第7話 ゲームよりも絶叫にビビる
薄暗い。
薄暗かった。
エントランスからもう暗いんだけど。
「あー暗いなあ!! 暗いわこれ!! いきなり薄暗い!! いやー暗い暗い!!」
「うるさいですよ! 大声出して怖さ紛らわすのやめてください! まだ何にも出てきてませんから!」
わかってないよー!
こいつわかってないよー!
何にも出てきてないときが一番怖いんだよー!
「あーあーあー!!」と無意味に喚きながら、玄関扉を抜けてエントランスに足を踏み入れる。
板張りの床がギシッと鳴った。
と同時。
ピシャンッ!
カチャッ。
「…………お、おおー」
「なんで感嘆の声なんですか」
入った瞬間に勝手に扉が閉まって鍵がかかるとは、なかなかやるじゃん。
まあこの程度ではビビらねえけどな。
ビビらねえけどな。
「かえりたい」
「まだ入って10秒ですよ。……というか、鍵かかっちゃったから出られないんですが」
「バカな……!」
閉まった扉に飛びついた。
ガタガタガタ!
……開かない。
「これ、たぶんアレですね。建物の中を探索して脱出を目指すタイプの」
「一番嫌いなやつ!! やだー!! ブルーベリーみたいな色をした全裸の巨人やだー!!!」
「あーもう大声禁止ですっ! 雰囲気台無しじゃないですか!」
「もがもがもが!」
チェリーの手に口を塞がれた。
ちょっと待って冷たいちっちゃいすべすべ唇に触れてるから!
唐突に我に返って、口を塞ぐ手を掴んで引き剥がした。
「静かにしてくれますか?」
「…………(こくこく)」
「……あの、先輩。手……」
「……!」
掴みっぱなしだった手をパッと放す。
俺に掴まれていた手をそっとさするチェリー。
「……!!(ブンブン)」
「わざとじゃないのはわかりますから、そんなに否定しなくても……。
……というか、先輩? 大声さえ出さなければ喋ってもいいんですよ?」
「え、そうなの」
早く言えよ。
「一言も喋るな、なんて言うわけないじゃないですか。……私一人だけ喋ってるなんて、なんだか無視されてるみたいでアレですし……」
「んん? 今、結構会話成立してたけどな」
「今の『アレ』っていうのは――いえ、いいですやっぱり」
「気になるだろうが! お前そういうの多くない?」
「い・い・で・すっ!」
ふいっとそっぽを向いて、チェリーはせかせか歩きだした。
「待ってごめん置いてくなほんとマジでごめんって!」
チェリーはピタッと止まって振り返り、いたずらっぽくくすくす笑った。
……不覚にもドキッとした。
でも今は怖いからマジでやめて?
「そろそろ本格的に探索を始めますよ、先輩。覚悟はいいですか?」
「い……い……うーん」
「じゃあ受付のカウンターっぽいところから」
「訊いた意味!」
……まあ、実際のところ。
思ったよりは怖くない。
認めたくないが、チェリーが一緒だというのが大きいだろう。
こうしていつものように話していると、ここが廃墟になった旅館だということすら――
真っ白な女の人影が階段を上っていった。
「………………………………………………………………」
「せんぱーい? なに突っ立ってるんですかー?」
人は本気でビビると悲鳴すら出せない。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
カウンターの奥には窓がなく、光が入ってこなかったので、チェリーがストレージからカンテラを出す。
パッと光が灯る瞬間、グッと身体に力を入れた。
……何も出てこない?
出てこないな?
だが油断するな。
奴らは俺の安堵を突いてくる。
カンテラの光にぼんやりと照らされたのは、休憩室のような部屋だった。
上履き入れくらいの小さな引き出しが付いたタンスが、壁際に置かれている。
チェリーがそのタンスをカンテラで照らした。
引き出しの一部には三桁の番号が振られている。
各客室の鍵を保管してあるのか?
「部屋、結構いっぱいあるんですね。どれどれ」
「ちょっ!」
チェリーが何の躊躇いもなく『103』と書かれた引き出しを開けた。
こいつ、怖いもの知らずか?
開けた瞬間、背後から両手が巨大ハサミになった怪人が襲ってきたらどうする!
「やっぱり鍵ですね」
チェリーが引き出しの中から、タグの付いた鍵をつまみ上げた。
タグには『103』と書かれている。
「いちおう回収しておきましょうか。鍵がなくて困るかもしれませんし」
「お前全部屋行くつもりなの? アホなの?」
「失礼な。全部屋行かないと気が済まないっていつも言ってるのは先輩じゃないですか」
「それはダンジョンの話!!」
ここには宝箱なんてないんだよ!
あるのはビックリする仕掛けだけなんだよ!
「いちおう全部チェックしときましょう」
番号が振られた引き出しは全部で8つ。
それをチェリーが一つ一つ開けていく。
鍵が入っていたのは、8つの引き出しのうち5つだった。
残り3つは空っぽ。
それぞれ番号は、『101』『201』『204』。
「ふむ……。この旅館がこの状態になったとき、この3つの部屋には客がいたってことになりますね」
「よし。その部屋は避けよう」
「行くに決まってるでしょう?」
いやだー……。
今まで意識に入れないようにしていたが、休憩室の壁や机にはところどころ、黒ずんだ汚れがある。
絶対血痕じゃんこれ……。
何があったの、この旅館で……。
チェリーはカンテラの光をタンスから別に向けた。
「机の上……なんか、本みたいなのがありますね」
「次々見つけるなお前は!」
チェリーは半分腐った机にカンテラを置いた。
その光を頼りに、薄い冊子のページを開く。
「業務日誌……ですかね?」
「もうわかったんだけど。かゆうまフラグなんだけど」
「まあまあまあ。可愛い女の子の日常がきゃっきゃうふふと綴られてるかもしれないじゃないですか」
「せめて1%でも信じられる予想を言え!!」
「ほらほら。さっさと読みましょうほらほら」
「や、やだ……!! 絶対読まない!」
「双月歴453年12月18日――」
「音読……!!」
耳を塞ごうとした俺の手をパッと掴んでそのまま引き寄せるチェリー。
にやにやしながら、囁くような声で日誌の内容を読み上げていく。
双月歴453年12月18日
今日もいいお湯でした。
成分の一つ一つが肌に吸い込まれるようで、
1秒ごとに若返っていくのがわかります。
もし1日中入っていたら……
私、赤ちゃんになっちゃうんでしょうか?
それは大変です。
私には育ててくれる親なんていませんから……。
「………………業務日誌じゃなくない?」
「思いっきり個人の日記ですね。女性のようですけど……旅館のお客さんでしょうか?」
「いやでも、この温泉に来てたのはキルマの炭坑夫じゃ――」
双月歴463年12月18日
今日もいいお湯でした。
けれど……最近、一つだけ気に入らないことがあります。
夕方になると、毎日のように
野卑な男たちが来るようになったのです。
汚らわしい、汚らわしい。
あんな連中に入られたら、
私の美しい温泉が汚れてしまう。
どうすればいいでしょう。
さっさと飽きてくれないかしら。
「日付変わってなくないか?」
「よく読んでください。年号」
「あっ……!? 10年後かよ!! 日記っていうか年記!!」
「時間にルーズな人ですねえ(にやにや)」
「いや絶対人間じゃねえから! 定命の者じゃねえから10年単位で日記書くような時間感覚の奴は!!」
双月歴473年12月18日
10年経った。
あの男たちはまだ私の湯を汚していく。
ああ、美しい純白の濁りが、
男たちの汗や垢に侵されていく。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
もう私も入れなくなった。
あんな男たちに汚された湯なんて、
もう私の肌に触れさせたくない。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
きもちわるい。
キモチワルイ。
キモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイ
そうだ。
いいことを思いつきました。
これでまた、この温泉は私だけのものになるはずです。
でも、場所に気を付けなきゃ。
お湯が汚れてしまいます。
垢じゃなくて赤で。
なんちゃって。
「なんちゃってじゃねえよー!! 犯人側じゃん!! 犯人側の日記じゃんこれぇー!!」
「さあ次です次(にやにや)」
「やだ……読みたくない……絶対怖いもん……」
「怖いもんって。ぷふっ」
「くっそ……! 怒る余裕もねえよ……!」
「じゃあ行きますよ次のページ。行きますからね? いいですか? 心の準備します?」
「いいよじらさなくて!! もうどうせならさっさと読め!」
「じゃあ行きまーす」
双月歴483年12月18日
今日もいいお湯でした。
「…………ん?」
「これだけ……ですね」
一行だけ。
日記に書かれていたのは、その一行だけだった。
「なんだよ。結局どうなったんだ?」
「まだ先があるんですかね?」
ぺらっと、チェリーは次のページを開いた。
だが、白紙だ。
次のページには、ただの1文字も書かれてはいない。
「やっぱりここで終わ―――」
白紙のページに真っ赤な手形が出現した。
「ブヒェッヘヘフォフォーウッ!!」
俺が謎の悲鳴を発した直後、机に置いていたカンテラの光が消える。
「な、なに!! もうなんだよおい!!」
「…………」
驚きを通り越してキレながら、俺は真っ暗闇の中で手近にあったものを抱き寄せた。
これチェリーじゃね?
だとしても知らん!!
暗闇の中で、俺は全身を強ばらせる。
そして数秒後、静寂を切り裂くようにして、
――ガチャッ!
――バタンッ!
と、扉が開閉される音が聞こえた。
再び、静かになる。
……終わった……?
終了?
もう動いていい?
そう思い始めた頃、ぼんやりと光が戻ってきた。
カンテラが復活したのだ。
再び視界が取れるようになって、俺はすぐに気付いた。
「日記……ない……」
さっきまで俺たちが読んでいた日記が、どこにもなくなっていた。
代わりに……。
「ああもうなんで見つけるんだよバカぁー……!」
出入り口の扉に向かって、転々と。
真っ赤な足跡が続いていた。
つまり、こういうことだ。
全身血塗れの透明な女が、日記を奪い取って部屋を出た。
ページに手形が出現したのは、そのせい……。
「はああー……!!」
俺は深く深く溜め息をつく。
動悸が戻らない。
思ったより結構ガチなやつなんだけど!!
「かえりたい……マジで……。……チェリー?」
そういえば、さっきからチェリーが一言も喋ってない。
視線を胸元に下ろすと、そこにピンク色のつむじがあった。
今更だが、結構な勢いでぎゅっと胸に抱きしめてしまったのはチェリーだったらしい。
これは文句を言われるか……。
と、思ったが。
チェリーは、俺の胸に顔を押しつけたまま微動だにしなかった。
「あ、あの……チェリーさん?」
これで、チェリーが幽霊的なものに入れ替わってるとか、ないよね?
一瞬そんな不吉な妄想が働いたが、どうも違う感じがした。
身体が震えている。
手が俺の服をぎゅっと掴んでいる。
これは……。
肩を掴んで、少しだけ身を離す。
と。
チェリーは、涙目になっていた。
「……お前さ……もしかして……」
「…………」
「自分でホラーゲーム、やったことないの?」
「…………(こくん)」
「でも動画は結構見てた、とか?」
「…………(こくん)」
「…………あのさあ。ホラゲーは自分でやるのと他人がやってるのを見るのとでは、完全に別物だぞ?」
「は、……はやく、言ってくださいよおおお――――っっっ!!!!」
悪いけど、俺は爆笑した。