第76話 大人しい女の子が性的な目で見てくださいと暗に主張してくる(なんてことは有り得ない)
俺はいったんログアウトすると、何時間も寝たっきりで強ばった身体を軽くほぐして、朝食を摂るべく1階のリビングに降りた。
すると、極めて気持ち悪い顔をした妹に遭遇した。
「にゅふふふ。朝からお盛んでしたなぁ」
……半ば寝ぼけてチェリーを抱き締めていたところを見られてしまったのは一生の不覚だ。
俺は無言でパンを頬張る。
「いや、朝だから? 朝だからお盛んだったのかな、お兄ちゃん? 元からムラムラっとしていたところに愛する彼女の顔を見て、辛抱たまらなくなっちゃったのかな!?」
「……あのさあ。お前にはわからんかもしれんけど、実の家族にそういうこと言われるのって、普通はめちゃくちゃ嫌なんだぞ?」
「残念でした! お兄ちゃんの妹は、家族に下ネタを振るのが大好きなのです!」
「……………………」
本当に残念だよ。
最低限のカロリーを摂ると、またMAOに戻った。
今日は土曜日である。
朝から攻略に勤しむ予定だ。
「あっ、先輩…………」
恋狐亭のロビーでチェリーに会うと、なぜかそわそわと目を泳がせた。
「どうした?」
「いっ、いえ? 別に恥ずかしがってなんかいませんよ? 多少抱き締められたくらいのことで……」
「……………………」
俺は軽くチェリーを抱き締めてみた。
「うにゃあーっ!」
「ぶははは!!」
猫みたいな悲鳴を聞いて満足し、すぐに放す。
チェリーは顔を赤くして肩を怒らせた。
「もう! もう! もう! 先輩っ! もぉおおっ!!」
「はははははは!!」
俺はげらげら笑う。
こんなに防御力の低いチェリーは珍しい。
「あらやだ奥さん。あの二人、またイチャついてますわよ」
「くらげさん、なんですかその口調……」
「ホントね奥さん。さっきの今でよくやるわね」
「ポニータさんまで!?」
「……………………」
ろねりあたちも来たらしい。
何気なくそちらを見て、もう一度見た。
二度見である。
「…………!?」
「え、ショーコさん……」
チェリーも驚いた顔をした。
そう、ショーコだ。
浴衣ではなく、魔女帽子を被り、ローブを纏った彼女には、劇的な変化があった。
胸だ。
平原だったのが山脈と化している。
神話レベルの地殻変動だった。
しかも、ローブの腰をベルトで縛って、その大きさをアピールしている。
露出こそないものの、ちょっとだけ重力に負けたどんぶり型のラインが、ありありと見て取れた。
…………正直に言う。
エッッッッッッッッッッロい。
「そーそー! びっくりしたでしょー? ショーコったら、朝イチでアバターいじりに行ったらしくてさー」
ぷにっ。
何気ない動作で、双剣くらげがショーコの胸をつついた。
指めっちゃ埋まった!?
「ひあっ! ……く、くらげちゃん……!」
「どーゆー心境の変化なんだか。でもこれさー、ショーコのリアルの体型そのまんまなんだよねー」
マジで……!?
バレンタインのパーティのときに会っているはずだが、ほとんど話していないのもあってあまり印象には残っていない。
あるいは目立たないようにしていたのかもしれない。
猫背気味だし。
しかし、もう忘れられそうになかった。
UO姫みたいな体型の奴って、リアルにいたんだ……。
いやまあ、あいつのアバターはもっとわざとらしいロリ巨乳だけど。
「……………………」
思わずジロジロ見てしまっていると、ショーコは上目遣いでチラチラと俺の様子を窺っては、顔を赤くして帽子の広い鍔で顔を隠す。
……不意に、昨日の会話が思い出された。
『む……胸は、大きいのと小さいの、どちらが好み、ですか……?』
あの質問に、俺は確か、大きいほうだと答えた。
…………関係ない、よな?
だって、ほら。
もし、俺が大きいほうが好きって言ったから大きくしてきたんだったら……。
それは、つまり、ショーコが俺に、『エッチな目で見てください』って無言の主張をしていることになるわけで……。
……大人しい女の子が実はエロいことに興味津々だなんてのは、男の都合のいい願望である。
うん。
現実を見ていけ。
「……………………」
俺が冷静な判断を下していると、チェリーが俺の顔を見上げてニヤニヤしていた。
「……なに?」
「いいえ? やっぱり先輩は防御力高いなって」
「は? いや、俺はVIT低いほうだけど」
「そういうとこですよ、そういうとこ」
「?」
なぜか機嫌良さげな足取りで、チェリーはエントランスのほうへ歩き出す。
旅館を出るのだろう。
俺もついていこうとしたが、その直前、見覚えのある姿が視界の端によぎった。
フードを目深に被った、背の小さい女。
UO姫だった。
フードの奥の目と合うと、UO姫はカーッと顔を真っ赤にして、そそくさと外に出ていった。
……案の定、ゆうべ、勢いに任せてめちゃくちゃやったのを恥ずかしがっているらしい。
そりゃそうだろうな。
俺とはしばらく顔を合わせられまい。
正直、俺も無理だ。
耳に流し込まれたあの妄想を、どうしても思い出してしまう。
俺はチェリーと一緒に恋狐亭を出た。
まだ午前だが、今日は全国的に休日だ。
温泉街には、大勢の観光客がひしめいていた。
「今日は陽動作戦と潜入作戦を試すんだよな?」
「ですねー」
仮称《呪竜遺跡》に君臨する、巨大なドラゴン像の姿をしたボス、《呪転磨崖竜ダ・モラドガイア》。
その攻略が今日の目標だ。
今日一日でケリがつくとは思わないが、大規模クランが体勢を整えてくる前に、できる限り動いておきたい。
「なんとなく昼くらいに現地集合ってことみたいです。午前はセツナさんやストルキンさんが、各クランの動向を調べるみたいで」
「ふうん。やっぱり集まってくるか」
「きっと大集合しますよ。午後には戦争が始まりますね。ボス攻略戦争が」
ダ・モラドガイアを倒せばアップデートが行われる、と公式から告知されている。
レベル上限が150まで解放され、同時にここら一帯――ナイン山脈のモンスターの経験値が増量するのだ。
「ナイン山脈のモンスターで狩りをするのは、私たちレベル100オーバーの上級者くらいです。
ってことは、今度のアップデートは実質的に、完全に廃人向けだったレベル100以降のレベリング難度を緩和するってことですよね?」
「最前線組のレベリング競争が再燃するってことか」
「はい」
レベル100を超えてからの必要経験値量は馬鹿げたもので、俺たち含め多くの最前線組は、レベリングよりもプレイヤースキルの洗練や新戦法の考案、スキルや魔法熟練度の向上などに注力するようになった。
それがまたレベリングに戻る。
つまり――
「狩場の取り合いが起こりますよ。おいしそうなところは特に」
「もし呪竜遺跡のドラゴンたちを安定的に倒す手段が開発されたら、誰もがあそこを独占したがるだろうな……」
「そうです。で、もしダ・モラドガイアがエリアボスだった場合、あのエリアの領有権は、ラストアタックを取った人間とそのクランに渡ります」
「うっへー」
血で血を洗う争いは、どうやら避けられそうにないみたいだ……。
「まあ、逸ったところで仕方がありません。のんびり観光しつつ、のんびり狩りでもしつつ、のんびり呪竜遺跡に向かいましょう」
チェリーはまた、ニヤニヤと笑って俺を見上げた。
「危なくなったら、いつもみたいに助けてくださいね、先輩?」
「は?」
「ほらこう、ぐいって」
ぐい?
首を傾げる俺に、チェリーは軽く肩をぶつけた。
「先輩は、私のことが、可愛くて可愛くて仕方がないんですもんね?」
「……………………」
俺はチェリーの顔をまじまじと見た。
「……お前、混乱状態になってね? 回復したほうがいいぞ」
げしっ。
足をおもいっきり蹴られた。