第8話 エアプはやめましょう
「……きらいです。絶交です。人が怖がってるの見て爆笑するような先輩とはもうお付き合いできません」
「すげえブーメランだな。5分前の自分の姿を思い出せよ」
というわけで。
踏み入れるべきでない場所に踏み入れてしまったことに今更気が付いた俺たち二人である。
そうだよなあ。
言われてみれば、女子中学生にフリーホラゲーが流行った時代もあったって聞いたことあるしなあ。
動画見て大丈夫な気になってたけど実際にやったことはありません、ってのも、ない話ではないかー。
「それにしたって、さっきまであそこまで余裕ぶっこいてた奴がまさかここまで……ぶふっ!」
「お化け屋敷とかホラー映画とかは平気なんですよーっ!!」
「そんなんなら俺だって平気だわ。お前、VRホラーで心臓発作起こして人が死んだ事件知らんのか?」
「しっ、知りませんよっ! 人が死ぬレベルなんですか!?」
「ああ。これはゲームであっても遊びではない」
「うううー……!」
じわっとまた涙目になるチェリー。
まあMAOのレーティングを考えれば、その事件のゲームほど怖いはずはないんだが。
ともあれ、これで大義名分ができた。
「よし、じゃあ帰ろう。無駄足になったのは残念だけど、外にいる二人に連絡入れてとっととログアウトしよう」
「……やです」
「はい?」
チェリーは巫女服みたいな袖でぐしっと目元を拭った。
ふてくされたような拗ねたような顔で俺を睨む。
「絶対クリアします。リタイアなんかしません」
「いやいや、お前も怖いんだろ? だったら無理せずに―――」
「いやですっ!! やられっぱなしじゃムカつくじゃないですかっ!!」
こんなところで負けず嫌い発揮しやがって……!
「なんですか、幽霊くらい……! 今度出てきたら旅館ごと焼き尽くしてやります……!」
「旅館ごとはやめろ! 炎系の魔法はショートカットから外せ!」
こいつ、いざとなったらマジで放火しそう。
いや、破壊不能属性だと思うけどさ、こういう建物は。
「うううーっ……!」と唸りながら、チェリーはウインドウを開いて操作した。
アストラル系によく効く光属性の攻撃魔法をショートカットに入れてるんだろう。
ショートカットに入れてない魔法は、いちいち《スペルブック》を開かないと使えないのだ。
「これで大丈夫です。どんと来い超常現象」
「……このタイプのクエストで敵に攻撃できるとは思えないけどな」
「行きますよ!」
勇ましく宣言すると、チェリーは血の足跡を踏みつけるようにして休憩室の出入り口へと向かった。
が。
扉の前でピタリと静止して、こちらに振り向いた。
「なんでついてこないんですかあ……!」
「……怖いの?」
「こっ、怖くなんてないですっ……! 怖いのは先輩のほうでしょう!? もう、仕方ないですね……!」
恩着せがましく言いながら、チェリーは俺の傍まで戻ってきて――
がしっ!
と。
俺の腕を抱きしめた。
「こうしといてあげます! 先輩がはぐれると可哀想ですから! 先輩が!」
「お、おう」
チェリーさん、チェリーさん。
これ、どういう状態かわかってますか?
……わかってなさそう。
でも俺からわざわざ指摘するのは、すげえ意識してるみたいでイヤだ。
生理的反射で、飽くまで生理的な問題で仕方がなく、恐怖とは別の動悸がしてくる。
甘い匂い。
体温と柔らかな感触。
腕を伝ってチェリーの鼓動が聞こえてくるけど、これはたぶん怖くて緊張してるからだ。
アバターだけど。
そう、全部アバター!
すべてプログラムによる疑似感覚!
上級ゲーマーであるこの俺を惑わしたくば、この3倍は持ってこい!!
「(……せんぱい……)」
――ぬ?
「(はなれちゃ、イヤですからね……?)」
――貴様、よもやそこま、ガ―――!?
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
……やむにやまれぬ理由により、結局お化け屋敷のカップルスタイルで休憩室を出た。
是非もないね。
エントランスに戻ってくる。
玄関から見て奥へと向かい、上り階段の脇を抜ければ1階客室があるゾーンだ。
……俺が見た階段を上っていく白い女、たぶんさっき日記を奪ってった幽霊だよなあ。
俺たちに気付いてわざわざ戻ってきたのかな……。
「……客室、1階から見ていきますよ……」
半ば怨嗟の籠もった低い声で、チェリーは言った。
チェリーは片手に《聖杖エンマ》を持ち、もう片方の手で俺の腕をぎゅっと掴んでいるので、暗闇を照らすカンテラは俺が持っている。
いま気付いたけど、俺これ、自分の剣抜けなくない?
チェリーとカンテラで両手塞がってんだけど。
まあどうせ剣を構える心の余裕なんてないんだろうけどさあ!
腕を組んだまま、階段の脇を抜けていく。
俺たちの歩調はピッタリと合っていた。
というか合わせられていた。
俺が少し遅れたり前に出たりすると、チェリーがすぐぐいと引っ張ってくるのだ。
離れるな離れるな絶対離れるな離れたら殺す、という強い意思を感じた。
――ギシッ、ギシッ――
歩くたびに、板張りの床が鳴る。
廊下の左側に、引き戸が見えてきた。
……ここが、客室か……。
恐る恐る、カンテラの光を奥にも当てる。
と、廊下をさらに進んだ先にも別の戸があった。
だがその戸の前には、天井から落ちてきたのか、大きな木材が積み上がっている。
「……あっちは入れなさそうですね」
「ああ……たぶん、あっちが102号室だよな。鍵を見つけた……」
「わざわざ塞いであるってことは、やっぱり、鍵が見つからなかったほうに何かあるんじゃないですか?」
「ええー……」
休憩室――というか、フロントで鍵が見つからなかった部屋。
つまり、この旅館で何かがあったときに客がいたはずの部屋だ。
「それこそ鍵かかってんじゃねえの……?」
「それも試せばわかります。これだけボロボロで、未だに鍵が正常にかかってるかどうか疑問ですし」
「普通に、鍵持ってて塞がってない部屋を探したほうがいいんじゃ……」
「普通じゃダメなんですよ! 製作者の手のひらの上じゃないですか!」
「うわあ。よくないモチベに支配されてやがる」
「それに…………できるだけ部屋を回らないで終わりたいですし」
ああ、うん。
特に何もない部屋を回って、無駄に怖い思いしたくないもんな。
くっそわかる。
「……101号室からです」
一番手前の引き戸。
『101』と刻まれた戸の前に、俺たちは移動する。
「…………」
「…………」
「……どっちが開けんの?」
「私は両手が塞がってるので」
「俺もだっつーの!」
戸を開けるためには、組んだ腕をほどくしかない。
チェリーは「うううう」としばらく唸ったあと。
組んだ俺の腕を持ち上げて、戸のつまみに近付けていった。
「ちょちょちょストップストップ! 卑怯それ!」
「卑怯じゃないです! 先輩の手を使って私が開けるんですから!」
「せめて俺に意思の自由を!」
「ううううーっ……。じゃ……じゃあ、公平に、二人同時に」
というわけで、戸のつまみに二人で指を引っかけた。
その拍子に、戸がちょっと動く。
これ……ガチで鍵かかってないじゃん。
俺は絶望的な気分になりつつ、チェリーと視線を合わせた。
「せーの!」
「!?」
「――で行きますよ」
「ビビったわ! ベタなことすんな!」
呼吸を整える。
……なんか、心の準備をすればするほど怖くなっていく気がするが、気付かなかった振りをして。
チェリーの合図を待つ。
「……行きます」
「おう」
「せーの!」
「……………………」
「……………………」
戸は微動だにしなかった。
「開けろよ!」
「先輩こそ! 女の子にだけ怖い思いさせようなんてどういう神経してるんですか!?」
「一番卑怯な言い分来たなオイ!」
こいつ、なりふり構わねえ!
「次こそ一緒に開けますよ」
「わかってるって」
「あえて合図より早く開けるとかナシですからね」
「それはお前がやりそうなことだろうが!」
改めて、二人で戸のつまみに指を引っかける。
「せーの!」
「!?」
「――で行きます」
「そっからやり直すな!」
くっそ!
それで2回もビビったの小学生以来だ。
「……行きます」
「おう」
「行きますからね?」
「わかったから!」
「せー―――」
ガラッ。
戸が横に開いた。
「ッ!?!?!?!?」
俺は死ぬほど驚いて反対側の壁際まで逃げた。
「あーもう! あ゛あ゛あ゛あ゛もうっ!! だから言ったじゃんお前がやりそうってー!! マジでやんなよー!!」
「…………わ、私じゃないです」
「誤魔化せるか! 俺じゃないんだから開けたのお前だろ!!」
「だから、私じゃないんですってぇーっ!!」
涙声と一緒に、チェリーが壁際の俺に飛びついてきた。
「はっ……はなれちゃだめって、言ったじゃないですかぁー! いきなり暗くなって……うううう……!!」
半泣きだ。
俺の腕に抱きついて半泣きになっている。
「……え……今、戸、開けたの……お前じゃないの?」
「違いますよお……。か、勝手に……勝手に開いたんですっ……!!」
……ほっほーう。
ははーん。
なるほどなるほど。
理解した。
そういうことね?
そりゃ部屋の前でこんだけ騒いでたら開けるわな?
ということは……。
怖いもの見たさ、なんて感情が俺にもあったのか。
俺はほとんど無意識に、カンテラの光を開け放たれた101号室に向けた。
俺の目も、チェリーの目も、自然と光のほうに向く。
長方形の戸口。
その真ん中に―――
―――何もいなかった。
下駄が一足分だけ転がった、三和土があるだけだった。
「……………………」
「……………………」
そっちのほうが怖いんだが?