掛け回したり、必死に背中に上ろうとする者もいるので、珍しくはないのだが。
子猫たちの先頭を歩くのは、母猫と父猫たちだ。
竜はその後ろを、猫の姿でついていく。
はぐれたり、追い付けなくなった子猫が出ないか見守るためである。
みんなそれぞれ準備をしているが、緊張した面持ちなのは子猫ばかりではなかった。
初めて子供を育てる親猫2匹も、緊張した様子なのだ。
無理もないだろう。
初めて子供を育てるというのは、どんな猫であっても不安なものなのだ。
竜の号令で、一行は森の中へと進み始める。
素早く、静かに、気付かれないように。
それが、猫が移動するときの動きである。
どの子猫たちも、きちんとその動きが出来ていた。
木の上や、草むらの中。
どこも進みにくいところであるにもかかわらず、子猫たちは上手に移動している。
親猫たちはそんな子猫たちが心配なのが、何度も後ろを振り返った。
きちんと後をついてきているか、心配でたまらないのだろう。
竜はそんな親猫たちを見て、おもしろそうに笑顔をこぼす。
親猫たちのうち、何度か出産している母猫は、竜が直接魔法と狩りを教えた猫である。
それこそ、竜はその母猫を1匹でようをたせないころから知っているのだ。
兄や姉の後ろをくっついて歩いていたあの小さかった子猫が、今では自分の子供たちを心配する母猫である。
そういえば、あの母猫は小さいころは竜のしっぽがお気に入りであった。
しっぽの先にかみついては、ぶんぶんと全身を振って暴れまわっていたものだ。
そう考えると、あの子猫が爪にかみつくのは、親譲りなのだろう。
痛覚がないところにかみつくだけ、まだましなのかもしれない。
竜がそんなことを考えながら進んでいると、先頭を歩いていた猫が立ち止る。
どうやら、何かに気が付いたようだ。
先頭の猫はしっぽを振って、竜に合図を出す。
どうやら、さっそく教材が見つかったようだ。
猫たちは大きな木の上に登り、下にいる動物たちを見守っていた。
皆それぞれに、魔法で身を隠している。
姿を透明にするもの、木と同じ色合いに変化するもの。
方法はいろいろだが、皆きちんと姿を隠せていた。
子猫たちはこの日のために、散々変身の魔法を練習したのだ。
猫たちの視線の先には、3人の冒険者と、8匹の茶色いオオカミの姿があった。
どうやらオオカミたちが、冒険者を襲っているらしい。
竜は猫たちにだけ聞こえるように絞った声で、両者について解説を始めた。
「あの2本足で立っている仰々しい外見の生き物が、ぼうけんしゃだ。実はあれは、人間なのだ」
「ええー?」
「はねのおじちゃん、にんげんはあんなにごっつくないよー?」
「手にでっかいつめがついてる!」
「たしかに爪がついているように見える。だが、あれは手に武器というものを持っているのだ。いうなればサルたちが木の棒を持つようなものだな」
「へー!」
「しゅげぇー!」
何匹かの猫が人間の街で暮らし始めたことで、猫たちは様々な知識を得ていた。
その最たるものが、ずっと人間とは別の生物だと思われていた「ぼうけんしゃ」が、実は人間であったという事実だ。
多くの猫が、冒険者を見て人間だとは思っていなかったのである。
猫たちにとって、人間といえば街にいる一般人たちなのだ。
手におおきくて真っ直ぐな爪や、巨大なトゲを飛ばす器官などついていないのである。
そう、猫たちには、武器という概念がなかったのだ。
自分の体以外のものを使って戦うなど、考えたこともなかったのである。
時折サルたちが木の枝や石を投げるのを見たことはあったが、せいぜいがその程度だ。
街に暮らす猫たちから聞いて、初めて武器というものを理解したわけである。
だから初めて本物の冒険者たちを見た子猫たちは、人間とは形が違うと思ったのであった。
ちなみに彼らが初めて見た人間は、猫に連れてこられた王子である。
きらきらしていてなんかすごかったというのが、子猫たちの感想だ。
「もう一方のは、お前たちもときどき見かけたな。オオカミどもだ。まあ、別にコイツラは気にせんでいい」
木々を飛び交い、魔法を行使する猫たちにとって、ただのオオカミなぞ数が多いだけの相手なのだ。
食物連鎖の意味からいっても、ただのオオカミではこの森の猫たちには敵わないのである。
「いいか。人間たちはああやって手に武器というものを持って戦う。牙や爪がない代わりにな。だからとても危険だ。中には魔法を使うものもいる」
「なかには? まほうつかえたり、つかえなかったりするの?」
「そうだ。連中は個体差が激しい。力が強いもの。力は弱いが魔法を使うもの。様々だ」
「えー、へんなのー!」
「おもしゅれぇー!」
猫たちはきらきらとした目で、冒険者たちとオオカミたちの戦いを見守った。
命を懸けた戦いや、血の滴る戦い。
そういったものに対する忌避感は、子猫たちにはなかった。
当然だろう。
猫たちは生まれながらの狩人なのだ。
なにより、子猫たちは今が伸び盛りの真っただ中である。
人間や狼たちの動きを見て学習し、狩りへとそれを役立てるだろう。
冒険者たちはなかなか熟練した腕前を持っているらしく、危なげなく狼たちと戦っている。
子猫たちはそれを、きらきらとした目で見守っていた。
これだけでも、今回遠出をしたかいがあった、と、竜は満足げにうなずく。
結局、戦いは人間たちの勝利に終わった。
彼らがオオカミたちの皮をはいでいるのを横目に、猫たちは再び湖へと向けて歩き出す。
子猫たちは先ほど見た戦いのことで、大盛り上がりだ。
それも仕方ないことだろう。
竜の目から見ても、あの人間たちはよい腕であった。
しかし、このあたりの森にはそれほど強い魔物はいないはずである。
なぜ、あれほどの冒険者がこの森にいたのだろうか。
猫たちを捕まえに来たのかもしれない。
自分の頭に浮かんだそんな考えを、竜は自分で否定した。
あの人間たちは、背中や肩に王国の印を入れていたのである。
竜や猫たちが、散々に脅かしたあの王国だ。
そこの印をつけたものが、猫を狙うとは考えにくい。
あとで街にいる猫たちに、理由を調べてもらうほうがいいかもしれない。
そんなことを考えていたので、竜は子猫たちの1匹の大きな変化に、気が付く事が出来なかった。
竜の爪を必死にかじっていたあの子猫が、あこがれるように冒険者たちのことを話していることに、気が付かなかったのである。
何度かの遠出を終え、狩りを覚え、魔法を覚え。
その年生まれた子猫たちも、すっかり体が大きくなっていた。
前の年に生まれた子猫たちに混じり、狩りの練習や、魔法の稽古もするようになっている。
一緒にいたずらをして怒られたり、捕った獲物を分け合ったり。
こうした交友があるのも、竜が暮らす洞窟の良いところだろう。
子猫たちはお互いにお互いを励まし、伸ばし、時には競い合った。
身体は立派になっても、彼らはまだまだ子猫たちだ。
ケンカもするし、おやつの取り合いだってする。
だが、すぐに仲直りをした。
自然の中で暮らす彼らは、お互いがかけがえのない存在であることを、よく知っているのだ。
季節がいくつか過ぎ、前の年に生まれた子猫たちは、すっかり成猫へと成長していた。
巣立ちの季節である。
巣の外に並ぶ兄や姉たちを見て、子猫たちはしょぼくれた顔をしていた。
今日この日、彼らは立派な大人の猫として旅経つことになったのだ。
「にぃちゃ、きをつけてね」
「なんかあったら、おいらたちがたすけてにいくよ」
一歳に満たない子猫たちの言葉に、年上の猫たちはうれしそうに笑う。
一年前、自分たちも同じようなことを言ったのを、思い出したのだ。
そんな彼らの前に、竜がゆっくりと顔を出した。
巨大な体をかがめ、これから旅立っていく猫たちを見回す。
「お前たちはもう一人前だ。好きなように生き、好きなように暮らせ。それがこの森に生きる猫の生き方だ。お前たちは、何をしたい」
「ボクは、人間の町に行ってみる!」
「わたしも!」
「おれは湖の近くになわばりを持つんだ!」
「草原のほうへ行ってみる! ウシを食べるんだ!」
猫たちは口々に、これからどうするのかを宣言する。
これは、お互いがどこでどう過ごすのか、忘れないための決まり事であった。
たとえ各々が忘れたとしても、竜は猫たちが行ったことを、決して忘れない。
それぞれの思いを聞き終えた竜は、ゆっくりと頷いた。
「そうか、そうか。それぞれ、怪我のないようにな。何かあったら、私のところに来なさい。ほかの猫を頼ってもいい。皆、仲間だ。必ず助けてくれる」
猫たちは大きな声で、返事をする。
それから、他の猫たちと身体を摺り合わせた。
別れの挨拶である。
「いいか、おじちゃんの言うことよく聞けよ?」
「厳しいけど、ためになるからな」
「きちんと狩りが出来ないと、ごはんがたべられなくなっちゃうわよ?」
兄や姉たちの言葉に、子猫たちはこくこくと頷いた。
会う事が出来るのは、これが最後ではない。
森や街や、湖や草原。
それぞれ生きる場所は違ったとしても、会いに行くことはできるのだ。
それがわかっていても、別れるのはつらかった。
今年生まれた子猫たちにとって、仲間との別れはこれが初めてなのである。
「にぃちゃ、ねぇちゃ、がんばってね!」
「かりのとき、けがしちゃだめだよぉ」
別れを惜しむ言葉をかけながら、子猫たちはぐずるように兄や姉たちに体を摺り寄せた。
はじめての別れだとしても、これが必要であることはよくわかっているのだ。
そして、猫たちはそれぞれの場所へと旅立っていった。
あるものは、森へ。
街へ、湖へ、草原へ。
目指す場所はそれぞれに違う。
だが、竜の住む洞窟を巣立った猫たちである。
きっと。
いや。
必ず、元気に暮らしていくことであるだろう。
静まり返る子猫たちに、竜は声をかける。
「さあ、お前たち。狩りの練習だ。来年の旅立ちに、備えなくてはならないぞ。外で兄や姉にあったとき、笑われないようにしなくてな」
そう。
子猫たちに、しょぼくれている時間などないのだ。
狩りの練習や魔法の練習をして、立派な狩人にならなければならないのである。
何かあった時、兄や姉を助けられるぐらいに。
今一緒にいる兄弟たちを助けられるぐらいに、立派な狩人にならなければならないのだ。
そして、いつかは。
ほかの森の猫たちや、竜に恥じないような狩人になるのだ。
子猫たちは顔をぐしぐしとこすると、張り切って狩りの練習をはじめた。
目指す土地やそれぞれ違ったとしても、目標は皆同じだ。
一生懸命な子猫たちの姿に、竜はうれしそうに目を細めるのであった。
月日は流れる。
生まれたばかりであった子猫たちはいつの間にか魔法を覚え、小さな狩りならば成功させられるようになっていた。
季節が巡り、身ごもった猫たちが洞窟へとやってくる。
子猫が生まれ、小さかった子猫たちが兄や姉へと変わっていく。
下の子供たちが出来たことで、彼らは大いに張り切った。
旅立っていった兄や姉たちのようになりたいと、張り切って狩りや魔法を学ぶ。
よちよち歩きの子猫たちを見て、おっかなびっくり触ってみたりもした。
小さくて柔らかい子猫たちを前に、どうしていいか分らずあたふたしたりもした。
お前たちもその位の大きさだったのだと竜に言われ、驚いたりもした。
兄や姉になったことで、竜の教えはより厳しくなっていく。
それでも、子猫たちはへこたれない。
なにせ、兄や姉になったのだ。
弱い姿なの見せられない。
それに、旅立った兄や姉たちに追い付くためにも、頑張らなければならないのである。
子猫たちの成長は、あっという間だ。
よちよち歩きだった子猫たちは、いつの間にか走る事が出来るようになっていた。
狩りの真似をして遊び、魔法を扱えるようになっていた。
大きくなった子猫たちは、子猫たちに魔法を教えてやったりもした。
兄や姉たちに教わったように、である。
その年に生まれた子猫たちは、すぐに狩りに出るようにもなった。
小さな獲物を捕まえて、嬉しそうに笑う。
子猫たちも、小さな子猫たちの狩りの成功を大いに喜んだ。
自分たちも負けてはいられないと、共同で大きな狩りに挑んだりもした。
狙ったのは、この森で一番厄介な魔獣であるクマである。
こっそりと近づき、7匹全員全員で一斉に飛びかかった。
かなり危なっかしくはあったが、この匹数でかかればいくらクマといえど敵ではない。
小さな子猫たちの尊敬を集めるには、十分な戦果である。
もっとも、親猫たちと竜には、こっぴどく叱られはしたのであるが。
月日は流れ、季節は巡る。
小さかった子猫が大きくなり、兄や姉になった。
いつしか成猫へと育ち、そして。
そして、巣立ちの時期がやってきた。
子猫たちは。
いや、成猫となった猫たちは、洞窟の前に並んでいた。
ずっと一緒に育ってきた兄弟たちと離れ、それぞれの場所へと旅立つのだ。
大きな竜が目を細め、いつか兄や姉たちへと向けられた質問を、猫たちへと口にする。
「さあ、お前たちはもう一人前だ。好きなように生き、好きなように暮らせ。それがこの森に生きる猫の生き方だ。お前たちは、何をしたい」
猫たちは顔を見合わせると、それぞれのしたいことを大きな声で宣言する。
自由に、自分のしたいことを、行く先を竜に覚えていてもらうために。
「わたしは夫を見つけて、ここで子供を産むわ!」
「ぼくは、人間の国に行ってみるよ」
「俺もそうするつもり」
「あたしもついていくのっ!」
「オレはここから少し離れたところに、ナワバリをもつんだ! おいしいネズミがたくさんいるんだぜ!」
「おいらは、アシ畑がある湖のほうに行くよ。森の中にある湖だから、狩りもしやすいしね」
「オイラはね! オイラは……」
にやにやと笑いながらもったいぶっているのは、竜の爪をかじっていた猫であった。
いったいどんな場所に行くのか。
いったいどうやって過ごそうというのか。
やんちゃであった猫の成長を喜びながら、竜は目を細める。
親猫たちも、実にうれしそうな顔をしていた。
どこに行くにしても、彼らは立派な森の猫である。
心配する必要は、あまりないだろう。
「オイラはね、人間の冒険者になるんだっ!」
「んな?! なんだと?!」
思わず、竜は前のめりになって大声を上げた。
聞き間違えかと思い、確認のために言葉を繰り返す。
「人間の冒険者?!」
「そうだよ! 人間の冒険者になるんだ! あっちにいったり、こっちにいったり、いろんなところを旅してまわるの!」
「しゅげぇー!」
「にーちゃ、そんなことしゅうんだぁ!」
子猫たちのきらきらとした目を受け、猫は得意げに胸を反らす。
竜はといえば、空いた顎がふさがらないといった様子だ。
「人間のとはなんだっ! お前は猫だろうっ!」
「オイラ、すっげぇ練習して、人間に変身できるようになったんだ。内緒で練習したんだよ」
そういうと、猫はくるくると尻尾を回した。
あっという間に魔法が発動し、猫の姿がみるみると変化していく。
その姿は猫が子猫であった頃、森の中で見た冒険者のようであった。
「このかっこで、人間の町を回るんだ。猫のままで旅するのもいいけど、人間の冒険者のほうがおもしろそうだろう?」
未知の場所への冒険心。
それは、猫たちの本来持つ本能である。
好奇心は猫を殺す、とは、実に言いえて妙かもしれない。
しかし。
そんな人間の言葉など、猫たちにはしったことではないのだ。
「おまっ! おまえはまったくっ!」
「あ、やべぇ、おじちゃん怒りそうだ」
「よし、怒られる前に逃げるか」
「うん、みんな元気でね」
「人間の街まではいくんだろう? じゃあ、一緒に行くか」
「街のおじさんやおばさんたちにも、あいさつしないとだしね」
猫たちは竜の雷が落ちる前にと、一斉に逃げ出した。
その後ろ姿を見ながら、竜は茫然としている。
長い年月猫たちを見守ってきた竜であったが、こんな風に旅立っていった猫たちははじめてであった。
その年生まれた子猫たちは、歓声を上げている。
親猫たちも、声をあげて笑っていた。
実に、実にあの子たちらしいと。
そんな様子を見て、竜も仕方なしといった様子で笑った。
それにしてもまったく、人間に姿を変えて冒険者になろうとは。
個体差が激しいというのは、どうも人間だけの特徴ではないのかもしれない。
私たち猫も、いや、私は猫ではないのだが、とにかく猫たちも、どうやら十分に個性のある生き物であるようだ。
そんなことを考えながら、竜は残った子猫たちを見回した。
この子たちは、もう少しまっとうになるように育てなければならないだろうか。
もっとも、そううまくはいかないのかもしれないが。
竜は空に向かい、大きく鳴き声を上げた。
旅立っていった猫たちに、幸多からんことを。
願わくば、彼らそれぞれに満足する生を歩む事が出来るように、と。
この時の竜は、まだ知らない事ではあるのだが、この年旅立っていった猫たちは全く問題児ばかりであった。
湖へ向かった猫は、思わぬ生き物たちを世話することになっていた。
人間の街へ出向いた猫たちは、それぞれ将来の王や、大魔法使いや、賢者と呼ばれるようになる人間と友情を深めた。
一番地味な森に残った猫でさえ、1匹でクマを仕留める歴代最高の狩人へと成長することになる。
そして、一番の問題である、冒険者になると宣言した猫であるが。
竜にとっては恐ろしいことに、「七英雄」なるものの一人として、人間の歴史に名を刻むことになってしまう。
とはいえ、まだまだそれは未来の話である。
竜はただ、猫たちの幸せを願うばかりであった。
もっともそれは、未来であっても変わることはないのではあるが。
「猫と竜」から、少し経った頃のお話として書きました。
子猫たちと羽のおじちゃんの物語です。
余談ではありますが、羽のおじちゃんを「猫竜」と呼んでくれる人は、実はいなかったりします。
人間たちは「帝竜」と呼び、猫たちは「羽のおじちゃん」と呼ぶからです。
当猫、当竜? は、かなり猫竜という言葉は気に入っている様子なのですが。
そんなことに関しても、そのうち書くかもしれません。
どうなるか予定は未定、ですけれど。
とりあえず、今作を楽しんで頂けたようでしたら、幸いです。