第89話 ではない(相手による)
「あのね、いきなり声が聞こえてきたの」
UO姫の説明によると、経緯はこうだ。
俺たちと別れたUO姫と火紹は、程なく傭兵団に紛れたPKたちを排除した。
残された傭兵団とも別れて中ボス部屋を探していたところ――
「案の定あなたも抜け駆けしようとしてるじゃないですか」
「てへぺろ♪」
「その舌引きちぎってやりましょうか!」
――探していたところ(仕切り直し)。
他に誰もいないはずの場所で《殺人妃》とやらの声が聞こえてきたらしい。
「隠れられる場所なんてどこにもなかったんだよね~。変だな~、と思ってきょろきょろしてたら――」
いきなりだったそうだ。
火紹がバタッと倒れて、人魂になった。
「いきなり倒れた?」
「戦わずにですか?」
「そうそう。不思議だよね~」
UO姫はのんきに言っているが、聞いた限りじゃかなりヤバそうなんだが。
「あの火紹だろ? 《巨人》だぞ? それが一撃って……」
「HPにもすごく補正がかかるはずですよね?」
《巨人》クラスによってステータスにかかる補正は、驚くなかれ、HPとSTRとVITに対し、なんと2.5倍。
代わりに他のステータスがガクンと下がるんだが、それにしたって、耐久面で言ったら間違いなくMAO最高クラスのはずだ。
「そうなんだよね~。火紹くんが一撃で倒れるなんて、普通ないはずなのにな~」
「クリティカル音は?」
クリティカルダメージが入った場合は、バシィッ! というサウンドエフェクトが鳴るはずだ。
「聞こえなかったな~。いきなりスッと倒れちゃった感じ。いちおう、脇腹の辺りにダメージエフェクトが見えたけどぉ~」
「……ってことは、即死スキルだな。《暗殺者》系かよ……」
「即死スキルは、レベルで負けてるとあんまり効かないはずですけど……。そんなに高レベルなんでしょうか?」
「火紹くんだって結構レベル高いのにねぇ。ふぅ~♪」
「のわー!! 耳に息を吹きかけるな!」
「っていうかさっさと降りてくださいよ!!」
UO姫はずっと俺の背中にぶら下がっているのだった。
「や~だ~♪ ね、ケージ君? おんぶがイヤなら抱っこでもいいよ? どさくさに紛れて好きなところ触ってもいいから♪」
「触るか! っていうか触っても感触ないんだろ! 知ってっからな!」
今だって背中に押しつけられてるはずの胸の感触をこれっぽっちも感じないし!
「……へぇ~? なんで知ってるの、そんなこと?」
「なんでって……」
「もしかして、誰かのを触ったことがあるからとか……?」
俺より先に、横で聞いていたチェリーが赤くなった。
「な、ないですからね! ないですからね、そんなこと!」
「なんでチェリーちゃんが答えるのかにゃ~? おかしいにゃあ~」
「し、心底バカにしきった猫語……!」
にゃにゃにゃ、とUO姫は猫っぽく笑い(似合うな……)、俺の耳元で囁く。
「(……ね、ケージ君。それじゃあ、触られたほうに感触があるかどうか、知ってる?)」
「……は?」
「(教えてあげよっか……? ううん、ケージ君が教えて? ミミのカラダに……♪)」
「ひょぉぉおう……!」
防御不可能なぞくぞくとした感覚が耳から背筋へ突き抜ける!
「それより!」
チェリーが手を伸ばして、UO姫の顔を無理やり俺の耳から引き離した。
「あなた、火紹さんがやられたのにどうやって逃げ延びたんですか!?」
言われてみりゃそうだな。
なんで助かったんだ、こいつ?
「それはね~、奥の手を使ったっていうか~」
「奥の手?」
「貴重な《ワープの矢》を1本使っちゃったぁ~」
ワープの矢だと?
「それは……まさかとは思うが……放った場所にワープできる矢だとか言わないよな?」
「ふふふ」
UO姫は意味ありげに笑った。
「ベッドの中でなら詳しく教えてあげてもいいよ……?」
「……あなた、気付かない間に下ネタキャラになってません? もはや姫じゃなくてただの性欲魔人じゃないですか!」
「うるさーいっ! こっちは形振り構ってられないのーっ!!」
「……AVに出演するグラビアアイドルみたいだ」
思わずぼそっと呟くと、かぷっと耳を噛まれた。
「(誰のせい? ね、誰のせい?)」
「(すいません……)」
UO姫も怒るときは怒るらしい(怒り方もあざとい)。
「とにかく、逃げるのは簡単だったの! なんでだか追いかけてこなかったし」
「即死スキルはたいてい近接攻撃にしか作用しないよな。近付かれてるのに気付けなかったってことは、潜伏系のスキルをめちゃくちゃ鍛えてるのか?」
「でも、攻撃前に話しかけたんでしょう? 妙じゃありません?」
……確かに。
せっかく気付かれずに近付けたのに、自分から話しかけたりするもんか……?
まあ、ただの中二病的行動だと言われればそれまでだけど。
「探索を続けよう。《殺人妃》の対応は出会したときに考えりゃいい」
「相変わらずいい加減ですね。わかりました」
「え~……。いつもそんな適当な感じなの、このトッププレイヤーたち……」
UO姫が露骨に失望した風に言った。
何も考えずに行動するタイプで悪かったな!
「まあいいや。確かに考えても仕方ないよね~。すりすり」
「ちょっと!? 何してるんですかっ!」
「えっ。何されてるの俺。わかんないんだけど!?」
……そんな感じで、珍しい3人組でのダンジョン探索は進んだ。
◆◆◆――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「ここが中ボス部屋か?」
「それっぽいですね。前二つの階層のとも似てます」
「さっさと行っちゃおー☆」
UO姫がいつの間にか俺らの仲間みたいなノリになっているが、まあ今は置こう。
多分そのうちチェリーが暗殺する(そういう目をしている)。
「とりあえず降りろUO姫。モンスターが出ようがお構いなしにへばりつきやがって。こんな修行あるか?」
「え~。抱きつき心地いいのに~」
「いいから降りろってんです!」
「きゃーっ!」
チェリーが俺の背中からUO姫を引きずり下ろした。
はー、やっと解放された。
別に重くはなかったんだけどな。
いや、別の意味で重い奴ではあるけどな、正直言って。
「むう~! チェリーちゃん、ひどぉーい!」
「よくもまあ自分を棚に上げて人を非難できるものですね……」
「チェリーちゃんも抱きつきたいならそうすればいいじゃん。人の足ばっか引っ張ってないで!」
「なっ……そ、そんなこと……!」
うーむ。
肩出し和風装備のチェリーと、コテコテのゴスロリファッションのUO姫とが、(比較的)普通に話しているのを見ると、なんだか感慨深いものがある。
犬猿の仲という言葉がこれほど似合う二人もいなかったってのになあ。
「……見て見て、チェリーちゃん。ケージ君がミミたちをいやらしい目で見てるよ。『もういっそ二人まとめて喰っちまおうか?』って顔してるよ」
「えっ……!?」
「してねえし考えてねえよ!」
「ミミはもう割と本気で検討し始めてるよ!」
「何を告白してくれてんだよ!」
つい昨日、独占しないと気が済まないって泣いてた奴が何を言ってんだ。
本当に……喋れば喋るほど、どこまで本気なのかわからなくなる奴だ。
「……3人……3人で……? いやいやいや、ないないないない」
……チェリーはカッコつけがちな割にはわかりやすいんだけどな。
「とっとと行くぞ。あんまり油売ってると―――」
「おーまーえーらああああああああっ!!!」
「「「あっ」」」
俺たちは一斉に振り向いた。
銀髪のメイドを連れたプロゲーマーが、通路の向こうから走ってくる。
「何が共闘だー!! 揃って堂々と抜け駆けしやがってー!!!」
「ヤバいヤバい! 行け行け行け!」
チェリーとUO姫を急かし、俺たちは逃げるように中ボス部屋へ入る。
中ボスはすぐに出現した。
広い天井の近くを、壁から現れては壁に消える、長大な竜――
西洋風、リザードマンと来て、今度は東洋風ってわけだ。
石でできた壁や床、天井の中を、まるで海のように泳ぐゴーレム・ドラゴンに、俺は剣を、チェリーは魔法を、UO姫は矢を、それぞれ叩きつけていく。
ここまでの中ボス戦で、要領はわかっていた。
要は弱点さえ見つければいい。
そこさえ突けば、見た目に反して割と簡単に、HPを削ることができる。
「追いついたあっ!」
途中からジンケの奴も参戦して、ゴーレム・ドラゴンのHPは見る見るうちに減っていった。
そして、おそらくは今までで一番楽に――
――第三の中ボスは、そのHPを完全に失った。
「なんか、呆気なかったな」
魔剣フレードリクを背中の鞘に納めながら、俺は崩れ落ちたゴーレム・ドラゴンを見やる。
「壁や天井に出たり入ったりするのがちょっと面倒くさかっただけですね。前の二戦で慣れてなかったらもうちょっと苦戦したかもですけど」
「えー! 結構強かったよ~!? ケージ君もチェリーちゃんも、あとそこのプロゲーマーの人も、火力がちょっとおかしいんだけど!」
そりゃ普通のプレイヤーよりは高火力だと思うけど。
もしかして俺らの感覚がおかしいの?
「ま、これで第三階層も突破だろ?」
ジンケが槍を肩に担ぎながら、部屋の奥に輝く巨大な紋章を見上げる。
「1階のマップは4面あるんだっけか? んじゃ、次が最上階ってことだな」
「おう。このダンジョンもようやく終わりだな―――」
「―――そう! そして、あなたたちの命運もね!」
どこからともなく。
童女の声が響きわたった。
「……! これは……」
《殺人妃》。
あの《巨人》火紹を一撃ほふったPK。
「飛んで火に入る夏の虫、とはまさにこのことだわ? ようこそ、わたくしのテリトリーへ! ボスを倒して満足したでしょう? 一人一人……順番に、彼岸に送り届けてあげる……」
どこだ?
どこにいる?
俺たちは部屋の中をきょろきょろと見回した。
だだっ広い中ボス部屋に、隠れられる場所なんてありはしない。
しかし、誰も見つからなかった。
ただただ、声だけが響いてくる。
「さあ、誰から戴こうかしら……?
そうね。そこの……《巫女》から戴きましょうか」
「《巫女》?」
「誰?」
「……あっ。私ですか?」
チェリーが自分の顔を指さした。
わかりにくいな!
「ふふふ……怯えることはないわ?」
別に誰も怯えてはいないんだが。
「痛みもなく、一瞬で終わらせてあげる……。あなたはただ、身を委ねるだけでいい……」
チェリーの周囲に注目するが、やはり何の異常も見られない。
だが、UO姫の証言によれば、《殺人妃》とやらはすでに、チェリーの近くにいるはずなのだ。
なんだ?
何を見落としてる?
落ち着いて情報を整理しろ。
疑問点を思い出せ。
なぜ《殺人妃》の姿が見えないのか。
なぜ《殺人妃》は黙って攻撃しないのか。
それに――
そうだ。
どうして戦闘中に襲ってこなかった?
中ボスとの戦闘が終わるのを待たず、戦闘中に襲っていれば、もっと簡単にPKできたはず……。
戦闘中では、何か都合が悪かったのか。
戦闘中と今とで何が違う?
何が――――
「――――そうか」
俺は目を瞑った。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
右を見る。
左を見る。
上も下も見てみるけれど、不審なものは何も見つからない。
どこにいるの?
《殺人妃》とかいうPKの言動はかなり間抜けだけれど、姿の見えない殺人者が自分に近付いているというのは、気味の悪いものだった。
どこにいる?
後ろ?
正面?
くるくると探し回って、やっぱり見つからない。
「ふふ……」
童女の声が艶めかしく笑った。
「それじゃあね」
来る――!?
私は反射的に身を強ばらせた。
目を閉じずに済んだのは、それなりに長い間、この仮想世界で戦ってきたおかげだろう。
けれど、私には何もできなかった。
私には。
「…………あっぶねえー」
いつの間にか駆け寄ってきていた先輩が。
私の脇腹の辺りで、目に見えない何かを掴んでいた。
「ぷっ」
先輩が、口にくわえていたものを床に捨てる。
それは小瓶だった。
確かあれは……状態回復薬?
「なっ……なっ……なんでっ……!?」
狼狽えた声は、《殺人妃》のものだ。
先輩はにやりと笑って、私に言った。
「目を閉じてみろ、チェリー」
目を……?
言われたとおり、目を閉じる。
瞼の裏に映るのは、HPとMP、それに各種バフを意味するアイコンが表示された簡易メニューだけ――
「あっ!」
見慣れないアイコンが灯っていた。
これって……。
デバフ?
私は瞼を開けると、急いでスペルブックを出して、自分に状態異常を回復する魔法をかける。
と。
私のすぐ側に。
小さな女の子が出現した。
「うう~……!」
ダガーを突きだした手を先輩に捕まれた、中1くらいの女の子。
まるで吸血鬼みたいな、真っ黒なマントで身体を覆っている。
この子が《殺人妃》?
「簡易メニューを見られたくなかったんだな」
先輩は言った。
「だからわざわざ声をかけて、自分の姿を探させた。血眼になって周囲を見回しているうちは、わざわざ目を閉じて、瞼の裏の簡易メニューを見ることはない」
「ああ、それで戦闘中に襲ってこなかったんですか……」
私たち慣れたプレイヤーは、戦闘中、頻繁に簡易メニューを確認する。
だから戦闘中だと、あのデバフアイコンにすぐ気付けてしまうのだ。
「なかなか面白いPKだな。結構危なかった。えーと……?」
先輩は《殺人妃》のキャラネームに目を移した。
「……《チイコ》?」
「~~~~~~っ!!」
《殺人妃》――《チイコ》は顔を真っ赤にする。
思ったより可愛い名前だった。
アカウントを作ったときは、PKなんてやるつもりはなかったのかもしれない。
「はっ、離しなさいっ! わ、わたくしの高貴な肌に、いつまで触れているつもりなのっ!?」
「いやー、それは無理だろ。離したらまたチェリーを襲うかもしれん」
ちょっとだけドキッとした。
ちょっとだけ。
少し守ってもらえたくらいでときめくような、チョロい女ではないのだ。
本当に!
「なんでまたこんな最前線でPKなんてやってんだよ、お前は。傭兵団まで雇ってさ」
「う、うるさい……! PK界にもいろいろあるの!」
「へえ。ちょっと興味あるな」
「うえあっ……ろ、ロリコン……」
「お前にじゃねえよ! ――あっ」
ロリコン呼ばわりされて先輩が怯んだ隙に、殺人妃ことチイコは掴まれた腕をするりと引き抜いた。
「ログアウト!」
そして即座に姿を消す。
鮮やかなものだった。
逃げ慣れている。
「ったく……結局なんだったんだ、あいつは……」
かき回すだけかき回された形だ。
火紹さんがやられてしまったこともあって、ポンコツな印象の割には、結構な害を被った気がする。
「ともあれ、邪魔は消えましたよ、先輩。先に進みましょう」
「おう。そうだな」
奥の壁で光り輝く紋章に向き直った先輩に、私はそっと近付く。
……まあ、一応。
礼儀として、言わないわけにはいかないよね?
先輩の袖をちょいと引いて、私は小さく言った。
「(……ありがとうございます、先輩。守ってくれて)」
聞こえたのか、聞こえなかったのか。
先輩はこちらを向かなかったけれど、横から覗き込んでみると、目が私から逃げるように動いた。
「ふふふ」
私は、少し守ってもらえたくらいでときめくようなチョロい女ではない。
先輩も、少しお礼を言ってもらえたくらいでときめくような単純な人ではない。
ではないのだ。
本当に。