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第75話 恋愛ゲームの主人公には運命の相手なんていやしない


 俺はフロンティア・シティを歩いていた。

 ポーションをしこたま詰め込んだ袋を両手に下げ、丘の上のプレイヤーホームを目指して歩いていた。


 あいつ(・・・)に買い出しを押しつけられたのだ。

 あいつ(・・・)は、口では甘えるようなことを言いながら、すぐ俺に面倒事を押しつける。

 敬意が足りないんだ、敬意が。


『……はあ』


 荷重超過によるデバフ効果を感じながら、俺はやっとの思いでプレイヤーホームにたどり着いた。

 ログハウス風の一軒家。

 あいつ(・・・)が作ったワガママ放題の設計書を元に、ひいひい言いながら建築した、俺たちの家。


『帰ってきたぞー』


 返事がない。

 何してんだ?

 俺は廊下を歩き、リビングに入って、ソファーを背中側から覗き込んだ。


『おーい』




 ――あ、これ夢だ。




 途端に理解する。

 ソファーに寝転がっていたそいつが、和風の装備をまとった、ピンク色の髪の、頼もしくも恐ろしい後輩じゃなかったから。


『ん~……』


 寝息まで砂糖をまぶしたように甘ったるい、ロリータ風の装備に身を包んだ、その少女。

 髪の色はあざといまでの漆黒で、今日はフリルだらけのカチューシャを着けている。

 俺より30センチも低い身長の癖に、とんでもなく起伏豊かで、プリンみたいに柔らかそうな双丘が、規則正しく上下していた。


『なに寝てんだ。人に買い出し行かせておいて』


 夢の俺は、そいつがここに寝ていることに何の違和感も持たず、そいつの小さな鼻をぎゅっと摘んだ。


『ん~……ん~……?』


 そいつは眉間にしわを寄せ、苦しそうにもがいたかと思うと、パチッと長いまつげを上げる。


『ん、あ……? けーじ、くん……?』


『おう。いいご身分だな、お姫様』


『ふふふ~♪』


 そいつはいきなり嬉しそうに笑ったかと思うと、両手を伸ばして夢の俺の顔を掴んだ。


『おっ? ちょっ――』


 有無を言わさず、唇を奪う。

 ぴちゃぴちゃと水音を立てながら舌を絡めて、唾液という唾液を交換した。


『ぷはっ……』


 10秒以上も立ってようやく、口を離す。

 唇と唇の間に糸が引き、程なくして切れた。

 夢の俺は顔を赤くして口を覆う。


『お、お前……寝ぼけてる?』


『そういうことにしとこっか?』


 そいつは――ミミは。

 俺の唾液で濡れた唇で、蠱惑的に微笑んだ。


『――ねえ、ケージ君』


 いまだ夢の俺の顔を捕まえたまま、夢のUO姫は言う。


『こういう世界も、きっと有り得たんだよ。どこかの時点まで時間を巻き戻せば、きっとこんな今も有り得たの。恋愛ゲームみたいにね』


 それは、夢の俺への言葉じゃない。

 この俺(・・・)への言葉だ。


『わかりやすいでしょ?

 恋愛ゲームの主人公は、各ヒロインのルートでは、その子しか有り得ない、世界でたった一人の運命で結ばれた相手なんだ――みたいな素振りをするくせに、ある時点で、ほんの些細な選択肢を変えるだけで、別の女の子にあっさり目移りする。

 ヒロインたちにとって主人公はたった一人でも、主人公にとってヒロインはたった一人じゃないの。

 ねえ、いいご身分だって思わない?』


 唇は微笑んだまま。

 しかし、言葉は棘のように突き刺さる。


『ああ、ごめんね。別に責めたいわけじゃないの。恨んでるわけでもない。ただ、どうしてわたしのルートじゃなかったんだろうって、未練がましく愚痴ってるだけなの。

 そう。ケージ君のいる場所は、わたしのルートじゃない。

 誰のルートだと思う?

 あなたがたどり着くべきなのは、誰のエンディングなんだと思う?』


 そんなのは、最初からわかっている。

 もう、ずいぶん前から、決まりきっていることだ。


『そう、決まりきっていること。あなたが決めたわけじゃない。誰かが決めたわけじゃない。ただの巡り合わせ。運命なんてお洒落なものじゃなく、面白味のないただの偶然がそう決めた。

 赤い糸なんてないよ。神様なんていないよ。あなたとチェリーちゃんは、かけがえのある、他にいないわけでもない、何にも約束されていない、たまたま気が合っただけのありふれた男の子と女の子に過ぎないの』


 わかってる。

 わかってるよ。


 でも、事実だからって認めなくちゃならないのか。

 もっと特別な何かだって、思い込むのは悪いことか。


『さあね』


 夢の中のミミはせせら笑った。


『でも、夢を見るのは、悪いことじゃないと思うよ?』


 だから、と。

 夢のミミは、俺をぐっと引き寄せる。


『…………夢の中なら、浮気じゃないよね?』




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「――――ぅぐっ……」


 息苦しさで目が覚める。

 視界には木目調の天井。

 それともうひとつ。


「グッドモーニング、先輩」


 ピンク色の髪をすだれのように垂らしたチェリーが、俺の顔を覗き込んでいた。

 チェリーの手が俺の顔から離れ、息苦しさがなくなる。


「前の仕返しです。寝顔を撮りに来ました。驚きましたよ、先輩でも寝顔は可愛いんですね? ま、私には負けますけど!」


 寝ぼけた視界に、見慣れたドヤ顔が広がる。

 どうしてだろう。

 泣きたいくらい安心する。


「充分撮ったので起こそうと思ったんですけど、いきなりうんうん魘され始めてびっくりし――――」




 俺は衝動のまま、チェリーの身体を抱き締めた。




「――――え。え、え、え…………ええええええええええええっ!?!?」


 ぎゅうっと、力の限り。

 その温もりと感触を、余すことなく捕まえるように。

 今ここにいるチェリーを、胸の中に抱きすくめる。


「あ、あの! 先輩!? 先輩ったら! 寝ぼけてるんですかっ!? 

 み、見られてますっ! セツナさんとかに見られてますったら! 先輩!? せんぱいっ!」


 どれだけ暴れようが、俺は絶対に放さない。

 そうしないと、何かに負けてしまう気がした。


「あの…………先輩?」


 やがて、暴れるのをやめたチェリーが、そっと問いかけてくる。


「何か……怖い夢でも、見たんですか?」


「……たぶん。ある意味」


 夢の細かい内容は、溶けるように消えてしまった。

 でも、とても恐ろしかったことだけは覚えている。

 大切にしているものを、自ら地面に叩きつけて壊してしまうような、そんな恐ろしさだけが残っている。


「……そうですか。仕方ないですね」


 溜め息をつきながら、チェリーは俺の首筋に顔をうずめた。


「少しだけ、抱き枕になっててあげます。少しだけですよ?」


「……ありがとうな」


「んっ……」


 俺はさらに力を強めて、チェリーの髪から漂う甘い匂いを吸い込んだ。

 匂い以上に胸を満たすこの気持ちを、俺はあえて名付けない。


 ――たとえ、と心の奥の何かが反駁した。


 たとえ、今のこの気持ちが、ただの偶然でできあがったものだったとしても。

 今という瞬間を切り取ったせいで、他のことが見えなくなっているだけの、ありふれた錯覚だったとしても。


 別にいい。

 それで構わない。

 俺にとっては、ただのそれが特別なんだ。


 ああ……昔の人は、うまいことを言うものだ。

 ただの偶然を必然に偽装する。

 ありふれたものを特別に感じさせる。

 指して一言、わずか四文字でこう表す。




 ――――『■は盲目』。




 徐々に気持ちが落ち着いてきた頃、少し遠くからこんな声が聞こえた。


「ちょっとみんなー! 集合! 集合!」

「えっ!? なんだって!?」

「ケージさんとチェリーさんが!?」

「朝っぱらから抱き合ってる!?」

「話は聞かせてもらったぁーっ!! 動かないでお兄ちゃん!!」


 うるせえな!!!!


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