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第74話 もう好きになりたくない


「……今から、予行演習しよっか? いきなりリアルで本番じゃあ、ケージ君も緊張しちゃうでしょ?」


 夜。

 旅館の地下。

 売店から漏れる光だけが頼りの、薄暗い卓球場。

 俺を壁に追いつめ、大きな胸を潰すように押しつけて、UO姫は蠱惑的に笑みながらそう言った。


 俺はその攻撃に揺れる精神を押さえつけながら、努めて冷静に返す。


「どうやってだよ……」


「何事にも抜け道はあるものだよ? ミミが手取り足取り教えたげる。VRラブホソフトにMAOのアバターをインポートする方法♪」


「それ、年齢制限ぶっちぎってないか?」


「逆に訊くけど、ケージ君はえっちな画像を一度も見たことがないの?」


 俺は無言で目を逸らした。


「ふふ……かわいい。そういうとこも好き」


「今更お前にそんなこと言われても信じねえからな」


「信じてくれるまで繰り返すよ。チェリーちゃんはあんまり言ってくれないでしょ?」


「……………………」


 土産物屋の裏口での『演技』を思い出す。


「(それで? ミミに何してほしい?)」


 息を吹きかけるように、UO姫は囁いた。


「(チェリーちゃんがしてくれないこと……わたしが、全部してあげる)」


 揺れなかった、と言ったらそれは嘘だ。

 MAO最高の美少女とすら言われる女の子に、こんな風に言われたら。

 それでも。


「……悪いけど、その必要はない」


「え?」


「もしレナに『チェリー』とリアルでも会いたいって言われたら、あいつ本人を連れていく」


 UO姫は目を丸くした。


「……いいの? 二人の関係が妹さんにバレちゃうけど」


「面倒くさいが、別の誰かをあいつ扱いするよりはいい」


 俺はUO姫の目をまっすぐに覗き込んで告げた。


「『チェリー』は、他の誰でもない、『真理峰桜』だ。誰にも成り代わらせたりはしない。そんなこと……俺は、許せないんだよ」


 UO姫はしばらくの間、黙って俺の顔を見つめていた。

 その間、俺は一瞬たりとも目を逸らすことはなかった。


「……くやしい」


 UO姫がひっそりと呟いたかと思うと、彼女の手がそっと俺の頬に添えられた。


「今、まさに失恋しているのに。わたしの気持ちが、否定されているところなのに。

 ……ねえ、どうしてかな、ケージ君。あなたの、桜に対する想いを、感じれば感じるほどに……どんどん、どんどん、好きになっていくの」


 ことん、と。

 UO姫は、その小さな顔を、俺の胸にうずめさせた。


「好き」


 たった、その二文字に。

 ついさっきも聞いたはずの、その二文字に。

 今度はなぜか、俺は目を見張る……。


「好き……好き。すき、スキ、好き。

 信じてくれるまで言う。好き。どうしてこんなに好きなの? つらいよ。苦しいよ。助けてよ……!

 ……本当にあの子が羨ましい。

 報われなくても満足できる、あの子が本当に羨ましい。

 わたしは欲深いの。独占しないと気が済まないの。

 不毛だってわかっていても、諦めたり妥協したり折り合いを付けたり、そういう風にできないのっ……!」


 UO姫の手が、俺の浴衣をぎゅっと掴んだ。

 抱き締めるべきなんじゃないか、と思う。

 頭を撫でて、慰めてやるべきなんじゃないか、と思う。


 けど、それはできなかった。

 相手がチェリーだったら――真理峰桜だったらそうしただろう。

 でも、こいつはあいつじゃない。

 だから、できない。

 できないんだ。


 そうだ、俺自身が誰よりも知っている。

 俺という人間が、八方美人なんてできるほど、器用な奴じゃないってことを。


 すべては巡り合わせだ。

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 だから、こいつがどれだけ助けを乞おうとも――

 ――その手を取ることは、俺にはできないのだ。


「――――……なぁんてね♪」


 不意に明るい声がしたかと思うと、UO姫は俺を突き飛ばすようにして身を離した。


「可哀想だなって思ってくれた? 慰めようって思ってくれた?

 ごめんね、ちょっとやりすぎちゃった。ケージ君があんまり優しいから、付け込んじゃおうと思って……」


「……お前」


 いつもは、どんな冗談を言ったって。

 どんなに思わせぶりなことをしたって。

 そんな風に、自分から明かすようなこと、しないだろうが。


「もう、よせよ……。自分でやめられないって言うなら、俺が言ってやる。もう、やめろ。俺に構うのも、真理峰に拘るのも……。結局、一番傷ついてるのは、お前なんだろ?」


「…………!」


 ひくひくと、UO姫の頬が震えた。


「お前は、あの城にいるべきなんだ。あのプリンセスランドにいるべきなんだよ」


「や、やめてよ……」


「あそこになら、いっぱいいるじゃんか。お前が作った、お前が集めた、お前が育てた、お前を好きでいてくれる人間が。

 なのにどうして、俺に拘るんだ。

 俺は拒絶することしかできない。何度来られても、お前を真理峰桜(あいつ)の敗北者にすることしかできない。

 それを一番わかってるのは、お前のはずなのに―――」


「やめてったらっ!!」


 叫び声は、上擦っていた。

 ふざけた調子もない。

 媚びた調子もない。

 もはやそれは、『UO姫』の声じゃない。

 名前も知らない女の子の声。


「やめてよ、本当に……これ以上、優しくしないでよ……!

 もうイヤなの……。もう好きになりたくないの……!

 好きになればなるほど、つらいのも増えていくんだもん……!

 どうしてわたしじゃないの、って……。どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、って……!」


 真っ赤にした顔を両手で隠す彼女に、俺はもう、何も言うことができなかった。


「いっそ幻滅させてほしかった……! 欲望のままわたしに手を出して、桜を裏切って、ああ、こんなものかくだらない、って、思わせてほしかった……! そうすれば、きっと、わたしは……!!」


「……楽に、なれたか?」


「……………………」


「後悔しただろ、どうせ……。お前、実は、真理峰のこと大好きだもんな」


 本当に嫌いな人間に、ここまで拘ったりはしない。

 多少、愛憎入り交じってはいるが、結局はこいつも、かつての後輩が可愛くてたまらないのだ。


「もうやめようぜ、本当に……。誰も幸せにならない。誰も報われねえよ、お前のしてることは……」


「…………。やだ」


「頑固な奴だな」


「報われない恋をしたことのない人にはわかんないよ。このリア充」


 はいはい。

 いいよ、もう、リア充で。


「明日からも、続けるからね、ケージ君」


「付き合えってか……」


「あ、間違えた」


 ぐじっと目元を腕で拭い。

 UO姫(・・・)は、媚びた甘ったるい声で言った。


「もう日付変わってるから、今日からね、ケージ君っ♪」


「……お手柔らかに」


「というわけで、今日一発目!」


 てくてくと近付いてきて、UO姫はあざとい上目遣いで俺を見上げた。


「本当にケージ君が欲望に負けちゃったとき用に、わたしが(・・・・)妄想してたこと、全部ぶちまけちゃう♪」


「は? ちょっ……」


 UO姫は俺の首をぐいっと引き寄せながら背伸びして、耳元で囁き始める。


「(まず部屋に入った瞬間ケージ君に抱き寄せられてキス。舌を絡めたままベッドに押し倒されて、そのまま乱暴にされそうになっちゃうんだけど、それを優しく窘めて服を脱がせっこするの。お互いにボタンを一つずつプチ、プチ、プチ……)」


「ごぶッ!?」


「(わたしのおっぱいにケージ君の目が釘付けになって、わたしは恥ずかしくて腕で隠すんだけど――あ、リアルのわたし、Hカップね)」


「えいち!?」


「(で、その腕をケージ君が優しくどかして、シーツに押さえつけるの。わたしは抵抗できなくなってされるがまま、興奮したケージ君にむしゃぶりつかれ――)」


「まっ、待った待った待った!!」


 思ったより具体的!!


 結局、力ずくで引き剥がすこともできず(結構STRに振ってやがる)、俺はUO姫の妄想を最後の最後まで聞いてしまうことになった。

 最後の最後まで。

 架空の俺と架空のこいつによる、触ったり触られたり吸いついたり吸いつかれたり舐めたり舐められたり動いたり動かなかったりを、甘ったるい声で、あたかもそういうCDのごとく耳に流し込まれた。


「……はあっ……はあっ……」


「(ケージくん……しゅごかったよぉ……)」


「やめろ台詞を囁くな。全部お前の創作だからな!」


「同じ妄想を共有したんだから、これはもう実質シちゃったと言っても過言ではないよね? 童貞卒業おめでとう♪」


「過言だしめでたくもない!」


「ミミはもう、完全に処女喪失した気分だけどね! 好きな男の子に自分の妄想丸ごと話しちゃってもうお嫁に行けない責任取って!」


「だったらやるな!」


 自分も顔真っ赤にしてる辺り、とんでもない自爆攻撃だ。

 チェリーもそうだが、こいつらはなんでたまに我が身を犠牲にしてまで俺を精神的に殺そうとするんだ!


 UO姫はようやく身体を離し、三回ほど深呼吸を繰り返した。


「はああー……。実質的にケージ君の子供を身ごもってしまったことだし、ミミはもう落ちるね……」


「実質的に身ごもったってどんな日本語だよ……」


「あれでデキないってことはないよケージ君。一晩であんなに何回も出しておいて」


「これだけは言っておくがな! 男は普通あんなに出せない!」


「えっ……? そ、そうなの?」


 本気で意外そうな顔をするUO姫。

 お前のそんな顔初めて見たよ。


「え、えーと……そ、それじゃあ、次はアバター版を考えてくるね! この小柄な身体を十二分に活かしたやつを!」


「困ったら下ネタに逃げるのやめろ!」


「あと、あの妄想に著作権はないから、いくらでもリバイバルしてくれていいからね! 寝る前にでもどうぞっ! おやすみっ!」


 恥の上に恥を塗りたくりながら、UO姫はログアウトした。

 ……今頃あいつ、リアルで悶絶してるんじゃなかろうか。


「はあああー……」


 俺は壁に背中を預けたまま、ずりずりとへたりこむ。

 ……信じてくれるまで言う、か。


「…………俺をどんな鈍感だと思ってんだよ、アホ」


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