第90話 呪転磨崖竜、解封
いつもの通り、紋章が光っている壁を破壊する。
この紋章も、結局なんなんだろうな。
湖にある古城や、神殿の扉にあるマークとも違う形だ。
あの辺とここら辺は、別の国だったのかもしれない。
「次がラストか……」
「なんだかダンジョン以外のことに手こずらされていた気がします」
まったくだ、と俺はジンケたちやUO姫を見た。
俺たちの目的は《呪転磨崖竜ダ・モラドガイア》の打倒。
このダンジョンが、果たしてそれにどう関係しているのか。
位置からすると、ダ・モラドガイアの内部を上ってきている感じなんだが……。
「……ん……?」
ガラガラと壁が崩れ去り、立ち込めた粉塵が晴れ。
その向こうに、人影があった。
「あれは……」
記憶が刺激される。
崩れた壁の向こう。
最後の階層の入口に佇むのは―――
「女の子……?」
チェリーが呟く。
俺だけに見えている幻覚の類じゃあないらしい。
ひらひらとした白い服――洋風の巫女服とでも言おうか。
そんな格好をした女の子に、俺は見覚えがあった。
時間としては、昨日のこと。
初めて呪竜遺跡に足を踏み入れたとき、俺は望遠鏡越しに、祭壇に佇む人影を見た。
「あの子だ……」
洋風巫女服の女の子は、すっと背を向けると、暗がりの中に消える。
まるで俺たちを待っていたように……。
「……何かありそうだな」
「はい……。注意して行きましょう」
ここまで熾烈な競争を繰り広げてきた俺たちだが、今回ばかりは慎重に進むことにした。
暗闇の通路を、カンテラで照らしながら進む。
このダンジョンは、内装からして長く放置されてきた遺跡という感じで、照明なんて気の利いたものはない。
低層に関しては、今頃セツナたちが篝火を設置しているかもしれないが……。
「――おっと。段差だ」
「きゃっ!」
「うおっと!」
隣を歩いていたチェリーがバランスを崩したので、咄嗟に腰を支える。
「気を付けろよ……」
「すいません。でも先輩がいるから大丈夫ですよ?」
「『どうだドキッとするだろう』みたいなドヤ顔で言われても何とも思わんからな」
「きゃー」
UO姫が抑揚もクソもない悲鳴をあげながらゆ~っくりと俺にしなだれかかってきた。
「ミミもコケちゃったぁ~。ケージ君、支えて?」
「よくも抜け抜けと言えたなお前!」
ここまで来ると尊敬するぞ。
「またコケちゃうと危ないから……手、繋いでも……いーい?」
薄明るいカンテラの光の中で、UO姫は上目遣いで俺を見ながら、そっと俺の手に細い指を触れさせた。
まさかのコンボ攻撃……!!
「ちょ、ちょっと! ダメですよ! ダメ!」
「え~? なんでチェリーちゃんの許可取らないといけないのぉ~? ミミはただ、またコケちゃわないようにって思っただけだよ~?」
「んぐぐぐ……! じゃ、じゃあ私も! ……いい、ですよね? 先輩」
しおらしく言ってるけど、そもそも拒否権ないやつだろ、これ。
カンテラは腰のベルトにぶら下げて、右手でチェリーの手を、左手でUO姫の手をそれぞれ握った。
その状態で、暗闇を進んでいく。
「両手に華だね、ケージ君? いい気分でしょ?」
「あなたがいなければ最高の気分だったでしょうね! あなたがいなければ!」
「う~ん……どっちかと言うと、子供を二人、連れて歩いてる気分」
左右の足が同時に踏んづけられた。
「んぐおっ!? あぶねっ!? コケたらどうするお前ら! 全員道連れになるぞ!」
「先輩が悪いです」
「ケージ君が悪い」
こんなときだけ息を合わせやがって……!!
「……なあ、リリィ」
「なに? ジンケ」
「あれも配信に乗ってんの?」
「それが……場所が悪くて、今、画面がほとんど真っ暗」
「ああ、そう……。まあ、全世界に配信できるやり取りじゃねーよな」
「うん。だから今は、わたしたちも何しても平気」
「は? ちょっ……ストップ! ストーップ!」
後ろのほうも何だか騒がしい。
プロゲーマー様もいろいろと大変らしい。
まっすぐの通路を進んで、階段もいくつか上った。
どこまで行けばいいんだ?
そんな風に思い始めた頃―――
「おっ……?」
「光が……!」
行く手に光が射した。
炎の明かりじゃない。
陽光……?
外に出るのか?
俺たちは足早に階段を上る。
光の中に飛び込んで、反射的に目を瞑った。
闇に慣れていた目が、徐々に視力を取り戻していく。
風がそよいで、髪を撫でた。
外が見える。
空間の奥に、大きな丸い窓が二つあって、そこから風が吹き込んでいるのだ。
さほど広くはない部屋だった。
天井だって、せいぜい2階分くらいの高さだろう。
広さは、学校の教室3つ分か4つ分ってところか?
部屋の真ん中が一段高くなっている。
まるで外にある祭壇のミニチュア版だった。
「ここが、終点なのか……?」
「先輩、もしかして……」
チェリーが奥にある二つの大きな丸窓を指差す。
ガラスなどははめ込まれていない。
窓というよりは、単なる穴だ。
「……あの丸い窓って、眼じゃありませんか?」
「眼?」
「眼ですよ。ダ・モラドガイアの!」
「あっ……!」
言われてみれば、二つの窓の形は、眼以外の何物でもなかった。
そうか、ここは……!
「ふえ~。ってことは、ここ、あのおっきい像の頭の中なんだ~」
UO姫がのんきに言いながら、部屋の真ん中にある祭壇に向かって歩き出した。
そのとき。
「おっ!?」
「あっ!」
「んっ!?」
「えっ」
「ひゃーっ!」
UO姫がぴゅーっと引き返して、チャンスとばかりに俺の身体に抱きついてくる。
今ばかりは、それを咎めている場合ではなかった。
部屋の中央にある祭壇。
その真ん中に、さっきの女の子がまた現れたのだ。
『…………ああ、我らがモラドガイア…………』
どこからともなく響き渡る、澄み切った声。
この響きを、俺は知っていた。
湖の古城。
その謁見の間で聞いた亡霊の声と同じ―――
『……汝の魂もすでに堕した……もはや、封を続けること叶わず……彼の者の呪いは、今にも世界に満ちる……』
彼の者?
その言葉を……確か、古城の亡霊も口にしていた……。
『その前に――ああ、遥か未来の勇者たちよ、苦難を生き延びた我らの子らよ』
洋風巫女服の少女は、歌い上げるように祈る。
『――――お解きあれ――――』
その言葉を最後に。
フッと、少女の姿は吹き消されたように消えた……。
「……なんだったんだ?」
ジンケが怪訝そうにした、その直後。
足元が揺れた。
「っ!?」
これは……地震じゃないぞ!?
天井からパラパラと埃が降ってくる。
そして、二つの窓――ダ・モラドガイアの双眸から外に見える景色が。
―――動く。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
気付けば、俺たちは呪竜遺跡の入口辺りに立っていた。
「……あれ?」
「ワープした……んですか?」
周りを見れば、不思議そうにきょろきょろしているのは俺たちだけじゃない。
セツナや、ろねりあたち。
それに赤い鎧のムラームデウス傭兵団。
あのダンジョンの中にいたはずの連中が、ここに揃っていた。
「追い出された……」
俺は呪竜遺跡の最奥に座すダ・モラドガイアを見上げる。
岩壁に直接彫られた巨大な彫像。
磨崖仏ならぬ磨崖竜。
その見上げんばかりの威容が―――
「……ああ……ああ!」
―――岩壁から離れてゆく。
まるで、鎖から解き放たれるように―――
ガラガラと。
ベキベキと。
大量の岩塊を剥離させながら―――
動き出す。
高さ数十メートル。
ちょっとした高層ビルほどもある彫像が。
直立した格好だったそいつは、四本の足で呪竜遺跡を踏み潰した。
撒き散らされる膨大な粉塵と暴風に、俺たちは悲鳴を上げながら顔を庇う。
改めてそいつの姿を見上げたとき。
俺は不覚にも、息を呑んだ。
……ナインサウスのエリアボス、フェンコールだって、大きさで言えばコイツと似たようなものだった。
だが、あのときは六衣に乗って空を飛んでいたし、戦場も現在フェンコール・ホールと呼ばれている大穴の中に限定されていた。
しかし、今。
俺たちとコイツは、同じ大地に立っている。
そして―――
あのときの大穴のように、コイツの行動範囲を限定する地形は存在しない。
四足歩行となったダ・モラドガイアは、ゆっくりと右の前足を上げた。
俺たちを真っ黒な影が覆う。
「こっ……こっちに来るぞおおお―――――っっ!!!」
プレイヤーたちはそれぞれに悲鳴を上げながら、三々五々に逃げ散った。
逃げ遅れたほんのわずかなプレイヤーと、呪竜遺跡の入口であり簡易拠点でもあったドーム状の建物が踏み潰される。
攻撃?
いや、違う……!
ダ・モラドガイアは、左の前足を上げた。
「移動、してやがる……!?」
俺は愕然と呟いた。
あんな図体で動き回るって言うのかよ……!
しかし――
あれ以上先には行けないはずだ。
そっちにはもう崖しかない。
つまり、動き回るって言っても、呪竜遺跡の範囲内だけで―――
―――甘い考えだった。
希望的観測は打ち砕かれる。
暴風が渦巻いた。
果たしてそれは、ダ・モラドガイアのある動作による余波でしかなかった。
学校の校舎の2倍以上もある巨体が―――
―――大きく、翼を広げたのだ。
「げっ……!?」
ダ・モラドガイアは、翼を広げた状態で、崖の先へと身を躍らせる。
俺たちは急いで崖際へ走り、その姿を見下ろした。
岩壁でできた巨体は、翼に風を受けてゆっくりと降下し―――
―――遥か下の地面に、重々しく着地した。
そして、また。
悠然と、超然と――歩き始める。
「おいおい……待て待て待て、待てよ……!」
冗談だろ?
俺はダ・モラドガイアが歩いていく方向を見やった。
そこには、森があり。
広大な高原があり。
大穴――フェンコール・ホールがあり。
その、さらに先には―――
「……先輩……」
さしものチェリーも引き攣った顔をしていた。
「これ……このままだと……温泉街も踏み潰されちゃうんじゃないですか……?」
ここで、とあるルールを思い出そう。
―――クロニクル・クエストにおいて起こったことは、決して取り返しが付かない。